これって、ASはあまり関係ないと思いますが、ちょっと気になったので記事にしてみました。イラストの載せ方も模索しつつ・・・。
普通の授業では、「やりかたを見つけるないしは教えてもらって」から、「やってみる」、んですよね。
しかも、教科書があって、「ここまでできればいいよ」というのがわかったから、わたしはあまり問題なくこなせました。もちろん躓く子もいて、問題もいろいろあるのでしょうけれど。
それに対して、芸術・体育・また詩の授業なんていうのは、いいとこ、お手本を一瞬見て、注意事項を聞くぐらいでしょうか。
やり方が全然分からなくて困ってしまいました。
きらいじゃないのに、授業は大嫌い。
そんなふうだったものたちです。
やりかたはなくて、自分でやるんだ!っていうのが、もちろん、芸術関係、なのでしょうけど。それはとてもよくわかるのです。
わたしも、はまった木工作品なんかは、家に持ち帰って、学校では使えないニスを塗ったりしていました。
けれども、やっぱり、そういうことができるのって、無意識に基礎の積み重ねがある子に限られると思います。
やり方の『型』がまずあって、まねっこして、それから覚えていく、徐々にやりたいことが出てくる、こともあると思います。
成績をつけたり、みんなで同じように達成する課題の場合は、ある程度そういう方法があるといいなあと思います。
なんとなくでは、わからないことがいっぱいあるので、そういう基礎を学んだら、いろんなことが楽しめたり、ソコソコできるようになる子がいるかも?
今は、気になればルールを調べることもできるし、集団行動で失敗して怒られても、自分の問題と他人の問題を多少分けて考えられるようになり、運動も芸術も楽しいです。相変わらず野球やサッカーなどのルールも、選手も、全くわかりませんが、わからないなりに、臨場感みたいなものはどきどきするので、試合を見ても、面白いと思ったりしますよ。色んな楽しみ方があるので、そういう人も実はいるのです。
選手の話やルールの話で盛り上がる人に水を差したくはないので、なんだか申し訳ない気持ちになることもありますが、ぼんやりとその辺で楽しんで居られれば、私は満足です。ぼんやりしててごめんね。私が話に入れなくても、気にしないでね。って思ってます。
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