2016年1月31日日曜日

カウンセリング20

カウンセリングでした。

前回で人間関係の問題が一段落し、前々から予告のあった「感情コントロール」の分野のさわりを行いました。

課題は「感情語を知っているだけ挙げる」です。


わたしが挙げたのはこちらです。
といっても、途中でiPhoneで調べて書きだしたので、実質10あるかないかくらいです。しかも、それも最初に心理士さんが挙げた例を含めて。
知っているんだけれど、出てこなかったです。
読めば、わかるけれど。
最初に「喜怒哀楽」に分けて、書き出しているのも、なんだか言語性は高いけれど、実質の感覚を伴っていない、共感性の凹みが出ているような気がしました。

それから、調べる中で「これは状態であって、感情ではない」と思う語が多かったです。
感情、および、感情語、という概念の定義を示されないまま、また合意をとらないまま(というより、それは感覚的な部分であるので、とれないのでしょう。また、課題の性質上も、そういうことはしない方がいいのかとも思いました)行ったために、判断しづらかった部分もあります。

それでも、自分ではあまり「できなかった」とは感じなかったです。というより、できたともできなかったとも言えない、何の手応えもない感じでした。

心理士さんから見ては、「少し複雑な感情になると、理解が難しいように見えた」そうです。

言われてみると、確かに複雑な表現だと、「状態」なのでは、と思うことが多いかもしれません。


感情と、体の状態はつながっています。

例えば、怒ると体に力が入ったり、頭に血が上ったり。ゆえに「頭に血が上る=怒る」という解釈ができます。
けれども、2つは同じ意味を表しているわけではありません。
「頭に血が上る」は、体の状態です。
そこから推察される感情が、多くの場合、また過去の例からの引き継ぎで「怒り」だと判断してるだけです。両者に関係があるからといって、同じではありません。

では「もやもやする」というのは?

微妙な気がします。

そんなふうに言葉の定義に気がそれたり。

それから、上記の部分についてはある程度説明できますが、そもそも「感情語の切り分け」ではなく「感情」そのものって、何でしょう?

感情が存在する理由は、生存のため。

理由はいいのです。
言葉の由来なども、いいのです。

でも、「感情」っていったい何なんでしょう。

体の状態を乱暴にまとめ上げたおおざっぱな認知、という感じでしょうか。

けれども「認知」と「感情」は別物です。
「仕方ないとわかっていても悲しい」
というように、認知と感情がずれることもあります。

よくわかりません。

いちおう、心理士さんは「認知行動療法は、本来色々な関連がある事柄を便宜的に切り分けて、治療として使えるようにしているだけ。そこは割り切る必要があるけれど、その考え方を常にする必要も、あなたの感覚そのものを変える必要もない。使うといいときに使うことを自分で選択すればよい」という旨のことをお話してはくださいました。

それでも、なんだかよくわかりませんでした。

心理士さんのおっしゃるとおり、認知は言語能力の高さで補えている、行動もなんとかコントロールできつつあるが、感情の分野がごっそり下手くそみたいです。
状況判断はできても、空気(表情)読みはできない、といったところでしょうか。


0 件のコメント:

コメントを投稿