2014年9月1日月曜日

不定愁訴と痛みの表現


久しぶりにAS関係で記事をつくろうと思います。

わたしは今でも、頭で分かっていても「程度に関する表現」が苦手です。
「自分のバロメータ」のようなものが果たして正しいのか、いつもまったく分かりません。

そのうちの一つで困ったことになってしまっているであろう「痛み」等不快感の表現について、自分のことを分析してみようと思います。
さまざまWebや書籍で出ていますが、当事者・成人後診断としての実感・またわたし個人としての実感を書きます。

たとえば、私は20歳を超えるころ〜最近になるまで、「頭痛」が一般的にどういう症状なのか、実感することができませんでした。
しかし思い返せばたしかに頭痛を感じていたはずなのです。
「頭が痛い」って、どういうことなのか、わからなかっただけなのです。
「頭が重い」「頭をたたかれた痛み」「めまいがする」「頭痛のために気持ちが悪い」「目が疲れている」etc...一般的にはどう区別するのでしょうか。
当然本人の主張を全面的に信じるのだと思いますが、私にはこれら等を区別するのが難しいのです。
ただ漠然とした不快感でものごとの遂行がおっくうになる、という他者から見た身体症状では、「頭痛」はわかりません。そして、上手な訴えができないがゆえに「自分は怠けているのか?」「体力がないのか?」としか思うことができないのです。さらに、周囲の言葉をそのまま自分のこととして受け取ってしまうので、「そんなの気のせいだ!」「熱はないから大丈夫」といった軽口も、「じゃあ私はだいじょうぶなはずだ」と、倒れるまで症状を我慢することになります。
よく冗談で「普段は病気しないけど病院行くと大事なんだよね〜〜」と私は言うのですが、このあたりも要因なのでしょう。医者に怒られます。しかも、適切に症状の説明もできない(「がんがん」などの表現もつかむのはむずかしい。自分独特の表現しかしっくりこないので、一般的な語彙をうまくえらべないのです)ので、めんどくさい患者です。

また、いったいどのくらいの痛み(つらさ)で周りに主張してよいのか、というのも私にとっては大きな問題です。
学校で保健室を利用する同級生のことは、「きっと深窓の令嬢とかで、とても繊細でいつも病院とかで入院するんだろうなあ・・・」といった感じの認識でした。優先席に座っている人は、みんな骨折しているか、何らかの内部障害なのか、赤ちゃんがいる、お年寄り、といった理由で、電車に乗ったら立っていることができないんだろう、と思っていました。「あいていれば誰でもすわれる」と理解はしていても、なんとなくしっくりこない(視覚優位とマッチングしない)ために、大学生になって電車に慣れるまではうまくすわれないで電車は利用していました。

前者の問題については、徐々に学習で補ったり、ごまかしごまかし(?)進歩している野ですが、後者については、いまだにかなり曖昧です。人間関係形成等もかかわっていると思います。
発達障害を扱った書籍の中で「不定愁訴が多い」という項目が有りましたが、感覚過敏感覚鈍麻に加えて(この要素はどちらかというと鈍麻なのですが、いわゆる感覚過敏鈍麻にプラス、という意味で)こういう要素も絡んでいるのではないかと思います。

病院で外国人向け?に使用される、「痛みレベル」を表情や数値化して視覚的に理解できるようにしたカードを、小さい頃から学習したりするとよいかもしれないなあと思います。数字と「勉強は手につかないけど好きなことはできる」「なにもできない」「たっていられない」「すわっていられない」「暴れてしまうつらさ」「暴れることももう無理」なんていう「症状レベルにそってあらわれる行動」をセットにした定規がいいですね。具体的な基準が欲しいです。そして、「あなたが思う、主観でかまわない。周りと違っても、あなたがつらいなら主張して良い、休んで良い。」ということを繰り返し刻み付けることが一番大切だと思います。


即席カード。わたしは、オレンジ色の部分が欲しい・・・。
下の部分は療育分野ではよくあるものをまねしました。サイズはSuicaです。学生なら定規として作って文房具として持ち歩くのもかわいい。

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