2015年1月29日木曜日

「もしも」の功罪

「もし、それがなかったらどうする?」


わたしが毎日の生活でよく使う言葉です。

わたしは変化に弱く、また、自分の中での予定と異なる動きがあるととてもしんどい思いをします。

「Aをして、Bをして、C。Aは、X方式でやるの、そのために、Bはこういう準備をして・・・」という映像を、たいてい用意して、ものごとにあたると、安心です。
ところが、たとえば「X方式でAができない!」となったら、ゼロ100思考・予定してしまったが故の混乱で「もうだめだ・・・」となってしまうのです。
こうなってから「じゃあこうすれば?」なんていうことばがけや「仕方ないじゃない、何を甘えているの?」なんていうことを言われても後の祭り、むしろ追い討ちです。(こうなってからでも、立て直す手段・場合はありますが、別の記事でお伝えします)


そのため、まずは自衛として、「もし、うまくいかなかったら?」という第2の手段、第3の手段をもつようにしています。最終手段としては、「あきらめて、いつもよりおいしいおかしを買って、お家でお茶しよう」なんていうものが用意されて、「きもちよくあきらめる」こともできるようにしています。さらに、「これは、どうなるかわからない性質のことだ。予想をすることは無駄だ。だから、予測できなくても大丈夫だと思えたらやろう。」と考えることもあります。自分以外の人物が関わってくる場合などに有効です。また、予測できないことをやりたくないわけではないのです。「わからない」ということが確定すれば、それはそれで「安心」なのです。実験のようなものでしょうか。


対応としては、先述の「じゃあこうすれば?」と変わらなく見えるかもしれません
けれども、あらかじめ用意しておくことが非常に大切なのです。


自分では止められない衝動で「ぜったいこうする!」と過集中し、息巻いてしまっているときは、パート ナが言ってくれたりもします。これはとても助かります。お互い困らなくて済むのです。

次の手、その次の手、奥の手を考えておくことは、穏やかに過ごすために大切なことです。

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反面、「もしも?」がうまく用意できないときは、用意する時点で固まってしまい、最悪の場合、調子が悪くなってしまうこともあります。

たとえば、何かのやり方を小出しにされたり、構造の全貌が読めないような場合や、複数の要因が重なって、結果に影響する場合などは苦手です。わからないことすらわからなくなって、フリーズしたり、パニックして、まったく判断がきかなくなります。社会人になると突然乱用される「何事も経験」方式は、非常に困る方法なのです。

もちろん、必要な失敗や避けられない失敗もありますが、「はじめから全体像をつかんでいれば、うまくいくのに、なぜ、一度わざと失敗する必要があるのか?」が、まったく理解できません。
また、小出しにして学習する方法は、たいてい予想していない途中で、他者の介入が発生するので、とても混乱します。


次の瞬間を予測できないこと、次の年、、その次、、、予測できないことは非常な恐怖です。せっかく自分の中で恐怖をおさめているのに、それを突然ぐしゃぐしゃにされると、崖から突き落とされたような絶望を感じます。たとえそれが好意であっても、それを理解できても、感覚的なしんどさは減りません。それどころか「どうして親切にしてくれているのにわたしは・・・」という気持ちになって、さらにつらいのです。
人の気持ちを理解しようがしまいが、崖から突き落とされたら泣き叫んでしまいますよね。

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人と人は必ず互いに異なる文脈で生きているのだから、偶然、考え方や表情の作り方が似ているから共感できるのであって、そういうものが空気を実際に伝わっているわけではありません。
定型発達の人々が「空気を読む」と言っているのは、「偶然、脳の構造が似ている人が多くて気持ち等が予測しやすいから、他者に対する処理スピードがやたら速い」ということかな、と思います。これはたしかにやさしさを使いやすいと思います。けれども、「論理的に考えること」も、やさしさにつながります。
楽ではないけれども、多様な他者を受け入れるためには、「考える」ことが必要ではないでしょうか?


状況やその人の特徴・好みなどをストーリーのように並べれば、「その人の気持ちや必要としていること」を、わたしは理解できます。

言葉にできる以上のものを私たちはもっていて、言葉以外の方法が伝達に有効な場合もあります。それでもやはり、現状6〜7割くらい、「伝達として」そこそこ信頼できるのは、目に見えててざわりのある言葉を介したやりとりかな、と思います。


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「もしも〜」は、考えると楽だし、考えすぎてもしんどいのです。
私たちが「もしも?」を考えるので、定型のみなさんは「わからないときもあるよ」って教えて下さい。場合によってどっちも必要ですよね。