2015年6月29日月曜日

チェーンブランケット・使用感

こんにちは、先日作ったチェーンブランケットを使いました。
使用感ですが、チェーンブランケット、最高です。私にはよく合いました。
暑い時でも不安なく薄いケットで眠れるのはとてもいいです。
またキルトのようにしたので、中でじゃらじゃらすることもありません。

お時間があるなら、作ってみる価値はあるかもしれません。

ちなみに私は12m買って、2300円ぐらいでした。
他のものは自宅に転がっているものでつくりました。

また、最近多動転動がひどくて、デスクワークがはかどらず困っているのですが、このブランケットを椅子の背ごと巻いて、ももに挟む(下図)ようにしたら、結構落ち着きました。
姿勢保持がこのごろしんどい(梅雨のせい?)ために横になりがちだったのですが、これは少しラクに座っていられます。

こちらは圧は弱いかもしれませんが、普通のブランケットでもできるかと思います。
よろしければお試しください。



2015年6月28日日曜日

チェーンブランケット

チェーンブランケットというものを知りました。

こちらで取り扱いがあり、ADHDや自閉症、また不安症などに効果があるとされています。
実際、私も圧迫刺激が好きです。
座っている時に重い荷物を抱えてしまうのも、無意識に足がガサガサしないように、また心地よいために圧迫しているのかもしれません。寝るときも、うまく眠れなくてマットレスと壁の間に挟まって寝たりします。そうしないと姿勢が保てなかったり、ゆえに体をじっどしておくのが難しかったり、体がとけてなくなっていくような感じがして気持ち悪いです。

このチェーンブランケットは、手に入れるには9万円からと、少々お高いです。またおそらく私はこの福祉機器の適応にはならないでしょう。
お試しだけでもしてみようかと思っていたのですが、やはり私にはハードルが高かったです。メールでの問い合わせもできるのですが、なんとなく踏み出せませんでした。また頭がパーッとなって、一気に購入してしまう、という事があっては嫌だし、買うほど必要かというと、疑問でした。

調べるうちにこちらのブログで、「鎖を縫い付ける」という方法をとっていらっしゃる方がいることを知り、すぐに作ろうと決意しました。

計画は、以下のように考えました。


これがいいかな?と思い、作り始めました。

大きなタオルケットを半分におります。
幅を測ります。


必要なチェーンの長さはおよそ11メートルとあたりをつけて


ひもを付けます。どうせ見えないからだいたい均等ならいいだろうと、大雑把に。



でもできるだけ均等でないと、やはり使いにくいし、後からの作業もしづらいでしょう。


反対側に平行線を引くのは難しそうなので折りたたんであたりをつけて。

ひもがつきました。

ちょっと疲れてきて、どうせ鎖をかえたりするまい、と固結びします。
結ぶ場所を間違える可能性があるので、さいしょは固結びしないほうがいいです。
私は間違えました。

ここで問題発生。
折りたたむ際に、「チェーンが、じゃらじゃらして、耳が痛い」事に気づきます。
チェーン購入の際に、「これはまずいかな、でも、分散させて配置するから、いいだろう」と思いましたが、やはり、これではいけない模様。

急遽、キルトのように、チェーン同士の間を縫うことにしました。
結局、上の図の「おそらく実際は」の構造とほぼ同じになりました。
しかも、チェーンがつながっている分、おそらく縫いにくかったと思います。

以下、今のところいちばん良いと私が思う「自作チェーンブランケット」の構造と作り方の図です。


今回作成したブランケットは、計5キロと、販売しているものからすると軽い部類です。
それでも作るのには苦労しました。

作るにあたっての、注意事項を学んだので記しておきます。

【チェーンブランケット作成前の注意事項】

*チェーン同士がぶつかる音に耐えながら作ることができるか
 (半日前ほどに作成完了しましたが、いまも耳が痛く、耳の中にステンレスを突っ込まれたような不快感があります。聴覚過敏の人にはとてもきつい作業です。私は過集中で突っ走りましたが…イヤーマフをすることさえも忘れて、前の晩からアイデアが渦巻いて寝ることも出来ずにいたためでしょう。また聴覚過敏をもっているにもかかわらず、聴覚過敏の存在には過鈍であるため、しんどい、ことに気がつくのが大幅に遅れました。)

*チェーンと布団がぶつかる音が気にならないかどうか
*どのくらいの重さのものを作りたいのか
やはりお試しをして、これらを確認することをおすすめします

*一日仕事です。重いので、ミシンをかけるだけでかなりの重労働。
*やはりミシンが必要。厚地・タオル地に耐えられるミシンでなくてはなりません。私は、工業用ミシンを使いました。
*大きなものなので、おそらく6畳以上、自由に使えるスペースが必要

かなり適当に作りましたが、タオル地なので縫い跡もほぼわからず、とても圧迫感がよいです。
わたしはかなり適当に重さを決めました(ホームセンターで持ってみただけ)が、そのあたりの勘はあるようで、私には5キロほどでちょうどいいと思います。もう少し思い切り重くても私はかなり心地いいだろうという気もして、物足りなさもありますが、あまり重くても、負担になりそうで怖い気もします。やはり試してみないとわからないところですね。

今日は寝るのが少し楽しみです。
おまけ:物騒な写真が撮れるので、笑える。

2015年6月27日土曜日

タタリ神なんかになりたくない



わたしはテレビを必要以上に見ないようにしています。
「録画」「Eテレ」「CMだけ丸暗記して即時エコラリア」」が私のテレビの楽しみ方です。

それというのも、テレビを見ると

・理不尽な場面
・キャラクターとして強いことを言う人
・誰かが恥をかく場面

が出てきます。

それに対して、本当にいたたまれなくなってしばらくつらい気持ちが続いたり、その場に居られなくなってしまったりします。
また自分の考えと違うことや、激しいものいいに対して本気怒ってしまい、口から反論や暴言が止められなくなってしまい、心身ともに疲弊してしまうことも非常に多いです。

テレビ以外の刺激でも、ふと入った刺激から連想して怒りが止まらなくなったり、過去のことを思い出してどうにもならなくなったり(本当はその場面に舞い戻ってそこで怒りちらしたいのだけれど、そんなことできません)。

それが一番顕著なのが、「テレビ」で、一番刺激をカットしやすいのも「テレビ」です。

必要なニュースは別の方法でチェックすることも出来ます。

インターネットや新聞の場合、文字情報だけで書かれたニュースを選ぶことで、余計な刺激をカットして自分に「別の立場からの想像力」「自他分離」をうながします。また必要な部分だけを取り出して情報をいれることも比較的容易です。

私は文字の情報に強いので、こういうことが可能です。

ここで言う「強い」とは、「客観的な目線を保てる」という意味での強さです。
むしろ視覚優位で、画像理解のほうが上手の傾向があるのですが、それゆえに強く影響を受けてしまいます。
ただこれは、どちらも強く存在し、一概に「どっちが」とも言い切れません。
例えばストーリーは、絵で示されると「察する」部分が増えて(これは同じ事実を表すのに、情報量がふえるとも、減るとも捉えられますね。面白い。)、全然わからないのに、文章ならば100点、それ以上がとれるようです(ただし100点がとれるから、社会でうまくやれる、空気が読める、というわけでもないようで)。とても不思議です。(サリーとアンの課題は、イラストで示されると意味がわかりませんが、文章で示されるとあまりにも簡単だと思うために、「あれ?私って自閉症スペクトラムじゃないんじゃないの?」と思ったり。)

またテレビは「情報そのもの」以外に付随するものが多いので、処理オーバーして特性が出てしまうのだろうとも推測します。情報のみを書かれたニュースにおいては、「感情のこもった言葉」というのも少ないです。私は視覚優位ではありますが、言葉に対する過敏さも併せ持っているので、言葉にも「視覚よりは強い、とはいえ平均よりかなり弱い」です。ですから、そういった言葉が頭にたまればたまるほど、つらいことになり、パニック(メルトダウン)の原因となります(→参考)。

情報を精査して、思考を止めないで(これを止めたたら私は死んでしまうと思う。)、マイナスの感情に飲み込まれないように、進みたいものです。

 

ちなみにタイトルは、ここ2週間ほど、延々と「もののけ姫」を見続けているからです。
けれども、「マイナスの感情に飲み込まれてしまっている」状態を、あのタタリ神はとてもうまく表しているなあと思います。
下手に触れると呪いを受けるところ、うまく距離感を保って沈めなければならないこと、同情すると取り込まれるところ・・・どろどろしているところ・・・「賢しらに少しの不運を見せびらかすな」というのも刺さります。
そういえば、私の父も、ハマると延々とそれを繰り返す傾向があり、現在は「韓国の歴史ドラマ」を延々と見ています。遺伝を感じます。

2015年6月24日水曜日

発達障害児者はいじめられる?

※あくまで私の場合・今の私の私見です※

発達障害外来をたずねたことがあります。

そこで言われた言葉で、ひっかかっていることがあります。

「いじめられたりとか、してないんだよね?だったら大丈夫だと思うけど。」

私はいじめといういじめを受けたことがありません。

もしかしたら、あったのかもしれないけれど。そりゃあ、いじわるな子はいたけれど。
つらい思いはしてないわけじゃないけど。
とにかく、私はそういう経験があまりない、幸福な子供時代を過ごしてきました。
確かに、いじめを受けた発達障害者は、多い印象を受けます。

では、私は発達障害ではないのでしょうか。

わかりません。

自閉度と、能力の突出した部分による補填のはたらきで、たまたまうまくいっている。
そうではないけど、たまたまいじめを受けなかった。
発達障害ではない。

どれなのかはわからない。

そもそも発達障害の概念や、併発しやすいと言われる障害に関しても、十分定義がなされているとは言いがたい状況です。

さらに、「障害」そのものの定義において
「現状、社会生活に困っているか?」
ということを主軸におくのか、「その性質そのものを有するか?」におくのかという2つの考え方があり、現状前者がメインで診断が行われている、という点も考慮する必要があります。

私は、一番自分の症状について表現できた医師による
「確実に発達障害はあるが、突出した部分での補填を、今までも、今もかなり頑張っているよ。診断書に書くまでの状況では無いけど、凸凹のある状態で、うまく生きる術を見つけていこう。」(かなり意訳ですが
)という見立てと、自分が感じる
「発達障害の人が心地よいと感じる工夫が、自分にとっても心地よい」
という感覚によって、自分を見つめています。

さて子ども時代ですが、過去の記事はこのあたりが一番こども時代の頭の中でしょうか。
今思い出すと、今のいままでくらい、「普通」だと思っていましたが、耐えられなくなってメルトダウンして教室を飛び出したり、ひどいと帰宅したりしていたこと、(生育歴も書きました)結構な面倒くさい子どもでした。

でも、いじめは受けなかった。
むしろ、私を助けてくれる子がいっぱいでした。
褒められた記憶もたくさんあります。

今も、小学校の同級生に、仕事が上手く行かなくて、やめてしまったことを言ったら、「絶対に、Kanokoちゃんに合う仕事が、あるからね。」って言ってくれる子がいます。

うまくお話ができない時に、筆談してくれた子もいます(小学生!)。

目線やみんなの動きで、自分のすべき動きがわからなくても、言葉で教えてくれる子もいます(ちょっと面倒くさそうだけど、当然でしょう。失敗してから、急に怒り出したりしないだけで、すごいことです)。

中学生や高校生にもなって理不尽なことに耐えられずにメルトダウンする私を、変な目で見たりしないで、「つらかったね」と言ってくれる、「〜〜が嫌だったけど、途中まで我慢してたんだもんね、偉かったね」と言語化してくれるクラスメイト、デメリット(あなたがこの授業を必要ないと思って、つらくてしかたがないのなら、5回までなら進級できるからサボれるよ、でも、成績は「2」だよ)も提示しつつ、教室に無理に居なくてもいいよ、と選択肢を提示してくれる先生。

両親や妹も、私の他動や多弁を面白がって、うっとうしがりながらも受け入れてくれて。
ルールに縛られすぎて半狂乱になりがちな私を知ってか、ルールを少し破ったって、そんなに大したことじゃない、ということや、遊びなさいよ、といった声掛けを常にしてくれ、「障害」は認めずとも、「私の性質」に合った関わりをしようとしてくれています。

変だけど、それを面白がって遊んでくれる子がいます(わりと、童顔があいまってか、特に小学校中学校ではそういうキャラクター、クラスに居るちょっと年下の子、宇宙人?として認知されていたふしがあります)。

しごとでも、きっちりしないとつらい、と言ったら、ただただ「そっか。そういう性質なんだね。」とだけ、たったそれだけの反応しかしないで居てくれた主任(「ショーガイ」、「ショーガイ」などと悪口と愚痴の混ざったようなことを言われる場合もあります。それも見ています。だからこそ、ただただそれだけということの、それが、なんとありがたいことか)。

今だって応援してくれるひとがたくさんいます。

そのままでいいよ、とは言わないけれど、そのままの私を見てくれる「よき理解者」に恵まれています。

仕事はたまたまうまくいかないことがあったけれど、今は、自分に向いていることを見つけながら、現実とも向き合いながら、進んでいます。

いじめは仕方ない、普通と違うから、うっとうしがられて当然だ。
排除されても仕方ない。
発達障害の人だけで国がほしい。
定型発達の人や社会がうらめしい。

そう思うことも仕方がありません。
たくさんのことを諦めることも作戦のひとつです。

でも、あきらめないだって、良い場合がある。
それはとても幸運なことなのかもしれないけれど、それが「普通」にならなきゃいけないよ。

いじめは犯罪で、人権侵害で、憲法違反で、この世界では決してしてはならぬことです。
その「理由」とその「行動」は分けて考えなければなりません。
「理由」は解決されるべき問題をはらんでいることがいっぱいあります。
でもその「行動」は許されません。

これまでしんどい思いをしてきた人々がたくさんいるけど、それを受け継ぐ意味は無い。
それは「うさばらし」です。

優しすぎる社会だっていいじゃない。(甘い、とは違いますよ)


夢のまた夢だろうが、私は夢見る。

いま、しんどい人、それがラクなら、諦めたっていいよ。私もそうしてるところがいっぱいあるよ。
でもやっぱりおかしいよね。
全部を受け入れろ、なんて言わないけど、
理不尽な仕打ちは、おかしい。
そんなアタリマエのことは、絶対、通らなきゃなんないよ。
間違ってることと、そういう仕打ちの原因、相手の事情、そんなのは、全部別のものだよ。
おかしいことはおかしいよ。

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そして、いじめを受けたかどうかは、「発達障害そのものの困難」とは別のものだということも最後に記しておきたいと思います。

いじめられなくてもメルトダウンは起きるし、

いじめられなくても色々な身体機能認知機能は手動調整だし、

いじめられなくても虚脱して勝手に寝込んでます。

別の面で補填できても、その疲労は凄まじく、
仕事をしていた時は、自宅と土日は、清潔を保つことすらあやうく、完全介護のような状態でした。


いじめによる影響は「二次障害」とよばれるものでしょう。
発達障害は、それそのものが脳の癖としてある「一次障害」です。

工夫次第で「全然障害がわからない」状態で適応することができている場合は、それで構わないし、それが理想ですが。











2015年6月22日月曜日

発達障害と親子関係

※あくまで私個人の「事例」です。※

発達障害のカミングアウトで、一番ネックなのが、「親」でした。
友達は、親しくなければ別に言わなくてもいいし、そもそもそんなに友達がいない。
現在親しく交流のある人というのは、そんなことを言っても言わなくても、私を私として尊重してくれる人ばかりなので、たいした苦労はないわけです。もしそこで離れていく、何か起こるなら、その人とはそれまでの関係。その人の反応はその人のもので、私には関係ありません。
しかし、どんなに理解がなくとも、交流を止めるのが難しいのが、親。
二次障害が悪化して自立が難しい状態ですから、ある程度の理解は、あったほうが、予後は良いでしょう。自立できるのであれば、もちろん離れるのも手。
二次障害がひどい時は、AC(アダルト・チャイルド)の影響がもろに顔を出し、親と顔を合わせただけで泣き叫んで逃げ出してしまい「こえのおおきいひとこわいもういや」などと言って手が付けられなくなるような状況だったため、数ヶ月は一人暮らししていました(就職していた頃は一人暮らしだったため、その社宅を少し長めに使えるように親がお願いしてくれたのだと思います)。

私は、明確に「発達障害がある」とは言っていません。
一応それなりに匂わせてはいますが、そこは、彼らはどうしても認めたくないようです。
また、大事なのは、「障害があること」ではなく、「特性があること」ですから、障害のことは必ずしも伝えなくてよいのです(私の場合)。

以下に診断以降私が親に対してとったアプローチを記します。
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・まずはWAISの結果を見せながら(親も視覚優位・または聴覚が弱いため)「私はこういう部分が得意、苦手がわかっておもしろかった!」と報告。医師の見立てや検査の数値、といった「客観的っぽいもの(あくまで「親がそう感じている」だけなのですが)」は、信じやすい。
・その時に使ったフレーズは「言語能力だけが突出してるのに、見通しをつけるのが極度に苦手らしい!」「だから人と関わるのが苦手っぽい!」「こういうのって、いわゆる自閉症の人に似てるんだって。だからそういうのを勉強すると楽になりそう」「確かに、昔からそういう人にシンパシーあったかも(笑)」など。

・そして、徐々に、特に、疲労度が互いに少ないと思われる時、さらに、会話に集中しすぎて「会話の勝ち負け(言い負かし)にしすぎない時に=うちの場合、たいてい、母親の運転で車に乗っている時に、

・うるさい音が苦手。でも、ゆえにたくさんの声が聞こえて面白い時もある。だから、ヘッドホンを使っている(使っているところを見せたり、貸したりもしました。「これいいね!」と両親とも言ったので、やっぱりいろいろ遺伝・・・?)。
・カクテルパーティ効果が弱い。あなたも、聴力が弱くて、補聴器をつけると、今度は「雑音をひろいすぎてうるさくてずっとはつけられない」よね。そんな感じ(「だから、返事仕方わからずに単にニコニコしてたりするww」など、笑い(?)を交えて、共感しやすく。
・ものごとを想像するのが苦手で、普通の人と同じようにできない
・小さいころからそんな感じなので、不安が大きい

・小さい頃から言葉に異常な興味が有るのも、こういうことの延長にあるかもしれない
・職人や研究者が合うみたいだけど、そんなしごとないよ〜(泣)ちょっとずつ在宅とかで頑張ったり色々してる。できれば待って欲しい。でもお金はないのはわかる。できるだけ頑張る。

といったことを、具体的な事例から入って表現。また、マイナスなことばかりでなく、プラスの側面(私の場合は、芸術や言語の興味など)も含めて伝える(もちろん発達障害は良いことばかりではないし、発達障害だから才能があるわけでも、普通の発達障害者を認めないわけでもないけど、我が子はダメな人間ではない、可能性があるんだ、と思いたい、障害を認めたくない、という場合には、こういう良いことを併せて伝えると、マイナスのことも「凸凹の凹」として受け入れやすいかな?と思いました。一気に嫌なことばかり伝えられて、「あの時こうしててくれればよかったのに!!」なんていきなり責められたら、それはそれはしんどいと思います。それを、とってもやりたくなる時が、もちろんあるけれど。一生懸命育児をしてきた、自分の半生を全否定されるようなものでしょう。)。


そして、「私は、ひととひとの感覚は絶対に共有できない。たまたま似た人間が多いと共感しているように錯覚するだけだと思う」と事あるごとに、手を変え品を変え言い、自他(というより、親子)区別(=私が親を過干渉だと感じないようにという作戦)をうながす。

また、「全部理解すること」「全て配慮すること」を求めない
だって、私とあなたは他人です、違う人間です、と伝えているところなのに、「全部わかって!」なんて、矛盾もいいとこです。
もちろん、わかってくれたら、助かるけれど。

互いに聴覚が弱く、そのくせ多動・多弁を持ち合わせた「主張はあるのに会話は全く成立していない家庭」であることがわかってきた(他者からの指摘で、そういう家庭なのだと判明)ため、「じゃあ、もう、発達障害があるのは私、ではなくて、「特性持ちの家庭」だと思って、私が相手に合理的配慮をするとこから!

というわけで、「本当にしてほしいこと」「本当にやめてほしいこと」「必ず守る時間や用事」を「メール」で伝えるようにしました。
それ以外のことは、多少伝わってなくても、「伝え方も悪い」のだから、気にしない。
相手についても、同じ。怒られても、「お互い様」。

親の反応は「同じ家にいるのに何でメール?」「冷たい気がする」という反応でしたが、明らかに情報伝達がスムーズで、かつ親も慣れてきて、そうするようになってきたため、必要時にはこの方法を採用しています。

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カミングアウトから、最近のコミュニケーションの工夫までをざっと書きました。

互いに癇癪を起こしてぶつかって、かなり危ないところまでいっていた時もありますが、今はそこそこ安定的に関係を築けている、と思います。
あまり完璧を求めないことが必要かもしれません。

小さい頃から、「私の親はこんなもん」と諦め続けてきた傾向があります。そのために、親をかなり客観視でき、こういった対応を取りやすいのかもしれません。一般的にはこういう関係はさびしいことであるかもしれませんが、私は意味健康なことだと思います。
親は、血がつながった、他人です。
私は、自他の区別をつけるように努力することが必要です。

自立に向けて少しづつ。
頑張っています。

メルトダウンとパニック


自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の症状のひとつとして、「メルトダウン」と呼ばれる症状があることを先日知りました。
こちらの記事等の動画が、ツイッター等で、当事者や支援者の間で拡散されたのを見たためです。
日本では普及していない呼称で、「パニック」と呼ばれるものと同じだそうです。

一般に「パニック」というと、みんなが大慌て!というイメージで、人々がいろいろと失敗しながらドタバタ劇、という映像が浮かぶのではないかと思います。私もそうです。
それと自閉症者のパニックは異なり、またもちろん「パニック障害におけるパニック」とも全くちがいます。
このあたりでイメージが定まらず、よくわからなくなります。
当然言葉にはさまざまなイメージが伴い、派生しますから、これは評価をつけるようなことではなく、これはこれで正しい言語現象ですから、よいのですが。

私に起こる(特に大きな)パニックは、上図のような状態です。
軽いものなら1ヶ月に1回が平均、重いものは環境によりますが、毎日集団で生活することを想定すると、3ヶ月に1回は起こります。刺激やストレス、処理オーバーが多いのでしょう。
ひどいと、さらに激しい自傷をともない、泣き叫び暴れます。
うつの自殺(未遂)や自傷とはなんとなく異なるものだと感じます。

きっかけすらわからないのですが、とにかくなんとなく「もうだめだ」「もうだめだ」と頭がうわーーーっとなってわけがわかりません。
なので、日本語も通じません。
人を巻き込む場合と、そうでない場合があります。
対応によって、予後が違います。


自分で対処できる能力が残っている場合は、一人になって暗く静かにして布団をかぶってやりすごします。泣いたり暴れたりする体力がなくなるまで、じっと。
そうでない場合は、周囲の人の声掛けや環境調整があると、早く落ち着きます。

私のメルトダウンは、処理オーバー・オーバーヒートまたはストレスタンクの限界突破、という感じです。

メルトダウンは本人も周囲もかなり辛いものです。
私の家庭は本人もそれによってダメージをおいましたし、周囲もかなり疲弊しました。妹もかなりのストレスにさらされましたし、「おねえちゃんはあんなに暴れても、許してもらえる(そうではなかったし、全く理解のある家庭ではないのですが、彼女にはそう見えたのですね)のに、私は!」という状態で、荒れていた時期もありました。
母親も父親も、私に対して、虐待寸前(で、止まっている、と思いたい。具体的な内容は、いろいろな理由があって、書けないです。そして、書くのがとても怖い。)までいきました。
正直な所、同じことを子どもが、しかももうこんなに大きくて(それはもう、改善されてもなおおとなになっても続くわけですから)、成績だって悪くない、確かに弱い子だけど、普通に育てたはず、そんな子どもが、何度も何度も急に理由もわからないパニックを起こしたら、相当なストレスでしょう。しかたがないとはいいませんが、よく耐えているほうだとすら思います。

こういう症状が自分に当てはまるものだと知り、納得し、家庭や学校で対策を講じることができていたら、また違ったのかもしれません。

現在のところは、できるだけそうならないように自分で自分の環境調整や、必要のない負荷を減らしたり、自分の感情や体調を言語化することで、ある程度防げる部分もあるので、そうして過ごしています。

これだけぼかしてぼんやり書くのもつらい状態を動画に上げて、啓発する彼女は、すごいと思います。
自閉症啓発は「理解を求めるもの」が多いのですが、こんなふうに「自分はこれだ」と知って、対策を立てられるようになることが、やはりあるんだ、と、啓発の効果を初めて自分の実感として感じました。


2015年6月16日火曜日

低緊張で過緊張

発達凸凹があると、低緊張だったり、過緊張(低緊張由来の場合も)だったりすることがあります。

この記事を読んで知りました。
一部、自分に当てはまる所を抜粋しました。

とても関節が柔らかく,不自然なかっこうをしている 
A.いつも走っている  B.おなかを突き出したようなかっこうで立つD.偏平足(いわゆる「べた足」)A.スケートのような歩き方B.つま先歩きC.手がパタパタ動く
Aでれっと机によりかかる。すぐ椅子からずりおちる。 
B机で何かをするとき,足が動いている。 
手のひらがそりかえったり
そりかえるくらいやわらかい指
赤ちゃんのように丸っこいふわふわした手
B逆に身体全体を固くして使っているので,顔も固く表情に乏しい子

ほとんど全部でした。 抜粋・・・?

小さい頃はつま先歩きをしていて、「足音が全くなくて、うるさくないからいいわぁ」などとのんきな両親に言われていた(妹が大きく足音を立てる子どもだったためだと思います)ので、「良いことなのか!」と思っていましたが、小学校3年生の時、少女マンガを読んでお絵かきをしていたら、

どうも、かわいい女の子というものは、走るときに踵をつけるらしい!

ということを発見したのです。大発見でした。
それから何ヶ月か、踵から歩くことを練習して、つま先歩きを矯正しました。
不純な(?)動機ではあったものの、つま先歩きではなくなりました。

ただし、やっぱり足音はしなくて、中学生になった時、友人に「一緒に歩いてる時に気配消すの、びっくりするからやめて」などと理不尽な要求を受けることになるのでした。私は気配を消していない。私の存在を忘れてるのはそっちじゃないか、失礼な。と、今なら言い返します。あと「気配消したまま急に階段から落ちるのも、消えた?!って驚くからやめろ」とも言われました。落ちたくて階段から落ちていたわけでもない。

指も体もやたらに柔らかいので、常にぐにゃんぐにゃんしています。
「その格好で静止して読書?!」と家ではよく驚かれてました。外では常に張り詰めた状態で固まってたので、グニャグニャはしていませんでした(過緊張)。むしろよく「姿勢がいい」と褒められて戸惑っていました。
手は、むくんでいると「発酵したパン生地」で、むくんでいないと「赤ちゃん」の手です。触った人はもれなく「うわぁぁぁ・・・」と言って顔が緩むので面白いです。でもこれは別に良いことではなかったわけですね。

手や体が柔らかかったり気配がなさすぎるのは別に構いませんが、体がやわらかすぎて姿勢を保つのにものすごく疲れる、保つことが困難で姿勢が悪い、すぐに寝転んでしまうのは、何をするにも不便なので、こんなものを使っています。

 ①お気に入りの椅子
この椅子自体が、おしりの部分が良いカーブになっており、とても座りやすいです。
STENPORTにてやっていた椅子展で、座った瞬間購入決意。できれば揃いで数脚欲しかったほどです。日本の古いダイニング椅子だったと思います。昔の日本の大人サイズは私にぴったり。



バランスクッション
バランスボールがいい、と聞いて、クッションバージョンを買いました。
ゆらゆらしたり反発を楽しんだりしながら体幹を鍛える狙いです。
本当は座面は裏側なのですが、イボイボが、痛いので裏向きにしています。
厚着の時は正しい向きに使います。
Backjoy
姿勢を保つためのものです。
素材が二種類あったのですが、布っぽい素材は、見た目と触り心地が気持ち悪くて使えないのでこちらにしています。
穴が空いているのでリュックにくっつけて持ち運ぶことが比較的容易です。








体力がなくて飽きっぽいので、どれもどこかが疲れてきたり、そわそわするので、これらを気分で使いまわしています。

多分いちばん良い姿勢が保てるのが③で、楽しいのは②。座面が気持ちいいのは①です。
こういったグッズは色々出ているし、東急ハンズなどではお試しコーナーも充実しているので、自分に合ったものを使うと楽かもしれません。

それから、手だけではなく足もふわふわのぺったんこ、赤ちゃん足で、指がきゅっと曲がっていて、「パー」にならないです。指がきゅっと丸くなりすぎていて五本指ソックスがきれいにはけません。指を入れるところが大幅に余ってしまいます。
夏はTabioの指だけソックスがお気に入りです。



これが、近いです。もう少しカラフルなものを使っています。そうすると、サンダルから少しだけ色が見えて、かわいい。
気持ちいいので履いていますが、これも何かの助けになりそうな気がします。
でも普通の五本指ソックスは、履きにくくてあんまり好きじゃないので履いてません。

手の指や足の指がデフォルトで曲がっている、ぺったんこ足(拇指球が発達していない)のも、自閉っ子にはよくあることらしく。「この五本指だけソックスが気持ちいいのは、体感として合っていたのか〜」と思いました。もし指が曲がっている場合、夏はこういう五本指ソックスが、気持ちいいかも知れませんので、お試しください。自分でぐいーんと伸ばしたり、自分の手と足で握手するのも気持ちいいです。



指が曲がってる、拇指球の話なんかがのってたのはこの本です。
これってみんなそうじゃないか?みんな楽になるんじゃないか、と思うので、パラパラ見てみると面白いと思います。

体をコントロールすること、姿勢は大事で、いろいろな不具合をらくにしてくれることが結構あるんだなぁと思います。
私は多分頭と体のバランスがわるいんだろうなと思います。
じりじり動いて、頭と体を整えていきたいです。
効果の程はよくわからないけれど、自分の体を整えるのは気持ちが良いのでやっています。

2015年6月14日日曜日

模索しています

インターネットでまま言われることですが、「IQが20違うと、話がかみ合わない」そうです。調べてでてくる記事が、ちょっと信用に値しないので、疑わしい面も、ありますが。

ただ、「ディスクレパンシー」といって、一応、知能指数の検査では、それぞれの群指数(分野ごとのIQが細かくでます。それを、群指数、と呼びます)どうしの差が、「15以上」あると、発達障害を疑ったり、そうでなくとも、支援が必要だったり、ちょっと、「平均」から外れるため、社会でうまくやるのが難しかったりすることがあるそうです。

私の場合、その「ディスクレパンシー」が、一番大きいところで35、あります(調子によっても違うので、参考値ですが。)。凸凹度合いはこちらの記事を参照してください。

それは、私の中に、大学院生と、高校生と、保育園児、赤ん坊の脳を持った私がたくさんいるようなもので。
他人どうしなら「話がかみ合わないね」で、終わりだし、関わるも関わらないも、自由なのですが。

自分の中の凸凹は、嫌でも関わっていかないと、生きていくことができません。
自分の中で話がかみ合わないので、毎日パニックしないで生きていくのが精一杯になっちゃう時期も、けっこうあります。

しかも、「全員が全員、苦手」な分野も、当然あって。
それが「計画」「未来の予測」などの「想像力」に関わる分野です。

いままで「私には想像力がある」と思っていました。
確かに私には想像力がないわけではありません。
でも、その方向性として、「上手に生活するための想像力」は全くないのですね。

いろいろ工夫してきたのですが、これからどうやって生きるか、いまをどうやって計画するか、それを実行するにはどんなステップが必要なのか、という面での想像力が、全然ないことに気がつきました。
そうじゃない部分については、自分で自分の頭が迷惑なぐらい、想像しちゃうのですが。

また数学も好きだし、数字に弱いわけでもないのですが、「それが具体的にどんなスケール感なのか」という部分への落とし込みができないことも気づきました。「具体」も「抽象」も扱えますが、「具体⇄抽象」のやりとりを、ほとんどできないのです。

だから、今回の ダウンにつながってしまったようです。

虫垂炎、梅雨、いろいろ重なったのですが、「とにかく全部こなさなきゃ」と、具体的なステップも想像できないまま「今日もできない」が積み重なって、「もうだめだ・・・」と大きく調子を崩すことになってしまいました。

自分で立て直せるのが一番ですが、そうこうするうちに、またダウンしてしまいそう。
また、できていると思っていた自己分析や体質の受容を、できていなかったようだということ。家族の理解は得られないこと(精神に関することはすべて甘えだと思っています)。

なんとか抜け出して、自分で生活を安定させたい。

制作のペースは、落ちるかもしれないけれど、医療などのサポートを、もう少し調べて、また、安定的に収入があるように。
いろいろな窓口を頼ってみたいと思います。

私の状態では、サポートを受けるのは、多分、難しいですし、そもそも人間関係の不得手さも持ち合わせているので、そういう点も心配ですが。
とにかくちょっと動いてみて、また結果を記録していきたいと思います。




2がでますね!楽しみ。

2015年6月4日木曜日

力を抜くれんしゅう

1年ほど前に判明したことがあります。
それは、「歯を磨くのが、下手!」ということ。

びっくりしました。
当たり前にできてると思ってました。

なんでも、「力を入れて磨きすぎ」「すべての場所を磨けていない」らしいです。

ほぼ自覚がないのですが、確かにそうだと思います。
うまく歯ブラシを動かせないので、しょっちゅう「おえっ」となるし・・・。そういえば、口の中をすごく傷つけてます。トラブルばかりの体で、モニタリングもできないので、やはり「この程度が普通」(実際に、私にとっては、”通常がこれ”でしたしね・・・)だったので、全然気がつきませんでした。
毎日しっかり磨いているのに、小さい頃から歯科検診で引っかかります。
知覚過敏も、もしかして、磨き方の問題かもしれません。

また、この力加減の不得手さは、家系のようで、それもあって、今まで気づかなかったのかもしれません。
私の家では、妹を除いた全員が、「全力で歯を削るがごとく歯磨き」していました。一瞬で歯ブラシがだめになります(最近は、ましになりました)。


最近は、私は少し気をつけてます。
小さくてやわらかい歯ブラシと、泡立たないタイプの歯磨き粉に変えて、ちょっとよくなりました。
そして、「歯磨き」の典型的なイメージだった、「口をアワアワにしてゴシゴシ!」のイラストが、「違ってる」ことがわかったのも大きいです。

「どのくらい、力を入れればいいのか?」
「どのくらい、力を抜けばいいのか?」
「どこを何分磨けばいいのか?」

っていうのは、難しいみたいです。

よく言えば、メリハリがある、んですが・・・
生活のすべてにおいてこんな感じなので、「やりすぎてヘトヘト」か、「なんにもできない」の二択になりがちです。

何をするにも全身に力が入るので、「眠る」ことすら難しい。
「眠る」って、無意識ですよね。
だから、「どうしたらいいか」わかりません
しかも、「自分の意識がない・わからないじかん」ができるのが、なんとなく空恐ろしいのです。意味がわからないです。
なので、私は「寝落ち」のかたちでしか、うまく寝られません。
「寝よう」として、「寝る」のは、よくわからないので、意味わからなくて、うまくできません。
眠ることの理由は理解しています。眠いということもわかります。
でも、「寝ている間、何をすればいいかわからない(?)」のです。
「寝てるんだから何もしないんだよ!」というのはごもっともなのですが。
寝る前に、じっとしてる(寝る前はじっとしてるものなのでしょうか?)のが、意味がわからなくて、とてもむずかしいです。ここは、循環の関係もありそうで、最近すこし、改善ぎみですが。



『芋づる式に治そう!』などの著者、栗本先生に、「脇腹を刺激」することを教えてもらって、最近は刺激するようにしています。汗もあまりかかない、循環が悪い体なので、体質改善しています。


休んだり、力を抜いたりするのは、これから先ずっと、思い出しては、練習し続けることになると思います。

今のところ、「楽に力を抜く」方法としては、「噛み合わせを意識的に外す」ことが、一番効いています。力が入りすぎてしまう、そのせいで眠れない、といった人は、お試しください。

やはり私も私の家族も、噛み合わせも、無意識に調節するのが苦手らしく、常にガンガン頭痛がして、顎が痛い(私は顎関節症ぎみで、小さい頃から不意に顎が外れそうになります。でも、やっぱり、これが私の”ふつう”なのです。)くらい、強く噛み締めていたみたいで、ヨガ教室で「噛み合わせを外して。」と言われて、上半身の力が抜ける感じを実感して、衝撃的でした。みんな、こんな感じで生きてたのか?!とおもいました。まだ、日常生活でうまく力を抜きながら動くことはできない(力をぬいたらふにゃふにゃなので、全力で力をいれざるを得ません)ですが、練習中です。かなりうまくなったと思っています。
ヨガ等のストレッチや、体をうまく扱うことを覚えることも、「力のいれ方・抜き方」に大きく関わるように感じます。また単純に、ストレッチはとても気持ちよいので、気が付いたらやるようにしています。



「あたし研究」の、小道モコさんも、チカラ加減に関するページを書いていました。
読んで共感してはいたのに、自分の歯磨きはできてる、と思ってました。できてない、できてない。
「できてない」状態が普通なので、「できる」を一度体感しないと、そこから抜け出すのはむずかしいですね。