2015年4月23日木曜日

話題を探すのはむずかしい


小学生の頃、よく一緒に帰っていたお友達としていたゲームがあります。
「話題探しゲーム」です。

ルールは、お互いになんでもいいから話題を出すこと。
それに対して応え返すこと。
会話が尽きたら、また話題探しだー、などと言って、繰り返す。
出てこなくても、遅くても、つまらなくてもいいです。
ペナルティも特にありません。
ゲームだと言っていますが、勝ち負けも特にありません。ゲームと言っているだけです。

私は雑談をうまくすること、広げることがあまりできません。嫌いではないですが、テーマがある方が話がしやすいです。(かえって話題に激しくのめりこんで厳しい意見や考えすぎた意見を言って、傷つけてしまうこともあるので、それはそれで注意が必要なのですが。)
気をつかいすぎる場合もありますが、大抵話すことがない(思いつけない)です。
目的なく出かけたり、何かしたりするのもなんだか地に足がつかないような不安があります。先が見えないからなのかな?ふらっとどこかへ行ったり、何かをしたりするのは楽しいと思います。でもなんとなく上手にできない感じです。

でも、こんなわけのわからんゲームで遊んでいました。
当時の私は楽しかったのか??と言いたくなるような内容です・・・。
でも、それにつきあってくれたお友達もいて、とてもよかったです。

他にも彼女らとはお絵描き遊びをしたり(特に、広い公園のグランドに人がいない時に、前面に魚や動物を描いて「水族館」を作る遊びを覚えています。その辺に落ちている木の棒で、地面に、ですが、大きなグランド全体に絵をかいて、水族館にするのはとても面白かったです。)、色水をつくったり、近所のお兄さんがスライム作りをしてくれたり、探検をしたりしました。テーマがあったり、ものを完成させるような流れのあることは、とても得意で、楽しかったです。

「話題探しゲーム」は、結局話題はなかなか見つからないし、会話は続かないことが多かったけれど、どんどんつまんないことを話題として出して、笑ってました。「できないまま」かもしれないけど、楽しく、でも話題がないことへのしんどさ・つまらないことをいってしまう不安を和らげる効果が、少しあったのではないかな?「天気・自然」といった、あたりさわりのない話題を出せるような練習になったかもしれないな、と思い、紹介しました。
できないことに柔軟に対応して、面白くしてしまえたことが、いいことだったと思います。
話題が出てこないという融通の利かなさ、固さと、それをゲームにしてしまうやわらかさの混在する、ふしぎな私とお友達です。

2015年4月18日土曜日

ファイブミニと食事の話







特に支障はなかったし、グレープ味のアイスクリームが好きだったのでよいのですが、
「変えられない」気持ちのイメージを図にしてみました。
なんとなく「次(未来)がなくなっちゃう」感じのイメージに触れてしまうので、変えられない時があるのです。イメージとしては、行く先が黒いもやもやになって、あっという間に足を踏み外して、自分がなくなっちゃう感じです。
そもそも、自分という存在がふっとなくなっちゃう感覚が強く、他人との区別もうまくつかなくて、こわい、と思っていたので、その辺りも絡んでいるのかも。(これはまた書くつもりです)
そうじゃないってわかると、変えられます。
ただ、変更が苦手であると、完成が見えた瞬間、そこに行かざるを得ないので、根気よくものごとを進めて完成させて、褒められることも多かったです。褒めてくれた先生たちに感謝ですね。

むしろ、本当のところ、食に関してはかなりチャレンジャーな私です。
なのに、たまにこういう決まりごとがありました。

それから、量が食べられないのと、食べ合わせや食べ方に変にこだわっていたので、給食は大嫌いでした。食事も、小さい時は嫌いでした。意味がわからないし、たくさん食べないといけないし(誤解・・・)、自分の予定を中断してまでするのはひどく疲れることでした。
特に給食って、ざわざわした環境で、ちいさなこどもが、ぐちゃぐちゃたべものをかきまわして、べちゃべちゃたべているし、変な金属の味がするスプーンを使わなくちゃいけないし、白いご飯と牛乳の食べ合わせは吐き気がするし、なんだか馬鹿にされてるような感じがするし、嫌だったなあ。
ただ、それを理解して、「はじめに食べられる量を予想して減らしておいで。うまく減らせなくて、おかわりが欲しくなったり、残したりしたって、怒らないから、やってみなさい。」と言ってくれる先生に出会って、そのスキルを得てから、ぐんと楽になりました。家でもこの技を使ってご飯を食べるようにしました。母は、お手伝いするようになった、などど思っていたようですが、実際はじぶんの為だったり・・・。
それから、料理がすこし出来るようになって、好きな量で好きな物を食べることは、おいしくて、うれしい、と気がついて移行、大きくなるにつれて、食事が好きになりました。
今では好きすぎて困るほど。

今は、「変更の苦手さ」とも「食事」とも、そこそこうまく付き合えているわたしです。

2015年4月15日水曜日

光くんとわたしと両親のマグレで最高な化学反応


『光(ひかり)とともに・・・』という漫画をご存知でしょうか。
自閉症児の「光(ひかる)くん」を中心とした育児の漫画です。
ドラマ化もされました。

私はこれを小学五年生の時に読みました。
お友達が貸してくれたのです。
ちなみにそのお友達が、わたしがパニックした時に、落ち着くのを待って筆談してくれた子で、とってもお世話になっていました・・・(エピソード詳細)。彼女は、全く支援という意識はなかったと思います。当時、私も全く診断もなにもありませんでしたので、単に「意思疎通が取れないと面倒だから」程度だと思います。その柔軟さがすばらしいなあと思います。
今でも感心するできごとです。周囲の大人も「おまえたち、すごいなあ。。」と感心しきりでした。

そして、彼女が漫画を貸してくれたおかげで、私は「自閉症」及びその他発達障害とその支援に関して知ることとなりました。
残念ながら作者の戸部けいこさんが病気のため、光くんが中学生になったところで連載が終了していますが、とても読みごたえがあります。

かなり幼い時期にこの本を読むことができ、しかも「(自分がそうだと思おうが思うまいが)共感し、自分にあったやり方を工夫する」ようになれたことは、わたしにとって非常に有益でした。
これは、もともと「自分で工夫する」「自分で作る」「自分で調べる」習慣が身についていたからでしょうか。

極度の「なんで小僧」だった私にうんざりの両親の苦肉の策、辞書だけ与えて自分で調べさせる、という方法がとてもプラスにはたらいたようです。
しかも、彼らの面白いところは、そこで止まらず、
で、調べたんでしょ。どうだった??お母さん(お父さん)、わからないな。わかるように教えてよ〜!
と、ほぼかならず質問してきたことです。まあ、当時は、なのになんでおしえてくれないんだ〜!(笑)と思っていましたが、なんとズボラで、それでいてなんとよい方法なのでしょう。
そうすると、調べざるを得ないし、考えざるを得ないし、わかるように説明せざるをえない。しかも、おもしろいので、説明したい。納得してほしい。という気持ちも強い!

ということで、「自分で興味をもち、調べ、工夫し、考察し、作り、平易な言葉に変換する」習慣がつき、持ち前の「なんで小僧」は殺されることなく、むしろ激しくブーストがかかったまま、今に至ります。
※ただし、真剣な困りごとや相談は一緒に考えてあげてほしいです。両親に対してそのあたりはかなり不信感が残ってしまいました。

知るだけでももちろん安心します。
とくに、しんどい思いをした成人の場合、「なんだ、そうか。」と、閉塞感に次が見えてくるのは確かだと思います。わたしもそうです。

けれど、お医者さんは、わたしにご飯を食べさせてくれません。
わたしにご飯を食べさせるのも、わたしを幸せにするのもわたしです。
まして自閉症スペクトラムは、各人でかなり特性が違いますから、周囲の人に求める工夫にも、限界があり、また、「察してもらえる」ことはほぼありません。たしかに数の不平等で不便を被っている部分はあるかもしれませんが、それは「集団」というとてもあいまいで把握しきれないものにおける話です。わたしたちに定型発達の人、ひとりずつのことがわからないように、彼らも私たちのこと、わたしのこと、他の誰かのこと、またほかの誰かのこと、が、まったくわからないのは当たり前です。

「空気を読む」ことはできなくても、「できないので、こうしています。いいですか?」
「できないので、こうしてもらえると、うれしいな。」「これを使ってもいいですか。」と、何かの手段で、とにかく示す、その方法を身につけることは、必要ではないかと思います。とても難しいですし、定型の人こそ、これができないことが多いような気もしていますが。
まあ、そんなことは関係ないのです。自分のメリットのために、よりよく周囲と助け合って生きるためには、むしろそういう、多少わがままなコミュニケーション力が必要で、本当は、それが、コミュニケーション力なのではないかと思うのです。


2015年4月14日火曜日

「好き」にバロメーターはあるのか?

好きな◯◯はなんですか?という質問がとっても苦手です。
特に「好きなアーティストは?」「好きな曲は?」という質問が、恐怖を感じるほど苦手です。


今日はやたら縦長になっちゃいましたが・・・
最近の気づきです。

私は少し前まで「好き」の感覚がわからないのだと思っていました。
ちょっと自覚が薄いことは、確かにあると思いますし、執着・こだわり等との違いも今ひとつです。

でも、きっと私の問題はそこではなくて、周囲との相互作用がうまくいかないことにあるのです。


好きになれば、みんなのように、その周辺の人々のことを調べて暗記して、話せると思っていました。
好きになるものは、みんなが好きなもの、みんながわかるものじゃないといけないと思っていました。
音楽が好きな子は、誘われたらカラオケに行っておもしろい歌を歌えなきゃいけないんだと思っていました。
どうやってみんながいろいろな芸能情報を知っているのか、必死で調べたりしました。
みんなが聞いている音楽をこっそり調べて、好きかどうか考えました。
まねした!って言われるのも怖くて(「まねしないで」もしっかり鵜呑みにしていました)、結局そういうことをして「いいな」と思っても、意味はありませんでした。
それでもしばらくはやめられませんでした。



そうじゃないんだね。そうじゃない、好きがあったっていいんだ。
感情は私のもの。
おしゃべりするための材料なんてちゃちなものじゃないんだ。

大学生も後半になって、研究室配架になり、人々が多様化し、無理に一緒じゃなくて良くなって、とても楽になりました。
それでも上記の困り感はあったし、実際にやっていましたが。

「好きな◯◯」が「わからないんだ。」でも、大丈夫。
会話がうまくできなくたって、大丈夫。
なんとかなるよ。
世の中はいろんな人がいるよ。

今はそう思うようにしています。

それぞれの好きが、それぞれ違って、「これにはプラスの感情がわく。近くにいたい。みたい聞きたい。なんだかいいな」といったぼんやりした気持ちで、それを便宜的に表しただけのこと。
言葉はとても力があるけど、時にはたったそれだけなんです。

知っている、詳しい、なんてことは好きのバロメーターではない、という話です。

2015年4月11日土曜日

触覚過敏/鈍磨だったのか!

私はこれを、「ちょっと金のかかる趣味」だと思っていました。


その程度の状態に、現在は体調と環境がなっている、ということですね。

たしかに、調子が悪いと、「ダメ」な刺激がとことんダメになります。あっという間にいらいら怒りっぽくなったり、泣きだしてしまったり。
ただ、原因がこういった過敏や鈍磨を含んでいることに、気づいていませんでした。「趣味」として、できるだけ着るもの等選んできてはいましたが、それが結果的に自分を楽にできていたのかもしれませんね。

言われてみれば、「あなたは小さい頃から自分で気に入ったもの以外見向きもしなくて困ったから、小さい頃から自分で洋服を選ばせていた」と母親が以前話していました。単に贅沢なのだと思っていましたが、裏にはこんな事情があったのですね。自分のことですが、いろいろな特性が絡んでいるので、なんとも、という感じです。


【にがて】
ヒラヒラ、そわそわ、ゴソゴソ、そっ、ワッ!
中途半端に肌に触れるものが非常に苦手です。
コード・えり、ズボン等、ほとんどの苦手は、私の場合この手の物です。
きちんと触れていたり、全く触れていなければ、いいのです。

そっと触られるのも、苦手です。とくに、首、体のうしろ。
これは自閉症児者によく聞く苦手なことですね。
私の場合は「予想外」と「力加減」の問題です。
場合によっては大げさに叫んでしまって、呆れられます。
今は、触られることより、呆れられたり、反応をばかにされることの方が苦手なので、そういう人とは付き合いません。笑われることは平気です。嘲笑と、「お笑い」の違いは、理解できます。だから、たいてい平気なのですけれどね。

ズボンは、昔から苦手(スカートはOK。私にとってはスカートの方が動きやすいので「動きやすい服装」が「ズボン」であるのが理解できませんでした。これは正しくは「動いても周りがぎょっとせず、ガンガン汚してじゃぶじゃぶ洗える服装」ですね。)でしたが、克服しました。徐々に慣らしていったことと、「スキニー」「ボーイフレンド」デニムが流行したことで、「触れ方」が中途半端ではないデザインのズボンを履けるようになったこと、それから「女の子もズボンを履いている」ことへの違和感を薄めることに成功したことが理由です。
これに関しては、触覚過敏+誤った学習がありました。
「女の子の絵」がスカートだったからです。
不一致は、気持ち悪いのです。

ただ、好きなものに囲まれれば、とても幸せです。
帽子やタートルネックは、寒さ対策・おしゃれなどの観点から、取り入れられると嬉しいのですが、ちょっとずつ練習中といったところです。

少し書いてみます。

【好き】
ぎゅーーーーーっ、ぶんぶん、ぐるぐる
圧迫感が好きです。狭いところに押しつぶされるように隠れたり、すごい姿勢(体がとても柔らかいのです)でくつろいだりしていると、幸せです。
これは、イラストの通りです。
「ぶんぶん、ぐるぐる」は、おそらく、振り回されたりするときは、空気で「ぎゅ」とされている状態なのです。体のコントロールが自分で効かず、ある種ぎゅっと圧迫固定されている感じです。トランポリンも大好きです。ソファーも、圧迫感の好みを吟味するのが好きです。圧迫感を好むのも、自閉症児者でよくある特性ですね・・・。どおりで、光くん(『光とともに・・・』という自閉症児育児漫画)に激しく共感するわけです。
それから、毛布のような動物の毛のような感触。動物が好きだということもありますが、この触り心地はたまらない。ポリエステルのようなツルツルは、苦手です。仕事で時々買ってもらった「シフォンブラウス」(女性のスーツによく合わせるあれです。しかも、アイロンのいらないやつ。ですから、便利なんですが・・・)を着ましたが、気持ちが悪くて、イライラしてとても嫌で、すぐに着なくなりました。

過敏は面倒ですが、ゆえにいろいろなものを触って、いい素材だなあ・・・と感じるのがとても楽しいです。
逆に鈍磨な部分もあります。それゆえに痛みを自覚しにくく、やっと病院に行ったら入院、など、危険な部分もあります。身に覚えのないアザがいっぱいあります。これ、アホなだけだとおもっていたんですが・・・、妙に怪我は多いです。
いまのところ、笑って済ませられるので、まあ、いいかな。

そんな私の感覚について、思い立ってイラストにまとめてみた記事です。
詳しく書くとまったくまとまらず、わけのわからない文になるので、イラストで、描ける面を制限されているのは、いいかもしれません。

2015年4月9日木曜日

私の聴覚事情


聴覚過敏・カクテルパーティ効果なしタイプです。

少し前に、キングジムのデジタル耳栓が聴覚過敏によいと話題になりました(まとめはこちら)。個人的にはとても良いと思い、愛用中です。圧倒的に楽になり、特に人ごみを歩きやすいです。ただ、難点としては

・コードがあること
・コードが肌に触れる事
・ふとした時にコードが引っ張られてとても驚くこと
・耳の中に長時間ものを入れると痒いこと

がありました。それから、どうせイヤホンをするなら音楽を聴ける機能もあると便利、と少し思っていました。

そこへ最近boseのノイズキャンセリングヘッドホンおよびイヤホンが発売され、すごく目をつけていました。

これです。



当初はヘッドホンが似合わないのと、おそらくヘッドホンはシルバーのみだろうと思っており(これの前のタイプがそうだった)、イヤホンがいいな、と思っていたのですが、

ノイズキャンセリング機能だけなら、コード無しで使える

ことが圧倒的に良点で、思わず買ってしまいました。
財政難です。
しかしながら、今は仕事をするとき等にも有効に使えているので、良かったとは思います。
また、私の場合、いわゆる自閉症者用のイヤーマフ・工事現場等で働く人用のイヤーマフに関しては、「自分がそれにぴったりあてはまらないから」という理由で(まだ自分の状態にゆれることがあります)、どうしても購入に踏み切れなかったため、これもありかな、と思います。

欲を言えば、リーズナブルで、コンパクトで、コードのないもの・・・丁度、補聴器のような形の安価なノイズキャンセラーがあると、特に成人で一般就労をめざす人などは良いと思います。欲しいな。いまのところそこまで困っていないけれど、なんとなく、どのくらいいいのか、探究心があります。

あと、耳栓すると家族が今うるさいんだなってそっとしておいてくれたり、話し方が「伝えるべきことを伝える」事主眼になるらしく、わかりやすくなることが「まれに」ですが、あるのが、おまけ的に、非常にありがたかったことなのでした。やっぱり「見てわかる」というのはとても大切なのですね。

2015年4月6日月曜日

付箋式タイムスケジュール経過

以前のこの記事の経過です。

結果的に、あんまりやっていません。

なぜかというと、いまはこれをやるほど「必ず必要なスケジュールが多くない」からです。ほぼ毎日しているつまみ細工の製作は、オーダーでない限り自分で出品するものなので、「こう」とガチガチに決めてしまうことも今は少ないです。こればかりは、頭の中に完成図ができ、それに向かって行くだけで、その渦は付箋ですら管理しきれません・・。

しかし、これからまた必要になりそうなので、設置自体はしてあります。
時々頭が混乱した時には使いやすいので、毎日使わなくとも、役には立っています。
家で仕事をする、自分で決めて仕事をするためには必要な管理です。

また、部屋に設置している表ではなく、持ち歩くスケジュール帳を使うようになったので、そちらに「締め切りや約束ごとで、自分でこれは!と思ったものは付箋紙に書き、貼る」ようにしています。そのほうが、書き込みに埋もれないからです。
外での仕事中は、仕事用のメモ用紙に時間管理をし、付箋の貼り方(長さを切って調節)によって、大体の活動期間を表したりすることもあります。


もともと書き込み屋のわたしには、このような管理法はとても合っています。
そして、終わったら付箋を取る、消す、ということで、「終わり」が明らかになり、「やったこと」がはっきりします。

必要な時に簡単にできるので、付箋でのタスク管理は、とてもよいです。
これはまったく支援というよりは、おそらくごく普通に行われているタスク管理法ですが、そういうものの中にも、その人にピタリと合う方法が実はたくさん隠れていそうです。とても面白いです。




2015年4月5日日曜日

こわいわすれものを防ぐには?

こんにちは。
今日は、私の忘れもの対策を一部紹介します。

一番大切なことは、「大抵、忘れてもなんとかなる」ということばのお守り(これは、大人になったら、本当になんとかなるので、ちょっと効くようになりました)と、「忘れたら、誰でもいいから誰かに「あっ忘れちゃった」と、とにかく言う(どうにかなるかはともかく、誰でもいいので活動に関わる誰かが知っていてくれると、とても助かる場合が多い)ことでです。

とはいえ、もちろん「忘れ物」とは予想していても、対策していても「悪い予想外」以外の何物でもありません。私の場合、特に「悪い」「予想外」のことが起こると身体中がびりびりして、一気に血の気が抜けて、離人症状のようになり、くらくらします。

そこで、「忘れてもいい」ことを前提に、「忘れない」ために、「忘れたらどうしよう」という不安(私の場合、こちらがより大事)を解消するために、以下の方法をとっています。

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まず、私は1〜3種類のカバンを用途によって使い分けており、大抵カバンの中に必要なものを入れておき、それを持っていきます。
これ、学生の頃からの「とにかく不安だから全部持っていく」癖がよく出ています・・・。
本当はカバンを小さくスマートに持って、必要なものが必要な時にサッと出せるのがかっこいいとは思うのですが、なかなかうまくいきません(うまくいかなくても荷物が多すぎて面倒なことくらい、特に不都合はないので大丈夫ですが)。

それでも、「常に最低限必要な物」
は、写真のように

・部屋の出入り口
・玄関横

にラミネートして貼ってあります。


優先順位が高いほど、上にあります。

(manaca=suica の名古屋市営地下鉄のもの。お金の役割も果たしてくれるので、なくしてはいけませんが、重宝!)

これを、「何か忘れていないか?」と不安になった時に見返します。普段は、この表示そのものを忘れているくらいです・・・。当初はこれを毎日チェックするつもりでしたが、そこまでの必要は、私にはありませんでした。
毎日チェックが必要な場合は、マグネットを入れ込んで、持ったら裏返す、なんていう方式のほうがいいかもしれませんね。
私の場合、不注意はあまりないので「不安になったときに見返す」用のものです。だからとても簡易です。
頭の中で確認するよりも、確実で安心します。

参考:このシートです。編集できるようならご使用ください。



また、カバンや上着の種類によっては、鍵や小物をドアのカゴに入れます。
小物は帰宅後、いつも使わないカバンや、上着のポケットに入れません。わからなくなるからです。(このような文言がカゴ横のマスキングテープに覚書してあります。安心するからです。)
使用頻度の高いカバンには入れっぱなしです。「なくなった!」となっても、すぐに探せるからです。

あまりがっちりルールを決めても窮屈で、「守れていない」時のダメージが大きいので、ざっくり「ない」とき「不安」なときに安心できるツールでしかありません。



リュックに皮のキーホルダーをつけています。水筒・ペットボトルくらいまでなら、いろいろぶら下げられるので、便利に使っています。
肌にものが触れるのが苦手で、iPhoneで時刻は確認できます。ただ、念のため時計を持っていたい。だから、時計も常にカバンのカラビナについています。


それから、最近とても便利に使っているのがこのスマホに付けるポケットです。
いろいろ種類がありますが、私はいちばんシンプルな「sinjimoru」という製品を使っています。






ケースに貼り付けて、ICカードを入れます。 比較的伸びがいいポケットです。タイツの素材のような感じです。
20歳頃から、携帯電話(iPhone)を持ち歩くことは習慣化していたのですが、ICカードはなかなか習慣にならず、また、カードケースを別に持ち歩くのも、カードケースのデザインも、とても嫌だったので、上記のようにしました。私には効果てきめんでした。
iPhoneのツルツルした触感ではなくなってしまいましたが、それを凌ぐ使い勝手のよさでした。

これをつける前には、何度もなんどもICカードを無くしていました(お金なので、ダメージが大きい!)が、これで無くしません。

また、イレギュラーな持ち物で忘れるとまずいものなどは、いたるところに紙と予定を大きく書いて張り出します。
枕元、カバンには必ず貼っておきます。必ず見るからです。


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私はあまり忘れ物をしませんが、「不安」がとてもひどいので、すぐに出かけられるように、上記のようにしています。
ちょっとしたことですが、安心です。

なんとかなります!

予想の範囲内で予想外を減らして、予想の範囲内で予想外に対応して、安心することが必要なのです。そして、それ以上の「予想外」は「考えたって仕方がない」と呪文のように唱えて唱えて・・・。まだ不安はありますが、私の場合はいまは割と安心しています。むしろ、大人になって、自分の裁量で、忘れ物をしたときどうするか?決められることが増えたので、子どものころより不安は軽くなりました。

2015年4月1日水曜日

多動と身体イメージの考察

ここ数日、なんだか浮き足立ってとってもそわそわしています。

あたまも身体も、ずっとそわそわ忙しい。
何かを考えたり、動いたりせずにいられない感じです。

時期の理由はわかりませんが、わたしにしてはすこしめずらしい状態になって、困惑しているのですこし考えてみました。

おそらく今回わたしがそわそわしているのは、過集中との連関が強いものです。
すごく集中して取り組んでいるのに、体力がついていかない。
そこで今回、「過集中だ。でも身体には力がない。」と理解できたため、理性でストップをかけようとしました。
ところが、そうすると頭だけが忙しい。

なんとなく、共感覚の記事の 、「①」の子はめちゃくちゃにブーストがかかって楽しく活動しているのに、「②」の器がもたもたしてしまっている感じです。

もともと「器」である②の感覚は薄めなのに、①にブーストがかかってしまい。より②の身体感覚が薄くなっている気がしました。

文字通り、「浮き足立って」いるのです。
脚の感覚がいつもよりとっても希薄。
動かさないと、足がなくなっちゃう」ようなイメージです。
プラスして本当は①の動きがしたい訳なので、そわそわうろうろ、といった感覚です。

ツイッターで気を紛らわせたり、落書きをしてみたりはするのですが、なかなか難しいですね。


ところが、ちょっと効果を感じたのが、
バランスクッション」と
「普通の椅子の、柱に足を押し付ける」
という二つです。

バランスクッションは、バランスボールのクッション状になったようなもので、基本的には体幹を鍛えるためのものです。致命的に体幹がふにゃふにゃで体を支えられんしわたしは、体幹をきたるために使っています(効果不明)。これがちょうどよく圧がかかり、しかも、「バランスボール」ですので、動く、そしてそれにクッションが付いてきてばいんばいん、と弾む感覚がある。これがよかったのか、集中して作業に取り組めました。作業自体が過集中の内容ではあったのですが、それにしても、「過集中からそわそわ感が来るはずなのに、その内容も休み休みやっている」感じだったので、助かりました。
あとは、適宜動きを入れながら必要な仕事をこなしています。
バランスクッションに関してはこの記事がわかりやすいので、読んでみてください。

そして、これはほとんど、小さい頃からの癖だときづき、改めて自分の身体感覚の薄さを感じたのですが、「椅子の柱に脚を巻きつけたり、押し付けたり、はさんだり」して、適度な圧をかけ、脚をロックする方法。これが効果的でした(完全におさまりはせず、そわそわ感がひどい時には、ゆらゆらしちゃっていますが)。
外出先でも目立たないですし(椅子の種類によってはできないのが難点ですが)私には効果がありました。症状が軽めの人は、以外と効果があるかもしれません。普通の人でも、特に幼い子がやる座り方ですし、なにか意味があるのかもしれません。おそらく圧がかかることで脚の存在が浮き上がるのでしょう。


記事を書いている間も、そわそわしたので、試しにトランポリンのようにベッドでぴょんぴょんしてみたら、それも効果的でした。
ただし、その状態では何もできないので、やはり上記の2つがいいかもしれません。
※動いてから集中することも、体力によってはしますし、必要だと思います。しかし、今回はどうしても集中を切らさず、仕事がしたかったため、そわそわしつつ集中もしています。(参考記事:こちらもどうぞ)

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追記
今回のそわそわは、上記の原因に加えて、薬による副作用の可能性も。
すこし様子を見て、また追記しますね。

⇨副作用が強く出ていました!
 ただそうでなくとも、上記のような症状はあり、また姿勢維持の問題もあるため、また研究します。