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2017年2月10日金曜日

手続きと整頓

手続きが難しい

最近はいろいろな手続に奔走しております。
そのなかで、「戸籍謄本」と「振込指定の手続き」について特にわーわーとなってしまったので記録しておきます。


1 顔を見て年齢が推測できる多数派さん?

戸籍謄本をとるとき、世帯主の生年月日を書き込まなければならず戸惑いました。
「えーと、おとなで、自分よりおじさんで、おじいさんじゃない気がするんですけど・・・」と言って窓口の人を苦笑させました。

まあ、親の生年月日がわからないという人はたくさんいると思いますのでそれはそれなのですが(ただしそこで頭がパニックになっちゃうのは特性が出ている)、

私は人を見ても年齢が推測できません。
「何歳に見える?」の遊び(?)が本気でできないのです。

基本的にあの遊びは、「大体の年齢はわかっていても、本人がどう言われたいか、みたいなところで多少ずらして言ってじゃれあうものだと思うのですが、まず「大体の年齢」がわからない。
大人、こども、赤ちゃん、老人、ならなんとなくわかるのですが。自分の好き嫌いとか。
大体30代、とか、40代、みたいなところがさっぱりピンとこない。

これって発達障害者には多い傾向なのでしょうか?
いわゆる多数派の人ってうまくこの辺を推測できるので、やっぱり顔の機微がとても細かく統合的に理解できる種類の生き物なのだろうなあと思います。スゴイ!


2 意味が理解できないと、書類がぐちゃぐちゃに

銀行の手続きにはたいてい「銀行印(届出印)」が必要です。

普段ATMばかり使っている現代では、わりと誰もが忘れがちなのだろうとは思います。

ただ私は、どうも「銀行印」の意味をよくわかっていなかった、管理の仕方がわからなかったようです。
むしろ、どうしてそういうことって、教えてもらわなくても出来ている人がいるのかが疑問ではあるのですが・・・

私の印鑑についての認識はこうでした。今もわりとこう。

「認印」=シャチハタでもいい(※)。いいやつでも別に怒られない
「銀行印」=なんか象牙とかの立派で読めない書体のやつ

追記:※シャチハタではダメな場合が多いそうです。

そりゃ印鑑相違で戻ってくる書類で山ができるわけだよ!

中途半端に子どもの経験のままおとなになって、銀行を使うようになって。
親に甘えながらなんとかやってきて。
そうしてすっぽり抜け落ちた知識のひとつがコレみたいです。

けれど、今回なんとやっと気が付きました!

「銀行届出印は、それを届け出たら、覚えておかなきゃいかん!」

あたりまえの事実がやっと体にしみついた、26歳、冬。

そういうわけで、きちんと整頓しました。

整頓できたよ!みて!


〈BEFORE〉


ヒドイので加工しています

〈AFTRE〉


きれいになったようにみえないけれど、引き出しが整頓されました。

〈使ったもの〉

 

無印用品のポリプロピレンシリーズ・メイクトレーの中と小。
ポリプロピレンシリーズ大好きです。

それぞれ、パスポート、印鑑、通帳用。
パスポートサイズのメモに、銀行と印鑑をセットにして1ページずつ使うようにします。通帳のトレーに。
(ただしバラバラにしておくことでリスクマネジメント)


これを印刷してトレーの底にはることで、「他のものはマッチングしなくて入れられない
」心理をつきます。元気なときに出力予定。
また、その他のいらないものは捨て、捨てられないものは整頓しました。
また、透明でないポーチになくしたと思っていたものがたくさん入っていたので、透明なものに入れ直しました。見えないものは消滅しやすすぎる・・・でもかわいい袋は好き・・・


さて、おそらく後ほど別の書類が印鑑相違で戻ってくるのは確定なんですが・・・
使っていない通帳と、印鑑のわからないまま使っている口座もなんとかしたい・・・

少しづつ行こうと思います。
これは、病院にも相談予定です。

整頓が誰かの参考になればちょっとうれしい。


2017年1月28日土曜日

第二弾、できちゃいました。

いちおう2月分ということで・・・


「でこぼこれたー」2、できました



画像からPDFにとびます。
Twitterモーメントも作成してありますのでそちらからさくっと見たい方はどうぞ。

なんだかぽんぽんすすむのが不思議。
そして、でこぼこれたーにいろいろ詰め込んだのでここには書くことがありません。
どうぞ御覧ください。

次回特集に関連した募集

さて、次に考えているのが、「ファッション特集」です。
そのために、ちょっとインスタグラム風の写真をたくさん募集します。

・発達障害(種類問わない)のある人・疑わしい人の服
・真四角の写真が望ましい

です。

例えばこんな感じ:


多少周りのものはどけてくささい。
また、服は畳んでも、靴やコートは無理に全ておさめなくてもよいです。
センスも問いません。
もし工夫やこだわりがあればひとことください。

私のツイッターか、メールより(kaokomori@mail.com)、お願いします。


近況


白い机が思いの外眩しくて、吐き気が出るので使えないことが判明。
日々発見です。
病院にこの誌面をおいてくださることになったり、いろいろとごぞごぞ進行中。

ちょっとお疲れモードですが、なんだか衝動は止まってくれないので、ぼちぼちいきつつまあやりたいことはこの際やってしまおうと思います。ただし衝動買いに注意しながら・・・


2017年1月15日日曜日

「カバンの中身」出揃いました!

カバンの中身・2

まんぼううちこさん


うちこさんです。
中身は一見多いのに、コンパクトに纏まってすっきり見えます!すごい!
小銭が溜まったら銀行へ持っていけば、おつり計算を気にしなくて済む、というのが面白かったです。なるほど。
ウエットティッシュ、本当は私も持ちたいなあ。

きゃまたそーさん

やはりたくさん入ること・丈夫なことは大切な模様。
持ち物管理が徹底している印象です。
付箋の持ち歩き方がきれい。こまごまとしたアイテムを上手に活用している方です。
※デザインの都合上、あおさんと2in1デザインとなりました。


mADDさん 


まってなにこれかっこいい。持ち物の趣味が憧れすぎる。ってなりました。
おしゃれ・・・!おしゃれ・・・!
が!おしゃれの中に随所に見られる「コード絡まり現象」と「だいたい全部ボロボロ現象」が物語るものがあります。予備のトート持つのもすごくわかる・・・
バックパックを使う場合、きんちゃく等を活用すると、取り出しやすいかもしれません。


冊子風にしました!

にてPDFでご覧いただけます。
Twitterモーメントにもしています。

表紙、まえがき、あとがきもつけていますので、よろしければ御覧ください。

2016年12月31日土曜日

発達さんの持ち物は・・・


「ファッション雑誌みたいな、発達障害マガジン」がほしい


前々から、そう思っていました。
ライトにパラパラ読める、ファッション誌のような、「イワユル福祉っぽくない」おしゃれな感じ。それでいて、生活に密着して役立つ記事。
そういうものを作れないかな?とは、思っていました。

それで、今回ふと思いつきで「かばんの中身特集」のようなものを作ってみました。
Twitterで、たくさんのユーザさんにご協力いただきました。
また、まだこの特集記事は作る予定です。
年明け、1月中には資料が出揃うので、ぼちぼちすすめます。

他にも、旅に出るための工夫、生活の工夫、おもちゃ、靴、メイク・・・いろいろな記事ができたらおもしろいんんじゃないかと思います。できないことも、工夫していることも、できることも、ある程度せきららにかっこ悪く。でも、見た目かっこよく、可愛く。

さて、まず3人のカバンの中身を公開です。

1. もり(製作者本人)




製作者本人です。ASD診断がおりています。ADHDではありませんがまあまあうっかり屋なので、そのように記述。
なんとこの記事では、「QuietOn」の撮影も、触れることすら忘れているウッカリぶりです(後日直す予定ですが、忘れるかも・・・う・・・)。

2. あおさん



2人めは、あおさん(@deepblue_0926)(『ボクの彼女は発達障害』の「あお」さん)。いろいろとお世話になっている方です。私と如月さん(3人目)のヘルプマークは、彼女に送ってもらったものだという共通点があります。なんというか、二人目の時点で結構「とにかく入れろ、話はそれからだ」という点ですごく共通したものを感じる。

3.如月さん





3人めは、如月さん(@kisaragikou0220)。こちらも何かとお世話になっている方です。いちばんスッキリした使い方かもしれません。しかし随所にこだわりが。
そういえば私、障害者手帳も出してないな(お薬手帳に入ってる)。「基本セット」と「お出かけ」にに分けて情報をいただきました。やっぱり「いつものセット」があるとよさそうです。


いかがでしょうか


今回は、デザイン重視で、読みやすさはわりと度外視ぎみです。
雑誌がコンセプトなので、読み込めずともさらっと目を通せる程度でいいかな、と思います。
気になるアイテムに関しては、質問してもらってもかまいません。むしろ嬉しく思います。
はからずも、3人がそれぞれわりと個性が出て、面白くなりました!共通点はあれど、こうやって明らかにすると、それぞれが引き立って、ポップでかわいいなあ。

また、情報が出揃ったら、現在のものから変化するかもしれませんが、まずはここまでを公開します。

こういうことが、昔から本当に好きだなあ、と思い返します。
保育園の「おたより」なんかも、真似してオリジナルおたよりを作っていました。
ノートまとめも好きでした。
好きなことがいろいろ繋がるのは、ワクワクします!


2016年12月4日日曜日

歯車も悪くないぞ


おりしもTVで発達障害特集が組まれ、私のタイムラインでは話題になったところです。
発達障害者は「めちゃくちゃ個性的すぎていろいろ適応できない」なんていう言い方もされます。
そこで「歯車も悪くない」っていう記事を書くのもなあという気はしますが、最近思うことです。

とはいっても、私もわりと「ヘンな人」が好きです。おもしろいからです。刺激的です。同じような人ばかりで予想可能なパターンは、安心だけれど面白くないし、だいたいそういうパターンはうまく読めないくらい複雑で裏があります。
ただ、別に見た目がヘンとか明らかにヘン、であることが好きなわけではありません。よくよく話をしてみると、意外にみんな面白かったりするものです。みんなヘンだね。私の周りはあんまりふつうの人はいないのかもしれません。

でもそれがふつうでもあるわけで、私は最近、ふつうってのも、ヘンってのも、あんまり区別しないで、どちらも面白がっています。そういう面白がり方はヘンかもしれないけれど。なんでも面白がれる能力は、私の才能の一つで、自分のできることのなかで、いちばん好きな能力かもしれません。


「事務の人」のちょっとした仕事


わたしは現在、障害者雇用で事務の仕事をしています。内勤(会社の中での勤務)で、窓口業務はありません。ちょっとした来客対応はあります。外に出て働く人や、その他いろいろな人のお仕事を手伝ったり、とりまとめたり、データを整理したりします。頼まれれば、かんたんな翻訳や文字起こしもします(社内でほんのすこし出るこういう仕事って、外注しないで社内でちょっとそういうことが得意な人に回っているのかもしれません。それ専門の仕事にはできなくても、得意なことがあると、それが多めに回ってきたり、代わりに苦手なことをやってもらえたりするもので、何でも勉強しておくと意外に役に立つものです)。

そして、その合間に、備品をきれいにしたり補充したり、きれいに並べたり、といった、「やってもやらなくてもそんなに怒られはしないし、やりすぎてもうるさいもんだけど、いつもどこかで誰かがやってる小さい仕事」も、します。
おそらく世の中の事務員さんはちょこちょことこういうことをやっているんじゃないかなあ、と思います。

やらなくてもそれなりに仕事は回るのですが、ふと何かをしようとしたときに、小骨のような引っ掛かりが起こる。備品が無かったり、汚かったり。そういう小骨をさりげなく取って、スムーズに人間たちが動き回れるようにする。
そんな感じです。

少しずつメインの仕事が空いているときに、様子を見て、他の事務員さんがやっていたことや、自分が仕事をしていて引っかかった部分を、うまく回るように調整している。
そんな感じです。

恒常性を保つ微生物みたいな何か


こういう作業をしていると、なんとなくあたまがぼーっとして、「胡蝶の夢」のような状態になることがあります。
私はよくそういう状態になる(解離に近いかも)のですが、気持ち悪くもあり、心地よくもあります。

胡蝶の夢状態になると、一つ上の次元にもう一人自分が発生して、世界全体から見下ろしているような感覚になります。

そうすると、人間とか、人間のかたまり(組織、学校、会社、国・・・)が、ひとつのおおきなアメーバのようないきものだと感じます。
いきものは、体温や内臓の状態を、ゆらぎながらもある程度の幅におさまるように、一定に保つために、内部でさまざまなものが働いています。この「ゆらぎはあれどある一定の幅におさまる」のが「恒常性」というやつです。

会社も、そうやって、(もちろん少しづつ進歩したり退化したりとか、あるのですが)、恒常性がある程度保たれていて、それに大きく貢献しているのが、事務員さん、というものたちだなあ、と感じて、ここちよく、なんとなくすてきな気持ちになります。

そうやってたくさんの、会社の中のものものを生かして、会社も生かして、うまく回っていくのだなあ、少しはみ出すことがあったり、死んだり子どもがうまれたりもするけど、そうやって呼吸しているんだなあ。恒常性、ここちよい。

そんなことを言語にするでもなく感じて、ぼーっとここちよくなります。そこに組み込まれているのは、悪くない感覚です(嫌だという人も当然いるでしょう)。

歯車はそんなに悪いもんでもない


そういうことを感じて、なんとなく、「ああ、組織のなかではたらく」っていうのは、そんなにしんどいもんでもなく、うまくバランスをとって生きるのは、つまんなくもなく、悪くないな、なんなら、結構興味深いじゃないか、と、今思っています。

相性もあるし、嫌なことや合わないことを無理する必要もない(実際のところ、私だって障害者雇用で配慮を受けながら働いているわけなので、自然に?働けている、なじめている、というわけではない)けれど、無理せずそれなりに、自分は自分としてありつづけながら、社会で生きていくことが、もしかしたら、できちゃうかもな。悪くないじゃないか。

うみのなかでぼんやりたゆたいながら、それでいて実は海の掃除屋さんをしているいきものみたいだなあ。面白いなあ。
世界のありようをまた一つ得た気がします。


2016年11月18日金曜日

バスがこわい

どうしてだか、バスがこわい


バスがこわいです。
なぜかこわいです。

今は、自家用車で通勤しています。

ところが、最近通達が出まして、将来的にバスないしは電車等の公共交通機関を使って通勤しなくてはならない(そのほうが望ましい)かもしれなくなりました。
そのための通勤手段調査を書いて、提出しなくてはならないようです。

その通達を読んだ瞬間から今まで、けっこうぴりぴりドキドキ、不安な日々を過ごしています。

まだ確定もしていない、それも、かなり先(何年も先)の話なのに、です。


不確定要素の多いものは、こわい


さて、なぜかこわい、と書きましたが、おそらく理由は上記です。
ただし、「なぜかこわい」というのも、嘘とも言いきれません。パニック状態で、とにかくなぜかこわい!と頭がわーっとしてしまうのも本当だからです。

わたしがなんとなくの感覚で、「バスがこわいのとおなじだ」と思うことを書き出すと、以下のようになります。

・遅刻すること
・失敗すること
・たくさんの人と関わって、調整しないといけないこと
・1日にたくさんの予定が入ること
・乗り物の、乗り換え
・宿などを予約すること
・就職活動
・たくさんのものの中から、選ぶこと

不確定な要素が多かったり、複数の要素が絡んでいて、それぞれが影響し合って幾通りもの結果を産んだりすることが、こわいようなのです。
すべての結果や不確定要素を把握しないと、安心できないのです。

一方、「バス」に似ているもので、「あまりこわくない」ものもあります。それが、「名古屋市営地下鉄」です。「JR」や「大阪の地下鉄」のような、それに近い交通機関もあるのですが、それらは「こわい」です。
「名古屋市営地下鉄」の路線図と、どの路線は何分間隔で電車が来るか、どのくらいの頻度で遅れたりするか(頻度は低い)、ということは、一枚の図で把握しているのですが、それ以外の交通機関は、「知らない」「複雑すぎる」等の理由で把握できないためだろうと思います。
また、「バス」を使うことであっても、「いつ到着してもかまわない用事」の場合には、「こわくなく」なります。「不確定」ではなくなるのです。「ぜんぶ、いつでもいい」というのは、ある意味私にとっては「確定」だし、「安心」なのです。

こんなものを作っちゃうくらいこわい



さて、通達が出たその日に作ったのがこのような道具です。

①名刺くらいのサイズの一番上に、「会社への公共交通機関での行き方」をパッと見ることができる図を用意。
②その次以降は、そのときに使う路線の時刻表を、使う順およびパターン別に。
③最後に、大きなバスターミナルの俯瞰図。

すべて、ラミネートしてリングにつけました。すでに鞄にいれてあります。通達が出てからは毎日不安なので、持っていることで、すこしだけその暴れる不安をなだめています。

私は、知的には正常域です。
むしろ、こういう作業は得意中の得意です。
調べて、まとめる。

それなのに、いざやろうとすると、「不確定」が襲ってきて、パニックになったり、怒り出してしまったり、泣き出してしまったり、固まってしまったり、するのです。

「できるとわかっているのに、できない」。
自分自身も、周りの人も、苦しいし、意味がわからないです。
「どうしてそんな子どもみたいなだだをこねるの」「失敗したら謝ればいいのよ」
何度も何度もそう言われてきていますが、やっぱりこわいのです。

こういう凸凹を抱えているのです。
発達障害者には「素数を全部言えるのにしゃべれない」といった極端で、わかりやすいために、良くも悪くも”目立つ”凸凹※のある人もいますが、こういうレベルの凸凹だと、本人にすらわかりにくいです(※そういう人が楽だと言っているわけではありません)。本当に、自分でも「わがまま」に見えてしまいます。


完璧であれば、考えなくてもよい


発達障害者が陥る状態として言われるものに「完璧主義」「一番病」というものがあります。
複数の原因が有るかと思いますが、私は、これにも「不確定要素への恐怖」が絡んでいると思っています。

「かんぺき」「いちばん」だと、どうなのか。
それは、「中間で、調整しなくてよい」「複数の失敗要因を、考えなくてよい」
のです。
かんぺきなら、謝るタイミングも声の出し方も人選も考えなくていい。
かんぺきなら、人に嫌がられないように考えながら質問しなくていい。
かんぺきなら、次にどうしたらいいのか考え直したり、余裕のない頭で調べたりしなくていい。

だから、こわくない。とにかく、かんぺきにしないと、私には、そういうことができない。こわい。こわい。

かんぺきじゃないとき、どういうことが起こるか。
かんぺきじゃないとき、どうしたらいいのか。

それは、「かんぺき」より、よほど柔らかすぎるぐにゃぐにゃで曖昧で、そして複雑に、多すぎることなのです。

少しづつ「なぁんだ、大丈夫だ!」を増やす


しかし、やっぱりバスに乗れなかったり、かんぺきじゃないとつらいというのは、不便です。
そこで、ほんとうに少しづつですが、やはり「大丈夫だった、不確定でも、なんとかなった」経験を増やすことも必要です。
また、これも少しづつ、その人のキャパシティの許すかぎりですが「手順的な知識・体に覚えさせる知識」を増やすことも効果があると思います。

この記事で私が作成したカードも、そういうことの一環です。カードという方法を思いつけたことは、今回、大きな収穫です。
そういえば、「発達障害者の鞄はモノが多い」のも、「(究極的には)何が必要になるのか見通しがつかない」不安の軽減でもあります。

いつもおなじ、は、安心するけど、崩れたときが大きすぎる。挑戦したいことが制限されすぎる。
そのバランスをうまく取りながら、いろんな人に助けてもらいながら、安心してできること、過ごせる場所を増やすと、不安が減ってゆくかなあと思います。


「いいんだよ」と「教えてあげて」ほしい


発達障害のある人は、こういう「ちょっとした大丈夫」とか「遅刻したってちょっとくらいへいき」みたいなことが、とても理解しにくいです。
学校や大人は「遅刻はいけない」「失敗はいけない」とよく言います。それは正しいです。
けれど、世の中そればっかりではいけない。
「失敗はこの世の終わりじゃないよ」「ちょっとくらいズルしちゃっても、へいきだよ」なんていうことを、自然に子どもどうしで学べない。
そういう「真面目すぎて死にたくなっちゃう子」がいることもちょっと頭に置きながら、様子をみて、フォローしてもらえると、いいなと思います。


でもこわいので

でもとりあえず、通勤は自家用車を使わせてもらえないか、交渉するつもりです・・・。カードがあったってこわいものはこわいんだよー、通勤するだけでへろへろになっては、仕事ができないよー。


2016年11月13日日曜日

聴覚過敏のポスターとカード

聴覚過敏啓発ポスターを作りました


「QuietOn」到着に興奮して、聴覚過敏啓発ポスターを作ったところ、ちょこちょこ使用許可の連絡をいただきましたので、そのことについて、流れない場所に書いておこうと思います。

【ページとしても作成しました】http://morikanoko.blogspot.jp/p/blog-page_3.html

啓発ポスター(A4サイズ)
お知らせカード(だいたいヘルプマークサイズ)

啓発ポスター、つかってください


上記の啓発ポスターやお知らせカードは、当事者でも非当事者でも、使っていただいて構いません。
ひとことお知らせいただけるとうれしいですが、お知らせはなくとも構いません。
また、作者はASDの当事者で、その症状として聴覚過敏がありますが、その他の原因や、体質として聴覚が過敏だ、という人も、遠慮しないで使ってください。

してもいいこと


・自分の特徴に合わせて書き込みをする・アレンジする
・イラストを変えたり、取ったりする
・人に配る(印刷費用・かかった負担を相手に請求するのは、相手の同意を得てください)
・啓発目的で貼る

してほしくないこと


・「オリジナルは私です」と詐称(うそをつく)する
・悪意のある改変をする
・商業目的でお金をとる
・このポスターにない症状がある人や、ポスターに当てはまらない人について「あいつはニセモノだ」などと言い、困っていることを否定する


今のところ、思いつく限りで、してもいいよ、嫌だよ、ということを列挙しました。
これはどうですか?ということがあれば教えてください。



2016年10月28日金曜日

メルトダウン、どうしよう

久しぶりのメルトダウン


久しぶりに、今週の火曜日、メルトダウンを起こしました。
疲れている傾向は感じていたものの、そんなふうになるという予想は全くできず・・・。

メルトダウンの様子については、この記事に動画があります。

私の場合、コントロールできず、丸くなって泣いて寝てしまい、そのまま寝込むしかなくなります。

メルトダウンとパニック


アメリカなどでは、自閉症のパニック(パニック障害の発作とは別のもの)を、メルトダウンとも呼ぶそうです。当事者の間では、その表現のほうがしっくりくるという方もいます。

私は、どちらでもよいのですが、なんとなく

メルトダウン・・・入力できる情報と出力できる情報の差が大きすぎるために溜まった、処理しきれない自分や他人の情報や感情(入力情報)があふれて、器そのものが壊れてしまう。それを、掃除して、人間としての器(のようなもの)を再インストールするまで、発作が続く。
(症状)わーっと泣き叫ぶ、自傷をともなうことも。私の場合「明らかにそれとわかる状態」になる。

パニック・・・刺激や納得出来ないこと、多すぎる情報などが「一時的に」ショートするような状態。一時的な処理落ちで、「器」はそのままに、それをつなぐ線のどこかが断線するなどして、全体にエラーが起こっている。
(症状)メルトダウンと同じものに加えて、固まる、怒るなどさまざま。表面上わからないことも多い

こういう感じに使い分けを感じています。
これは単なる感覚の問題ですが・・・
ただ、治療する上では、理由はそれぞれ、そして各発作ごとに異なるので、区別するのがいいかもしれません。

今回のメルトダウン時


今回は、出勤できず、しかし、欠勤の連絡をいれることもつらく、支援センターに行きました。
そこで、連絡を手伝ってもらい、落ち着くまでそこにいさせていただきました。

二日間お休みをして、木曜からは仕事に行きました。
この、木曜日を乗り切れたことは非常に大きかったです。
そして、普通に「気にしないでね」と迎えてもらえたことも、とても感謝しています。

そして、ちょうどセンター・職場・私での定期面談があり、このメルトダウンについても話題に上がりました。

三者で面談するときには、センターの方も職場の方も話題に出さず、その後、私・センターでの面談で話を聞き、それを、センター・職場で伝達、結果をその後私・センターの二者のみの空間で伝えてくださりました。しかもセンターの方では、火曜日に、担当者で対策がないか少し話し合ってくれたようです。
しんどいこと、恥ずかしいことをむやみに仕事中におもいだすことにならず、非常に助かる対応でした。

職場に伝えたこと


そして、私は、ここで、メルトダウンの発作について、どこまで話そうか悩み、こう伝えました。

・少なくて半年に一度、多くて月に一度、こういう発作がある。
・これは発作のようなもので、具体的になにか原因が有るわけではないので、すぐ対策することは難しい(無菌室にでも入らない限り無理かも)。
・「処理落ちして、再インストール」しているような状態。それが終わるまでは刺激をほとんど入れず、徐々に戻していくしかない。
★こういうときは、連絡が難しいので、電話が難しい。できれば、メール連絡を、メルトダウンの場合は許可してほしい。また、必要以上に詮索しないで欲しい。「だいじょうぶ?病院は?」などの心配もしないで、ただ「わかりました」のみの方が、助かる。

かなり情報をしぼって伝えました。

これ以上のこと(メルトダウンとは?とか、原因様々、とか、、)は、伝えても、理解してもらっても仕方のないことですし、おそらく、現状、これ以上の理解は難しいでしょう。社会全体に理解を訴える必要はありますが、「今ここ」で、全部を理解してもらおうとすると、こじれます。余計に職場に混乱を招いたり、変な気遣いをされるのも嬉しくはないです。「そういうもん」として「ほっといてほしい」のです。

ですから、上記のように伝えました。

そして、「そのようにしてもらっていいですよ」と言っていただけました。

がんばったぞ、私


というわけで、周囲の方の対応もとてもありがたかったですし、私、がんばりました。
えへん。

さて、11月には、「わわわ」に行くことになっています。
楽しみにして、それまでの生活も楽しみたいです。



2016年10月16日日曜日

絵をかくことと待つということ

「わわわアール・ブリュット」にて、スイスに行く作品が決定しました。

http://www.wawawart.com/mori/
こちらで、現在公開されている「日本の美意識」です。

その他の作品は、アップされていません。

私がいままで送ったなかで、一番良かったのがこれということです。審査にてとても褒めてもらえたみたいで嬉しく、そして驚きました。
また、その他のものはあまり良くないということでした。

そういうフィードバックを受けて面白かったです。
一番何も考えないで描いたのが、一番良かったからです。

そして、私にとって絵を描くことは、ストレス解消と同時に、療育的側面が担えるかもしれないなあと思いました。

わたしは待つのが苦手です。
すぐに完成したいし、終わりが欲しいです。

だから、絵をかくのも速いです。

昔から「あわてないでよく見ましょう」と言われていました。

けれど、今回スイス行きになった作品は、結構「我慢して待ちました」!
別の絵を書いているときに、魅力的な模様を発見して、それを描きたくてはじめた作品です。
それ以外に、私にとって意味はありません。
描いているうちに模様が見えてきて、作った部分もありますが、これといって具体的なものをひょうげんしようとしていません。

そのくせ、この作品はペンで描いており、乾くまでかなり待たないと、描いた模様が崩れます。
とっても待つのは苦痛でしたが、他の絵をはさみながら、じりじり完成させました。

一方、他の作品は絵の具です。
乾くのは速いし、乾くまで待たずにバーっとかきだしています。
とにかく頭のゴチャゴチャを出すために、待てないのをそのままにして描いています。
その、粘っていない部分、どこか隙間ができてしまった部分のようなものが、出たのかなあと思いました。

とはいえ、作品がダメというわけではないということなので、たくさんかきつづけながら、どれかが引っかかればいいかなーくらいの気持ちで自由にかきながらいこうかとおもいます。
また、模様のようなものも伸ばしつつ、ぱっとわかる具体的なものも、かわいいものなんかも、かけるようになりたいです。
そういうために、教室にも行ってみようと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私にとって、待てないのは、人生においても、絵においても、こういう、文についても同じです。
そのくせ、考えていることや入ってくることに対しての、だせることはとても少ない。
そういう凸凹があります。

けれど、それだと、いつも人生に退屈して、すぐに人生に終わりをつけたくなってしまう。
わたしの、ゆっくりペースに、自分の脳が合わせられません。

それでいいことも有るかもしれないけれど、やっぱり、やりたいことを全部やるためには、もっと「待つ」必要があるなと思います。

2016年8月15日月曜日

アール・ブリュットの作家として活動すること

まだ頭のなかに絵や言葉やいろいろが渦巻いてしんどいです。
ウィンドウ開きすぎて応答停止状態。
それでもずーっとクリックし続けちゃう状態。
強制終了ボタンはどこ?

そんな状態で、でもだからこそ書きます。

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このたび、わたしは「アール・ブリュットの作家」として契約をしました。

そのことについて、思うことを描きます。

A アール・ブリュットとは


アール・ブリュットとは、芸術の専門教育を受けていない人々のつくる芸術のことで、「生の芸術」「アウトサイダー・アート(アール・ブリュットの英語読み)」などとも呼ばれます。
近年の日本では、主として障害のある人々のつくる芸術について、そう呼ばれますが、もともとは、芸術教育を受けない人のアート、という意味です。

したがって、障害がなくてもアール・ブリュットですし、また、障害があってもアール・ブリュットとはいえないこともあります。

B1 わたしの経歴

わたしは、小さい頃から絵を描くことが好きで、ずっと描き続けています。
専門教育は受けていませんが、高校は美術部で、その先生とは今も交流があります。
また、大学では写真部でした。そして、洋服や小物の販売もしました。

そういう経歴があるため、私の場合「アール・ブリュット」であるかどうか、ギリギリのところだったのです。

B2 私の絵

しかし、どうやら大切なのは「アール・ブリュット」が「生の芸術」である、ということのようです。
少なくとも、「わわわ」では、重視するのは「いわゆる既存の「構図」とか、そういったものを学んでいるかどうか。学んでいると、そういうものが出てしまう」というところでした。

そういったものは、私は学んでおらず、またぜんぜんわかりません。
また、「自分のスタイル」のようなものを確立することも、できません。
かきたいものをきれいに描くのではなく、「みえたもの、さわったもの(一般的な語彙で言う「感じたもの」」をそのまま「移したい(描くのではない)」からです。
いつもおなじ形でみえることはありません。

だから、アール・ブリュットとしても、ありかもしれません。

B3 助けがほしい

私はコミュニケーションが苦手です。
私は何かをするときに、ふっと固まって、簡単なことでも「できない・・・」と混乱します。特に、やったことのないことは、知識は充分にもっていて、できることもわかっているのに、なぜか、パニックになってしまいます。

したがって、自分の作品、特に「絵」をを売り出したり展示したりすることができません。今までやったことのあるものは、運や他者の大きな助け(というか、代行・・・)です。

そこで、助けがほしいのです。

B4 お金と、自由にかける環境がほしい

そして、お金がほしいです。
死んでから評価されることに興味はありません。
そういう悲劇の大芸術家になるのは別にいいです。

また、大きな絵やたくさんの絵は、描いた後邪魔です。
飾るにも限界があります。

そこで、売れて、保存してもらえるなら、それはたすかります。
そうすることで、心置きなく描けます。

Bまとめ だから、わたしは契約した

だから、私は自分を「わわわ」に、すなわち自動的に「アール・ブリュット」の位置に置くことにしました。
「わわわ」は、「障害者が芸術で収入を得る」ことを、けっこうストレートに宣伝しています。「社会貢献」とか「心の綺麗な絵」なんていう、ことではなくて、「いいものを売って、生活する」ことを、きちんと表明し、支援してくれるようでした。

だから、わたしは、この風に乗って、浮かんでみることにしました。

プカプカたこになろう。
きょうもプカプカ、無理せずプカプカ。

大丈夫!
「わわわ」の先生は、そう言ってくれました。



風をつかまえた?(3)

前回よりの続きです。

1:風をつかまえた?(1)
2:風をつかまえた?(2)

楽しいこと、見たもの、思いが多すぎて、情報量にアップアップしています。
もっと思う所があるのだけれど、とにかく今言葉になる部分を言葉にして、クールダウンしています。

4.「わわわ」へ


さて、「わわわ」は、特急くろしおに乗って「御坊」まで向かいます。

「御坊」は、「ごぼう」と読むそうです。
「安珍清姫」の舞台です。

わたしは、「おんぼう」と読んでいました。
しかも、その間違った音のイメージのまま、絵までつくりました。




















「おんぼうさん」です。
ありがたい感じです。

「ごぼう」と聞いた瞬間、完全に野菜のゴボウにイメージを乗っ取られました。




















大変申し訳無い感じのイメージに変貌してしまった「御坊さん」。

さて、その他にもイヤーマフのことや靴のこと、その他色々話しながら御坊までやって来ました。


5.「収入を得たいか」


御坊駅にて、如月さんの友人、Nさん夫婦が迎えに来てくれました。とってもありがたい!
そうしてすずしく「わわわ」に到着。

絵を一通りみて、如月さんが話しておいてくれたTシャツお絵かき体験を、私も一緒にやりました。
その途中、引っかかっていた「私は芸術教育を受けたことになるのか」ということを相談しました。
結果「とても微妙」な感じに。そして「あとは、自分で決めること」というふうになりました。つまり、「わわわ」側としては、私の意志があれば、OK。
ということで、アール・ブリュットとして、応募したものは、有効になりました。
これで、一応のところ私の目的は果たしました。
あとは気ままにお絵かきしていました。

気づくと、私の絵を、代表の玉置さんが見てくださっていて。過去の絵もついでに見せました。
「おもしろい絵を描くね」
と言われたので、必ずおもしろい(と彼の言う)絵がかけるわけではないことを説明しました。
「スタイルみたいなものは、つくることができない。だから、プロはできない。困るけど、そのときに見えたものをそのままうつしたいから、そのときによって全く違う。こういうのも、こういうのもある(過去の絵を見せる)」
というようなことを言ったと思います。
そして、過去の絵をみた玉置さんは静かに質問しました。

「絵をかいて、生活したい気持ちがあるか?」

わたしは、現実的な人間だけど、やりたいことも絶対にやりたい、ややこしい人間ですから、こう答えました。
「生活できないかもしれないけれど、絵が収入になったらありがたい。そして、絵をいえにずっとおいておくのは邪魔だから、そうなると、たくさん絵をかいても大丈夫、大きい絵も、大丈夫。それは、とてもありがたいです。」

すると、玉置さんは「わわわ」の育成コースの話をもちかけてくれました。
如月さんが所属する、通信育成コースです。

「ノルマはない。好きに描けばいい。ここには、来なくてもいい。1年に一回、こうやって来るだけでもいい。」

とのこと。
家に帰ってじっくり考えてみては、とも言われましたが、私はその場でサインしました。
きっと私は、じっくり考えたって、入るだろう。
だったら、頭の中にあるタスクは、少なくしておくほうがいい。
それに、楽しいことは、すぐにやりたいのだ。

そういうわけで、私は、「わわわ」の登録作家となりました。

アール・ブリュットの作家として活動することについては、もう少し、別に記事をたてようと思います。
応募作品を飛び越えて、本人が先に来ちゃった。
そして、先に登録が決まった。
なんて、今後あるかな?
面白くて、自分でも笑っちゃいます。

このとき、忘れていたお昼兼夕食に、ホットサンド(とてもおいしい)と、ジュースをいただきました。Nさんのだんなさんが支払いを済ませてくれました。ありがとうございます!
そして、このあとは頑張って帰るつもりでしたが、「無理だろ−!」と皆に言われ、止まるところを探していると、Nさんのご好意で、一晩ご実家を提供していただきました。
そこの犬さんとも仲良くなりました。
本当に助かりました。初対面とは思えない、皆さんの優しさにたくさん助けられます。

次の日は、如月さんの案内で和歌山観光を少しして帰ることに。
朝、Nさんに和歌浦ドライブをしてもらいました。
どちらも刺激いっぱいの会話と景色の色、すごくうれしい、がいっぱいで、頭も体もわんわんしました。

さて、新たにつかまえたような気がする風に、乗れるか?
ゆっくり、ゆっくり、でも、衝動も大切に、進みたいなと思います。

衝動は、危ない面もありがますが、きっと、本能とか感覚とか、たくさん感じて、「いまだ!乗れ!」って言っているのでもあるから、大切なものでもあるのでしょう。

グリーンソフトはさわやかなお味で、余韻に浸りながら帰りました。


おわり


【写真いろいろ】

 

 
































風をつかまえた?(2)

続き記事です。
前回:風をつかまえた?(1)

2.出発したはいいけれど


そういうわけで、乗りました、電車。
和歌山県・・・関西。
どうやら調べると、京都や大阪を経由することになる。

ということは、だいたい京都に行く感じになるんだなー。

そんなふうに思っていました。
ちがうと分かっているのですが、感覚的に、そこまでしか掴みきれないのですね。

京都は、JRでずっと乗っていけばいいので、いけます。
大阪も、同じです。

しかし・・・

なんだか、予想より遅いな。

如月さんとの会話もなんだか噛み合っていません。
私がなんだか、遅い。

京都は、思ったより遠かった。

そして、和歌山も。

合間に水だけは摂取して、お昼ごはんのことは忘却。
とりあえず3,000円あれば京都までは行けるので、その後旅費をテキトウに引き出し。

気だけがせいて、電車ですわっているのに、走っているかのようにそわそわ。
予定より1〜2時間遅れて、到着しました。
如月さんの協力、フォロワーさんの応援?心配?に助けられました。ありがとうございます。

さて、この時点で「日帰り」で行くつもりだった雲行きは怪しくなりました。
そりゃそうだ!
朝早く出たって、難しいくらいかもしれません。

まったく、なぜこうなっているのか。不思議ですね。

3.如月さんと対面!


如月さん、途中の特急「くろしお」内にて、私の隣の席を確保してくれました。
ありがたいです。他にも、「わわわ」代表さんと急遽連絡をとって、夕方の時間も開けてもらったりしています。
本当に私は人に恵まれて生きているなあと思います。

当初、「わわわ」についてから、また如月さんに会って、結局どきどきのあまりうまく話せないのではないかと、最低限の質問メモや、旅で感じたことの絵をちょこちょこと電車内で描いていました。
それも一役買い、大きかったのですが、結局、如月さんとは会ってからずっとおしゃべりが止まらない!
感覚的・特性的な部分の説明をある程度省いても通じ、互いにある程度頭の回転スピードもある(ただし、後から気がつくこともたくさん)ので、気持よくおしゃべりが進みました。

大学を卒業してからは、こんなにちゃんとお話のできるお友達ができるとは思っていませんでした。
大学がおわったって、面白いことは終わらなかった!
よかったなあ。
これからも生きてたら面白いことに出会えるんだ。

さて、いよいよ「わわわ」に向かいます。


2016年6月24日金曜日

未来は明るい

私は最近よくクラウドファンディングのウェブサイトをチェックしています。
ひとつ、注文しました。
もうひとつ、気になっているものがありますが、今は様子をみています。

また、WIRED.jpというウェブサイトもチェックしています。

これらは、新しい技術やうつくしいものを紹介してくれます。
またクラウドファンディングでは、購入することもできます。購入代金が直接、運営資金になる仕組みなのです。

発達障害があると、日常生活に不便があります。
ものごとを忘れやすかったり、いつも不安が多かったり、世界の感じ方が極端だったり異質であったり。

これまでは、それはどうすることもできなかったり、自分でなんとか工夫する必要がありました。
けれど、現代・そして未来は、たくさんの工夫や技術があります。
それは発達障害者向けであるものもあれば、そうでないものもあります(発達障害者向けの工夫が一般にもやさしいことは、よくある話なのです)。お薬の研究や脳の研究も進んでいます。
今はしんどいことも、未来は、期待しちゃってもいいんじゃないかな?

と、ちょっと明るい気持ちのときは、思っています。


【今注目しているものもの】

・ウェアラブルデバイス各種(iWATCHやMEME)
…特に「MEME」に期待しています。腕時計はうっとおしくてつけるのが嫌だということもあります。できればコンタクトレンズ型になってほしいところです。
…体調管理・色を利用した感情の読み取りおよび視覚過敏への対処(阪大・東大の研究応用)ウェアラブルとアドレス帳のひも付けによる相貌失認への対処・読字補助・つるの部分で聴覚過敏対処・必要に応じてアラームやタスクの表示 などができそうではないかなあ。
…リアル「電脳コイル」的な世界。

・ワイヤレスノイズキャンセリングイヤホン「QuietOn」
・エクササイズキット「HOVR」…体幹の弱さ補助およびADHDの集中補助にならないかな?

2016年6月14日火曜日

文房具、ノート、ペン、手帳

道具が好きです。
文房具も好きです。

憧れのもの、使いやすいもの、色々試しています。
そのなかで、「手帳/ノートの使い方」について書きます。



以前は手帳ヘビーユーザ


予定の把握・記録のために手帳やノートを使っています。
以前は
・市販の手帳
・ほぼ日手帳
・作家もの

などを渡り歩いてきました。
一番長く使ったのは、「ほぼ日手帳」です。
大学生のときに、重宝しました。
毎日時間割が異なり、放課後の過ごし方も異なる。
アルバイトの時間もある。
趣味と研究がつながることもよくある。
博物館のチケットも貼っておくことが出来る。

そういう生活にはうってつけでした。細いジェットストリーム(ボールペン)が書きやすいのも、良かった。
今でも、その手帳は表紙に好きな紙を貼って残しています。

けれども、今は、一応週に5日、外に出て、決まった時間働いています。
そうすると、毎日のやることはほぼ決まってきます。帰宅後は疲れて出かけられません。
守秘義務があることや、内勤であることもあり、「会社のことは会社のなかで完結」します。そとに持ち出す必要もなく、また持ちだしてはいけませんので、会社のメモやカレンダーに書き込んでいます。そのほうが、私の特性上、精神的にもよいです。

すると、手帳に書く予定が少なくなります。
そして、手帳に書き込みが毎日できない、埋まらない、ということが、私はすごく嫌です。無理に埋めたくなり、苦しくなります。

書き込む「予定」がたくさんある場合は、また手帳を使うかもしれません。



「無地ノート+タイムライン付箋」



さて、そこで現在は「無地ノート+タイムライン付箋」の使用に落ち着いています。
上の写真のような感じです。

ノートも、A4コピー用紙・モレスキン・クロッキー帳と渡り歩きました。どれもとても好きです。今でもそれらも使用します。
メインで使っているのが上写真のものです。価格と紙質、色などのバランスが私に合っています。


この「MIDORI MDノート 無罫」を使っています。
これなら、「埋めなきゃ」という切迫感がありません。
また、罫もないため、目がチラチラせず、好きに空間を使えます(罫のあるタイプや方眼タイプもあります)。
スキャンして画像にするときも、比較的きれいです。モレスキンより低価格で、セールでなくても買えるので、気負わずガシガシ使えます。紙とペンのこすれる音も嫌な音がしにくい気がします。落書き帳、アイデアノートとしての用途がメインです。アイデアノートって、それ用に作ってしまうと、なぜか何も出てこなくなるので、落書き帳や、ただのコピー用紙が好きなのです。

それから、「タイムライン付箋」。こちらはもう廃盤になってしまったので、今後同じものを見つけたいと思っていますが、無印良品のものです。できればこういう何も飾りのない、色のきれいなものがいいのですが、同じような付箋がキャラクターものしか見つかりません。
時々、予定が1日に複数入ったときに使用します。付箋なので単体でも、貼り付けても使えます。ノートではないところに貼っておくことも多いです。


一週間以上先の予定はデータ管理


さて、ふせんとノートの組み合わせだと、あまりに先の予定の管理や時間間隔は把握しにくいです。
けれども、あまり意識しすぎて頭の中をそのことが圧迫するのも好ましくないです。
そこで、「一週間以上先の予定は、スマホのカレンダー管理」しています。
そして、必要に応じてアラームがなるようにしておきます。
これで、「忘れても大丈夫」と自分に言い聞かせます。
予定のための準備についても、別で予定に入れたり、リマインダーアプリを使います。

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このように、手帳・・・というか、ノートを使っています。
カレンダーのある手帳も好きです。

また、ペンは「ステッドラーピグメントライナー」を中心に、LAMYのサファリEF、鉛筆、ジェットストリーム、ゴリゴリ書ける安いボールペンを気分に合わせて使います。ピグメントライナーが一番よく使います。

文房具について、道具についての話がとても好きです。
目盛りのあるものが好きなのと、感覚は同じです。

【その他関連する感覚の記事】

2016年6月11日土曜日

「興味の限局」、内と外

「興味の限局」とは(外)


発達障害、特に自閉症スペクトラムの人にあると言われており、DSM−5における診断基準の1つとしてもあげられているものです。
生活全般に対してバランスよく興味関心をもつことがなく、興味のあることだけに熱中する傾向を指します。興味のあることに熱中する、ということは誰にでもありますが、生存行動・社会生活・コミュニケーションにも大なり小なり支障が出るような「病的/障害的なもの」である場合に、「興味の限局」として、医療や福祉の分野で扱われます。

自閉症の重い人では「ミニカーを並べ続ける」「水を眺め続ける」などの行動がよく例としてあげられ、程度の軽い人でも「いわゆる”おたく”」のような行動や、「こだわり」と言われることもあります。

自分に「興味の限局」があると、自覚できない(内)


私は先日のカウンセリングの流れで「自分に興味の限局があると見立てられている」ことを知りました。
自閉症スペクトラムの診断を受けているので、理解していたはずなのですが、意外に思いました。そして、少し考え「いわゆる定型発達の社会からみると、”興味の限局がある”と見立てられること」は理解できました。けれども、やはり自分ではそう思えません。

むしろ、「わたしは世界のあらゆることに興味がある」と思っています。
興味の幅が非常に広い人間だと思っているのです。

私の興味(内)


私は、世界のこと、文化のことを、知りたいといつも思っています。
自分の発達について、他者の発達について、社会について、人間といういきもののついて、動物について、ことばというものについて、ものをつくること、すべては、「世界とは何か?」「どうして世界はこのような有りようなのだろうか?」といった問題に還元されることを感じています。その手がかり・足がかりが、先に上げた「自分の発達について〜」等の小テーマなのです。自分の足がひっかかりやすいテーマが、たまたまそれらであるために、それを通じて、世界のありようを見極め、仕組みを解明しようとしているのです。

心理士さん曰く(外−内のつなぎ)


心理士さん曰く、「研究者は自殺率が高い。研究者は、まさにあなたの言うようなことに興味を持っているが、それは興味が限局しているんだよ」「大学院生が病むのも、1つのことばかり考えているから。」とのこと。

また、興味が限局していると、うつになりやすい傾向もあるそうです。気晴らしができにくいからですね。
したがって、自閉圏の人というのは、うつのリスクが高いことになります。意識的にリスクマネジメントをする必要があります。(発達障害に限らず)障害児療育で「余暇の指導」をすることも、このあたりの意図があるのかもしれません。
だから、心理士さんは「色んな楽しいことをやってください。あなたは、興味の限局がみられるから」という意図の話をされました。そこで、この記事のことを発想したのです。

ただし、私が「興味の限局」を無理に直すと、その分「本当の私の興味(上記)」の達成に支障が出て、それはそれでうつリスクになります。したがって、「興味のあることを思い切りやるための環境を整える必要がある(前回記事参照)」ということになるのです。


さいごに


そういうわけで、「外側から見たら」私には興味の限局があります。しかし、それは「内側から見たら」正反対なのです。
むしろ、私に言わせれば「みんな、興味の幅が狭くないか?楽しいの?」とさえ思います。むしろ、気になることがありすぎて、生活するための行動が邪魔くさいほどに、興味があるのです。
一般社会とのズレがあるだけで、「限局している」わけではないのではないかと思います。
そして、それが私の世界(感覚)のすべてであり、きれいに完結している世界である以上、興味の限局を理解することはできても、ほんとうの意味で、外側からの自覚をすることはできないのかもしれません。

「内側から見た自閉症」というウェブサイトがありますが、そういう「内側の世界」をもっと追求してまとめたいです。それは、世界のありようの一端だからです。


カウンセリング−いろいろ飽きちゃった私

カウンセリングでした。
今回は、投薬確認がすんでから、進路についてと、うつの治療について。
問い合わせをしている団体の連絡がうまく行っていないので、病院サイドで動いていくようです。
投薬については、前回の記事で紹介した「携帯にポケット設置」を見せました。これは診察でも見せて、先生方が「sinjimoru」を欲しがっていました。Amazonで買えます、と言いました。

【進路について】
やりたいことをしたいのに、少ない体力を「定型社会に合わせる」ことに使わざるを得ない現状があります。
うつの治療のためには、「興味の幅を広げる」「やりたいことをやる」ことが大切なのですが、「興味の限局」のある私がこれを同時にやると、「興味の幅を広げて、生活する」だけで、手一杯になってしまいます。
けれども、私の中では「興味が限局している」自覚がなく、むしろ「興味は広い」と感じます。そして、その興味に関することができないのは、余計に疲れます。

心理士さん曰く「あなたの場合は、興味の限局があって、それにしたがって行動することが、健全であり、健康に必要。そのために、思う存分興味のあることを出来る環境を整える必要がある。PSWさんと協働してやっていくけれど、あなたも、自分の興味をはっきりさせてね」

【認知行動療法】
何回かやっているのですが、そのたびに別のことが持ち上がって続いていません。
今回はそのため、改めて説明を受けました。
ゆえに、「知ってる〜」と言う感じで、割りと飽きてきてしまい、思考も話も、それ気味。心理士さんにうまく舵取りしてもらいつつやりました。

そして、それまでの認知行動療法で感じていた「感情語を扱うことについての私のモヤモヤ」を、このまとめで説明しました。
→高機能ASD児童の抽象概念の把握の速さと感情の言語化の苦手から、大人の療育までTLまとめ

社会でやっていくためのツール・選択肢として認知行動療法をしているし、効果もあるのはわかっているのですが、それでも「そればっかりで、自分の言語で表現できない、わかってもらえない」ことがしんどいということを伝えました。

すると心理士さん「懐かしいな〜」。
どういうことかと思っていると、「大学院生の頃、偉い先生に噛み付いてメチャクチャ怒られたんだよね〜。療育って『あなたはまちがってますよ、こういうふうにしなさい』ばっかりなのって、間違ってる!、って噛み付いたの」
とのこと。

まったくヘンで良い先生にカウンセリングを受けさせてもらえていて、幸せです。
まあとりあえず、知ってて損はないから、ちょこっとやってみましょう、ということに。
そして、うまく行かなかったらべつのやり方に切り替えるので、心配はいらないとのこと。

今回はこの2点についてがメイン。
色々飽きちゃっている私は、机に空いているコード通しの穴をずっと触っていて、壊してしまいました(もともと外れる仕様だったので簡単に直った)。
そこから「狭いのは好き」という話を少しして、「ベッドももっと小さくてイイ。それがいい。包まれて圧迫されたい」ということを話し、京大の「人類の進化ベッド」が欲しいことを話しました(本当に欲しいので、無印良品あたりで商品化してほしい)。これはいいねえ!とちょっと盛り上がりました。
のちのちカウンセリングを何度か再生しているうちに「興味の限局」について考えが浮かんだので、別の記事にしようと思います。


「ストレスばかり摂取しているのは、アルコールばかり摂取しているようなもの。脳が壊れてしまう。なのに、脳がストレスを求めるようになってしまう。バランスよく行動を摂取しましょう」のイラスト。カウンセリング中にこういう話を聞いたので、自分なりに理解するためにその場で描きました。


2016年6月10日金曜日

やめたい癖

私をねこ、母をうさぎに置き換えて、例を書きました。




このとき、私は「今日どうしてもカレーが良い」と思っているわけではありません。
母の微妙な返事に困って、はっきりして欲しくて、質問攻めにしています。

どうでもいい質問なのに、特に家ではこうなります。
おそらく、甘えて「思い通りにならなかった(=答えてくれない)」ことに、軽いパニックになり、「相手の立状況を考えないわがまま」になっています。なんなら「あとでね」でも良いのです。とにかく、自分の疑問に対するその場の答えが出れば、良いのです。微妙な反応によって、つぎの行動への切り替えにエラーが生じています。

自分でも「どうでもいい」とわかっているのに止めることが困難です。
体の自由が効いていなくて、意図しないわがまま行動として出ている、という感じです。

今まで、この行動がどういうことなのかわからなかったので、意識の舞台にのぼって居ませんでしたが、今日、急に「あ、これは軽いパニックになっているな」と「パニック」という言葉を与えられ、舞台にのぼることができました。
前から、やめたいと思っているのに、意識に上れなかったのです。

うーん、やめたいです。


2016年6月5日日曜日

「障害者になる」ということ



「障害者になる」ということではなく「障害者」というわくの中にある選択肢に、手が届きやすくなるための、箱、ないしは足がかりをもらった、と、そう捉えられると良いと思います。
基本的に私はそう捉えています。言葉として混沌を単純化し、独立させることは良くも悪くもあるけれど、必要ならば使った方がよいでしょう。もとは混沌なのだと忘れないようにしながら。

私は障害者と呼ばれることもあるけれど、私の全ては障害者ではない。
そのシールは、私が、障害者という箱の中にあるものを利用するためのチケットでしかない(※)。

けれど、他者には「自分が障害者である」ことをいえません。
特に、親には言えません。
それは私をすこし苦しめ悩ませます。

けれど、必ずしも公表する必要はないので、よいのかもしれません。

自分の属性や持ち物を、公開する必要は、ありません。それを選ぶのは自分です。

属性に関係なく選択が可能で、それを批判したりリンチしたりせず、他者に干渉しない世の中になってほしいと思います。

ただし、枠組みというのは社会のためにも個人のためにもある程度必要で、枠組みとの付き合いは苦手なものの、私にもとても必要なものです。有る方が安心でラクなことはあります。
そういうことを良くも悪くも認識しつつうまく利用しなくてはなあ。


(※)かといって「得をしたい」とか、そういう理由で障害者になることはできません。その人の属性や能力によるものですし、また手帳の所持とそれとは別の問題ではあるけれど、もし手帳をとろうと思うなら、厳しい審査があります。甘くはないのです。

2016年5月30日月曜日

「助けを求められる」仕組み

Twitterでちらりと見かけた「助けをもとめる」ことに関する考え方に関して

・助けを求めることに気負いが有るASDの人。なぜ?
・助けてもらうということは、それを返さないといけない
・そんなのは無理。いつかまわりまわって行けばいいな、という風でいいのに。

といったつぶやきが流れてきました。
それに対して

・そう言えるのが「自己肯定感」だよな。
・「まわりまわって返せる」し、そういう経験を積んでいるから、助けを求めることに気負いがあるんだ。返せないんだ。

というような意見。

私は、どちらも理解し、しかし後者寄りの認知をもっています。
そうして考えて、「助け・助けられる」しくみは、「融資」に似ている。と思いました。

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融資のしくみをかんたんに図解しました(シロウトの図で、完璧に正しくないです。注意)。
融資とは、お金をかりることです。
「与信」とも言います。「与信」とは、「信用を与える」ということ。「あなたを信用して、お金を貸しますよ」ってことです。

信用して、お金を貸すためには、「返してくれる保証」がないといけません。
それが、「担保」や「協会保証」です。万一のときにこれらを利用して精算できるように、しているのです。同時に、「きちんと返せる実力がありますよ」という証明でもあります。
それから「今までにお金を返せなかった経験がないか」「犯罪を犯したり、反社会的行為に関わっていないか」も確認します。大きなリスクになりますので、こういう場合、お金を貸したり、また、そもそも「貯金」としての利用もできないでしょう(みなさん、通帳をつくるとき、「反社会的うんぬん」みたいな念書にサインしているはずです。まあそんなの当然ないのでサクッとサインできちゃう、という人は、きっと覚えていないでしょう。アタリマエのことって意識しにくいです)。

これが、「貸すお金の量」と釣り合ったとき、お金を貸してもらえます。

(※)これ、「大変・・・」に見えると思いますが、別に銀行は、お金を貸したくないわけではないし、借金を悪いこととも思っていません。おそらく、個人でも会社でも「ローンを組んで大きなものを買う」とか「融資を受けて事業拡張する」ということはわりと一般的で、むしろ借金のない会社(特に会社は)・個人というのは少ないと思います。
そうやってお金を貸したり借りたりして回して増やして、「互いに信用(とお金)を増やしましょう」というふうな考え方が、「与信」です。(※)

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さてここからが本題。
これと、「助け・助けられる」ことは、相似に見立てることができるのでは、と思うのです。


おなじ図ですが、文字を変えてあります。
「助ける・助けられる」関係というのは、必ずしも等価交換ではありませんし、「助けられた相手を次は助ける」というように、必ずおなじ人に返すものではありません(これは融資とは違いますね)。

けれど、「助けるとき・助けられるとき」ともに、「担保を審査」しているのではないかと思います。

・これまでに、助けたり助けられたりをうまくやってこれたか?
・友人は、万一のとき仲間になってくれそうか?(フォローしてくれそう?)
・役立つ得意分野があるか?

など、特に「これまでの助け・助けられ経験」がうまく行っているかどうか、というのが主な担保として働いていると思います。
だから「やらかしてばっかりのやつは、助けを求めにくい」。自分が借金を返せるアテや、保証人のアテ・担保となる資産のアテ・今後の収入の見通しがないのに、借金をしようと思いません。同じように、「今後自分が他人の役に立つ見通し」がもてないと、「助けを求める」のはためらいます。「たすけられっぱなし」ではお互いに苦しいのです。

「いいよいいよ」「いつも助けてもらって、ごめんね〜」なんて言っても、そこはやはり審査して助けあっているから、多少、いっとき自分の「助けられ量」が増えても、軽く謝って流せるのです。「助け量」ばかり増えても、「返ってくる見込み」があれば、さほどムカついたり・不当に思ったりしないでしょう。
そして、この「担保」は「自己肯定感」の一部でもあるのではないかと思います。

それから、「いままでのやらかした経験」。
今までに大きな失敗を何回もしていると、もうその時点でかなりマイナスになります。これを取り返すのはかなり大変です。助ける方も「あいつ、またヤバイことになったらめんどくさいし、迷惑」って、おもってしまって、お互い助ける関係になりにくい。
そして、こういう経験が少ない人(定型発達の人など)は、「こんなこと考える必要がない」ので、ホイホイサインできて、ホイホイ借りれちゃう、助けを求めることが簡単なのです。

学校の保護者どうしなどになると「子どもの担保と自分の担保を合算」して「いつも息子がお世話になってるもの、いいのよ〜」なんてできたりしますね。
この仕組はお金をかりるときにも「家族の収入を合算」のように使えます。しかし、どちらの場合も「逆もありえます」。

ーーーーーーーーーーーーーーー

と、こんな感じで、「助け合う関係」は説明することができないかな?と考えました。
ところが、定型発達の人や、今まで助け・助けられる関係をうまく築けてきた人というのは、こうは思いません。「本当に思わない」から、まったく理解できないのだろうと思います。仕方がないことなのだと思います。
それは、(※)で挟んだ段落と、相似な関係なのだと思います。

「自分の担保の存在が当たり前すぎて、自信があるために、ためらいがないし、それを当たり前に感じる→他人がためらっているのが理解できない」

のだろうと思います。
「お互い助けあって、みんながどんどん幸せになる」ということが、もう体に染み付いているのですね。

もちろんそれはいいことです。
けれど、こうやって仕組みを考えるのは面白いです。
そして、こうやって考えてしまう人がいることも、知ってほしいです。

そして、そうすることで、「どうしたら互助の仕組みに乗れる人が増えるか」考える助けになると良いと思います。

融資できないけどお金に困っている人が使えるのが、福祉や公的な支援。
助けを受けたいのに一般社会では難しい人が使えるのが、福祉や公的な支援。

ここも似ていて、面白いです。
でも、福祉以外でも、「担保となる能力」を見つけて磨いたり、方法がもっともっと出てきて、一般的になるといいと思います。

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・・・ってか、「お金」というもの自体「信用の可視化」なんだから、相似な関係になるのは当たり前じゃーん、と、ここまで書いて思いました。悲しい。




2016年5月2日月曜日

”未診断”・発達障害”疑い”、そして、”発達障害でなかった”人へ。

今回の記事は表題の方にむけたものを書いてみようと思います。
けれど、当事者の方にも読んで欲しいです。


発達障害の診断は、半年以上かかると予想して


「もしかしたら、自分は発達障害があるんじゃないか」と思っても、今は、まずクリニックの予約をとることさえ大変です。そんなふうじゃないと良いのですが。

そして、クリニックの予約(予約制ではないところもあります)ができたら、さて、診察です。

「はい、あなたは発達障害ですね。じゃあ、これを飲んだら楽になりますからね〜」
「はい、診断書書きますね〜」
「はい、年金出ます」「手帳とれますよ〜」

と、こんなふうにはいきません。
こんなに簡単に結論(ではないのですが、便宜的に・・・)を出してしまうクリニックは、もしあるなら危ない気がします。

発達障害の診断は、本人への問診、生育歴のチェック(本人の幼少のころのことを話すことのできる人が1人以上いると、望ましいが、なくてもよい)によって出します。

しかし、特に「これまでどうにかこうにか生きてきた」成人の場合、その「頑張ってきたこと」のために、「一見、そうは見えない」ことが非常に多いです。多動・会話の噛み合わなさなどの「ぱっと見てわかる言動」を「我慢」「学習」でおぎなうことができてしまい、しかし本人はとても苦しんでいる、ということです。
また、「会話の噛み合わなさ」といったコミュニケーションの問題に関しては、よほど重度でない限り「1対1」の場面、また「診察室=何をするか決まっていて、整理された空間」においてはすぐにはわかりにくいように思います。

また、二次障害がある場合には、それとの切り分けが難しい場合もあります。

・うつ病
・統合失調症
・愛着障害
・いわゆるAC
・パーソナリティ障害

などでも、発達障害に、一見似ている症状をみせる場合があるようです。
「二次障害が完治したら、発達障害の診断」というのが理想のようですが、そうは行かないので、長い期間を掛けて、診察して、診断が出ます。

すぐに答えが出ないのは、発達特性(とおもわれる性質)をもつ身には、とくにつらいと思います。ちょっと、がんばる必要があります。

WAISは診断に必要ない


これを、時々間違えている場合があります。
成人の発達検査で、WAISはよくつかわれます。
「発達クラスタ」にいると、とてもよく出る名称です。

発達障害の診断において、この検査で出る能力のバラツキは、非常に参考になるようです。

しかし、これは、診断に必ずしも必要な検査ではありません。
また、WAISの結果だけで「発達障害か、そうでないか」は、確定されません。

ですから、
「WAISの結果的に、あなたは違うよね〜」
って言われたら、おかしいです。
別の病院を検討してもいいかもしれません。

ただし、何気なく「WAISからは、違うように見える(けれど、実際は発達障害がある/確かに、発達障害はない))」と、カッコの中を省略して言うお医者さんもいるかもしれません。よく確認してみましょう(ただ、こんな省略は、発達特性のある人にはとくにしてはいけないと思います。そうでなくとも、診療で、こういう言い回しは、よくないと思います)。
また、WAISを実施したり、結果を教えてくれるのは、心理士さんの場合がありますが、心理士には診断はできません。ですから、心理士がなんの準備(私がいうことは診断ではないよ、という表示や、医者と意見が一致しているかどうかの表示)もなく「あなたは発達障害ですね/違いますね」といった発言をした場合、それはおかしいです。



発達障害と診断された後は?


いよいよ、診断です。
仮に、ここで発達障害と診断されたとしましょう。

次にどうするか?

それは、自分で考えなければなりません。
それが難しければ、「どうしたらいいかわからなくて困っている」ことを、医療者や支援者に伝えるなどして、どうにかやっていく必要があります。

これについては色々ありますが、とにかく「その後もどうにかやっていかねばなりません」。

発達障害じゃなかったら?


大丈夫。あなたは、甘えているから、診断を望んだわけではありません。
気になったら、確かめたいのはあたりまえですね。
予想と違ったら、びっくりしますよね。

発達障害ではないよ、となった後、「でも、つらいよ」と思っていたら、そのまま診察なりカウンセリングなりしてもらって良いと思います。だって、あなたは困っている。

どんな理由だろうと、困っていたら、助けてもらえばいいのです。
あなたは大丈夫。

発達障害ではないとしても、発達障害の人が用いる道具や方法であなたが楽になるのなら、もちろん使って良いのです。

もし、発達障害の診断を求めた病院が、「発達障害専門」「児童精神科」のようなところなら、別のクリニックを紹介してもらうように頼んでもよいでしょう。うまく頼めなかったら、後で連絡してもいいし、また初診で別の病院に行ってもいいでしょう。診断が出なくとも、自覚が有るのなら多少、発達障害の知識もある病院で、診てもらうと、いいかもしれないですね。


セカンドオピニオンもありです


一度、診断が出なかったからといって、納得できない場合は、セカンドオピニオンももちろん大ありです。
自分の体の事ですし、医師との相性もあるので、納得のいく診療を受けましょう。

「一度目の病院で、かぜだと言われたけど、別の病院では、肺炎だった!」なんてこともあります。

それとかわりません。上の例は、甘えているでしょうか?甘えていません。

診断がでなくても、支援を受けられる場合がある


ピアサポートや当事者会では「診断の有無を問わない」場合もあります。
公的な機関については、わからないのですが、問い合わせてみても良いかもしれません。

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以上、グレーな人や、疑い、発達障害じゃなかった、という人は、「どうしたらいいかわからない」のかもしれないな、と、最近思ったので、書きました。



最後に・発達障害の診察ができる病院


各都道府県の発達障害支援センターに問い合わせると、教えてくれます。

また、イーライリリーの「ADHDが診断できる病院検索」も良いと思います。ADHDが診察出来る場合、発達障害の知識がそこそこあるということなので、ASDを疑っている場合も、問い合わせてみると、OKの可能性があると思います。このウェブサイトは、ちいさなクリニックも検索に出るので、すぐに診察を受けられることもあるのが、いいところです。

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みんなが楽になればいいんだよ!