2016年12月31日土曜日

発達さんの持ち物は・・・


「ファッション雑誌みたいな、発達障害マガジン」がほしい


前々から、そう思っていました。
ライトにパラパラ読める、ファッション誌のような、「イワユル福祉っぽくない」おしゃれな感じ。それでいて、生活に密着して役立つ記事。
そういうものを作れないかな?とは、思っていました。

それで、今回ふと思いつきで「かばんの中身特集」のようなものを作ってみました。
Twitterで、たくさんのユーザさんにご協力いただきました。
また、まだこの特集記事は作る予定です。
年明け、1月中には資料が出揃うので、ぼちぼちすすめます。

他にも、旅に出るための工夫、生活の工夫、おもちゃ、靴、メイク・・・いろいろな記事ができたらおもしろいんんじゃないかと思います。できないことも、工夫していることも、できることも、ある程度せきららにかっこ悪く。でも、見た目かっこよく、可愛く。

さて、まず3人のカバンの中身を公開です。

1. もり(製作者本人)




製作者本人です。ASD診断がおりています。ADHDではありませんがまあまあうっかり屋なので、そのように記述。
なんとこの記事では、「QuietOn」の撮影も、触れることすら忘れているウッカリぶりです(後日直す予定ですが、忘れるかも・・・う・・・)。

2. あおさん



2人めは、あおさん(@deepblue_0926)(『ボクの彼女は発達障害』の「あお」さん)。いろいろとお世話になっている方です。私と如月さん(3人目)のヘルプマークは、彼女に送ってもらったものだという共通点があります。なんというか、二人目の時点で結構「とにかく入れろ、話はそれからだ」という点ですごく共通したものを感じる。

3.如月さん





3人めは、如月さん(@kisaragikou0220)。こちらも何かとお世話になっている方です。いちばんスッキリした使い方かもしれません。しかし随所にこだわりが。
そういえば私、障害者手帳も出してないな(お薬手帳に入ってる)。「基本セット」と「お出かけ」にに分けて情報をいただきました。やっぱり「いつものセット」があるとよさそうです。


いかがでしょうか


今回は、デザイン重視で、読みやすさはわりと度外視ぎみです。
雑誌がコンセプトなので、読み込めずともさらっと目を通せる程度でいいかな、と思います。
気になるアイテムに関しては、質問してもらってもかまいません。むしろ嬉しく思います。
はからずも、3人がそれぞれわりと個性が出て、面白くなりました!共通点はあれど、こうやって明らかにすると、それぞれが引き立って、ポップでかわいいなあ。

また、情報が出揃ったら、現在のものから変化するかもしれませんが、まずはここまでを公開します。

こういうことが、昔から本当に好きだなあ、と思い返します。
保育園の「おたより」なんかも、真似してオリジナルおたよりを作っていました。
ノートまとめも好きでした。
好きなことがいろいろ繋がるのは、ワクワクします!


2016年12月25日日曜日

自傷・自殺衝動の正体?

前回の記事前々回の記事と、自傷と自殺衝動のようなもの(とおりもの)について取り上げました。
このことは、病院でも話題に上がっています。
これは医療者としてはかなり見逃せない行動であるようで、くわしく話を聞かれました。

「たまたまウツだから、死ぬっていう方向になっただけ」


わたし個人としては、先の記事の状態以上の詳しい話をしろと言われても、困るなあと言う感じで、わりとしぶしぶ言葉を拾っては紡ぎました。
そこで、より詳しく・近い言葉を並べたのが以下です。

・死にたいわけじゃない
・時間稼ぎにつぶやいたりわーっとしゃべったりする
・うわーっと暴れたいような衝動。
・わきたつ興奮!
・たまたま前に人が立ってたりしたら、どんって押しちゃう気がする。

と、こんなふうです。
臨床心理の先生は、最後の「他者への攻撃」の衝動に注目しました。「これがどうして出てくるのかわからないなあ」などと言いながら。また、「別の人に話しかけられてるわけじゃないんだよね」とも確認されました。
だから、わたしはもう少し言葉を重ねました。

・別に他の人がいるとかじゃない。一番近い感覚が妖怪みたいな感じ
・うーん、死にたいのはたまたまそれがワカリヤスイ。なんか、やってみたい?ような。
・もじゃもじゃして気持ち悪いからばーんってしたい。

と、こんなふうに説明してゆくと、なんだか合点がいったようで。

「ああ、なるほど。うつの死にたい、というより、自己刺激行動の一種なのね。そりゃあ自傷もでますわ〜」

と言いました。

ほう、なるほど。
よくわからんような、たしかにしっくりくるような気がします。

わたしの自己刺激(っぽいもの)




そういうわけで、自己刺激について、頭の中からずらずらと出てきたものたちです。
身体感覚の希薄さ(よく「発達障害者の粗大運動や微細運動の不器用さ」でいわれるもの)や、低緊張のたぐい(低緊張についてはこちらのページにくわしいです)から、こういう行動が出ているようです。

たしかに、こういうものも、なんとなく体が拡散して安定しなくて、じっとできる安定的な姿勢が保てなくて気持ちが悪くて、体の中がもじゃもじゃしてうわーっとして、静と動の差が激しくて、起こってくるような感じがしますし、先の自殺衝動や自傷も、似たような感覚があります。

そこに、たまたまうつ病になってしまって、「死にたい」が身近なものになって。
そうして、そういう衝動としての発露が加わったのかもしれません。

うつと、発達障害の累乗で起こったような現象とみるといいかもしれません。

主治医には、「頓服を、適度に使うように」言われました。うわーっとなったら、暴れないで、ランニングをするなど、試しては、とも。
できるときは良いですが、できないときは、輪ゴムや身近な手遊びグッズで間をもたせつつ、ナントカ人間の形状を保って生きられればいいかなあ。自分や周りが傷つかないように生きられたら、合格です。幸せなんて思えたら、はなまるです。

2016年12月23日金曜日

とおりもの

うつは、数年前から重い症状が出ていましたが今はかなり楽になっています。
その今いちばん面倒なのがこのへんな衝動です。

妖怪のような通り物の自傷・自殺衝動。なにもかもめちゃくちゃにしたいような。どくどく、どくどく。

「普通はそんなことはしないんだ。衝動は大抵我慢出来る。しかし−−我慢出来ないときがある。ほんの、時間にすれば僅か何十分の一秒だ。その僅かな瞬間に、彼女の中を通り物が過ぎたんだ。だから彼女は、加菜子の背中を押した時、憎いとか、恨めしいとか、そんな湿っぽい人間の感情を持っていた訳ではないんだーー」
『魍魎の匣』

こういうやつです。
なにかにあてられて、「いまだいけ!やれーっ」というような。
そういう衝動。
いまとびだせ!飛び降りろ!いけ!今だ!そこだ!◯◯!◯◯!◯◯!

と、何かが言う。背中を押す、体の中をわきたてるような。

なにかが住んでいる。

うつが重くなったときに、住み着いてしまったのか、近所に住んでいるやつがたまに訪問してくるのか。空気に混ざっているものが時々かたまるのか。
何かの人格のような、かまいたちのようなもの。

お風呂に入っているときでも、何をしてても容赦なく、前触れ起こるこいつはなんなのだろう?
気を抜くとそっちに行ってしまうから、時々気が抜けない時間がくる。
だって全然憂鬱だとか、嫌だとか、死にたいとか思っていないのに、なぜか体がわーっとなってるから。びっくりするのです。
自分でもこいつのことが怖いけど、興奮もする。

危険なやつです。

どうにかなだめてお帰りいただいています。
でもちょっと一緒に遊んでしまいたい、興奮のままにわーっとメチャクチャに。

人間の形を保っているのは肩がこるねえ。



2016年12月20日火曜日

発覚!ジショウヘキ!

※自傷の話です。画像はありません。

痛い言葉が苦手な方は読まないでください。※


ノーマークだった自傷癖


さて、このたび、私に自傷があることが判明しました。
本人も医療の側も私の自傷にぜんぜん気づきませんでした。
私自身が「いや〜痛いから自傷とか無理〜あはは」みたいなノリだったこと、見える位置に痕跡がないことが原因でしょう。


「皮膚をむしるのは自傷」らしいぞ


きっかけは、Twitterで「皮膚をむしるのは自傷」というのを見て、調べたことです。

すると、自傷って、リストカットだけじゃないんですね・・・!
いろいろ種類があるようでした。
その中でも、私が特に当てはまったものがこちらです。

★皮膚を真皮に達して血だらけになってもむしる。足の皮膚をむしって痛いので、やや「ケンケンパ」「びっこをひいて」であるくほどである。(がさがさしていない健康な皮膚でもやる。「がさがさだから、ついヒートアップ」とは異なる。そういう場合もあるが・・・)
▲かさぶたを執拗にはがす
▲眉毛を抜く
・頭をガリガリする
◯爪を無理にはがす

です。
もともと極度の痒がり・敏感肌・蚊やその他花粉・ハウスダストのアレルギー傾向・じんましんがあったこともあって、隠れていたのも、今まで気づかなかった原因でしょう。
頭ゴンゴンはないことはないですが、軽くマッサージする感じなので自傷ではないと判定します。

★は、わりとおとなになってから。その下は、小さい頃からけっこうありました(特に▲
は昔からかなり多い、◯はわりと大きくなってから、・は昔から時々)。
けれども、やはりストレスがあるとどれもひどくなるように、思い返せます。
今回も、ちょっとひどくなったタイミングで診察があり、たまたま写真を見せて「これは結構ひどいし、まあそりゃ、ない方が良いので治療しましょう」ということになりました。


なぜ自傷はいけないか


まず、なぜ自傷はいけないか。という話を心理の先生に聞きました。
自傷は、ちょっとの痛みと、自傷後の「すっきり感」で繰り返し、ときにひどくなります。そういうループがあるとのこと。
そして、ひどくなるにつれ、「うっかり死んでしまう」場合があります。
だからダメなんです。

つらくて助けてほしいのに、うっかり死んじゃうから、自傷は止めよう。

ということだそう。



少しの痛みをわざと与える


さて対策です。
心理の先生は、私にあるものを渡しました。

輪ゴム

です。手首にまいて、ぱちぱち、手遊び感覚で。
ちょっと痛くて、怪我しない。気が紛れる。
のがいいそうです。

とくに、「手首」という位置であるため、リストカットに効くようです。
ただし、皮膚をむしる症状だからといって、皮膚全体に輪ゴムを巻くわけにもいかないので、これでとりあえず、様子を見ます。

あとは、「しっぺ」も、効果的とのことです。自分で痛みを調整できるから、やりすぎて死なないのです。



以前紹介した回せる指輪なども、自傷対策になるかも、などと言われていますが、「痛み」があるということで、自傷をやめる第1段階としては、輪ゴムなどが良いかもしれません。痛み刺激や圧迫刺激が欲しくて、常同行動をする場合にも、こういうのもいいのかもしれません。

ただし、徐々に、痛みのない安心グッズや呼吸法などに、輪ゴムを置き換えてゆきます。

写真は、輪ゴムだけだとなんだかなあ、と思い、ビーズのゴムブレスを追加したところです。ものを身につけるのは苦手ですが、これくらいなら今のところ大丈夫。続くかはわかりませんが、それを見越して安いものです。

最初の一歩がおもったより簡単でよかったです。
ただし、道は結構長くて、しんどいかもしれません。今までの歴史が長いこと、また、先生にも、「治療の説明は簡単だけど、やると大変なんだな〜」と予告されているので、おそらく長くなるでしょう。

また経過があれば書こうと思います。





2016年12月19日月曜日

基本的生活習慣・着替えとかばん

お洗濯と着替えと自分の部屋と。


※一人暮らしサイズの家の場合は少し勝手が違いますが、応用が効くと思います。

さて今回は、前回洗顔の話記事を書いた続き?のような、「着替え」に関する話しです。

私は毎朝の着替えもあまり得意ではありません(でした)。
毎朝たくさんの中から選んで、失敗しないように、ヘンじゃないように。
部屋と鏡を行ったり来たり、よくわかんないし、寒いし暑いし。

そんなことが、最近かなり減ったので、その様子を紹介します。


平日の鞄と服を「制服」に


まず最初に行ったのがこれです。
今までもそれに近いことはしていたのですが、正式に「意識の舞台にのせて、システム化」しました。
私には無意識のお決まりや不安があって、大体服装や鞄、鞄の中身が決まったものになっていました。
そこで、それをよりきちんとシステムとして回るようにしました。

目移りするくせに結局着ない・着たら着たで1日の途中で(感覚とか好みとか色々で)いやになって帰りたくなっちゃうような服や、シーズン一度も着なかった服を全部捨てました。
これはかなり極端ですが、自分の部屋にある、小さな四段のたんす+コートハンガーで、一年分の服が入るようにしました。

かばんは、「平日のルーチン」用に一種類・ガバッと入るトートを。
服は、「外さない安定のお気に入り」無印のボーダーワンピを。

これを基本にし、平日・仕事のある日はこれ(崩すのもOK)と決めました。
休日は、自由です。ファッションを楽しみたいからです。


平日の服と鞄を、リビングに置く

さて、それができたら、その1〜2着の「平日の服」で、ほとんど「着ては洗う」の繰り返し。鞄は「使ってはしまう」になります。
そこで、平日の間は、「洗ったいつもの服」を、リビングのカゴに入れっぱなしにします。


かごからはみ出ているので、タンスにしまわないと注意されるタイミングの写真ですが・・・

一番上:わたしの洗い済み服
二番目:母の洗い済み服
3番目:父の洗い済み服

です。母は、洗濯の後、ここに服を入れて、あとは触りません。他の人のタンスには、触れないのです。母も楽になり、「踏み込まれるのが嫌」な私には助かります。ルールは一つ。「溢れたら部屋にしまえよ」です。わかりやすい(できていないのは私だけか!仕舞います!)!

平日に着る(というか、次の日に着る)服は、ここに置きっぱなし、そうでないものは、自分の部屋に仕舞います。
こうすると、部屋とリビングを往復して着替えたり仕事の支度をしたりしなくて済みます。面倒なことはいずれやらなくなるので、ラクな方がいい。


カバンも同様に、決まった場所に。カバン用のかごはけっこう大きいですが、やはりここから溢れたら注意されます。わかりやすい。

もともとは、犬にいたずらされないように導入した制度との合わせ技ですが、とてもやりやすいです。

散らかし特性のもっと強い人は、半透明・透明のボックスと、テプラを使って、中身を見えるように収納すると良いかと思います。

動線が大切


ものの住所を決めるときは、往復したり狭い所に行ったりしなくていい動線と、家族との兼ね合いが大切。
私の場合、上図のような動線です。赤が着替えルート、青がお出かけ前ルート。黄色は動線外です。
動線が先にあって、後から住所が決まります
着替えを随分動き回りながら、遊びながらしているのがバレバレ。

また、住所のカゴは、かなり大きめにして、必要以上に分類しない(カバンの中身を出す習慣がないのに、気を張って中身の住所まで決めたり)。細かすぎると、かえって動きにくいので、自由度は高めがいいです。

また、途中でルール変更はアリであることを、特に自閉さんはこころにいつも留おきましょう。無理なら、誰かに助けてもらいましょう。家族と暮らしているなら、家族の都合も考慮しなくてはいけません。

2016年12月18日日曜日

基本的生活習慣・洗面

なんとかしよう、歯磨き下手


わたしは歯磨きが下手です。
毎日朝晩磨く習慣は付いているし、磨かないと口が気持ち悪い感覚はあるので、そこは問題ないのですが、磨き方がとても下手。
これは以前にも「不器用さ」の記事で書いたことがありますが、「力を入れすぎる」「時間が短く、ていねいに磨けない」「全体をバランス良く磨くことができていない」傾向があります。

そこで、取り入れたのが写真の歯磨きグッズです。



歯磨きを「見える化」


ふと思いついたことですが、私は「理由がはっきりしないこと」「見えにくいのにていねいに行う」というのが苦手です。他の魅力的な行動にすぐに目移りします。

そこで、子ども用ですが「歯の汚れを着色してくれる液体ハミガキ(写真左)」を取り入れました。
小学校の歯科指導でよく使うあの着色剤です。

一つ、歯磨きにプロセスが加わるのでどうかな、と思いましたが、一週間ほど使ってみても、自分が着色歯磨きをサボる気配がないので、とりあえず使えそうです。
また、着色されている歯が、白く戻ったら、その部分は完了、というのが見やすく、どの歯が磨き終えた歯なのかも、覚えていなくてもよいので、非常にやりやすいです。
力を入れなくても、汚れが落ちるさまも見えているので、むやみに力が入らず、歯の隙間の色などにも注目して、歯全体を磨けます。

また、これはおまけで買ったものですが、「長く磨くのが苦手な人に」と解説のあった「Concool ジェルコートF」というフッ素のジェルも、なかなか使い心地が良いです。
安いものではなく、また歯科衛生士の妹曰く「それはどっちでもいい、ちゃんと磨くほうが大事」とのことなので、気が向いたらまた買おうと思います。


毎日やるべきことは、ケチらない


歯磨きに関連して、洗面全般ですが、私は以下の写真のものを使っています。


左から、洗顔・化粧水・オイル・メイク落とし

特別いいものを使っているわけではありませんが、自分が毎日これらのことをできるように、納得したもの・使い勝手の良いものを使っています。

①洗顔:泡で出て、匂いが強すぎないハーブで、好み。洗顔に関しては、サボることはほぼないため、時々変えて楽しむこともします。
②化粧水:ボトルの先をスプレー式に変えて、シュシュッとするだけで合格に。ただし、れはもともとそういうボトルを買っています。詰替えは、続かないので気が向いたときだけコットンが爪にちょっと入る感触や音が嫌だったようで、以前惰性で使っていたものはいつもサボっては捨てていました。
③オイル:これは、乳液のかわりです。全身・髪にも使えるので、気分で塗りたくります。顔は毎日。乳液よりも、私の感覚が許すものだった(また、マッサージ用オイルの記憶によって、オイル=気持ちいい、という刷り込みがあった)ので、オイルの流行は非常に嬉しいです。
④メイク落とし:これは、課題です。うまく使えていないので、今後工夫します。今のものは、柄が気に入っているので、つかっています。

特に、②③は、「効果が見えにくい」もの、かつ「子供の頃からの習慣ではない(変化したことである)」ために、毎日行うのが難しいものです。恥ずかしながら・・・
そのため、感覚的にOKなものを探って、とりあえず今はこの形になっています。


また、「容器の形や色・中身」についても、あまりすぐに形状がアップデートされたり、改良されてあからさまに変わらずに安心して使えるものを選んでいます。(なので、私はあまり100円ショップを使いません。回転が早すぎるので)

「工夫すればちょっとのことなんだから、面倒でも洗顔くらいできるだろう」と、自分の使いにくいものを使うと、結果的に、買ったものをほとんど使わずに捨て、健康も損なうことになります。
限度はありますが、ある程度ケチらず、けれども、ごてごてとたくさんのことを取り入れすぎず※、毎日心地よく生活できるように工夫しています。これは誰でもそうだと思いますが、発達障害のある人なら、なおさらでしょう。「ちょっとしたこと」が、ネックになって、基本的生活習慣が身につかないなら、それは「ちょっとしたこと」ではなく「けっこう大きい障害」なので、お金で解決しちゃいましょう!(60円払ってボトルの頭変える、とか)


※「ケチらない」というと、なんとなく自分のなかで「(セレブな人が登場)いいものをたくさん、化粧水・乳液・オイル・美容液・ナイトパック・・・(うふふ、と笑う)」というイメージになってしまうので、こう書いています。

2016年12月4日日曜日

歯車も悪くないぞ


おりしもTVで発達障害特集が組まれ、私のタイムラインでは話題になったところです。
発達障害者は「めちゃくちゃ個性的すぎていろいろ適応できない」なんていう言い方もされます。
そこで「歯車も悪くない」っていう記事を書くのもなあという気はしますが、最近思うことです。

とはいっても、私もわりと「ヘンな人」が好きです。おもしろいからです。刺激的です。同じような人ばかりで予想可能なパターンは、安心だけれど面白くないし、だいたいそういうパターンはうまく読めないくらい複雑で裏があります。
ただ、別に見た目がヘンとか明らかにヘン、であることが好きなわけではありません。よくよく話をしてみると、意外にみんな面白かったりするものです。みんなヘンだね。私の周りはあんまりふつうの人はいないのかもしれません。

でもそれがふつうでもあるわけで、私は最近、ふつうってのも、ヘンってのも、あんまり区別しないで、どちらも面白がっています。そういう面白がり方はヘンかもしれないけれど。なんでも面白がれる能力は、私の才能の一つで、自分のできることのなかで、いちばん好きな能力かもしれません。


「事務の人」のちょっとした仕事


わたしは現在、障害者雇用で事務の仕事をしています。内勤(会社の中での勤務)で、窓口業務はありません。ちょっとした来客対応はあります。外に出て働く人や、その他いろいろな人のお仕事を手伝ったり、とりまとめたり、データを整理したりします。頼まれれば、かんたんな翻訳や文字起こしもします(社内でほんのすこし出るこういう仕事って、外注しないで社内でちょっとそういうことが得意な人に回っているのかもしれません。それ専門の仕事にはできなくても、得意なことがあると、それが多めに回ってきたり、代わりに苦手なことをやってもらえたりするもので、何でも勉強しておくと意外に役に立つものです)。

そして、その合間に、備品をきれいにしたり補充したり、きれいに並べたり、といった、「やってもやらなくてもそんなに怒られはしないし、やりすぎてもうるさいもんだけど、いつもどこかで誰かがやってる小さい仕事」も、します。
おそらく世の中の事務員さんはちょこちょことこういうことをやっているんじゃないかなあ、と思います。

やらなくてもそれなりに仕事は回るのですが、ふと何かをしようとしたときに、小骨のような引っ掛かりが起こる。備品が無かったり、汚かったり。そういう小骨をさりげなく取って、スムーズに人間たちが動き回れるようにする
そんな感じです。

少しずつメインの仕事が空いているときに、様子を見て、他の事務員さんがやっていたことや、自分が仕事をしていて引っかかった部分を、うまく回るように調整している。
そんな感じです。

恒常性を保つ微生物みたいな何か


こういう作業をしていると、なんとなくあたまがぼーっとして、「胡蝶の夢」のような状態になることがあります。
私はよくそういう状態になる(解離に近いかも)のですが、気持ち悪くもあり、心地よくもあります。

胡蝶の夢状態になると、一つ上の次元にもう一人自分が発生して、世界全体から見下ろしているような感覚になります。

そうすると、人間とか、人間のかたまり(組織、学校、会社、国・・・)が、ひとつのおおきなアメーバのようないきものだと感じます。
いきものは、体温や内臓の状態を、ゆらぎながらもある程度の幅におさまるように、一定に保つために、内部でさまざまなものが働いています。この「ゆらぎはあれどある一定の幅におさまる」のが「恒常性」というやつです。

会社も、そうやって、(もちろん少しづつ進歩したり退化したりとか、あるのですが)、恒常性がある程度保たれていて、それに大きく貢献しているのが、事務員さん、というものたちだなあ、と感じて、ここちよく、なんとなくすてきな気持ちになります。

そうやってたくさんの、会社の中のものものを生かして、会社も生かして、うまく回っていくのだなあ、少しはみ出すことがあったり、死んだり子どもがうまれたりもするけど、そうやって呼吸しているんだなあ。恒常性、ここちよい。

そんなことを言語にするでもなく感じて、ぼーっとここちよくなります。そこに組み込まれているのは、悪くない感覚です(嫌だという人も当然いるでしょう)。

歯車はそんなに悪いもんでもない


そういうことを感じて、なんとなく、「ああ、組織のなかではたらく」っていうのは、そんなにしんどいもんでもなく、うまくバランスをとって生きるのは、つまんなくもなく、悪くないな、なんなら、結構興味深いじゃないか、と、今思っています。

相性もあるし、嫌なことや合わないことを無理する必要もない(実際のところ、私だって障害者雇用で配慮を受けながら働いているわけなので、自然に?働けている、なじめている、というわけではない)けれど、無理せずそれなりに、自分は自分としてありつづけながら、社会で生きていくことが、もしかしたら、できちゃうかもな。悪くないじゃないか。

うみのなかでぼんやりたゆたいながら、それでいて実は海の掃除屋さんをしているいきものみたいだなあ。面白いなあ。
世界のありようをまた一つ得た気がします。


2016年11月27日日曜日

(高機能)発達障害者と「マナー本」


内面を叙述できる発達障害者は貴重


最近、わたしの通院先は、本棚や、その他病院の見た目・設備に関して、発達障害者にやさしく、ひいては、みなにやさしくなるように少しづつ変えています(今でもかなり恵まれた設備やシステムですが)。
どういう面が整えば快適か、どんな本が欲しいか、私も少し話させて貰っています。
発達障害者で、自分の内面や特性を詳しく語ったり、必要な支援について、どのような形であれ(その場でペラペラ話せなくてもよい)、冷静に(支援を求めすぎるでもなく)叙述できる人、というのはけっこう貴重らしいのです。特に、医療や福祉の世界においては。
「聞いてくれる医療福祉」「叙述できる発達障害者」という組み合わせが実現するというのは結構貴重なことだろうとは思います。

そのなかで出た話から、「発達障害者向けのマナー本」について少し考えたことを記述してみます。



「障害者向けマナー本」ってやつはちょっと傲慢?


マナー本にも色々あるのですが、ここでは特に、発達障害者を中心に、障害のある人に向けたマナー本について考えます。
私についてもらっている心理士さんは、自閉症研究をしていたことのある、結構発達障害にくわしい人です。

その彼が言うことには、「発達障害者向けのマナー本って、「あなたがたはマナーがなっていないから教えてあげますよ」って感じがして、なんだか傲慢に感じるよね」

だそうで。
わたしはそういうマナー本の類と、自己啓発本の垣根をあいまいにしか捉えておらず、かつ自己啓発本が大嫌いなので、あまりそういうものを(勧められたことは何回かあるのだけれども…それも失礼な話よね!)読んだことがないのですが、まあ確かにそうかもしれないな、と思います。なんていうか、「あなた、マナー違反ですよ」って、他人が指摘して「直してあげよう」っていうことそのものの方が、むしろ大きなマナー違反ですよね、とは思います。



「小便器1個飛ばしの法則」をマナー本に書けるか


上記のような話をしているきっかけが、私が「こういうものも置くと面白く、また結構役に立つのでは?」と心理士さんに提示した本です。


「妹に教えたい 世界のお作法(わかった気になれる!)」
電話のお作法からコンクラーベのお作法までランダムに図解しています。以前ブログでも少し紹介しました

この本の中で、私が「面白いな」と思ったのが、「トイレのお作法」です。


男性のみなさんには当たり前のことなのでしょうか。女性の皆さんは知っているのでしょうか。
「便器選びもスマートに」と題して、「他の便器ががら空きのときに、ある人のすぐとなりを使うのは良くない。危機感を抱かせます。一つ飛ばして使いましょう」というようなことが書いてあるのです。

なるほど、と思いました。
発達障害者の療育的な目線でこれを解釈するなら「パーソナルスペースや距離感の問題」でしょう。

しかし、これを「障害者向けマナー本」に書けるか?というと、「難しいだろう」と思います。

福祉や医療は公的なものです。
ある程度の「おしゃべりをしながらご飯を食べるのは不潔です」とか、「くしゃみは手を口にあてて」といった、誰もが「口に出して言うことのできる・(特別支援ではない)学校で注意される」タイプのマナー、および、法律や公共の「ルール」に関しては、言及できるでしょう。
けれども、こういう「あまり口にだされないけれど、やられると奇異に感じる・正直なところ怖い・気持ちが悪いと、決定的にではないにしろ、”微妙に”感じる」部分というのは、言及しにくいだろうと思います。

横に並んでいる便器のどれを使うかは、ルールやマナーにおいては実際のところ自由であり、しかし、微妙な駆け引きのようなもの、関係性のマナーのようなものが生じているようです。「男子用小便器」においては、それが比較的わかりやすく「一つ飛ばしておいたほうが無難だぜ」とマナー化できるのですが。

けれども、「一つしか便器が空いていないときに、一つ飛ばしで便器を使えない」ですし、「すぐとなりにわざわざ来て便器を使用されても、まあ文句を言うわけではない(ただし腹のなかで気分が悪いというような思いをその人に感じる)」ために、やっぱり、公的な支援の場や書籍においては、こういうことは「マナー」として明言できないし、もっと言えばしてはいけない可能性もあります。
自閉度や知的な発達の度合いによっては、このようなことをマナーとして教えたり読んだりしたことで、排泄自体がうまくいかなくなる、といった可能性もあり、うまくバランスをとるのが難しいだろうと思います。

しかし、知的に高い自閉の人や、見た目が健常に見えてしまう発達障害者などにとっては、こういう微妙な部分のマナーや駆け引きことが、障害によってもっとも困難で、社会的にうまくいかない部分でもあるだろうと思います。



営利目的のマナー本や講座も使いこなそう


さて、そこで、「営利目的のマナー本(特に「オタク」向け)」の活躍のしどころだな、と私は思うのです。
営利目的の本なら、上記のような懸念はありません。
ただし、自分で「自分はどこまでできるのか。融通が効くのか」といった部分や、書籍内における冗談の混ざり具合をうまく見極める必要があります。

ある程度言語スキルのある高機能者向けです。
また、できれば理解のある医療者や支援者に、一緒に読んでもらうなど、一枚噛んでもらうのがよいでしょう。面白がるのがすきな知りたがりやさんなら、そのマナーの裏にある人間の心理を解説してある本がおすすめです。

これができると、格段に社会でうまく他者と関係する・距離感をつくることができてくる・面白くなってくるのではないかと思います。



ただし、一番のマナーは「やさしい無視」である


さて、ここまでかいておいてなんですが、マナーをいろいろと学んだり守ったりすることは面白いものの、絶対にまず初めに学ぶ必要があるのは「無視」のマナーです。

「他人のマナー違反」や「他人のちょっと奇妙なふるまい」に言及しない・笑わない。

自分が危害を被らない限り、無視する。

マナー違反を指摘していいのは、その人の親や教師・医療者などの特別な立場の人だけ。

自分と他人を区別する。
自分のがんばりに、他人を巻き込まない。

こういう自他区分のマナーです。
これができないのならば、むしろ最低限の法律のみ学び、マナーは学ばないほうがマシでしょう。

マナーというのは法律やルールと異なり、関係性で変動しうる微妙なものです。
それを、関係性を作るのが苦手だとお墨付きのある発達障害者・その自覚ある人が、ずけずけと物申すというのは、かなりマナー違反をしてしまう可能性が高いのです。
そういうことは、得意な人に任せるのがいいでしょう。
ただし、発達障害のない人も、やっぱりそんなふうに他人に言及すべきではない、と私は考えています。自分たちで自分たちの首をしめて、苦しい社会を作らなくてもいいよな、と思います。


「ありのままのあなたを愛しているから」
という、ドイツの電車の会社CM。
お金さえ払えば何してもいいよ!だそう。
私はこの動画が気に入っています。

2016年11月18日金曜日

バスがこわい

どうしてだか、バスがこわい


バスがこわいです。
なぜかこわいです。

今は、自家用車で通勤しています。

ところが、最近通達が出まして、将来的にバスないしは電車等の公共交通機関を使って通勤しなくてはならない(そのほうが望ましい)かもしれなくなりました。
そのための通勤手段調査を書いて、提出しなくてはならないようです。

その通達を読んだ瞬間から今まで、けっこうぴりぴりドキドキ、不安な日々を過ごしています。

まだ確定もしていない、それも、かなり先(何年も先)の話なのに、です。


不確定要素の多いものは、こわい


さて、なぜかこわい、と書きましたが、おそらく理由は上記です。
ただし、「なぜかこわい」というのも、嘘とも言いきれません。パニック状態で、とにかくなぜかこわい!と頭がわーっとしてしまうのも本当だからです。

わたしがなんとなくの感覚で、「バスがこわいのとおなじだ」と思うことを書き出すと、以下のようになります。

・遅刻すること
・失敗すること
・たくさんの人と関わって、調整しないといけないこと
・1日にたくさんの予定が入ること
・乗り物の、乗り換え
・宿などを予約すること
・就職活動
・たくさんのものの中から、選ぶこと

不確定な要素が多かったり、複数の要素が絡んでいて、それぞれが影響し合って幾通りもの結果を産んだりすることが、こわいようなのです。
すべての結果や不確定要素を把握しないと、安心できないのです。

一方、「バス」に似ているもので、「あまりこわくない」ものもあります。それが、「名古屋市営地下鉄」です。「JR」や「大阪の地下鉄」のような、それに近い交通機関もあるのですが、それらは「こわい」です。
「名古屋市営地下鉄」の路線図と、どの路線は何分間隔で電車が来るか、どのくらいの頻度で遅れたりするか(頻度は低い)、ということは、一枚の図で把握しているのですが、それ以外の交通機関は、「知らない」「複雑すぎる」等の理由で把握できないためだろうと思います。
また、「バス」を使うことであっても、「いつ到着してもかまわない用事」の場合には、「こわくなく」なります。「不確定」ではなくなるのです。「ぜんぶ、いつでもいい」というのは、ある意味私にとっては「確定」だし、「安心」なのです。

こんなものを作っちゃうくらいこわい



さて、通達が出たその日に作ったのがこのような道具です。

①名刺くらいのサイズの一番上に、「会社への公共交通機関での行き方」をパッと見ることができる図を用意。
②その次以降は、そのときに使う路線の時刻表を、使う順およびパターン別に。
③最後に、大きなバスターミナルの俯瞰図。

すべて、ラミネートしてリングにつけました。すでに鞄にいれてあります。通達が出てからは毎日不安なので、持っていることで、すこしだけその暴れる不安をなだめています。

私は、知的には正常域です。
むしろ、こういう作業は得意中の得意です。
調べて、まとめる。

それなのに、いざやろうとすると、「不確定」が襲ってきて、パニックになったり、怒り出してしまったり、泣き出してしまったり、固まってしまったり、するのです。

「できるとわかっているのに、できない」。
自分自身も、周りの人も、苦しいし、意味がわからないです。
「どうしてそんな子どもみたいなだだをこねるの」「失敗したら謝ればいいのよ」
何度も何度もそう言われてきていますが、やっぱりこわいのです。

こういう凸凹を抱えているのです。
発達障害者には「素数を全部言えるのにしゃべれない」といった極端で、わかりやすいために、良くも悪くも”目立つ”凸凹※のある人もいますが、こういうレベルの凸凹だと、本人にすらわかりにくいです(※そういう人が楽だと言っているわけではありません)。本当に、自分でも「わがまま」に見えてしまいます。


完璧であれば、考えなくてもよい


発達障害者が陥る状態として言われるものに「完璧主義」「一番病」というものがあります。
複数の原因が有るかと思いますが、私は、これにも「不確定要素への恐怖」が絡んでいると思っています。

「かんぺき」「いちばん」だと、どうなのか。
それは、「中間で、調整しなくてよい」「複数の失敗要因を、考えなくてよい」
のです。
かんぺきなら、謝るタイミングも声の出し方も人選も考えなくていい。
かんぺきなら、人に嫌がられないように考えながら質問しなくていい。
かんぺきなら、次にどうしたらいいのか考え直したり、余裕のない頭で調べたりしなくていい。

だから、こわくない。とにかく、かんぺきにしないと、私には、そういうことができない。こわい。こわい。

かんぺきじゃないとき、どういうことが起こるか。
かんぺきじゃないとき、どうしたらいいのか。

それは、「かんぺき」より、よほど柔らかすぎるぐにゃぐにゃで曖昧で、そして複雑に、多すぎることなのです。

少しづつ「なぁんだ、大丈夫だ!」を増やす


しかし、やっぱりバスに乗れなかったり、かんぺきじゃないとつらいというのは、不便です。
そこで、ほんとうに少しづつですが、やはり「大丈夫だった、不確定でも、なんとかなった」経験を増やすことも必要です。
また、これも少しづつ、その人のキャパシティの許すかぎりですが「手順的な知識・体に覚えさせる知識」を増やすことも効果があると思います。

この記事で私が作成したカードも、そういうことの一環です。カードという方法を思いつけたことは、今回、大きな収穫です。
そういえば、「発達障害者の鞄はモノが多い」のも、「(究極的には)何が必要になるのか見通しがつかない」不安の軽減でもあります。

いつもおなじ、は、安心するけど、崩れたときが大きすぎる。挑戦したいことが制限されすぎる。
そのバランスをうまく取りながら、いろんな人に助けてもらいながら、安心してできること、過ごせる場所を増やすと、不安が減ってゆくかなあと思います。


「いいんだよ」と「教えてあげて」ほしい


発達障害のある人は、こういう「ちょっとした大丈夫」とか「遅刻したってちょっとくらいへいき」みたいなことが、とても理解しにくいです。
学校や大人は「遅刻はいけない」「失敗はいけない」とよく言います。それは正しいです。
けれど、世の中そればっかりではいけない。
「失敗はこの世の終わりじゃないよ」「ちょっとくらいズルしちゃっても、へいきだよ」なんていうことを、自然に子どもどうしで学べない。
そういう「真面目すぎて死にたくなっちゃう子」がいることもちょっと頭に置きながら、様子をみて、フォローしてもらえると、いいなと思います。


でもこわいので

でもとりあえず、通勤は自家用車を使わせてもらえないか、交渉するつもりです・・・。カードがあったってこわいものはこわいんだよー、通勤するだけでへろへろになっては、仕事ができないよー。


2016年11月13日日曜日

聴覚過敏のポスターとカード

聴覚過敏啓発ポスターを作りました


「QuietOn」到着に興奮して、聴覚過敏啓発ポスターを作ったところ、ちょこちょこ使用許可の連絡をいただきましたので、そのことについて、流れない場所に書いておこうと思います。

【ページとしても作成しました】http://morikanoko.blogspot.jp/p/blog-page_3.html

啓発ポスター(A4サイズ)
お知らせカード(だいたいヘルプマークサイズ)

啓発ポスター、つかってください


上記の啓発ポスターやお知らせカードは、当事者でも非当事者でも、使っていただいて構いません。
ひとことお知らせいただけるとうれしいですが、お知らせはなくとも構いません。
また、作者はASDの当事者で、その症状として聴覚過敏がありますが、その他の原因や、体質として聴覚が過敏だ、という人も、遠慮しないで使ってください。

してもいいこと


・自分の特徴に合わせて書き込みをする・アレンジする
・イラストを変えたり、取ったりする
・人に配る(印刷費用・かかった負担を相手に請求するのは、相手の同意を得てください)
・啓発目的で貼る

してほしくないこと


・「オリジナルは私です」と詐称(うそをつく)する
・悪意のある改変をする
・商業目的でお金をとる
・このポスターにない症状がある人や、ポスターに当てはまらない人について「あいつはニセモノだ」などと言い、困っていることを否定する


今のところ、思いつく限りで、してもいいよ、嫌だよ、ということを列挙しました。
これはどうですか?ということがあれば教えてください。



2016年11月11日金曜日

コードレスデジタル耳せん「Quiet On」使い方と感想

待ちに待ったもの

待ちに待っていたものが、届きました。

この包みは海外からっぽい・・・!これは・・・!
やったーーーーーー!!
それがこの「QuietOn(クワイエットオン)」です。
クラウドファンディングという制度で購入(正確に言うと購入とは微妙に異なるのですが、ここではクラウドファンディング制度の説明はしないので、購入と表現します)しました。
海外の製品で、英語での購入だったのでたいへんドキドキしたのですが、無事に届きました。
2016年の2月ごろ注文して、6月に届く予定が延びての到着です(ただし、これはクラウドファンディングというものの特性上わりと仕方がないことで、遅延の連絡はちょこちょこ来ていましたので、製作元が悪いわけではありません)。もう、首が伸びすぎて蛇になってしまうかというくらい待っていました。

QuietOnとは?

クワイエットオン、それは、「ノイズキャンセル機能のみを備えたワイヤレス耳せん」です。
上記の特徴をもつものとしては、キングジムのデジタル耳せんが有名だろうかと思います。
一時期、発達障害者の聴覚過敏にこいつが使える!と、ちょっと当事者間で話題になりました。
そのときに、私も購入して使っていましたが、いつのまにやら壊れてしまいました。
そして、これを使っていたときに思ったのが「コードが邪魔」ということ。しかも、服や首に触れるとくすぐったいし、そういった音が反響して耳から脳へと響くのはとても気持ち悪くて痛い。

その部分を緩和してくれるのがこの製品なのです!

使い方

使い方は至ってシンプルで、説明するほどでもなく、製品も各国へ配送されているためか簡素なイラストのみで説明がついています。それで十分わかります。


ケースに入っています。このケースは充電器の役目も兼ねます。
ケースに入っていると、耳せんの電源がOFFになります。


こんなふうに入っています。出したら電源ON、ノイズキャンセリングONになります。
また、耳せん部分にモノを近づけると「ピー」と甲高い小さな音が鳴ります。これが、ノイズキャンセリングが働いているしるしです。音がならない場合、充電切れか故障です。

説明のイラストどおり、耳にはめます。


充電コードは付属していないので、合うものを購入する必要があります。
私は、別のイヤホンのコードがぴったりだったので、それを使っています。

充電中は青いランプがつきます。充電が満タンになると、ランプが消えます。

使ってみた感想

デジタル耳せんが壊れてからというもの、イヤーマフやヘッドホン、イヤホンといろいろ試しています。
そして、このクワイエットオンを試しました。

どれも良い点と悪い点があります。

使い分けるのはわずらわしいし、なくし物の原因にもなるので、「基本的に使うもの」を決めつつ、その日によって(時間によって分けると絶対なくします)使い分けるのがベターだろうと思います。

感想

・コードレス
・見た目にひびきにくい
・ノイズキャンセリング機能がしっかり(デジ耳より強めで、人の声なども少し遠くなりますが、ある程度は聞こえる)
・フル充電で50時間使える

まず羅列しましたが、やはりなんといってもコードレスなのは圧倒的な利点です。
また、デジタル耳せんよりも、ノイズキャンセルが大ざっぱというか、強いというか、海外仕様だからか意図があるのか(睡眠時の使用も想定されているようなので、意図して作られているのかも)「人の声は聞こえます」というのがたいていのノイズキャンセル製品なのですが、これは「ちょっと人の声も小さく(遠く)」なります。そして、私にはそれが良いです。聴覚過敏者の場合、これはありがたい人が結構いるのではないでしょうか。

デジ耳ビフォー

デジ耳アフター

こんな感じに、ちょっと遠くなるので「襲ってくる感じ」が薄まります。
「サファリパークに裸で放り出された」のと「車の窓越しにサファリをみる」ような感じでしょうか。
いつもは郵便局やお店は少ししんどいのですが、ちょっと楽になり、イライラしないでゆっくりお話できました。

欠点は・・・

欠点はズバリ「小さい」です。
これは良し悪しで、小さいから良いのですが、ADHDの診断が出るレベルのうっかりさんは、即座に無くす可能性が高いし、診断出ていなくてもわりと無くしそうなので、ちょっと危険です。
購入の際は、値段と自分の特性を鑑みて買ったほうが後悔しないかもしれません。

また、これはどのようなグッズにもいえますが、耳の中に入れたり耳に当てたりするので、皮膚に負担がかかります。痛かったり痒かったりするので、長時間、ずっとというのは難しいです。耳せんは気持ちが悪くてできないという人もいます。

こういった刺激緩和のグッズは万能ではないということ。
休み休み行動する必要、特性にあった環境整備の必要はやはりあること。

当事者も自覚して動く必要がありますし、何より非当事者に、わかってほしいことだと思います。

「補聴器つけてるんだから、聞こえるじゃん、聞き返すなよ」
「イヤマフしてれば平気でしょ、出かけようよ!さあさあ!」

というわけではないんだよ、ということです。

みんな無理せずいこうね〜。

それから、やはり耳の中で耳せんが少しずれたりする音はします。ホワイトノイズもあります。耳せんなので、心臓のドクドク音などは強調されます。体調が悪いときは、その音が吐き気に繋がるので、そういう場合は静かな環境に逃げるか、別の方法を使うほうがよさそうです。

職場でもこれなら!どんどん使おう!


現在私は職場では聴覚過敏対策をしていないのですが、これなら目立たないし、良いかもしれません(わたしは、障害者雇用ですが、直属の上司以外は詳細を知りません)。やはり人前での使いやすさは抜群です。
月末の面談で、相談してみるつもりです。

今後大きな駅などにも、行ってみたい!という気持ちが出てきました。
少し前、大阪で情報過多を起こしましたが、これがあったら違っただろうな、と思います。




2016年11月10日木曜日

てんかんではなさそう!

てんかんの専門病院へ

前回、てんかんの疑惑が出ていたため、てんかんを診ることのできる病院へ行きました。
なんだかぬるっと色々問診され、知らない先生に知らない環境で気持ち悪いながら一応答えました。
すると、
「あなたの若さだと、基本的にてんかん発作は全身けいれんからはじまる。あなたにはそれがないので、心配しなくてもよいでしょう。脳波は、診断の助けになるけれど、決め手ではないので、撮る必要はありません。脳波に異常があったらすべててんかんと診断しているのは、誤診が多いんですよ」
とのこと。

基本的に、というところ、脳波をとらないことはちょっと引っかかりましたが、とりあえず、そのように主治医に伝えてもらえるそうなので、よしとします。


ほっとしたけど、つらいこと


予定の変更

ほっとしたと同時に、「脳波を撮る」という予定が崩れたこと、初めてのことへの不安もあり、その両極端で特性由来の耐え難いゆらぎを抑えるのでかなりいっぱいいっぱいになりました。
わかってはいるんだけれど、もう少しで「どうしてですか?!」脳波とらないとだめなのに!!!!」と詰め寄りそうでした。
いわゆる「拍子抜け」をした時に、私が陥りやすいパニックの形(泣き怒り)です。「よい拍子抜け」でもこれが起こるので、そういうときはけっこう奇異の目で見られます。苦しいです。

ーーーーーーーーーーーーー
大学生のころ、サークルの先輩が冗談で「退学する」と言いだし、サークル全体が暗い雰囲気になりました。あまりに暗い雰囲気になってしまい「嘘だ」と言い出せなくなった先輩は、さらに嘘を重ねました。
私は、「それなら仕方ないな」と思いました。私自身は、それについては大して思うことはありませんでした。
ところが、結局嘘がばれたとき、私は「よかった〜〜〜〜〜」と言いながら大泣きしてしまいました。
その時は、事情が事情であったため、あまり奇異には見られなかった(心配はされたので申し訳なく思います)のですが、これはどうも「拍子抜けパニック」なのでした。
「よかった」は、単なる表出言語で、たしかに「良かった」とも思っているのですが、「良かったから泣いていた」わけではないのです。どうも私は、「とてもびっくりして、状況が二転三転したために」泣いていたのです。
当時は自分でも把握できていなかったので、自分で自分が奇妙に感じていました。「別に大して(その嘘の内容=先輩が退学すること)悲しくも嬉しくもないのに、どしてこんなに感動?してるんだろうか」と。
ーーーーーーーーーーーー

感情が伴っているような伴っていないような表出の仕方のパニックですが、つらいことは確かです。
避けては通れない変更やおどろきに、どう対処するかは、課題かもしれません。

しかし、今回は病院を出て1人になるまで泣くことはなく、またお友達に助けてもらいながらでしたが気持ちをかなり早く切り替えられたと思います。
ゆっくりと成長しているのかなと思います。

とりあえずよかった


さて、そういうわけで、とりあえずてんかんではなさそうなので、通う病院も増えず、薬も増えず、運転もできそうです。
よかったなあ。

ただし、てんかんだとしたら収まるかも知れなかったパニック等の症状は、不定愁訴および自閉の症状であるということなので、そこは一気に解決というわけにはいかなくなりました。ゆっくりいこう。


2016年10月30日日曜日

情報量の調整(診察2)

メルトダウンなら、対策は2つだ


前回の記事の続きです。
さて、今回起こったのが、「ポイントカード型」メルトダウンだとすると(てんかんではないとすると。また、てんかんだったとしてもメルトダウンも起こっているため。)、どうしたら楽かな?という話も、しました。

まずは、「ポイントを(できるだけ)ためない」こと。・・・①
そして、「ポイントを減らす」こと。※

この2つができると、メルトダウンが減る・ないしはおさまるのではないだろうか?
というわけです。
ただし、話をするなかで、※については、対策ができませんでした。
たまったポイントを減らす機能は、私には今のところ見つかっていません。
かろうじて、絵を描くことがそれの助けになるかな?というくらい。

したがって、①ポイントをためない②ポイントのたまる頻度をおさえる方法を、さらに具体的に考えることになります。

ポイントをためない


これは、「できるだけ不快刺激をなくす」ことです。
やはり一番は「ひきこもってしまう」こと。

ただし、わたしには、できません。
散歩楽しいし、ある程度の刺激は、あったほうがよいのです。

そして、徹底的に配慮を貰って、不快でない環境でぬるい仕事をするよりは、ちょっと不快でも、メルトダウンしたとしても、200%の力を使ってしまっても、自分でやる意味を感じられて、ガーッと短時間集中して、そのあとしっかり休める方が、私には良いと思っています。そのほうが、「意味がわからない」というストレスが圧倒的に少ないのです。8時間働くのは難しいかもしれないですが、それでも、今はこの方法が良いと思います。じわじわと苦しむのは、しんどいです。

そこで、イヤーマフやサングラスを、適度に取り入れることになります。
ただし、体に何かがくっついているのも嫌なので、そのバランスをとりながらになります。

そこで心理士さんに提案されたのが、「ノイズキャンセリングや無音ではなく、適度に音楽を聞いてはどうか?」ということ。

無音は、身体の出す音(血管の音とか、骨の動く音とか)が響きます。それはそれで辛い。また、ホワイトノイズも、「それで打ち消せる音と、どちらがよりマシか」天秤にかけている状態です。また、人の声には効果がありません。

そこについて指摘を受けた上で、「音楽を聞いては?」ということになりました。

その場でAmazon等を一緒に見て、色んな種類のイヤホンを見せてもらいました。電気屋さんでは視聴ができること、ものによって聞こえ方が異なり、私のようなタイプはおそらくそれにダイレクトに影響を受けるであろうことを教えてもらいました。

そして、納得したらとても早く、しかも舵が動かせない、ASD系の衝動性を多分に持ち合わせた私は、

既に買いました!!!

どうだ、まいったか。俺の衝動性!!!

参っているのは私のお財布です(結構頑張って、これでも値段をおさえた)。
つらいけど後悔はしない体質です。
いいものを手に入れました。

ノイズキャンセリングのものは値が張り、またお店にあったものが、私の耳の形に合わなかったのでやめて、ノイズキャンセリングなしの、ワイヤレスイヤホンにしました。
線がつながっていすぎるのが嫌(ひっぱられるし、触ると音に響いて痛いし、くすぐったい)なので、これは絶対条件でした。

その上で、選んだのがこちらです。


オーディオ・テクニカの、ワイヤレス、税込みおよそ一万円くらいでした。
耳のフィット感が、私には合っていました。

さて、これで、いくらかポイントをためる頻度が減れば良いなと思います。
職場では使えないので、耳せんの許可を貰っています(まだ使っていないけれど、デジタル耳せんのワイヤレスが届いたら、上司に相談できる手はずが整っていると言う意味)。

これで、メルトダウンの頻度が減ると良いなと思います。

今、既に使用しましたが、とても良いです。

医療者ってすごいなあ(診察1)

診察でした。
今回は大きく2つのことが話題になってので、分けて記事を作ります。

メルトダウン?てんかん?


さて、前回の記事の、メルトダウンの顛末について読んでもらいました。
これが一番その週の大きな出来事です。

けっこう詳しく記述したつもりだったのですが、メルトダウン発作の一部始終について、さらに詳しく質問されました。
それで、自分でも気にしていなかったのですが

・メルトダウン前になんだか嫌な感じがする。「来るぞ〜」というような、嫌な感じ。
・メルトダウンが終わった後は、なんだかスッキリする。自分では、「再インストール」したようなものだからかな、と解説。

という二点が、心理士さんは引っかかったようです。

そして、「今までに、脳波を取ったことが有るか」「手や足がびくっとしたことや、意識が混濁したことはあるか」聞かれました。

私の答えは「NO」「YES」(実際はもうすこし詳しく答えています)。

心理士さんは難しい顔になり「僕は器質性疾患は詳しくないんだけど・・・うーん、脳波を取ったほうがいいかもね」とのこと。

器質性疾患・意識の混濁・手足のビクつきの三題噺で、自分がASDであること。
そのあたりから、「ああ、、」と思い、歯切れの悪い心理士さんに聞いてみました。

「すなわち、てんかんを疑ってるんですよね?」

「そうなんだけどね・・・」

やっぱり。
ASDおよび発達障害の人の、てんかん(癲癇)併発率は高いので、てんかんの症状はたまにTwitterで目にします。

その後、診察の前に心理士さんから、このことは、主治医に伝えてもらい、主治医からも少し質問を受けて、すぐに紹介状を書いてくれる手はずが整いました。
地元で、てんかんを診てくれる病院に、一度行きます。

てんかんじゃないといいのだけれど。

ただ、もしてんかんだとすると、これまでどうしようもなかったかんしゃくの一部が、スパッと薬でおさまる可能性はあるそうです。
うーん、微妙・・・。
とにかく、結果をまつしかありません。

医療者ってすごい!


わたしはこのメルトダウンについて、「てんかん」というものを知っており、精神症状についても知ってはいたのですが、てんかんだとは考えもせず、ASDの症状として考えていました。
やっぱり、医療者ってすごいなあ、いい先生に巡り会えたなあと思います。

発達障害の世界は、わりと、医療不信の人も多いです。
出会った医療者によっては、そうかもしれませんが、それをもとに(たとえドクターショッピングしていてもね)、医療全体を「不信」としてしまうのは、やっぱり命があぶないし、もったいないなあと思います。


(2)へも、微妙に続く。(てんかん疑惑の話は、おわり)



2016年10月28日金曜日

メルトダウン、どうしよう

久しぶりのメルトダウン


久しぶりに、今週の火曜日、メルトダウンを起こしました。
疲れている傾向は感じていたものの、そんなふうになるという予想は全くできず・・・。

メルトダウンの様子については、この記事に動画があります。

私の場合、コントロールできず、丸くなって泣いて寝てしまい、そのまま寝込むしかなくなります。

メルトダウンとパニック


アメリカなどでは、自閉症のパニック(パニック障害の発作とは別のもの)を、メルトダウンとも呼ぶそうです。当事者の間では、その表現のほうがしっくりくるという方もいます。

私は、どちらでもよいのですが、なんとなく

メルトダウン・・・入力できる情報と出力できる情報の差が大きすぎるために溜まった、処理しきれない自分や他人の情報や感情(入力情報)があふれて、器そのものが壊れてしまう。それを、掃除して、人間としての器(のようなもの)を再インストールするまで、発作が続く。
(症状)わーっと泣き叫ぶ、自傷をともなうことも。私の場合「明らかにそれとわかる状態」になる。

パニック・・・刺激や納得出来ないこと、多すぎる情報などが「一時的に」ショートするような状態。一時的な処理落ちで、「器」はそのままに、それをつなぐ線のどこかが断線するなどして、全体にエラーが起こっている。
(症状)メルトダウンと同じものに加えて、固まる、怒るなどさまざま。表面上わからないことも多い

こういう感じに使い分けを感じています。
これは単なる感覚の問題ですが・・・
ただ、治療する上では、理由はそれぞれ、そして各発作ごとに異なるので、区別するのがいいかもしれません。

今回のメルトダウン時


今回は、出勤できず、しかし、欠勤の連絡をいれることもつらく、支援センターに行きました。
そこで、連絡を手伝ってもらい、落ち着くまでそこにいさせていただきました。

二日間お休みをして、木曜からは仕事に行きました。
この、木曜日を乗り切れたことは非常に大きかったです。
そして、普通に「気にしないでね」と迎えてもらえたことも、とても感謝しています。

そして、ちょうどセンター・職場・私での定期面談があり、このメルトダウンについても話題に上がりました。

三者で面談するときには、センターの方も職場の方も話題に出さず、その後、私・センターでの面談で話を聞き、それを、センター・職場で伝達、結果をその後私・センターの二者のみの空間で伝えてくださりました。しかもセンターの方では、火曜日に、担当者で対策がないか少し話し合ってくれたようです。
しんどいこと、恥ずかしいことをむやみに仕事中におもいだすことにならず、非常に助かる対応でした。

職場に伝えたこと


そして、私は、ここで、メルトダウンの発作について、どこまで話そうか悩み、こう伝えました。

・少なくて半年に一度、多くて月に一度、こういう発作がある。
・これは発作のようなもので、具体的になにか原因が有るわけではないので、すぐ対策することは難しい(無菌室にでも入らない限り無理かも)。
・「処理落ちして、再インストール」しているような状態。それが終わるまでは刺激をほとんど入れず、徐々に戻していくしかない。
★こういうときは、連絡が難しいので、電話が難しい。できれば、メール連絡を、メルトダウンの場合は許可してほしい。また、必要以上に詮索しないで欲しい。「だいじょうぶ?病院は?」などの心配もしないで、ただ「わかりました」のみの方が、助かる。

かなり情報をしぼって伝えました。

これ以上のこと(メルトダウンとは?とか、原因様々、とか、、)は、伝えても、理解してもらっても仕方のないことですし、おそらく、現状、これ以上の理解は難しいでしょう。社会全体に理解を訴える必要はありますが、「今ここ」で、全部を理解してもらおうとすると、こじれます。余計に職場に混乱を招いたり、変な気遣いをされるのも嬉しくはないです。「そういうもん」として「ほっといてほしい」のです。

ですから、上記のように伝えました。

そして、「そのようにしてもらっていいですよ」と言っていただけました。

がんばったぞ、私


というわけで、周囲の方の対応もとてもありがたかったですし、私、がんばりました。
えへん。

さて、11月には、「わわわ」に行くことになっています。
楽しみにして、それまでの生活も楽しみたいです。



2016年10月23日日曜日

へんてこカウンセリング?

通院でした。
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へんてこ?


最近のカウンセリングでは、ノートに気持ちや出来事をまとめる余力がないので、Twitterのつぶやきをガッとまとめて(Togetter非公開まとめ)、印刷して持っていっています。

その結構な量のつぶやきを読んでもらい、解決できそうなことや、疲労度を読み取って、まとめてもらい、ときに解決策を探します。そのなかで、主治医に言うべきこと、薬剤師に言うべきこと、ケースワーカーに言うべきことがあれば、それもおしえてもらいます。

自分でまとめられればそれが良いのですが、どうしても私の話は長く、他人とポイントがずれたりもします。それで、お互い「伝わらない」と思ってしまったり。
ですから、この方法は、現状に合っています。

通常のカウンセリングや認知行動療法とは結構違う(多分)、というか、わりとへんてこであろう方法ですが、私には合っています。というか、けっこう多くの人が、こういうタイプのカウンセリング・ないしは相談ができることを求めているんじゃないのかな?と推測するのですが、どうなのでしょうか。心の奥を読み取って欲しいわけではなく、現実に困っていることについて、解決策がほしいのではないでしょうか?

さて、今回は、宿の予約ができないこと、時計がつけられないことが主題でした。

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予約ってやつは難しい


まず、宿について。
予約方法がわからないわけではないのですが、なぜか頭が固まってしまいます。
初めてのことにとても弱く、また、選択肢が多すぎる、そして、実際に行って選ぶわけではないので、見通しのなさによる不安が大きすぎるのだろうと思います。
もはや野宿の方が精神的にラク・・・ってとこまでかんがえて思いとどまりました。いちおう、あぶない。

心理士さんがその場で宿を検索してくれました(これは出来るんですよ、自分でも)。そして、「相場は4000円くらいだね」とまず一言。
そこから絞っていく感じだったのですが、そのリストに、アパホテルがありました。
「アパホテルあるやん、アパホテル走ってる?」
と聞かれたので「名前は知っている。・・・社長の水」
と答えました。
「そうそう。大ハズレしないし、何より安いよ。きっと、大当たりを狙うよりも、ハズレないことが大切なんじゃないかな?」
と言ってくれまして。

もう、私の脳内ではこのへんでアパホテル決定。
めでたく、その後予約できました。
決まると早い、わかれば早いんです。

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好きなのに苦手な腕時計


そして、時計について。
私は時計が好きです。
目盛りがついているからです。

目盛りは美しいです。無駄に欲しいです。
必要もないのにタイマーをつけたりします。
減っていくさまが心地よいからです。

でも、腕時計を続けられたためしがなく、はまって購入しては放置して壊れたり、売り払うようなことをしています。

どうしてだかよくわからないのですが、はめているとイライラしてすぐにさわったり外したり(無意識に外してなくすこともよくある)、集中できないのです。
触覚過敏とはまた違う(タグが痛いというようなことは、私はありません。ただ、他人にそっと触られるのは嫌いです。圧迫刺激は好きなはずなのですが・・)ような気もするのですがよくわかりません。
重いような感じもするし、圧迫が嫌なのかもしれません。
同じような理由でアクセサリー類も、つけていて2〜3時間です。その間は肩がこるような感じがして、集中できないし、リラックスできません(リラックスできないと集中はできない)。そして、そのうちどこかに放置します・・・。そしてふと思い出してはつけて、ずーっとさわっているので、劣化が大変早いです。
ちなみに以前紹介したStimtasticsのものも、同じような状態に・・・。ただ、これは主目的はおしゃれではないので、机や棚に置いておいて、時折触って遊ぶことで使っています。お出かけのときにポケットに入れたり、そのときはきをつけてはめていたりもします。けれども、やはり基本的には苦手です。

もしかしたら、中度半端に触れていて、移動したりする不快感(ズボンが嫌いなのはおそらくこれ)かなとは思います。あとは、ボディイメージよりも若干腕(腕時計については)が大きくなるので、その感覚が気持ちが悪い、とかでしょうか(なんとなくごつごつして気持ちが悪い感じもあるし、ものを書くときに、不自然な位置で左手が机にくっついてしまうのも不快)。

そこで、心理さんが紹介してくれたのが「ルミノックス」というメンズの時計。
これならつけられる、という発達障害の人が以前にいたそうで、教えてくれました。
ベルトが、ナイロンが表、裏がちょっとふわっとしていて、おそらく腕にピタッと痛くなく、くっついていてくれるような感じのようです。
ダイバーズウォッチ(時間が読みやすい)もありますし、フェイスの種類も多いです。
自動巻き(自動巻きでないものもあります)で手遊びもでき、それが電源につながるという実用的な手遊びだというのも、好きな人が多いようです。
また、ルミノックスは、特殊な塗料が塗ってあり、どんな場所でも文字盤が見えることも、安心だそうです。

今のところ、腕時計なしで特段困っているわけではありませんが、無駄な買い物は減らしたい、お決まりを作るとラクですし、好きなものを身につけられるのはよいことなので、お金の工面をしつつ、試そうかな〜と思っています。(すでに2000円の時計を買っちゃったので、それはとりあえず生かす方向で・・・。欲しくなったらもう手に入れないとダメな衝動性・・・ちょっと困る・・・)

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その他手続き的な話しなどもして、カウンセリングは終了。
この日は診察とカウンセリングのみでした(CWさんがいれば、面談します)。

病院で苦労する発達さんや精神障害者さんはけっこういる(どうも、発達障害を診られる先生が少ないということに加えて、単純に精神科医としてアレな病院がわりとあることも一因っぽいなあとちょっと最近思う)ようですうが、恵まれているなあと思います。

うーん、ルミノックスのベルト部分、欲しい。
危険だ。


2016年10月17日月曜日

大阪の記録1

大阪大学にて行われた、当事者研究全国交流会に、参加してきました。
夏頃に応募して、ポスターをつくって発表しました。



こんな感じでできました。
わりと自由なポスターばかりで驚いた!ポスターの形でなくても良かったらしいです。
さすが当事者研究という濃さでした。

私は、前日、前々日と負荷の高い用事があり、また大阪・阪大のホールの音や情報量にダウンしてしまい、行っただけで、最後までいることもできず、帰ってきましたが、これもよい経験でした。

 

質疑応答もできなかったので、こんな紙を貼って「避難するための部屋(そういう部屋が設けられていました、さすが・・・)」でしばらく涙して寝て、帰宅・・・

発達さん向けの会というわけではなく、べてるの家関係の当事者研究が主であったため、私には結構負担が大きいものだったようです。
ともかくひとつ形になったことがあってよかったと思います。


2016年10月16日日曜日

絵をかくことと待つということ

「わわわアール・ブリュット」にて、スイスに行く作品が決定しました。

http://www.wawawart.com/mori/
こちらで、現在公開されている「日本の美意識」です。

その他の作品は、アップされていません。

私がいままで送ったなかで、一番良かったのがこれということです。審査にてとても褒めてもらえたみたいで嬉しく、そして驚きました。
また、その他のものはあまり良くないということでした。

そういうフィードバックを受けて面白かったです。
一番何も考えないで描いたのが、一番良かったからです。

そして、私にとって絵を描くことは、ストレス解消と同時に、療育的側面が担えるかもしれないなあと思いました。

わたしは待つのが苦手です。
すぐに完成したいし、終わりが欲しいです。

だから、絵をかくのも速いです。

昔から「あわてないでよく見ましょう」と言われていました。

けれど、今回スイス行きになった作品は、結構「我慢して待ちました」!
別の絵を書いているときに、魅力的な模様を発見して、それを描きたくてはじめた作品です。
それ以外に、私にとって意味はありません。
描いているうちに模様が見えてきて、作った部分もありますが、これといって具体的なものをひょうげんしようとしていません。

そのくせ、この作品はペンで描いており、乾くまでかなり待たないと、描いた模様が崩れます。
とっても待つのは苦痛でしたが、他の絵をはさみながら、じりじり完成させました。

一方、他の作品は絵の具です。
乾くのは速いし、乾くまで待たずにバーっとかきだしています。
とにかく頭のゴチャゴチャを出すために、待てないのをそのままにして描いています。
その、粘っていない部分、どこか隙間ができてしまった部分のようなものが、出たのかなあと思いました。

とはいえ、作品がダメというわけではないということなので、たくさんかきつづけながら、どれかが引っかかればいいかなーくらいの気持ちで自由にかきながらいこうかとおもいます。
また、模様のようなものも伸ばしつつ、ぱっとわかる具体的なものも、かわいいものなんかも、かけるようになりたいです。
そういうために、教室にも行ってみようと思います。

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私にとって、待てないのは、人生においても、絵においても、こういう、文についても同じです。
そのくせ、考えていることや入ってくることに対しての、だせることはとても少ない。
そういう凸凹があります。

けれど、それだと、いつも人生に退屈して、すぐに人生に終わりをつけたくなってしまう。
わたしの、ゆっくりペースに、自分の脳が合わせられません。

それでいいことも有るかもしれないけれど、やっぱり、やりたいことを全部やるためには、もっと「待つ」必要があるなと思います。

2016年10月2日日曜日

おちついてきたねえ

このところのカウンセリングや診察では、なんとなく穏やかです。
「前に比べてとても落ち着いてきたねえ、良かったねえ」
とも、しばしば言われます。

前はそんなにひどかったのか?!とも思いますが(思い返すとたしかにひどい!)。

よく目にする「偉人の発達障害エピソードではなく、平凡に生きている発達障害者の例が知りたい」という言葉。

もしかして、そんな「平凡に(でも幸せにおだやかに)生きている発達障害者」の1人に、なりつつあるんじゃないか?と思います。

穏やかだと、なんともネタに欠けて(笑)、書くこともないのですが、だからこそ記録しておこうかなと思います。

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【広汎性発達障害(アスペルガー寄り)】

・障害者手帳(精神)2級
・障害者雇用短時間(パートタイマー)
・アール・ブリュット通信育成所属(販売契約済み)
・実家ぐらし(田舎だけど、ネット環境ありで、車の免許所持)
・ゆき坊(犬)・Twitterのつながり・アート関係のつながり。
・障害者年金申請中(降りるかは不明だが、これが落ち着くと適度なベーシック・インカムとなり、私の将来への過度な不安が落ち着く・また調子の波による欠勤への恐怖も減ると予測)
・優秀で合う医師・心理士・ケースワーカー・ジョブコーチ支援あり

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以上のような感じです。

なんといってもお金と体力」がものを言う。
三食食べて、適度に歩いて、太陽を浴びて、犬をモフって、好きなことを出来るお金と時間がある。

それは、健常な人でも大切なことですが、いろいろな生活行動に障害となりうるリスクや障害をかかえる身としては、より大切だと思います。

聖人君子なんてまっぴら、たのしく生きなきゃ死にたくなっちゃうからね。

もう少し体力…具体的には、体幹を補う筋力が欲しいと思います。長い間座っていられなくて、特に休みの日に、眠りたくもないのに眠ってしまって、頭がぼーっとするのが嫌なのです。

とりあえず、未来はどうなるかわかりませんが(何か勉強したいなあと思う)、現状の落とし所はこんなところで、冬までこれを安定的に続けていけるとなにか一山越えて、安定しそうな気がします。




2016年9月27日火曜日

夜こそ、視覚過敏だった?

久しぶりに、夜暗くなってから帰宅をしました。

夜の道は歩きにくくて、足元がふわふわ。
距離感もつかみにくいです。
昼間とは景色の見え方も違って、自分のいるところがどこかも見失ってしまいやすい。

そんな状態なので、普段からできるだけ簡単に済ませている運転(だからってバスや電車が得意なわけでもなく・・・歩くのが好きですが、遠出はしたい)ですが、しないといけないときもあります。

今回ふと思いつきに、「夜だけど、サングラスをちょっとだけかけて」周りをながめてみました(試す場合、安全を確認して、止待った状態で行ってください)。

すると、なんだか景色がちゃんとある。見やすい
距離感もつかみやすく、人混みや広すぎる場所、夜の街で感じるふわふわ感も減少しました。

どうしてか考えながら、その状態のほうが安全なので、サングラスで帰宅しました。
そこで考え、思ったことが、以下です。


★わたしは「明るさ」よりも「コントラストの高さ(明るさどうしの落差の大きさ)」に対し、視覚過敏的な感覚の特異性があるのではないか
★また、明るさへの過敏性によって、「明るすぎて周囲の景色が消えてしまう(ホワイトアウト的なこと)」ことで、「夜だと距離感が掴みづらい・場所がわからなくなる」といった苦手が出ていたこともありうる
・「よるはくらいもの」という思い込みや、モニタリングの悪さ、主観は疑いにくいことで、今まで感覚特性に気がついていなかったのかも
・そういえば、以前受けた視覚特性の実験でも、夜景でのハイコントラストに弱さが出ていたような覚えが・・・
・アーレンシンドロームのスクリーニングでも、自動車教習でも、そういえば運転は苦手で、しかも車線変更のような距離感をつかむことが苦手。リレー然り、人混みしかり・・・。
・そういえば昼間の明るさについても、強すぎるものでない限りは、「明るさ」よりも「ハイコントラスト」や、「乱反射」が苦手(シーリングライトのような状態・晴れよりも曇りの日)だ。

★が、主な考えで、・が、つらつらとした補足です。



危険が伴うので、強くおすすめはしませんが、私はむしろ昼間(昼間も使いますが・・・)よりも夜の方が、サングラスの効果を感じました。

こんな人、他にいるんだろうかということも気になります。
夜、歩きにくいと感じる人で、特性があるかもしれない、という人、いかがでしょうか。

2016年9月19日月曜日

病院をやさしくしよう



通院日でした。
今回は、大荷物でした、
上の写真の物を持っていったからです。

なぜ持っていったかというと、前回のカウンセリングで、心理士さんが病院のレイアウトを今よりも発達障害者にやさしくしようと考えており、当事者で内面の叙述の出来る私に意見を求められたためです。
そのため、私は、現状は視覚的にうるさいこと、カームダウンスペースとして専用の場所があるとよいことを言いました。また、オイルタイマーやラトルで落ち着く人も多いことも話しました。
それから、おいてある書籍が役に立たない(多分、企業さんの寄付なのか、「こころがらくになる」的な・・・こころやじんごにょごにょ、系。薬屋さんの冊子は「ブラックジャックによろしく ADHD編」とか、割りと良いが…。)話も出ました。

その後、つらつら考えて、とりあえず私の思う発達さん向けの「もの」を、実物を持っていこうと思い、持っていきました。

・さらっとわかる書籍複数(「ボクの彼女は発達障害」「あたし研究」)
・長いが、参考にしやすい書籍複数(「UNIQUELY HUMAN]「アスペルガー症候群・高機能自閉症の人のためのハローワーク」「自閉っ子の心身をラクにしよう」)
・うつや寂しさに効くだろうし、単に自分のおすすめ(「自由をつくる 自在に生きる」「孤独の価値」)
・ラトル
・水平器(好き)
・イヤーマフ(過敏対策だけでなく、頭の締め付けにより落ち着く面も話す)
・クロスボウ 魔法の定規(視覚過敏の「具体的」な対策になること。アーレンシンドロームのことを話す)

これらを見せて示しました。
また、再び考えて、無駄にカレンダーが多いこと、この病院は小さいからやらないほうが良いが、床に矢印を書く支援なども良いと思うことも話しました。

どれも、メモを取りながらじっくり見てくださり、良かったです。
「こういう、現実的に役に立つものが、やっぱり求められてるんだよね。支援がずれていて、腹立たしいよね」ということ「専門家は、読む本が患者向けとは言い難い。こういう書籍を紹介してくれると助かる。しかも、ちゃんとした情報だから良い」「発達さんにやさしいということは、みんなにやさしいはずだからね」といったことを言ってくださいました。

こうやって、具体的に動いてくれることが、とても助かります。
現状でもわりと落ち着いた環境の病院ではありますし、今後すぐには変えられないでしょうし、どうなるかわかりませんが、先週よりも掲示物はすっきりしていました。

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カウンセリングと診察は、今後少しずつ、通院の負担を減らそう(今は週一だが、月一まで少しづつ持っていきたい)ことや、イライラに注意、焦らない、など。ケースワーカーさんともお話しました。

ただの病院自慢の記事でした(^ω^ )

2016年9月4日日曜日

良くはなかったらしい。

通院日でした。
前の週は、通院はしましたがCWさんとのお話のみでした。
そちらは、色々手続きがすんでからまとめて書くつもりです。

今回は、和歌山行きの後のどっと疲れてしんどいことがメイン。それから、職場に怒鳴る人が出現して、パニックや思い出し怒りが止まらないこと(つらすぎてこれ以上書けません)。
また、全てのことが過渡期で、今はしんどいだろうということでした。

そして、私の「スイッチが切れない」ことは、やはり良くないね、ということに。
休めないのです。
休んでも、やることが終わっていないとほとんど意味が無いように、頭がぼんぼん爆発しそうなので、やり続けて終わらせてしまうしかない。

それではいけないね、気分転換になることをしましょう、ということになりました。

ただ、正直なところ、「いやいや、できたらやってますやん」という感じで。
過集中と虚脱のパターンから抜け出せません。

先生によると、結果的に非常に良かったものの、和歌山に衝動的に行ってしまうということそのものも、気分の波という点では、まあ良くはないとのことで・・・。

ただ、なんだかもうこれ以上は私にはどうしようもありません。ぐったり・・・

とりあえず9月を乗り切り、生き延びます。
うーん。弱ったなあ。

あたらしい絵
「いちばんの友達、愛する犬」

2016年8月25日木曜日

作品発送


わわわ」契約作家となって初めて、作品を発送しました。
そのうちHPに掲載されるのかな?それとも、スイスまではおあずけかな。
楽しみです。

詳細な画像、全体像(この写真は作品の端をけっこう切っているので、全体ではありません。詳細も見られないように設定しています)は、「わわわ」のページや、ギャラリーに直接行ってお確かめください。

       
アイスクリーム
たこになった


和歌山(文字)2

渡り

南国だった和歌山

和歌山(文字)

おんぼうさん

まだまだ書きたいものがありますが、ちょっと落ち着いてきたので、ゆったり取り組みたいと思います。


2016年8月21日日曜日

無理してでも休め

通院日でした。

今回は、アールブリュットについて、その後の生活について、これからについて、伝えることがいっぱいでした。

アールブリュットについては、「すげえ!やるなぁ!!」とのこと。また、きちんと商業ベースに乗せてくれる団体に出会えたことが良かったとも。
わたしのやりたいことや、見ているものを表すのには。良い方法かもしれないそうです。

しかし、その後もエンジンがかかり続けて眠りにくいし、動き回っているので、今後のダウンに注意するよう言われました。
はい、とこたえたものの(やっぱり無理だろうな…)と思っていると、
「無理でも!」
と、エスパーのように被せられました。
確かに先週はやっとの事で生き延び、しかしエンジンがかかりっぱなしゆえに、衝動的に動き回るのは止められなかったので、休まなければならないことはわかっています。


やりたいことと、やるべきことが襲ってきて、眠りが浅くなっています。
安心してねむれるのは、金曜日と土曜日です。次の日がお休みだからです。

頑張って休もうと思います…!

また、休むことへのためらいとして、お金の問題もありますから、そちらはケースワーカーさんと相談を始めました。
こちらも、おいおい記録しようと思います。

スマホでブログは書きにくいのだけれど、体はぐでぐでしています。少し良くなったらまた動きたいのです。



かわいいやつの写真です。
真ん中のプロペラが好きだ。


2016年8月19日金曜日

初・イヤーマフ


さて、予告していたイヤーマフが届きました。

前から、値段がそこそこでいいものを探していたのですが、このたび夏の疲れもあって購入しました。3600縁で、ペルターよりは多少圧迫感が少なく(それでもある)、見た目が使いやすいとレビューのあったこちらにしました。
「ハスクバーナ」というものらしいです。横のロゴと、アプリコットのラインがかわいい。


実は、私はイヤーマフを使ったことはありませんでした。
今回が初です。
今まではBOSEのヘッドホンや、耳せんをつかっていました。
診断が出るまでや、出てまもなくは、「自閉症の子が使うものだから、私には当てはまらない」と思って手が出せませんでした。
しかし、ヘッドホンが壊れて、買い直すには高いので、思い切ってこちらにしました。



つけてみると、そんなにヘッドホンと変わらない感じです。

けれども、遮音性は格段に上です。
まだ、通勤の徒歩部分で1日使っただけですが、すごく楽でした。
ずっとつけているのは大変かもしれないけれど、耳せん等とも併用しつつ利用したいと思います。

それはそうと、クワイエットオンがまだ来ません。首が伸びすぎて千切れそうです。


2016年8月16日火曜日

冬に向けてちょこちょこ

連休前から考えていたものを1つ、形にしました。

Twitterで見た、「イヤーマフも可愛くカバーがあればいいのに」といったつぶやき。
私は、イヤーマフの実用的な見た目が気に入っていますが、そういうのを見ると「作りたい心」がうずくのです。

また冬なら、防寒用イヤーマフの可愛さを、通常イヤーマフにも搭載したら、かわいいのではないか、と思いました。
アレンジも効くように、取り外しもできるように。
作ってみました。

アイデアとしては
・羊毛フエルト
・おゆまる等透明感の有る樹脂系
の二択だったのですが、作りやすそうで冬向きの前者で、まずは無難なグレーと茶のまぜまぜ色にしました。



こんな感じです。
ちょっと、おはぎっぽいですが、



つけるとけっこういい感じです。
ヘッドバンドを避けて、その周りで二箇所パチンととめるようになっています。

【作り方簡単に】
羊毛のシートを準備し、石鹸水でごしごし洗う
干す
大体の形に切って、ニードルで刺す
実物に合わせてみて、羊毛を足したり切ったりしながら、形と柄を合わせ、徐々に立体にしていく(丸の一部に切り込みを入れて、合わせるようにすると、立体的になる)。

以上

けっこう可愛くできて、冬が楽しみになりました。
(でも、今使っているのヘッドホンが壊れてしまって、お高いので、安めのイヤーマフを買っておく予定。それにも使えるといいのだけれど。)

2016年8月15日月曜日

アール・ブリュットの作家として活動すること

まだ頭のなかに絵や言葉やいろいろが渦巻いてしんどいです。
ウィンドウ開きすぎて応答停止状態。
それでもずーっとクリックし続けちゃう状態。
強制終了ボタンはどこ?

そんな状態で、でもだからこそ書きます。

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このたび、わたしは「アール・ブリュットの作家」として契約をしました。

そのことについて、思うことを描きます。

A アール・ブリュットとは


アール・ブリュットとは、芸術の専門教育を受けていない人々のつくる芸術のことで、「生の芸術」「アウトサイダー・アート(アール・ブリュットの英語読み)」などとも呼ばれます。
近年の日本では、主として障害のある人々のつくる芸術について、そう呼ばれますが、もともとは、芸術教育を受けない人のアート、という意味です。

したがって、障害がなくてもアール・ブリュットですし、また、障害があってもアール・ブリュットとはいえないこともあります。

B1 わたしの経歴

わたしは、小さい頃から絵を描くことが好きで、ずっと描き続けています。
専門教育は受けていませんが、高校は美術部で、その先生とは今も交流があります。
また、大学では写真部でした。そして、洋服や小物の販売もしました。

そういう経歴があるため、私の場合「アール・ブリュット」であるかどうか、ギリギリのところだったのです。

B2 私の絵

しかし、どうやら大切なのは「アール・ブリュット」が「生の芸術」である、ということのようです。
少なくとも、「わわわ」では、重視するのは「いわゆる既存の「構図」とか、そういったものを学んでいるかどうか。学んでいると、そういうものが出てしまう」というところでした。

そういったものは、私は学んでおらず、またぜんぜんわかりません。
また、「自分のスタイル」のようなものを確立することも、できません。
かきたいものをきれいに描くのではなく、「みえたもの、さわったもの(一般的な語彙で言う「感じたもの」」をそのまま「移したい(描くのではない)」からです。
いつもおなじ形でみえることはありません。

だから、アール・ブリュットとしても、ありかもしれません。

B3 助けがほしい

私はコミュニケーションが苦手です。
私は何かをするときに、ふっと固まって、簡単なことでも「できない・・・」と混乱します。特に、やったことのないことは、知識は充分にもっていて、できることもわかっているのに、なぜか、パニックになってしまいます。

したがって、自分の作品、特に「絵」をを売り出したり展示したりすることができません。今までやったことのあるものは、運や他者の大きな助け(というか、代行・・・)です。

そこで、助けがほしいのです。

B4 お金と、自由にかける環境がほしい

そして、お金がほしいです。
死んでから評価されることに興味はありません。
そういう悲劇の大芸術家になるのは別にいいです。

また、大きな絵やたくさんの絵は、描いた後邪魔です。
飾るにも限界があります。

そこで、売れて、保存してもらえるなら、それはたすかります。
そうすることで、心置きなく描けます。

Bまとめ だから、わたしは契約した

だから、私は自分を「わわわ」に、すなわち自動的に「アール・ブリュット」の位置に置くことにしました。
「わわわ」は、「障害者が芸術で収入を得る」ことを、けっこうストレートに宣伝しています。「社会貢献」とか「心の綺麗な絵」なんていう、ことではなくて、「いいものを売って、生活する」ことを、きちんと表明し、支援してくれるようでした。

だから、わたしは、この風に乗って、浮かんでみることにしました。

プカプカたこになろう。
きょうもプカプカ、無理せずプカプカ。

大丈夫!
「わわわ」の先生は、そう言ってくれました。



風をつかまえた?(3)

前回よりの続きです。

1:風をつかまえた?(1)
2:風をつかまえた?(2)

楽しいこと、見たもの、思いが多すぎて、情報量にアップアップしています。
もっと思う所があるのだけれど、とにかく今言葉になる部分を言葉にして、クールダウンしています。

4.「わわわ」へ


さて、「わわわ」は、特急くろしおに乗って「御坊」まで向かいます。

「御坊」は、「ごぼう」と読むそうです。
「安珍清姫」の舞台です。

わたしは、「おんぼう」と読んでいました。
しかも、その間違った音のイメージのまま、絵までつくりました。




















「おんぼうさん」です。
ありがたい感じです。

「ごぼう」と聞いた瞬間、完全に野菜のゴボウにイメージを乗っ取られました。




















大変申し訳無い感じのイメージに変貌してしまった「御坊さん」。

さて、その他にもイヤーマフのことや靴のこと、その他色々話しながら御坊までやって来ました。


5.「収入を得たいか」


御坊駅にて、如月さんの友人、Nさん夫婦が迎えに来てくれました。とってもありがたい!
そうしてすずしく「わわわ」に到着。

絵を一通りみて、如月さんが話しておいてくれたTシャツお絵かき体験を、私も一緒にやりました。
その途中、引っかかっていた「私は芸術教育を受けたことになるのか」ということを相談しました。
結果「とても微妙」な感じに。そして「あとは、自分で決めること」というふうになりました。つまり、「わわわ」側としては、私の意志があれば、OK。
ということで、アール・ブリュットとして、応募したものは、有効になりました。
これで、一応のところ私の目的は果たしました。
あとは気ままにお絵かきしていました。

気づくと、私の絵を、代表の玉置さんが見てくださっていて。過去の絵もついでに見せました。
「おもしろい絵を描くね」
と言われたので、必ずおもしろい(と彼の言う)絵がかけるわけではないことを説明しました。
「スタイルみたいなものは、つくることができない。だから、プロはできない。困るけど、そのときに見えたものをそのままうつしたいから、そのときによって全く違う。こういうのも、こういうのもある(過去の絵を見せる)」
というようなことを言ったと思います。
そして、過去の絵をみた玉置さんは静かに質問しました。

「絵をかいて、生活したい気持ちがあるか?」

わたしは、現実的な人間だけど、やりたいことも絶対にやりたい、ややこしい人間ですから、こう答えました。
「生活できないかもしれないけれど、絵が収入になったらありがたい。そして、絵をいえにずっとおいておくのは邪魔だから、そうなると、たくさん絵をかいても大丈夫、大きい絵も、大丈夫。それは、とてもありがたいです。」

すると、玉置さんは「わわわ」の育成コースの話をもちかけてくれました。
如月さんが所属する、通信育成コースです。

「ノルマはない。好きに描けばいい。ここには、来なくてもいい。1年に一回、こうやって来るだけでもいい。」

とのこと。
家に帰ってじっくり考えてみては、とも言われましたが、私はその場でサインしました。
きっと私は、じっくり考えたって、入るだろう。
だったら、頭の中にあるタスクは、少なくしておくほうがいい。
それに、楽しいことは、すぐにやりたいのだ。

そういうわけで、私は、「わわわ」の登録作家となりました。

アール・ブリュットの作家として活動することについては、もう少し、別に記事をたてようと思います。
応募作品を飛び越えて、本人が先に来ちゃった。
そして、先に登録が決まった。
なんて、今後あるかな?
面白くて、自分でも笑っちゃいます。

このとき、忘れていたお昼兼夕食に、ホットサンド(とてもおいしい)と、ジュースをいただきました。Nさんのだんなさんが支払いを済ませてくれました。ありがとうございます!
そして、このあとは頑張って帰るつもりでしたが、「無理だろ−!」と皆に言われ、止まるところを探していると、Nさんのご好意で、一晩ご実家を提供していただきました。
そこの犬さんとも仲良くなりました。
本当に助かりました。初対面とは思えない、皆さんの優しさにたくさん助けられます。

次の日は、如月さんの案内で和歌山観光を少しして帰ることに。
朝、Nさんに和歌浦ドライブをしてもらいました。
どちらも刺激いっぱいの会話と景色の色、すごくうれしい、がいっぱいで、頭も体もわんわんしました。

さて、新たにつかまえたような気がする風に、乗れるか?
ゆっくり、ゆっくり、でも、衝動も大切に、進みたいなと思います。

衝動は、危ない面もありがますが、きっと、本能とか感覚とか、たくさん感じて、「いまだ!乗れ!」って言っているのでもあるから、大切なものでもあるのでしょう。

グリーンソフトはさわやかなお味で、余韻に浸りながら帰りました。


おわり


【写真いろいろ】