2015年4月15日水曜日

光くんとわたしと両親のマグレで最高な化学反応


『光(ひかり)とともに・・・』という漫画をご存知でしょうか。
自閉症児の「光(ひかる)くん」を中心とした育児の漫画です。
ドラマ化もされました。

私はこれを小学五年生の時に読みました。
お友達が貸してくれたのです。
ちなみにそのお友達が、わたしがパニックした時に、落ち着くのを待って筆談してくれた子で、とってもお世話になっていました・・・(エピソード詳細)。彼女は、全く支援という意識はなかったと思います。当時、私も全く診断もなにもありませんでしたので、単に「意思疎通が取れないと面倒だから」程度だと思います。その柔軟さがすばらしいなあと思います。
今でも感心するできごとです。周囲の大人も「おまえたち、すごいなあ。。」と感心しきりでした。

そして、彼女が漫画を貸してくれたおかげで、私は「自閉症」及びその他発達障害とその支援に関して知ることとなりました。
残念ながら作者の戸部けいこさんが病気のため、光くんが中学生になったところで連載が終了していますが、とても読みごたえがあります。

かなり幼い時期にこの本を読むことができ、しかも「(自分がそうだと思おうが思うまいが)共感し、自分にあったやり方を工夫する」ようになれたことは、わたしにとって非常に有益でした。
これは、もともと「自分で工夫する」「自分で作る」「自分で調べる」習慣が身についていたからでしょうか。

極度の「なんで小僧」だった私にうんざりの両親の苦肉の策、辞書だけ与えて自分で調べさせる、という方法がとてもプラスにはたらいたようです。
しかも、彼らの面白いところは、そこで止まらず、
で、調べたんでしょ。どうだった??お母さん(お父さん)、わからないな。わかるように教えてよ〜!
と、ほぼかならず質問してきたことです。まあ、当時は、なのになんでおしえてくれないんだ〜!(笑)と思っていましたが、なんとズボラで、それでいてなんとよい方法なのでしょう。
そうすると、調べざるを得ないし、考えざるを得ないし、わかるように説明せざるをえない。しかも、おもしろいので、説明したい。納得してほしい。という気持ちも強い!

ということで、「自分で興味をもち、調べ、工夫し、考察し、作り、平易な言葉に変換する」習慣がつき、持ち前の「なんで小僧」は殺されることなく、むしろ激しくブーストがかかったまま、今に至ります。
※ただし、真剣な困りごとや相談は一緒に考えてあげてほしいです。両親に対してそのあたりはかなり不信感が残ってしまいました。

知るだけでももちろん安心します。
とくに、しんどい思いをした成人の場合、「なんだ、そうか。」と、閉塞感に次が見えてくるのは確かだと思います。わたしもそうです。

けれど、お医者さんは、わたしにご飯を食べさせてくれません。
わたしにご飯を食べさせるのも、わたしを幸せにするのもわたしです。
まして自閉症スペクトラムは、各人でかなり特性が違いますから、周囲の人に求める工夫にも、限界があり、また、「察してもらえる」ことはほぼありません。たしかに数の不平等で不便を被っている部分はあるかもしれませんが、それは「集団」というとてもあいまいで把握しきれないものにおける話です。わたしたちに定型発達の人、ひとりずつのことがわからないように、彼らも私たちのこと、わたしのこと、他の誰かのこと、またほかの誰かのこと、が、まったくわからないのは当たり前です。

「空気を読む」ことはできなくても、「できないので、こうしています。いいですか?」
「できないので、こうしてもらえると、うれしいな。」「これを使ってもいいですか。」と、何かの手段で、とにかく示す、その方法を身につけることは、必要ではないかと思います。とても難しいですし、定型の人こそ、これができないことが多いような気もしていますが。
まあ、そんなことは関係ないのです。自分のメリットのために、よりよく周囲と助け合って生きるためには、むしろそういう、多少わがままなコミュニケーション力が必要で、本当は、それが、コミュニケーション力なのではないかと思うのです。


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