まずはこの週に書いたブログ記事と、「ADHDっぽい自分の行動」の紙を見せてから、しばらくそれについて。
・犬…とても良いね
・ジョブコーチがやはり優秀。医師も発達障害のことをわりとわかっているし、心理士もわかっているし、幸運。
・感情語の記事については特に無し。
・ADHDについては、少し知識を入れましょう。
ということになりました。
先日、私と考え方などが似ている人がADHDと診断がおり、投薬開始したところ、すこぶる調子が良さそうで、それはもちろん「今までがしんどすぎた」わけですが、ちょっと「いいなぁ、薬があるって」と思ったのです。またその効能の中で
・そわそわせずに寝られる
・タスクに追い立てられるような感覚が薄れ、落ち着いて仕事ができる
・頭が忙しくない
・易刺激性がやわらぐ
→易疲労がやわらぐ
という部分について「すごくうらやましい」と思いました。
そして、これをうらやましいとひどく思うということは、そういう症状があるわけで。
全くないと思っていたけれど、ADHDなのだろうか?とちょっと頭をかすめました。
確かにとりあたま(一歩動いたら一瞬前に聞いた言葉がもう記憶に無い)だし、ふとアツアツのやかんや油に手を突っ込んだりしています。でもそれは健常の範囲だろうな〜と思います。
ただ、楽になるんだったらそれっていいじゃん、と思いました。
そうして得た知識が以下です。
発達障害のLD、ADHD、ASDは、この順に「障害が広汎に」なっていくと考えられています。障害の重なりではなく、「脳のエラーの範囲」としてです。
そのなかで、ADHDというのは「出力≒行動のエラー」、「行動障害」です。
話を聞いて、どうも図に示したような感じなのだな、と思いました。
これに、各人のそれぞれの「脳のキャパシティ」と「体のキャパシティ」の要素が絡むイメージです。
※これはシロウトがちょこっとじぶんの見方である人に聞きかじった知識を都合よく解釈した図です!正しくありません!
そういうわけで、ASDとADHDでは、「症状が同じように見えても、原因が違う」わけです。
但し、「感覚過敏と易刺激性」「出力異常の原因」に関しては、鑑別が非常に難しいそうです。けれども、感覚的に「全く別軸のものだ」というのは感じます。またそういう考え方が現在の医療界ではメジャーだそうです。少し前及び当事者間ではASDとADHDの合併が非常に多いと言われますが、現代の医療においては「合併は珍しい」と考えられているところもあるそうです。軸は別だが鑑別が難しいゆえにこういうことが起こるのでしょう。
しかし基本的には「ASDは入力エラー」「ADHDは出力エラー」で、そこからはみ出る症状については、その困り感・治療方針においてどう診断するか変わってくるようです。
また、医師の方針によってもやはりずれるようです。(一時期はADHDの診断をホイホイ出す傾向もあったとか)
私の場合、「全体的に見て、私の症状については、ASDと切り分けると理解がしやすい」ためにASDとの診断がついているそうです。
ということで、私は納得しました。
感覚的に、ADHDとは私の症状は違っていると感じていたのが、補強されました。
ただ、「じっとしているのがしんどい」「タスクに追い立てられる感覚」のしんどさ、及び、感覚過敏、それから、脳のキャパシティと体のキャパシティとの差による易疲労には、もしかしたら、、という気がしてしまい、おそらく私にとってはASDの中核部分(?)よりも、こういったADHDとの鑑別が難しい部分の症状がしんどいために、「ADHDの投薬治療がうらやましい」と感じたのでしょう。
コミュニケーション能力云々のオキシトシンより、身体的エラーの治療をもっとやってほしいなー。
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