2014年9月7日日曜日

表情がない

わたしは割と意識をしないと第一印象で①「にらんでる?」「怒ってる?」と思われたり、「つまらない?」と思われたりします。
特に小さい頃はにらんでる、と思われることが圧倒的に多くて、「ああやっぱりわたしはかわいくない子どもなんだ」とおもっていました。卑屈〜〜


「にらみ」「怒り」「無表情」に見える理由推測

*表情のデフォルトが無表情で、表情を作ることをが必ずしも重要と感じられない
①顔が過剰に緊張あるいは弛緩しているせい
②五感・プチ共感覚をフルに稼働させて、バックグラウンドで脳が120%働いているせい(=表情まで脳の容量がまわらない、またはまわそうと感じない*
③見えないパニック状態(=表情まで脳の容量がまわらない、またはまわそうと感じない)

のようです。どうやら、いくつかの自分に似た例をさがすと、このあたりがしっくりきます。ただ、「にらみ」「怒り」に見えることについては正直あまり実感としては理解できていません。「無表情に見える」ことについては、これが大人になってからは圧倒的に多いので、おそらく②脳のバックグラウンド稼働または③パニックのためだろうと実感として思います。

ただし、脳の容量は人並みにある(が、定型のひとよりも激しく効率悪くメモリーを消費している)こと、学習によって、「やわらかい表情が大切」なことも知っていますし、実感としての理解もしています。また、自然に表情がでない訳でも、感情が薄い訳でもありません。
入出力に定型一般の人間とずれが有るだけです。

余裕が有る(?)ときはきちんと(?)表情が出ていると思います。
また、ビジネスシーンでは意識的に表情を作ります。

ところが、

・会話の場面での言葉がこだわりに触れてしまって思考のメモリーが奪われたり(本人が自覚しているかに関わらない)
・論旨がわからなくなったり(本人が自覚しているかに関わらない)★
・なんらかの不快刺激(本人が自覚しているかに関わらない)に耐えたり
・自分の発言を吟味していたり(本人が自覚しているかに関わらない)

などなどなど・・・・・・・・・
していると、
①〜③の状態になりやすく、そうすると、いわゆる”意識が飛んだ”状態にみえたり、無表情に見えることが多いようです。
一応目の前の会話を聞いてはいるし、ある程度理解している(または、脳に記録はしていて、後で早回しで理解して相づちをうったりします。これをやると、「え、今?!」というタイミングで変な意見を言ってしまうことも)ことが多いですが、まあ失礼な状態ですね・・・。





とくに★については、教育・ビジネスシーンに限っては、定型一般の方にとても学習してほしいと思っています。しかし、これはわたしの論理に対するこだわりが言わせている部分も大きいので、★が大切なのかどうかは今のところ分かりません。もちろん★についても療育すべき部分はありますが、比較的、他の要因の方が「環境的配慮・療育」でなんとかなるのに対して、★は「周囲の個々人みなが意識・学習」しなくては、しんどいままなのです。そして、その学習は、定型非定型問わず必要です。学校教育では国語とかアカデミックライティング分野中心(ほんとうは分野に限定すべきでない)で、いわゆる「コミュニケーション能力」というものだと思います。異なる人間に正確に伝えるための方法です。

例えば、何らかの失敗を指摘する・される際には、「失敗そのもの」の指摘「それに対するフォローの仕方(謝罪等)」の指摘「人間性」の指摘(そんなこともできないなんて、ばかだ、というもの)「失敗の原因」の指摘などを、指摘する側も、される側も、どれを指摘しているのか意識しないで、なんとなく全体を理解できる、というのが定型一般のようですね。

しかし、わたしは、こういう話し方をされると、何を言っているのかわかりません。または、理解できても、納得できません。
そして、納得できないことを、上手に流すスキルが弱いです。
自分の中で練習してはいるのですが、納得していないので、忘れられません。

さらに、そこに、感情的な話し方が加わると、よけいに理解の妨げになります。
これは普通の人でもだと思いますが、特に私の場合は、「男性の怒声(に感じる声)」と「中年女性(に感じる)の声」がとても苦手です。すごく圧迫感があって、自分の主張も、言えなくなります。「マイナスの言葉をぶつけられている」ことに意識が支配されて、「どうすればいいのか」「何についていけなかったのか」まで脳が回りません。私の場合は、こういう話し方や言葉は「どす黒いようなとげとげべちょべちょした異物を不用意に投げられて、毒がまわってしまう」という視覚的イメージで、ダメージも同じくそのように感じます。



私は、ひとに恵まれ、上手く納得させてもらえたり、または書籍などによる学習・ルールとしての学習で、ある程度上のことは、表面的にはそこそこうまくこなしたり、かわしたりしている・・・と思います。
他者から見ると、そうではない可能性が多いに有りますし、できているとはいいがたいですが、とりあえず、いまのところはゆる〜く合格としています。
こういったことを考え始めると、この記事を書いているときにも、出てきてしまって、なかなか記事を書けなかった原因になった、(今回は「いやな声をぶつけられた」といった)恨みの感情があるので、自分の中で、折り合いをつけるためにも、周囲の感情を、異なる他者として尊敬するためにも、自分も他人も「そこそこ合格」にして、ゆる〜く過ごしたいと思います。そう言いつつかなり厳しい記事になってしまいましたし、書いているのもしんどいものだったのですが、セラピー的に公開したいと思います。













2014年9月1日月曜日

不定愁訴と痛みの表現


久しぶりにAS関係で記事をつくろうと思います。

わたしは今でも、頭で分かっていても「程度に関する表現」が苦手です。
「自分のバロメータ」のようなものが果たして正しいのか、いつもまったく分かりません。

そのうちの一つで困ったことになってしまっているであろう「痛み」等不快感の表現について、自分のことを分析してみようと思います。
さまざまWebや書籍で出ていますが、当事者・成人後診断としての実感・またわたし個人としての実感を書きます。

たとえば、私は20歳を超えるころ〜最近になるまで、「頭痛」が一般的にどういう症状なのか、実感することができませんでした。
しかし思い返せばたしかに頭痛を感じていたはずなのです。
「頭が痛い」って、どういうことなのか、わからなかっただけなのです。
「頭が重い」「頭をたたかれた痛み」「めまいがする」「頭痛のために気持ちが悪い」「目が疲れている」etc...一般的にはどう区別するのでしょうか。
当然本人の主張を全面的に信じるのだと思いますが、私にはこれら等を区別するのが難しいのです。
ただ漠然とした不快感でものごとの遂行がおっくうになる、という他者から見た身体症状では、「頭痛」はわかりません。そして、上手な訴えができないがゆえに「自分は怠けているのか?」「体力がないのか?」としか思うことができないのです。さらに、周囲の言葉をそのまま自分のこととして受け取ってしまうので、「そんなの気のせいだ!」「熱はないから大丈夫」といった軽口も、「じゃあ私はだいじょうぶなはずだ」と、倒れるまで症状を我慢することになります。
よく冗談で「普段は病気しないけど病院行くと大事なんだよね〜〜」と私は言うのですが、このあたりも要因なのでしょう。医者に怒られます。しかも、適切に症状の説明もできない(「がんがん」などの表現もつかむのはむずかしい。自分独特の表現しかしっくりこないので、一般的な語彙をうまくえらべないのです)ので、めんどくさい患者です。

また、いったいどのくらいの痛み(つらさ)で周りに主張してよいのか、というのも私にとっては大きな問題です。
学校で保健室を利用する同級生のことは、「きっと深窓の令嬢とかで、とても繊細でいつも病院とかで入院するんだろうなあ・・・」といった感じの認識でした。優先席に座っている人は、みんな骨折しているか、何らかの内部障害なのか、赤ちゃんがいる、お年寄り、といった理由で、電車に乗ったら立っていることができないんだろう、と思っていました。「あいていれば誰でもすわれる」と理解はしていても、なんとなくしっくりこない(視覚優位とマッチングしない)ために、大学生になって電車に慣れるまではうまくすわれないで電車は利用していました。

前者の問題については、徐々に学習で補ったり、ごまかしごまかし(?)進歩している野ですが、後者については、いまだにかなり曖昧です。人間関係形成等もかかわっていると思います。
発達障害を扱った書籍の中で「不定愁訴が多い」という項目が有りましたが、感覚過敏感覚鈍麻に加えて(この要素はどちらかというと鈍麻なのですが、いわゆる感覚過敏鈍麻にプラス、という意味で)こういう要素も絡んでいるのではないかと思います。

病院で外国人向け?に使用される、「痛みレベル」を表情や数値化して視覚的に理解できるようにしたカードを、小さい頃から学習したりするとよいかもしれないなあと思います。数字と「勉強は手につかないけど好きなことはできる」「なにもできない」「たっていられない」「すわっていられない」「暴れてしまうつらさ」「暴れることももう無理」なんていう「症状レベルにそってあらわれる行動」をセットにした定規がいいですね。具体的な基準が欲しいです。そして、「あなたが思う、主観でかまわない。周りと違っても、あなたがつらいなら主張して良い、休んで良い。」ということを繰り返し刻み付けることが一番大切だと思います。


即席カード。わたしは、オレンジ色の部分が欲しい・・・。
下の部分は療育分野ではよくあるものをまねしました。サイズはSuicaです。学生なら定規として作って文房具として持ち歩くのもかわいい。