2015年11月25日水曜日

自閉症・コミュニケーション・オキシトシン

オキシトシンがコミュニケーションの困難を改善することが少し前話題になりました。

NHKの記事
「うちの子流」記事
使った人の感想

などなど。

「オキシトシン、使いたいですか」なんて命題も話題になったりしました。

これはこれで議論があっていいと思いますし、思う所があるのですが、なんだかもやもやしてこの話題についていけなかった私です。
それは、なぜかというと、「自閉症はコミュニケーション障害ではない」「自閉症の核はコミュニケーションではない」と感じているからです。

もちろん、まだ研究段階ですし、自閉症がコミュニケーション障害だとされることはあるかもしれません。
しかし、それなら私は自閉症ではなくなるかもしれません。
わたしはそこが自分の「自閉症」の核だとどうしても思えないのです。

自閉症には色々な症状があります。そのどれが当人に当てはまるかは、個人差があります。けれども、どこか核が同じようである。だから、同じ障害として扱われているのでしょう。もしかしたら、今後研究が進んで「症候群」といった認識になったり、幾つかの病気や障害に別れるのかもしれません。実際に、アメリカの最新DSMでは、「SCD(社会コミュニケーション障害)」という障害に、従来自閉症とされてきた人々の一部が診断が変わる可能性が出てきています。
自閉症が一体どういうものなのか、何なのかは研究段階ですから、確かなことは言えません。したがって、オキシトシンについても研究することはいいことで、すすめるべきだと思います。

また障害というのは人と社会との関係によって発生するもの(ex.自閉者者だけの社会では自閉症的な行動は「普通」となる)である以上、現在において「コミュニケーションの困難」が大きな障害になる以上、やはり「自閉症者のコミュニケーションの困難さ」というのは症状として、診断基準としてあるのでしょう。それは別によいとも思います。

ただ、「自閉症=コミュニケーション障害」ではなく、「自閉症の症状の一部としてコミュニケーションの困難さがある」、もっと言えば

「自閉症の二次的な症状として、結果として、コミュニケーションの困難さが現れる場合がある

のだと思います。

また、「コミュニケーション」とは何でしょう?
その定義がそもそもきちんとされていない。

オキシトシンの実験においては、「表情の読み取り」が計測に使われ、また、本人の感情の動きも観察されたようです。
また、実際に使った人は、安心して話しかけることができた、などという人もいるようです。
オキシトシンは効果があるようです。

けれども、必ずしも「その人の苦しみ」を取り除くわけではない。
コミュニケーションは、表情が読み取れれば、感情が出せれば、安心できれば、完全にOKなのか?
よくわかりません。
自閉症者によくある感覚の特異性や常同行動(こだわり)などは、コミュニケーションの上で困難さを生みます。が、おそらくこれはオキシトシンの関係ない部分でしょう。けれども、自閉症においてはとても大きいです。

・自閉症の定義
・コミュニケーションの定義

があいまいなまま。
「自閉症にオキシトシンが効くかもしれない、「自閉症の治療薬」になるかもしれない」
というのはなんだかヘンです。

「オキシトシンはコミュニケーションの困難さ改善薬になるかもしれない、そして、それは自閉症の症状の一部を和らげる場合があるかもしれない」

と、こういうことでしょう。
「自閉症の治療薬」という言葉にすごく違和感があります。

「自閉症が治ったら、なんだか自分が変わってしまうようで怖い」という気持ちが抵抗を生んでいる部分もありますが・・・
表現として、誤解のある言い回しが横行しているし、実際に誤解している人がたくさんいるような気がして、気持ちが悪いです。

※研究はどんどんしてほしいと思います!

0 件のコメント:

コメントを投稿