2015年6月22日月曜日

発達障害と親子関係

※あくまで私個人の「事例」です。※

発達障害のカミングアウトで、一番ネックなのが、「親」でした。
友達は、親しくなければ別に言わなくてもいいし、そもそもそんなに友達がいない。
現在親しく交流のある人というのは、そんなことを言っても言わなくても、私を私として尊重してくれる人ばかりなので、たいした苦労はないわけです。もしそこで離れていく、何か起こるなら、その人とはそれまでの関係。その人の反応はその人のもので、私には関係ありません。
しかし、どんなに理解がなくとも、交流を止めるのが難しいのが、親。
二次障害が悪化して自立が難しい状態ですから、ある程度の理解は、あったほうが、予後は良いでしょう。自立できるのであれば、もちろん離れるのも手。
二次障害がひどい時は、AC(アダルト・チャイルド)の影響がもろに顔を出し、親と顔を合わせただけで泣き叫んで逃げ出してしまい「こえのおおきいひとこわいもういや」などと言って手が付けられなくなるような状況だったため、数ヶ月は一人暮らししていました(就職していた頃は一人暮らしだったため、その社宅を少し長めに使えるように親がお願いしてくれたのだと思います)。

私は、明確に「発達障害がある」とは言っていません。
一応それなりに匂わせてはいますが、そこは、彼らはどうしても認めたくないようです。
また、大事なのは、「障害があること」ではなく、「特性があること」ですから、障害のことは必ずしも伝えなくてよいのです(私の場合)。

以下に診断以降私が親に対してとったアプローチを記します。
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・まずはWAISの結果を見せながら(親も視覚優位・または聴覚が弱いため)「私はこういう部分が得意、苦手がわかっておもしろかった!」と報告。医師の見立てや検査の数値、といった「客観的っぽいもの(あくまで「親がそう感じている」だけなのですが)」は、信じやすい。
・その時に使ったフレーズは「言語能力だけが突出してるのに、見通しをつけるのが極度に苦手らしい!」「だから人と関わるのが苦手っぽい!」「こういうのって、いわゆる自閉症の人に似てるんだって。だからそういうのを勉強すると楽になりそう」「確かに、昔からそういう人にシンパシーあったかも(笑)」など。

・そして、徐々に、特に、疲労度が互いに少ないと思われる時、さらに、会話に集中しすぎて「会話の勝ち負け(言い負かし)にしすぎない時に=うちの場合、たいてい、母親の運転で車に乗っている時に、

・うるさい音が苦手。でも、ゆえにたくさんの声が聞こえて面白い時もある。だから、ヘッドホンを使っている(使っているところを見せたり、貸したりもしました。「これいいね!」と両親とも言ったので、やっぱりいろいろ遺伝・・・?)。
・カクテルパーティ効果が弱い。あなたも、聴力が弱くて、補聴器をつけると、今度は「雑音をひろいすぎてうるさくてずっとはつけられない」よね。そんな感じ(「だから、返事仕方わからずに単にニコニコしてたりするww」など、笑い(?)を交えて、共感しやすく。
・ものごとを想像するのが苦手で、普通の人と同じようにできない
・小さいころからそんな感じなので、不安が大きい

・小さい頃から言葉に異常な興味が有るのも、こういうことの延長にあるかもしれない
・職人や研究者が合うみたいだけど、そんなしごとないよ〜(泣)ちょっとずつ在宅とかで頑張ったり色々してる。できれば待って欲しい。でもお金はないのはわかる。できるだけ頑張る。

といったことを、具体的な事例から入って表現。また、マイナスなことばかりでなく、プラスの側面(私の場合は、芸術や言語の興味など)も含めて伝える(もちろん発達障害は良いことばかりではないし、発達障害だから才能があるわけでも、普通の発達障害者を認めないわけでもないけど、我が子はダメな人間ではない、可能性があるんだ、と思いたい、障害を認めたくない、という場合には、こういう良いことを併せて伝えると、マイナスのことも「凸凹の凹」として受け入れやすいかな?と思いました。一気に嫌なことばかり伝えられて、「あの時こうしててくれればよかったのに!!」なんていきなり責められたら、それはそれはしんどいと思います。それを、とってもやりたくなる時が、もちろんあるけれど。一生懸命育児をしてきた、自分の半生を全否定されるようなものでしょう。)。


そして、「私は、ひととひとの感覚は絶対に共有できない。たまたま似た人間が多いと共感しているように錯覚するだけだと思う」と事あるごとに、手を変え品を変え言い、自他(というより、親子)区別(=私が親を過干渉だと感じないようにという作戦)をうながす。

また、「全部理解すること」「全て配慮すること」を求めない
だって、私とあなたは他人です、違う人間です、と伝えているところなのに、「全部わかって!」なんて、矛盾もいいとこです。
もちろん、わかってくれたら、助かるけれど。

互いに聴覚が弱く、そのくせ多動・多弁を持ち合わせた「主張はあるのに会話は全く成立していない家庭」であることがわかってきた(他者からの指摘で、そういう家庭なのだと判明)ため、「じゃあ、もう、発達障害があるのは私、ではなくて、「特性持ちの家庭」だと思って、私が相手に合理的配慮をするとこから!

というわけで、「本当にしてほしいこと」「本当にやめてほしいこと」「必ず守る時間や用事」を「メール」で伝えるようにしました。
それ以外のことは、多少伝わってなくても、「伝え方も悪い」のだから、気にしない。
相手についても、同じ。怒られても、「お互い様」。

親の反応は「同じ家にいるのに何でメール?」「冷たい気がする」という反応でしたが、明らかに情報伝達がスムーズで、かつ親も慣れてきて、そうするようになってきたため、必要時にはこの方法を採用しています。

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カミングアウトから、最近のコミュニケーションの工夫までをざっと書きました。

互いに癇癪を起こしてぶつかって、かなり危ないところまでいっていた時もありますが、今はそこそこ安定的に関係を築けている、と思います。
あまり完璧を求めないことが必要かもしれません。

小さい頃から、「私の親はこんなもん」と諦め続けてきた傾向があります。そのために、親をかなり客観視でき、こういった対応を取りやすいのかもしれません。一般的にはこういう関係はさびしいことであるかもしれませんが、私は意味健康なことだと思います。
親は、血がつながった、他人です。
私は、自他の区別をつけるように努力することが必要です。

自立に向けて少しづつ。
頑張っています。

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