2016年11月27日日曜日

(高機能)発達障害者と「マナー本」


内面を叙述できる発達障害者は貴重


最近、わたしの通院先は、本棚や、その他病院の見た目・設備に関して、発達障害者にやさしく、ひいては、みなにやさしくなるように少しづつ変えています(今でもかなり恵まれた設備やシステムですが)。
どういう面が整えば快適か、どんな本が欲しいか、私も少し話させて貰っています。
発達障害者で、自分の内面や特性を詳しく語ったり、必要な支援について、どのような形であれ(その場でペラペラ話せなくてもよい)、冷静に(支援を求めすぎるでもなく)叙述できる人、というのはけっこう貴重らしいのです。特に、医療や福祉の世界においては。
「聞いてくれる医療福祉」「叙述できる発達障害者」という組み合わせが実現するというのは結構貴重なことだろうとは思います。

そのなかで出た話から、「発達障害者向けのマナー本」について少し考えたことを記述してみます。



「障害者向けマナー本」ってやつはちょっと傲慢?


マナー本にも色々あるのですが、ここでは特に、発達障害者を中心に、障害のある人に向けたマナー本について考えます。
私についてもらっている心理士さんは、自閉症研究をしていたことのある、結構発達障害にくわしい人です。

その彼が言うことには、「発達障害者向けのマナー本って、「あなたがたはマナーがなっていないから教えてあげますよ」って感じがして、なんだか傲慢に感じるよね」

だそうで。
わたしはそういうマナー本の類と、自己啓発本の垣根をあいまいにしか捉えておらず、かつ自己啓発本が大嫌いなので、あまりそういうものを(勧められたことは何回かあるのだけれども…それも失礼な話よね!)読んだことがないのですが、まあ確かにそうかもしれないな、と思います。なんていうか、「あなた、マナー違反ですよ」って、他人が指摘して「直してあげよう」っていうことそのものの方が、むしろ大きなマナー違反ですよね、とは思います。



「小便器1個飛ばしの法則」をマナー本に書けるか


上記のような話をしているきっかけが、私が「こういうものも置くと面白く、また結構役に立つのでは?」と心理士さんに提示した本です。


「妹に教えたい 世界のお作法(わかった気になれる!)」
電話のお作法からコンクラーベのお作法までランダムに図解しています。以前ブログでも少し紹介しました

この本の中で、私が「面白いな」と思ったのが、「トイレのお作法」です。


男性のみなさんには当たり前のことなのでしょうか。女性の皆さんは知っているのでしょうか。
「便器選びもスマートに」と題して、「他の便器ががら空きのときに、ある人のすぐとなりを使うのは良くない。危機感を抱かせます。一つ飛ばして使いましょう」というようなことが書いてあるのです。

なるほど、と思いました。
発達障害者の療育的な目線でこれを解釈するなら「パーソナルスペースや距離感の問題」でしょう。

しかし、これを「障害者向けマナー本」に書けるか?というと、「難しいだろう」と思います。

福祉や医療は公的なものです。
ある程度の「おしゃべりをしながらご飯を食べるのは不潔です」とか、「くしゃみは手を口にあてて」といった、誰もが「口に出して言うことのできる・(特別支援ではない)学校で注意される」タイプのマナー、および、法律や公共の「ルール」に関しては、言及できるでしょう。
けれども、こういう「あまり口にだされないけれど、やられると奇異に感じる・正直なところ怖い・気持ちが悪いと、決定的にではないにしろ、”微妙に”感じる」部分というのは、言及しにくいだろうと思います。

横に並んでいる便器のどれを使うかは、ルールやマナーにおいては実際のところ自由であり、しかし、微妙な駆け引きのようなもの、関係性のマナーのようなものが生じているようです。「男子用小便器」においては、それが比較的わかりやすく「一つ飛ばしておいたほうが無難だぜ」とマナー化できるのですが。

けれども、「一つしか便器が空いていないときに、一つ飛ばしで便器を使えない」ですし、「すぐとなりにわざわざ来て便器を使用されても、まあ文句を言うわけではない(ただし腹のなかで気分が悪いというような思いをその人に感じる)」ために、やっぱり、公的な支援の場や書籍においては、こういうことは「マナー」として明言できないし、もっと言えばしてはいけない可能性もあります。
自閉度や知的な発達の度合いによっては、このようなことをマナーとして教えたり読んだりしたことで、排泄自体がうまくいかなくなる、といった可能性もあり、うまくバランスをとるのが難しいだろうと思います。

しかし、知的に高い自閉の人や、見た目が健常に見えてしまう発達障害者などにとっては、こういう微妙な部分のマナーや駆け引きことが、障害によってもっとも困難で、社会的にうまくいかない部分でもあるだろうと思います。



営利目的のマナー本や講座も使いこなそう


さて、そこで、「営利目的のマナー本(特に「オタク」向け)」の活躍のしどころだな、と私は思うのです。
営利目的の本なら、上記のような懸念はありません。
ただし、自分で「自分はどこまでできるのか。融通が効くのか」といった部分や、書籍内における冗談の混ざり具合をうまく見極める必要があります。

ある程度言語スキルのある高機能者向けです。
また、できれば理解のある医療者や支援者に、一緒に読んでもらうなど、一枚噛んでもらうのがよいでしょう。面白がるのがすきな知りたがりやさんなら、そのマナーの裏にある人間の心理を解説してある本がおすすめです。

これができると、格段に社会でうまく他者と関係する・距離感をつくることができてくる・面白くなってくるのではないかと思います。



ただし、一番のマナーは「やさしい無視」である


さて、ここまでかいておいてなんですが、マナーをいろいろと学んだり守ったりすることは面白いものの、絶対にまず初めに学ぶ必要があるのは「無視」のマナーです。

「他人のマナー違反」や「他人のちょっと奇妙なふるまい」に言及しない・笑わない。

自分が危害を被らない限り、無視する。

マナー違反を指摘していいのは、その人の親や教師・医療者などの特別な立場の人だけ。

自分と他人を区別する。
自分のがんばりに、他人を巻き込まない。

こういう自他区分のマナーです。
これができないのならば、むしろ最低限の法律のみ学び、マナーは学ばないほうがマシでしょう。

マナーというのは法律やルールと異なり、関係性で変動しうる微妙なものです。
それを、関係性を作るのが苦手だとお墨付きのある発達障害者・その自覚ある人が、ずけずけと物申すというのは、かなりマナー違反をしてしまう可能性が高いのです。
そういうことは、得意な人に任せるのがいいでしょう。
ただし、発達障害のない人も、やっぱりそんなふうに他人に言及すべきではない、と私は考えています。自分たちで自分たちの首をしめて、苦しい社会を作らなくてもいいよな、と思います。


「ありのままのあなたを愛しているから」
という、ドイツの電車の会社CM。
お金さえ払えば何してもいいよ!だそう。
私はこの動画が気に入っています。

2016年11月18日金曜日

バスがこわい

どうしてだか、バスがこわい


バスがこわいです。
なぜかこわいです。

今は、自家用車で通勤しています。

ところが、最近通達が出まして、将来的にバスないしは電車等の公共交通機関を使って通勤しなくてはならない(そのほうが望ましい)かもしれなくなりました。
そのための通勤手段調査を書いて、提出しなくてはならないようです。

その通達を読んだ瞬間から今まで、けっこうぴりぴりドキドキ、不安な日々を過ごしています。

まだ確定もしていない、それも、かなり先(何年も先)の話なのに、です。


不確定要素の多いものは、こわい


さて、なぜかこわい、と書きましたが、おそらく理由は上記です。
ただし、「なぜかこわい」というのも、嘘とも言いきれません。パニック状態で、とにかくなぜかこわい!と頭がわーっとしてしまうのも本当だからです。

わたしがなんとなくの感覚で、「バスがこわいのとおなじだ」と思うことを書き出すと、以下のようになります。

・遅刻すること
・失敗すること
・たくさんの人と関わって、調整しないといけないこと
・1日にたくさんの予定が入ること
・乗り物の、乗り換え
・宿などを予約すること
・就職活動
・たくさんのものの中から、選ぶこと

不確定な要素が多かったり、複数の要素が絡んでいて、それぞれが影響し合って幾通りもの結果を産んだりすることが、こわいようなのです。
すべての結果や不確定要素を把握しないと、安心できないのです。

一方、「バス」に似ているもので、「あまりこわくない」ものもあります。それが、「名古屋市営地下鉄」です。「JR」や「大阪の地下鉄」のような、それに近い交通機関もあるのですが、それらは「こわい」です。
「名古屋市営地下鉄」の路線図と、どの路線は何分間隔で電車が来るか、どのくらいの頻度で遅れたりするか(頻度は低い)、ということは、一枚の図で把握しているのですが、それ以外の交通機関は、「知らない」「複雑すぎる」等の理由で把握できないためだろうと思います。
また、「バス」を使うことであっても、「いつ到着してもかまわない用事」の場合には、「こわくなく」なります。「不確定」ではなくなるのです。「ぜんぶ、いつでもいい」というのは、ある意味私にとっては「確定」だし、「安心」なのです。

こんなものを作っちゃうくらいこわい



さて、通達が出たその日に作ったのがこのような道具です。

①名刺くらいのサイズの一番上に、「会社への公共交通機関での行き方」をパッと見ることができる図を用意。
②その次以降は、そのときに使う路線の時刻表を、使う順およびパターン別に。
③最後に、大きなバスターミナルの俯瞰図。

すべて、ラミネートしてリングにつけました。すでに鞄にいれてあります。通達が出てからは毎日不安なので、持っていることで、すこしだけその暴れる不安をなだめています。

私は、知的には正常域です。
むしろ、こういう作業は得意中の得意です。
調べて、まとめる。

それなのに、いざやろうとすると、「不確定」が襲ってきて、パニックになったり、怒り出してしまったり、泣き出してしまったり、固まってしまったり、するのです。

「できるとわかっているのに、できない」。
自分自身も、周りの人も、苦しいし、意味がわからないです。
「どうしてそんな子どもみたいなだだをこねるの」「失敗したら謝ればいいのよ」
何度も何度もそう言われてきていますが、やっぱりこわいのです。

こういう凸凹を抱えているのです。
発達障害者には「素数を全部言えるのにしゃべれない」といった極端で、わかりやすいために、良くも悪くも”目立つ”凸凹※のある人もいますが、こういうレベルの凸凹だと、本人にすらわかりにくいです(※そういう人が楽だと言っているわけではありません)。本当に、自分でも「わがまま」に見えてしまいます。


完璧であれば、考えなくてもよい


発達障害者が陥る状態として言われるものに「完璧主義」「一番病」というものがあります。
複数の原因が有るかと思いますが、私は、これにも「不確定要素への恐怖」が絡んでいると思っています。

「かんぺき」「いちばん」だと、どうなのか。
それは、「中間で、調整しなくてよい」「複数の失敗要因を、考えなくてよい」
のです。
かんぺきなら、謝るタイミングも声の出し方も人選も考えなくていい。
かんぺきなら、人に嫌がられないように考えながら質問しなくていい。
かんぺきなら、次にどうしたらいいのか考え直したり、余裕のない頭で調べたりしなくていい。

だから、こわくない。とにかく、かんぺきにしないと、私には、そういうことができない。こわい。こわい。

かんぺきじゃないとき、どういうことが起こるか。
かんぺきじゃないとき、どうしたらいいのか。

それは、「かんぺき」より、よほど柔らかすぎるぐにゃぐにゃで曖昧で、そして複雑に、多すぎることなのです。

少しづつ「なぁんだ、大丈夫だ!」を増やす


しかし、やっぱりバスに乗れなかったり、かんぺきじゃないとつらいというのは、不便です。
そこで、ほんとうに少しづつですが、やはり「大丈夫だった、不確定でも、なんとかなった」経験を増やすことも必要です。
また、これも少しづつ、その人のキャパシティの許すかぎりですが「手順的な知識・体に覚えさせる知識」を増やすことも効果があると思います。

この記事で私が作成したカードも、そういうことの一環です。カードという方法を思いつけたことは、今回、大きな収穫です。
そういえば、「発達障害者の鞄はモノが多い」のも、「(究極的には)何が必要になるのか見通しがつかない」不安の軽減でもあります。

いつもおなじ、は、安心するけど、崩れたときが大きすぎる。挑戦したいことが制限されすぎる。
そのバランスをうまく取りながら、いろんな人に助けてもらいながら、安心してできること、過ごせる場所を増やすと、不安が減ってゆくかなあと思います。


「いいんだよ」と「教えてあげて」ほしい


発達障害のある人は、こういう「ちょっとした大丈夫」とか「遅刻したってちょっとくらいへいき」みたいなことが、とても理解しにくいです。
学校や大人は「遅刻はいけない」「失敗はいけない」とよく言います。それは正しいです。
けれど、世の中そればっかりではいけない。
「失敗はこの世の終わりじゃないよ」「ちょっとくらいズルしちゃっても、へいきだよ」なんていうことを、自然に子どもどうしで学べない。
そういう「真面目すぎて死にたくなっちゃう子」がいることもちょっと頭に置きながら、様子をみて、フォローしてもらえると、いいなと思います。


でもこわいので

でもとりあえず、通勤は自家用車を使わせてもらえないか、交渉するつもりです・・・。カードがあったってこわいものはこわいんだよー、通勤するだけでへろへろになっては、仕事ができないよー。


2016年11月13日日曜日

聴覚過敏のポスターとカード

聴覚過敏啓発ポスターを作りました


「QuietOn」到着に興奮して、聴覚過敏啓発ポスターを作ったところ、ちょこちょこ使用許可の連絡をいただきましたので、そのことについて、流れない場所に書いておこうと思います。

【ページとしても作成しました】http://morikanoko.blogspot.jp/p/blog-page_3.html

啓発ポスター(A4サイズ)
お知らせカード(だいたいヘルプマークサイズ)

啓発ポスター、つかってください


上記の啓発ポスターやお知らせカードは、当事者でも非当事者でも、使っていただいて構いません。
ひとことお知らせいただけるとうれしいですが、お知らせはなくとも構いません。
また、作者はASDの当事者で、その症状として聴覚過敏がありますが、その他の原因や、体質として聴覚が過敏だ、という人も、遠慮しないで使ってください。

してもいいこと


・自分の特徴に合わせて書き込みをする・アレンジする
・イラストを変えたり、取ったりする
・人に配る(印刷費用・かかった負担を相手に請求するのは、相手の同意を得てください)
・啓発目的で貼る

してほしくないこと


・「オリジナルは私です」と詐称(うそをつく)する
・悪意のある改変をする
・商業目的でお金をとる
・このポスターにない症状がある人や、ポスターに当てはまらない人について「あいつはニセモノだ」などと言い、困っていることを否定する


今のところ、思いつく限りで、してもいいよ、嫌だよ、ということを列挙しました。
これはどうですか?ということがあれば教えてください。



2016年11月11日金曜日

コードレスデジタル耳せん「Quiet On」使い方と感想

待ちに待ったもの

待ちに待っていたものが、届きました。

この包みは海外からっぽい・・・!これは・・・!
やったーーーーーー!!
それがこの「QuietOn(クワイエットオン)」です。
クラウドファンディングという制度で購入(正確に言うと購入とは微妙に異なるのですが、ここではクラウドファンディング制度の説明はしないので、購入と表現します)しました。
海外の製品で、英語での購入だったのでたいへんドキドキしたのですが、無事に届きました。
2016年の2月ごろ注文して、6月に届く予定が延びての到着です(ただし、これはクラウドファンディングというものの特性上わりと仕方がないことで、遅延の連絡はちょこちょこ来ていましたので、製作元が悪いわけではありません)。もう、首が伸びすぎて蛇になってしまうかというくらい待っていました。

QuietOnとは?

クワイエットオン、それは、「ノイズキャンセル機能のみを備えたワイヤレス耳せん」です。
上記の特徴をもつものとしては、キングジムのデジタル耳せんが有名だろうかと思います。
一時期、発達障害者の聴覚過敏にこいつが使える!と、ちょっと当事者間で話題になりました。
そのときに、私も購入して使っていましたが、いつのまにやら壊れてしまいました。
そして、これを使っていたときに思ったのが「コードが邪魔」ということ。しかも、服や首に触れるとくすぐったいし、そういった音が反響して耳から脳へと響くのはとても気持ち悪くて痛い。

その部分を緩和してくれるのがこの製品なのです!

使い方

使い方は至ってシンプルで、説明するほどでもなく、製品も各国へ配送されているためか簡素なイラストのみで説明がついています。それで十分わかります。


ケースに入っています。このケースは充電器の役目も兼ねます。
ケースに入っていると、耳せんの電源がOFFになります。


こんなふうに入っています。出したら電源ON、ノイズキャンセリングONになります。
また、耳せん部分にモノを近づけると「ピー」と甲高い小さな音が鳴ります。これが、ノイズキャンセリングが働いているしるしです。音がならない場合、充電切れか故障です。

説明のイラストどおり、耳にはめます。


充電コードは付属していないので、合うものを購入する必要があります。
私は、別のイヤホンのコードがぴったりだったので、それを使っています。

充電中は青いランプがつきます。充電が満タンになると、ランプが消えます。

使ってみた感想

デジタル耳せんが壊れてからというもの、イヤーマフやヘッドホン、イヤホンといろいろ試しています。
そして、このクワイエットオンを試しました。

どれも良い点と悪い点があります。

使い分けるのはわずらわしいし、なくし物の原因にもなるので、「基本的に使うもの」を決めつつ、その日によって(時間によって分けると絶対なくします)使い分けるのがベターだろうと思います。

感想

・コードレス
・見た目にひびきにくい
・ノイズキャンセリング機能がしっかり(デジ耳より強めで、人の声なども少し遠くなりますが、ある程度は聞こえる)
・フル充電で50時間使える

まず羅列しましたが、やはりなんといってもコードレスなのは圧倒的な利点です。
また、デジタル耳せんよりも、ノイズキャンセルが大ざっぱというか、強いというか、海外仕様だからか意図があるのか(睡眠時の使用も想定されているようなので、意図して作られているのかも)「人の声は聞こえます」というのがたいていのノイズキャンセル製品なのですが、これは「ちょっと人の声も小さく(遠く)」なります。そして、私にはそれが良いです。聴覚過敏者の場合、これはありがたい人が結構いるのではないでしょうか。

デジ耳ビフォー

デジ耳アフター

こんな感じに、ちょっと遠くなるので「襲ってくる感じ」が薄まります。
「サファリパークに裸で放り出された」のと「車の窓越しにサファリをみる」ような感じでしょうか。
いつもは郵便局やお店は少ししんどいのですが、ちょっと楽になり、イライラしないでゆっくりお話できました。

欠点は・・・

欠点はズバリ「小さい」です。
これは良し悪しで、小さいから良いのですが、ADHDの診断が出るレベルのうっかりさんは、即座に無くす可能性が高いし、診断出ていなくてもわりと無くしそうなので、ちょっと危険です。
購入の際は、値段と自分の特性を鑑みて買ったほうが後悔しないかもしれません。

また、これはどのようなグッズにもいえますが、耳の中に入れたり耳に当てたりするので、皮膚に負担がかかります。痛かったり痒かったりするので、長時間、ずっとというのは難しいです。耳せんは気持ちが悪くてできないという人もいます。

こういった刺激緩和のグッズは万能ではないということ。
休み休み行動する必要、特性にあった環境整備の必要はやはりあること。

当事者も自覚して動く必要がありますし、何より非当事者に、わかってほしいことだと思います。

「補聴器つけてるんだから、聞こえるじゃん、聞き返すなよ」
「イヤマフしてれば平気でしょ、出かけようよ!さあさあ!」

というわけではないんだよ、ということです。

みんな無理せずいこうね〜。

それから、やはり耳の中で耳せんが少しずれたりする音はします。ホワイトノイズもあります。耳せんなので、心臓のドクドク音などは強調されます。体調が悪いときは、その音が吐き気に繋がるので、そういう場合は静かな環境に逃げるか、別の方法を使うほうがよさそうです。

職場でもこれなら!どんどん使おう!


現在私は職場では聴覚過敏対策をしていないのですが、これなら目立たないし、良いかもしれません(わたしは、障害者雇用ですが、直属の上司以外は詳細を知りません)。やはり人前での使いやすさは抜群です。
月末の面談で、相談してみるつもりです。

今後大きな駅などにも、行ってみたい!という気持ちが出てきました。
少し前、大阪で情報過多を起こしましたが、これがあったら違っただろうな、と思います。




2016年11月10日木曜日

てんかんではなさそう!

てんかんの専門病院へ

前回、てんかんの疑惑が出ていたため、てんかんを診ることのできる病院へ行きました。
なんだかぬるっと色々問診され、知らない先生に知らない環境で気持ち悪いながら一応答えました。
すると、
「あなたの若さだと、基本的にてんかん発作は全身けいれんからはじまる。あなたにはそれがないので、心配しなくてもよいでしょう。脳波は、診断の助けになるけれど、決め手ではないので、撮る必要はありません。脳波に異常があったらすべててんかんと診断しているのは、誤診が多いんですよ」
とのこと。

基本的に、というところ、脳波をとらないことはちょっと引っかかりましたが、とりあえず、そのように主治医に伝えてもらえるそうなので、よしとします。


ほっとしたけど、つらいこと


予定の変更

ほっとしたと同時に、「脳波を撮る」という予定が崩れたこと、初めてのことへの不安もあり、その両極端で特性由来の耐え難いゆらぎを抑えるのでかなりいっぱいいっぱいになりました。
わかってはいるんだけれど、もう少しで「どうしてですか?!」脳波とらないとだめなのに!!!!」と詰め寄りそうでした。
いわゆる「拍子抜け」をした時に、私が陥りやすいパニックの形(泣き怒り)です。「よい拍子抜け」でもこれが起こるので、そういうときはけっこう奇異の目で見られます。苦しいです。

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大学生のころ、サークルの先輩が冗談で「退学する」と言いだし、サークル全体が暗い雰囲気になりました。あまりに暗い雰囲気になってしまい「嘘だ」と言い出せなくなった先輩は、さらに嘘を重ねました。
私は、「それなら仕方ないな」と思いました。私自身は、それについては大して思うことはありませんでした。
ところが、結局嘘がばれたとき、私は「よかった〜〜〜〜〜」と言いながら大泣きしてしまいました。
その時は、事情が事情であったため、あまり奇異には見られなかった(心配はされたので申し訳なく思います)のですが、これはどうも「拍子抜けパニック」なのでした。
「よかった」は、単なる表出言語で、たしかに「良かった」とも思っているのですが、「良かったから泣いていた」わけではないのです。どうも私は、「とてもびっくりして、状況が二転三転したために」泣いていたのです。
当時は自分でも把握できていなかったので、自分で自分が奇妙に感じていました。「別に大して(その嘘の内容=先輩が退学すること)悲しくも嬉しくもないのに、どしてこんなに感動?してるんだろうか」と。
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感情が伴っているような伴っていないような表出の仕方のパニックですが、つらいことは確かです。
避けては通れない変更やおどろきに、どう対処するかは、課題かもしれません。

しかし、今回は病院を出て1人になるまで泣くことはなく、またお友達に助けてもらいながらでしたが気持ちをかなり早く切り替えられたと思います。
ゆっくりと成長しているのかなと思います。

とりあえずよかった


さて、そういうわけで、とりあえずてんかんではなさそうなので、通う病院も増えず、薬も増えず、運転もできそうです。
よかったなあ。

ただし、てんかんだとしたら収まるかも知れなかったパニック等の症状は、不定愁訴および自閉の症状であるということなので、そこは一気に解決というわけにはいかなくなりました。ゆっくりいこう。