障害は障害だ
結論は、「障害は障害」です。個性ではありません。
私はそう思います。
言語的観点
「障害」という言葉を考えます。
それは、この世界で生きる上で不利になる、その原因の要素です。
ただし、言葉は変化し、また使用するにつれ、派生的な意味が生じます。
それ自体は悪いことではありません。
「障害を個性とみなす」ことは、「派生」です。
「派生」をおおもととみなして、そこから議論を始めると、ひととひととの間で意志の疎通がとれなくなります。違うものどうしが便宜的におなじものを共有する場合、基本の意味からそれてしまってはルール違反です。
好みはあるかもしれませんが、「まず意思の疎通をしたい」とか、「学問的・科学的な話がしたい」とき(文系も当然科学的です。)は、「言葉の大本の意味」をはっきり定義し、共通理解を図った上で使う必要があります。
その場合、「障害」は「障害」でしかありません。
社会的観点 例)わたしの場合
社会的な観点においては、「障害」というのはひとつの見方だと思います。
たとえば、私の情報を少し上の図に上げました。
これを、障害、個性、という議論の場合によく起こる複数の観点から観察しました。
それが、また上に示した図です。
どれもが重なりあって、また、いろいろな方向から、スポットがあたったり当たらなかったりしています。
それが、社会における障害、個性、という議論です。
この、「スポットの方向=観点」の違いのために、議論がめちゃくちゃになっていると思います。
そして、この中で(心情的に・また医療的に・私としては)一番大切な観点は、「本人」です。
周りの評価は関係ないです。
(ただし、別に周りがどう思うのも自由です。どう対応するか、どう言動を起こすか、は自由ではありません。世間にはルールがあるからです。これは「本人」もおなじです。)
頼まれもしない他人が、本人の事をジャッジするのは、とても失礼です。
少なくともわたしは、お断りです。
まとめ
今のところ、私の意見は以上です。
色々な制度や考え方をつまみ食いしながら、楽しく生きようと思います。