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2017年1月21日土曜日

自己肯定感の低さはどこからくるのか


「自己肯定感が低い」と改めて指摘を受ける


今日、カウンセリングと診察がありました。
そこで、改めて「前から気になっていたけれど、自己肯定感がとても低い。」と指摘を受けました。

私自身はあまり自覚がなく、自分という存在をうまくとらえていないので、いつもゆらいでいるようなところがあり、ピンときませんが、まあ高いほうではないだろうと思います。


能力の高さと自己評価


心理士さんは「ボクだったら、WAISの結果で全検査IQが130あったらもっと「えっへん」ってなるけど、そうでもないんだよね」と言いました。

うーん、そういうものなのか。そのために受けてるわけじゃないし、、という感じです。
でも、たしかに、それなりに出来ることもあって、私が私と他人なら、自己評価の低さを疑問に思う可能性があるでしょう。

そこで考えてみると、どうもその「知的能力の高さ」は、私にとって、これまでデメリットをかなり多く産んできたことが、一因にあるようです。

「普通にしているだけで、なぜか怒られ・妬まれる」


それは、きっとアメリカ人が日本で「英語が話せていいよね」「英語が話せるからって、私達をバカにしないでくれる?私達の気持ち、ちゃんと考えてから英語話してよ。」と、何百回と言われているような感じなのではないかと思います。

私は、出来ないことも多いけれど、出来ることもたくさんあります。
そのひとつで、これまでの人生で多くを占めてきたのが「お勉強」です。

トロくて幼い私が、なぜかお勉強だけよく出来る。
でも、くそまじめですぐに泣く・感情や身体のコントロールがぜんぜんできない。

いわゆる「小中学校の人気者」と真逆の能力のバランスをしています。

そうすると、なぜだか知らないけれど、周囲の人々は、私の発言はいちいち「自慢」に聞こえるようなのです。
私にとっては、当たり前の語彙を使って話していること。
当たり前の論理展開をつなげて楽しんでいる遊びでしかないこと。

それらが、「私達の気持ち考えてよ!」「いちいち自慢しないで」と、攻撃される要素になるようなのでした。

それも、わからなくもないのです。
というか、わかりたくなんかないけれど、わかってしまう。

いっぽう、私の気持ちは、いったいどこへいくのかは、わからないけれど。

とにかく、私にとってのふつうは、自慢なのだ。
かわいくない子どもになって、攻撃されるらしい。「キモイ」らしい。「うざい」らしい。「何いってんのかわかんないから無理」らしい。

それを学習しました。

能ある鷹はなんとやら、なんていうことも言われました。だから、お前なんか大したことない、と。能無しだから自慢してるんだろう、と。


そうじゃない!
私は、普通に、自分らしく、振る舞いたいのに!
じまんなんかしていないのに!

これについては、どうしていいのか、結論が出ていません。

とりあえず、現状も、そういったもやもやを抱え続けていることについては、環境調整ないしは、環境変更が本当は望ましいのだろうけれど・・・というところを少し話し、今日は終了でした。


高IQは、ある種の知的障害だ、と、時折言われます。
MENSA(高IQ集団)会員には、ニートが多いことも言われます。落ちこぼれも。

平均から外れていると言う意味では、IQ70の苦しみ(とは違うけれど)と、レベルとしてはおなじなのでしょう。
IQが離れていても、話が通じないわけでもないし、IQが近ければ、仲良くなれるわけでもないけれど。
現状、いわゆる”定型発達”でくくられることのある「同質性を好むタイプ」の人間が多い世界では、平均から離れることは、高確率で生きづらさを生むのでしょう。

違いをたんなる違いとして捉えることは、どうやらひどく難しいことのようです。
私にとってもそうかもしれません。
でも、それを絶対に目指したい。あきらめない。

自己肯定感は上がるか?


さて、では、今から自己肯定感は上がるものなのだろうか。いまわたしは、褒められることも多いです。嬉しいです。自分はいいんだな、と感じられます。
けれどもおそらく、幼いころからの積み重ねを今から復元するのは、難しいだろうと思います。

なぜなら・・・


上図のように、基本の土台(肯定を受け入れる器や土台)がきちんと固められていないので、今から自己肯定感につなげるのは、けっこう難しいのではないかと考えました。

ただし、それでも、確実に、ちょっとずつ、踏み固められて、自己肯定感に繋がるんじゃないか?
と、なんとなく思います(思いたい・・・)。
だって、褒められたら、一応、こそばゆくても居心地が悪くても、嬉しくないわけじゃないのだから。

えっへん、とむねをはれるところまでいかなくとも、そこに存在することを否定してしまわぬよう、自分が出来ることのひとつひとつを忘れぬよう、自分を育てたいと思います。
この図については、来週、余裕があれば、診察で「これでよいのか」確認してみようと思います。



自傷の頻度は下がらず平均的な様子で続いています。
そちらも様子見をして、記録をつけるように言われました。

2016年4月27日水曜日

ああ、女の子ってやつは!


海外の児童文学によく出てくるせりふ。「ああ、女の子ってやつは!」
たいそう可愛らしいせりふで、お話の中では女の子も男の子も愛おしく、ワクワクする存在です。
さて現実では、女の子は。やっぱり、「ああ、女の子ってやつは!」と言いたくなることがあります。

わたしは女の子のコミュニケーション・スタイルがどうやら苦手な側面があります。
全部が全部というわけではありませんが・・・。
女の子は大人です。
精神的な幼さのある私には、ついていけなかったり、ちょっと怖い思いをすることもあります。さっきまで悪口を言っていたのに、その人とくるりと面が変わるように仲良くしていたり・・・わけが分からなくて、調子が悪いととても怖い。(調子がいいときは、そういう面も冷静に眺められる、言語を使って理解しようとできます)

そんなことを考えていて、思い出したのが上記の出来事です。
ちなみに、同じようなことを男の子に言われたこともあります。

そのときは、「なんだか私はだめだった・・・?でもわからない・・・」と混乱していました。

そして今日、
ああ、このお友達は、私に「ひどいね!なにそれ!」とかって、見方になって欲しかったんだ。
そして、それはぜんぜん悪いことじゃないんだ。心の動きとして、自然で、こういうことができると、自分の気持ちのコントロールがしやすいんだ。悪いことじゃなくて、良いことでもない、自然なことなんだ。(でもできなくたっていいんだ)

と、ふとつい先程思い出し、理解しました。

女の子ってやつは!まったく。複雑だなあ。

私ってやつは、こういうことについていけない自閉の側面、また精神面の幼さ(凸凹)を抱えているんだなあと再確認しました。

こういうことで人間関係がこじれない方法としては、「あたりさわりなく、深く介入しない」という方法を私はとっていますが、これはときどき、ぞっとするほどさびしい思いをする(私がいなくても気づかれない、いても気づかれない、なんてことがよくありますし、だれかと「すごく仲良し」のような状態になることは、こういう態度をとっていると、基本的にありません。傷つくことがあっても、ある程度自分を出さなければ、多分、いけないのです。ああ、不安にかられるなあ。)ので、できれば少しづつ、そうでない方法も使って人付き合いをしていきたいです。


2016年4月3日日曜日

細く長く、見ていてくれるひと(ケースワーカー面談)

二回目のケースワーカー面談がありました。

そこでは、現状の仕事について少しお話をし、
「今のところ、個人で生活費にまでなる仕事は難しいので、現職ですこしずつ頑張っていきましょう」ということになりました。

また、前回はしなかった、アートの仕事の話もし、
「それもいいじゃない!むしろそれで食べていけないのかなあ」と言われました。

うーん、そう簡単にはいかないなあ。

とはいえ、今は別に仕事があり、また実家にいることで金銭的に「困窮」とまではいっていないため、仕事+αでそういったことをする余裕を作っていきましょう、ということになりました。

これは、少し前に高校時代の芸術の先生、そして今でも交流のある方からも言われていることで。

「洋服や小物で少しづつたくさん作るのもいいけど、完全に向いているとは思わない。あなたは色彩感覚が優れていて、かつ線で画をとらえる人のように感じるから、大きな作品を一定数描き続けて、ちゃんとした公募展に出し続けてみたら?」

と言われました。

その話も少しして、作品も見せました。

ケースワーカーさんも「絵をもっと見たい」とのことで。

私も、絵をそういうふうに取り組んでみたいと思っているので、余裕を作ってやりたいと思います。

こんなふうに高校の時から、いつも一緒なわけではないけれど、ちょこちょこ交流が続いていて、真剣な話も(その方は私の診断もご存知です。また、芸術の先生ということで、「かわった子」とか「アーティスト気質」な人との縁もあり、なんとなくそういう部分にも理解があります)できる先生であり・先輩であり・友人のような人がいるのはすごく貴重だな、と改めて今回の面談で思いました。

ちょうど「世界自閉症啓発デー」のコラボ記事を書いていたこともあり、こんなありがたい人がわたしのまわりにはいるんだなあと思いました。これって、なかなか珍しくてありがたい関係ではないでしょうか。

2015年11月29日日曜日

カウンセリング13B :人間関係の弱さ

先回の記事の続きです。

男性関係(人間関係)と言葉遊び

カウンセリングメモの一部として「男性関係で意図せず思わせぶりにしてしまう場合がある(何回か揉めた)」ことを提出しました。
また、現在はすでに鎮静しましたが、最近も少し揉めた点についても。

心理士さんより「これはあなたにとっては侵入に値する経験で、怖いだろう。危険もあるので、詳しく聞きましょう」ということになりました。
確かに、今まで大事にならなかったのはひとえに「運が良かったから」としか言いようがありません。

これまで「嫌だ」「怖い」と感じたアプローチ


高校生。メールでは普通に楽しめていたのだが、よくわからないうちに「付き合おう」「付き合ってくれるなら観覧車に乗ろう」みたいなよくわからないことを言われ始めた。意味がわからないし気持ちが悪かった。直接的に「付き合おう」と言われたことはなく

メール:「次の定期テストで僕が勝ったら付き合おう(私は学年トップ争いをしており、彼は普通か普通より下の成績である。勝てるわけがない。)」「いや、やっぱり冗談。もっとちゃんと言うよ…(勝手にしてくれ)」「あれ、なんか察した?(察しねーよ!察してなんかやんねーよ!)」「カップルだと無料で乗れる観覧車が有るんだけど、一緒にカップルのふりして乗ってくれない?待ってるから(重い女か!)」「(行かなかったら)観覧車、キレイだったよ(重い女だ…)」

などというメッセージを受信。
「自分から誘うような意気地はないが、私が乗って来る自信はある。察して告白してきてほしい」というオーラがばんばん出てきて気持ちが悪かった。私はただメールの文面で遊んでいただけだったのである。「人間関係」についてなんて考えてもいないし、相手の気持ちが、こういうメールを受信・およびこっちへのベクトルがにじみ出ているのを感じるまで、全く分からなかったし、考えようとも思わなかったと思う(考えているつもりではあった。自分でもつめたい人間だと思うが、冷たいだけじゃない)。


大学生。ある委員会の集まりでちょっとハブられ気味の男の子がいた。私は「さびしさ」「恥」に敏感である。いたたまれなくなってしまう。テレビなどでも、そういう場面は観られないのである。単に、そういう自分のいたたまれなさを補うためであって、これはやさしさではないのだろう。でも、そういうことは意識しないで、つい横に並んで歩いたり、話しかけられたことに必死に笑顔を見せて応じたり、周りにその人の話をつなげようとしたりしてしまう。やさしさまたは好意に見えるだろう。
いつからか彼は私に帰り道に無理やり自分の通学路を合わせて、ぴったりついてくるようになる。そして電車の15分間、ずっと「自分は人間関係にトラウマがある。否定されるのが怖い。」という旨の話をし続けてくる。私は彼を拒否することができなくなる。
そうして数ヶ月帰り道についてこられる。
結局避け続けていたがもう限界なので告白の誘いに応じる。とにかく衆人環境を確保するために学食以外の場所は拒否し、学食で告白させる。そして拒否した。
彼は学校を休むようになった。知ったことではない。彼は私にとって全く興味の持てない人間であったためだ。メールすらほとんどしなかった。
数ヶ月してまた連絡があり、手紙を渡される。気持ちが悪いし、期待されたら困るのでその場で破って捨てるところまでを本人に見せる。「受け取りました。でも、読みません。」と言う。

大学生。ともだちだったのに、なんだかベクトルが変わってきて、「気持ち悪い雰囲気」が出てくるようになった。連絡を断つ。

友達だったし、自分でも面白くその人で遊んでいたので、付き合ったが、やっぱりこっちに向かうベクトルが怖くて気持ちが悪くてダメ。完全に私の落ち度である。


大学生。ネット上での言葉のやり取り。私はその人の発する言葉で言葉遊びをしていた。
たとえば「ちゅっちゅ」という言葉をもらえば「ちゅっ」と返すことは、私にとってキスでも何でもないのである。ただのゲームである。言葉のあやとり。言葉のキラキラ。そういうものである。
でもどうも本当は言葉というのはそういうものではないらしい。よくわからないけれど。そうして「全身舐め回したい」「口中犯したい」などの物騒なメッセージが来るようになったのでとても怖くてシャットアウト。


社会人。合意のもとで付き合ったが、よく考えると経済的に自立していない寂しさをわたしで埋めていたのかもしれない。就活がうまくいかないときに、社会人をしていた私がしんどそうな状態。毎週家にいた。「主婦になろうよ〜」などが口癖。都合よく依存関係に持ち込まれたあげく、相手が経済的に自立したらすぐに捨てられたのかもしれない。最終的に「もうあなたの面倒は見きれない」と言われる。面倒を見てあげていると思っていたらしい。確かにわたしも「面倒を見てもらっている」と思っていたし、それが楽だった。私はどちらかというと「恋人」ではなく「面倒を見てくれる人」がほしいのかもしれない。いい関係ではあったし、悪いものではなかった。よき理解者であった。でも、共依存的側面は否めない。


現在。「3」の続きである。解決済み。
現在すぎるので詳細書かず。

お兄ちゃん欲・さびしさへの同化・言葉が含む「気持ちやりとり」の弱さ

上記のような事があった。他にも多少はあったが、まあそれは普通の範囲内だろうと思う。私の弱い部分がトラブルを招いたと思われる経験だけを抽出した。だが、正直なところほぼこれが全てである。トラブルしかない。そして私の気持ちがわからない。「好き」というのは難しい。

上記を考えるに、見出しに示した

①お兄ちゃん欲:面倒見の良い・頭のいい(自分と話が合う)人に面倒をみてもらいたい、甘えたい欲求。長女(家族関係)由来か。私の家族は少々機能不全だとやはり思う。
わたしの言葉遊びに付き合ってくれる人はあまりいない。聞いてくれても理解できる人はあまりいない。(今はわりとインターネットがあるので心地よい)
私の家族の絵です。こんなもの描きたくないので、殴り書き…

さびしさへの同化:自他区分の問題および常にある居心地の悪さ由来?「お兄ちゃん欲」も同根と思われる。
③言葉が含む「気持ちのやりとり」の弱さ:言葉や論理への強さにたいして「気持ち」がほとんど赤ちゃんという凸凹からくる問題。言語理解はできている(よく発達障害者でわからない、といわれる比喩表現も完全に分かる)が、そこに含まれる気持ちの理解に偏り。気持ちより面白さや興味の衝動が優先。「人と遊んでいる」というよりは「その人の知識や教養・言葉遣いおよび体と遊んでいる」という方が正確。

の3点が大きく問題だろうと自分では思考した。

この問題はまだカウンセリング及び観察(今後も注視が必要との心理士さん判断)を続けるため、今回はここまで。

2015年9月11日金曜日

生育歴:大学以降

ある程度生育歴をまとめて心理士に見せたものをもう少し詳しく、感覚的に記述してみようと思います。ですので、①たたき台(心理士に見せたものの一部)②本文(曖昧で私的・詩的な表現だらけ。できるだけ当時の頭のなかを書きたい。)という構成をしています。

生育歴を聞かれた際、書いて見せるにしても、あまり長いものは心理士にしろ医師にしろうんざりするので、生育歴を伝える場合は私のように長く書くのは得策ではありません。しかし、私には短くするということが出来なかったので、精一杯の状態で、医師ではなく心理士のカウンセリングで見せました。

⇒大学以降は、まだフラッシュバックもあり、まとめるのが難しいので①のみ+現在

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大学:一人暮らしの開放感。やっと逃げられた、と思った。

一年間は大学という場所に人見知りをしており、「明るい楽しい大学生!!」ねこかぶりちゃんをしていた。ほとんど覚えていない。しかし、2年からは、自分の意見をきちんということが正しく、また真面目なことがいじめの対象にならない、集団も選べるし、集団にならないことも選べる、研究がとても面白いというこの環境に大いに楽しむ。ただし、どうもみんなはしていたらしい「ちょっと帰りにごはん」「ちょっと飲みに」みたいなことはほとんど覚えがない。計画があって、予約を誰かがして、というタイプの飲み会はあったのだが。ゆえに、今でも大学近辺の飲み屋等は全くわからない。それが異常だと知ったのは就職して「どこで遊んでた?」と聞かれた時、全く答えられなくて、指摘を受けたから。授業は小学校の同級生が同じ学部にいたから、学部で一人ぼっちにならなかった。のちにはアルバイトで一緒になったお友達と専攻がおなじになったので、とても幸運だった。

アルバイト:2つかけもちで、続いた。複数のタスクのないことで、とても向いていた。また教える仕事もしていたが、「生徒に教える」という一つのこと、なので大丈夫であった。むしろ優秀であった。1対1の関係(個別指導)なら構築しやすいのである。

また一つはシーズンバイトだったため、そのシーズンが常に決まっていた。そのため、シーズン外は研究、シーズンはそれだけに( 過)集中することができた。

ただし仕事とプライベートの区別がありすぎて仕事の人格と休憩時間の人格の落差がすごくて怖がる人もいた。そして、仕事から友達付き合いを始める、ということがうまくできない。向こうからうまく誘ってくれた友人は「いつまでたってもずっと一緒に仕事をしているのに慣れてくれないから、わたしのこと嫌いなのかと思った」と言っていた。そういうわけではなかった。むしろ、みんなはなぜそんなに仲がいいのか、知らないうちにあの人とあの人はどこどこに行った、などということをふと耳にするとびっくりして、「どうやってみんな仲良くなってるんだ」と思っていた。部活も同様。過去の学校にても同様。「たまたま一緒になったから一緒にいてくれる人」はいるが、そこから「特別仲のいい人」にならない。今でもそのテクニックは謎が多い。

また部活動で「なにも用事がなくてもいていい場所」というものを知る。人生で初めてである。居心地が良かった。


就職:就職活動をしようとするが選択肢が多すぎるのと段階がありすぎてもうわけわからなかった。それから、「仕事」には終わりがない、いつまで、が決まっていない。世間では「社会に出たら地獄だから学生のうちに楽しめ」との噂だ。大学4年になった時点で、恐怖に怯えていた。「死ぬ日が今決まっているなら、計画ができるのに。卒業式が終わったら死ねたらいいのに。」と思っていた。また仕事は4年や3年単位のものではない。ずっと緊張してがんばりつづけるわけにはいかない。いままでのやり方は通用しない絶望を感じた。学校のカウンセラーにかかってみたが、頭の中の言葉と身体で表現出来るものが乖離しすぎて泣き続けることしかできない。一回でやめた。

勉強は好きだったし教えるのも好きだった。それに、「先生」は、いっぱい見たことがあって、視覚的にイメージが存在した。その他の仕事は、「スーツで電話している男性」の図くらいしかイメージがなかった。

採用試験に受かり先生になった。

わたしは面接は苦手ではない。ただし面接や大人数の前で話すとき、怒鳴り声が聞こえてきたときなどはたいてい離人症状になっていて、斜め上に意識はあり、勝手に体が原稿を読み上げているような感覚で浮遊している。したがって「予想外の質問」にはめっぽう弱い。ある程度の「イメージとしてのメンセツ映像(頭の中に動画や写真がある)」と試験の面接に誤差が少なければ、そんなに印象は悪くならない。

先生はいろんな人がいる。あたりまえだ。

いろんな価値観がある。それを全員が声に出す。新人にはよかれと教える。いい職場だ。

全部まもらなきゃ、やらなきゃ・・・

(参考記事:こちら。こういう状態です。)

気がついて「俺の話は、話半分でいい」と言ってくれる先生もいて、話半分に聞く練習もしたが。

また休憩をうまくとれなくて倒れて保健室でやすむこともあり、休憩時間を入れる練習をした。お茶を飲むときに同期の先生(とても年上です)がさそってわたしもやすむように仕向けてくれてた。

先生の怒鳴り声。これを怖がるのは生徒と一緒なんだって。わたしは生徒レベルなんだ。

夜中の2時までは教材研究をするのが若い人は当然なのか。でも朝起きれなかったらどうしよう。

起きれないのはこわいので、朝はものすごく早く出勤した。泣きながら出勤した。どんどん朝は調子が悪くなって、ときどき吐くようになった。


できてあたりまえ、やらないのは努力が足りない。


教えられていない出席簿の使い方ができなかったら「こんなの常識だみんなできるよな?」と他の人を巻き込んで吊るし上げられてすごくばかにされた。

仕事がうまくできない新任の先生が「ショーガイだよありゃ。」と笑い者にされている。

きっとわたしもそうだ。

「空気読んでくれる?」と女の先生に叱られた。どうすればいいかわからないけどあやまった。

顔に気持ちが出ないことを指摘された。他の人は顔まで動かすことができるらしい。わたしも表情を場に合わせて作らなくては。

国語(国語の教員だった)なんか、という英数の先生の態度。

国語なんか、という生徒の態度。

そうじゃない人もいっぱいいた。

だからみんないい人って思って頑張った。

通勤のときに「いま力を抜けば楽になれる」となんども思った。毎日がギリギリの通勤で、車から降りて「ああ、また生きてる。」今思えばもう病気だった。

三ヶ月毎に倒れた。

学校に行けなくなった。

「いい子のわたしはもう 死んだ。」と繰り返し言っていた。

親が連絡をしてきた。

「おおきいこえのひとこわいおおきいこえのひとこわい死ぬしななきゃいけないこわいしにたくない」

親と連絡も会うことも、パニックになってしまうのでできなかった。別に人に間に入ってもらった。

診断がついた。
発達障害の可能性を指摘された。WAISを受けた。

しかし、最初は「発達障害だと思います」といわれただけだったため、「思う」だけだし、紙に書いてくれないとよくわかんない・・・証拠がほしい・・・と思っていた。しつこく聞いたら医師に「あなたは発達障害ですよ!診断してるじゃないですか!何度も聞いてたら診察時間終わっちゃうから!」と怒られた。
もうだめだった。

病院を変え、そこでも診断が出た。

しばらくしてバイト:向いていると思われるバイトをした。しかし職場に怒鳴る人がいて、二回号泣して問題になってしまって通えなくなった。みんなが気にせずできることが気になってしまう。どうして。

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現在:自分の凹みを認識し始め、「どうやら私はなにか支援がないと、いきるのが難しいかもしれない。」と思っている。
すこしずつ、すこしずつの受容の過程の只中にいるのかもしれない。

2015年9月10日木曜日

生育歴:高校

ある程度生育歴をまとめて心理士に見せたものをもう少し詳しく、感覚的に記述してみようと思います。ですので、①たたき台(心理士に見せたものの一部)②本文(曖昧で私的・詩的な表現だらけ。できるだけ当時の頭のなかを書きたい。)という構成をしています。

生育歴を聞かれた際、書いて見せるにしても、あまり長いものは心理士にしろ医師にしろうんざりするので、生育歴を伝える場合は私のように長く書くのは得策ではありません。しかし、私には短くするということが出来なかったので、精一杯の状態で、医師ではなく心理士のカウンセリングで見せました。

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高校:問題もないが友達もない。しかしわたしはノートを必ずとるので宿題を写すのに重宝されていた。
いないわけではないが、最初に運良く仲間に入れてもらえた子一緒にいることはいたが、それ以上の発展:友達の友達と仲良くなるだとか、帰り道に遊ぶ、休日に遊ぶということは全くない。これは昔からそうで、うすぼんやり「なんだかおかしいな、友達がいないわけではないんだけど、なんだか変だな、微妙にわたしは疎外感を感じるような気がするな」と思っていたが、常に本を読んだり絵を描いたりしていて、ひとりになるのに忙しく、あんまり困っていなかったので放置。
勉強は楽しかった。納得できない部分があれば納得するまで先生に質問し続けた。授業中に。他の生徒のことは頭になかった。また、授業の仕方が納得いかない先生が一人おり、耐えられずにうわーっと泣き出して担任に訴え出る。何回までならやすんもいい、と言われる。その後は休むことはなかったが、その授業だけはあからさまに内職(別の勉強)をして過ごした。
高校は「自分で選び、他者にお金を出してもらって行っている。」という意識が強く、病気以外で休むことはなかった。「親に借金をしている」意識がとても強い。いまでもだ。

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高校は、中学校の時、甘えていた子達とは違うところに行きました。
彼らはいわゆる「進学校」に行きましたが、わたしは「単位制普通科」という、昼間に毎日行くのですが、「単位が取れればどの授業をとってもいいよ」という枠が、少し〜半分くらいまである、割りといろんな子がいる、近所の学校にしました。自転車で、転びながら通ってました。転んでも「遅刻が怖い」ので、そのまま教室に行って、ぎょっとされて保健室に連れて行かれたりしていました。

ここを選んだのは勉強だけやっていて、どこかでぽきっとおれてだめになってしまう気がしたからです。
勉強だけできれば、たいていそういう学校は、「他のこと(具体的に何かはわかっていないけれど、「勉強以外」というものが学校にも存在する、ということは、わかるのです)はまあ、そこそこ許されます。そして、「皆がもう「普通に大学に行く」ことを選択」します。
それは、嫌だな。
私は、もう少し考えたい。
絵かきも考えてもいましたし、他にもいろいろ考えたかった。
まだ限定したくなかった。
ちょっと、それじゃあわたしはだめになっちゃうような気がした。

その学校は取ろうと思えば、保育の授業やお茶の授業、英会話や作文なんかも取れて、就職も、進学もできました。

いまでもお茶の授業は、惜しいな。

わたしは結局そこで、「やっぱり、学ぶこと・研究すること・思索することが、欠かせない」と思い、しかも、国立大学に進学することにしたので、そういった選択の授業はとれませんでしたが、それでも、「自分の未来」を考えることが少しできました。

やっぱり勉強ばっかりしていたし、回りからは「なに、あの子」と思われていたけれど、それでもやっぱりやさしい子たちに、先生に囲まれて、過ごしました。本当に人に恵まれているのです。

ここで出会った美術のせんせいは今でも交流があります。

そして、進学校より進みがゆっくりで基礎に重きをおく授業は私にあっていたようで、とても楽しく授業を受けました。ちょっと、迷惑だったかもしれないけれど、たくさんたくさん先生に質問して、わからないことは絶対納得するまで、どうしても解決しないと気がすまなかったです。昔からそうです。宿題も、泣き叫びながらやることもありました。成績が良かったから認められていたものの、やっぱり問題のある生徒だったと思います。教育相談の先生のところにも良く行ってうわーっと泣いてパニックしていました。
それでも、がんばれてよかったなと思います。
「できないものはしかたない」
そういう部分もあるけれど、やっぱり、がんばるところは頑張れるといいな。
がんばりどころを見極めるちからが大事なのかもしれません。

私のやりかたを受け入れて、教えてくれた先生たち、「しょうがねえなあいつは」だったと思うけど、それをいじめたりしなかったクラスメイトたち、本当にありがとう。そして今でもなかよくしてくれてありがとう。

私は大学に進学しました。

2015年8月20日木曜日

どこに立っているか

カウンセリングに行ってきました。
親とは別です(親の動向は不明)。

心理士さんは、白衣を着ています。
その、肩に、何かロゴがついていて、私はそればかり見ているみたいで、絵を書こうとして、それに気が付きました。
心理士さんの顔、「腕(ロゴ)」なんです。

ロゴは色々とバレそうなので書いていませんが…
顔をみていない!
次回、見てみようかなと思います。

さて、今回はいちおう3回目ですが、序盤ということで、オープンクエスチョンがやはりあります。

「困っていることはなに?」
「どんなこと?」
「何ができない?」

どうしてだか、困っているはずなのに、うまく答えられません。
カルテなどを全て開示して行ってくれているので、それにある言葉を指さししました。

診察室もこんな感じです。
かくしてカルテを書き込みしていたりすると気になってしまったり、不安なので、これはとても安心。

心理士さん側からも、PC画面で「見せながら話す」ことができます。
それで見せて頂いたのが以下の図です。


私は、自閉症スペクトラムに関する知識はありますが、「自分の立ち位置」について、色々な人に別々のことを言われて混乱しているようだが、どうか。

そう尋ねられました。

そして確かに、「あなたは発達障害だと診断」「発達障害と思う」「発達障害ではない
というように、色々なことを言われているために、ある時には「確かに私は発達障害だ!どちらにせよそう思うと楽だし、工夫しやすい!」と思い、またある時には、「私は普通なのに、努力が足りない。もっとやらないといけないのに。でももう無理。死んでしまう。」と思います。

どうでもいいことだとわかっていても、気持ち悪くて、どうでもいいことなのに拘泥してしまいます。

ということで「まずは知識を整理して、立ち位置をハッキリさせましょう」ということです。

上記の表の、星をつけた部分が私の立ち位置です。

まず、IQに関しては、WAISのFIQがわかっていますので、カンタンです。120前後あたりに横軸(FIQ122)。

難しかったのが「自閉度」です。

そもそも「自閉」ってなんだ?

というわけです。

これは、自閉症スペクトラムそのものの研究もあいまいだし、よくわからない。
とはいえ、今のところ「コミュニケーションで困る」というところが統一見解で診断されます(自閉症という事象が起こる核とはまた別の話)。
そこを中心に据えて考えてみよう、となりました。

私の担当の心理士さん曰く、ですが、

「まず、私は診断する立場にありません(医師ではないから)。でも、医師はあなたを発達障害と診断しています。僕もそう思います。」

「自閉度というのは、コミュニケーションで使われる身振りなどの非言語的な部分等を、どれだけ「自然に学習」できているか。自閉度が高くなると、それが「学習・研究」で補う部分になったり、そもそもそれもできなかったりします。そこに、知的の度合いが横軸で入ります。」

「高機能で自閉度が低い人というのは、そういう事を意識すらしない(白)。ちょっと苦手、と言う人が水色の部分。学習したり、わからない、という人が青。だと僕は思う。そして、あなたは、ドンピシャで、青い部分の真ん中あたりに位置すると思う。」

だそうです。
私は、水色あたりかな〜〜?と思っていて、ある程度コミュニケーションを理解しつつ学習出来ていると思っていたので、ちょっと意外ながらも、納得しました。

どのあたりでもいいのですが、自分の土台をはっきりさせていくために、「わたしはここ」とはっきりしたのは喜ばしいです。
まだまだはっきりしない障害なのですが、はっきりしないことがとても負担になっていましたので、これはとても良かったです。
仮止めだとしても、浮いているよりはるかにいいです。ほっとします。

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また、ACの気というのも、話しをしました。
これは、発達障害があるとよく経験することだそうです。
いちばん正統派(?)のACというのは、被虐待児と呼ばれる人々です。

最近では「やさしい虐待」なんて言葉もありますね。

私の場合、それに似た性質をもっていますが、ACの人というのは基本的に「人との関わり」を強く希求するとのこと。

そこが違うね、ということになりました。

発達障害の私と、定型発達(おそらく真っ白)の親とで、ズレが大きすぎて、互いに今のようなうまくいかない状態になってしまったのだろうということで、私の「ベース」ではありません。

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そしてついでに「発達障害で、いじめられていません。それでも、いいですか?」
とも聞きました。

「いいんですよ。いいことなんですよ。発達障害でもいじめられない人、いっぱい知ってます。」

正直なところ、一番ほっとしたかもしれません。

私は不幸にならなくたっていいんだ。

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今回はこんな感じでした。

また手帳用の診断書は、私のクリニックは結構慎重に作成するようで、私の状態によって、「過去のことを聞くのが健康に悪い」と判断した場合、なかなか診断書を書く情報を聞き出せないかもしれないとのこと。

「私には診断は出ないよ、ってことじゃないよ」「診断書が早くでなくても、大変なことになったりしないよ」と言っていただきました。

働いていないことも健康にはよくない影響がなくはないですが、フラッシュバックすると、半日潰れますし、薬も使います。自分にも周りにもひどく悪いです。

そういうことで、すすめていくとのことでした。

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今回の記録終わり




2015年8月19日水曜日

生育歴:義務教育期間・中学校


ある程度生育歴をまとめて心理士に見せたものをもう少し詳しく、感覚的に記述してみようと思います。ですので、①たたき台(心理士に見せたものの一部)②本文(曖昧で私的・詩的な表現だらけ。できるだけ当時の頭のなかを書きたい。)という構成をしています。
生育歴を聞かれた際、書いて見せるにしても、あまり長いものは心理士にしろ医師にしろうんざりするので、生育歴を伝える場合は私のように長く書くのは得策ではありません。しかし、私には短くするということが出来なかったので、精一杯の状態で、医師ではなく心理士のカウンセリングで見せました。

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引き続き面倒臭いこども。
2年生のとき、学級会のテーマと担任の言動があっておらず、耐えられなくなりそのまま帰宅してしまう。担任が理解?してくれその後引きずることはなかったが、中学生は難しく、スクールカウンセラーや図書の先生のところにいつも遊びに行って、お世話になっていた。体育のダンスができず意地悪を言われてしばらく体育の授業に出られなかった。登校拒否ぎみになることがすこし。2度ほどスクールカウンセラーは自宅にまで来てくれた。「カウンセラーさんめっちゃ私のこと好きやん」と思っていたが、そうではない。わたしが問題児だったのだ。
透明水彩と鉛筆で絵を描いて、インターネットにスキャンしてのせていた。
自殺しようとしたが父親がどなったので「わたしはそんなことも許されないのか」と思った。芸術は得意。ただし気が乗った作品だけを異様に集中して仕上げた。

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たくさんの女の子が怖い。

中学校は、女の園です。

男の子もいるけれど、圧倒的に、先におとなになる、ませてくる、そして社会性が高いのが女の子。

とても怖かったです。

なかまはずれにされなくても、いじめがなくても、ただただ怖い。

意味がわからない生き物、という感じです。
いつ噛み付かれるかわからない生き物と同じ檻に入れられたら、怖いに決まっています。

できるだけそういうところに近づかないようにして。

そもそもそういうタイプの女の子だって、私みたいな子は願い下げなわけですけど。
できるだけさっぱりした子と一緒にいました。
小学校の頃と、だいたい同じような感じで、そういう子と遊んでもらうわけです。

幸いなことに、勉強ができたので、その点では苦労しませんでした。
また、運動は出来ませんでしたが、走るのだけは早かった(なぜだろう・でも、止まっているよりも、走っているほうがラクです。低緊張の影響かもしれません)です。リレーの選手になったりしました。
リレーの選手にはなったけれど、バトンの渡し方のルールや、空気を読んで(?)自分が走りだすタイミングをつかむことができなくて、うまくいきませんでした。とても恥ずかしかった。
どうして、みんなは教えられてもいないルールがわかるんだろう?
先生は「教えてあげればよかった」と言ってくれたけど、何で、教えてくれないでも、普通はできるんだろう?

集団行動はことごとく苦手だったので、中学校2〜3年生の頃は、半分登校拒否でした。
でも、親に怒鳴られ、引きずられて学校に通っていました。死にたかった。
時折親も降参して、自分で学校に「今日は行きません」と泣きながら電話させられました。ガンガン蹴られたりもしていました。家族全員が参っていたんだなあ。(それでも子どもを蹴ってはいけませんよ。今でも「命が危ない。親に殺される」と思った瞬間は忘れられない)

そんな状況だったので、SCのお世話になっていました。
私は、そのひとと遊んでいるような感覚でしたが、まあ、問題のある子ども、というわけ。今だったら病院を勧められているかもしれませんね。

死のうとするとまた怒鳴られて、ああ、自然死したいと思った。

このあたりで、蚊やかゆみにかなり過敏に反応することがわかりました。時には発熱し早退していました。今でも、理解が得にくく、精神的にも不安定になりやすく、面倒です。

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ただ、「いや」を初めて学んだのはこの時期でした。
「嫌」と言ってもいいんだよ、を知ったのは、同級生の男の子が、ふざけていたずらを良くする子だったことからです。

それでも、その子はとてもまじめな子だと、なぜかわかっていました。

そして、彼は「嫌なら嫌って言ったって、だれも嫌いになんてならないよ。大丈夫だよ」ということを、私に教えてくれました。

直接そう言われたわけじゃなないけれど、近いことを何度も言われて。

とてもあたたかいでした。

他の子達も優しかった。

比較的うまく受け止めてもらえていたと思います。もちろんうっとうしかったとは思いますが、私はかなり幸せです。楽しいこともいっぱいありました。
みんなでアルゴリズムたいそうをしたりしました。
点字で詩を翻訳するサークルに入っていました。一冊作って寄付しました。




やっぱり、友人や先生にはとても恵まれていました。
(ピタゴラゴール、こんなのあるんですね…欲しい…)

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高校は、進学校に行こうか悩んで、周囲もそれを期待していて。

けれども、「このままじゃ、ダメだ」と思いました。
絵を描くことが好きでした。
でも、それで食べようとは思わなかった。
すぐに独立したかった。
でも、勉強もしたかった。

まだわからないのに、「進学が当たり前」の環境に進んで、そこでポキっと折れてしまうことがあったら、いけない。

選択肢と、人生、色んなヒト、今まで避けてきた、社交的な人々のこと、もっと知らなくてはならない。

これからは、義務教育ではない。

どうやら、カンタンに死なせてもらえない。

と思って、レベルを下げて、かわりに色々なことが学べる高校に行きました。



2015年8月18日火曜日

生育歴:義務教育期間・小学校



ある程度生育歴をまとめて心理士に見せたものをもう少し詳しく、感覚的に記述してみようと思います。ですので、①たたき台(心理士に見せたものの一部)②本文(曖昧で私的・詩的な表現だらけ。できるだけ当時の頭のなかを書きたい。)という構成をしています。
生育歴を聞かれた際、書いて見せるにしても、あまり長いものは心理士にしろ医師にしろうんざりするので、生育歴を伝える場合は私のように長く書くのは得策ではありません。しかし、私には短くするということが出来なかったので、精一杯の状態で、医師ではなく心理士のカウンセリングで見せました。

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とにかくよく泣くこども。自分の目に「ルール違反」が目に入ると泣いてしまう。

他人の喧嘩を議題に学級会をやった時、嘘は言えないので、「それは現場を見ていないのでわかりません」と言ってしまったらとても浮いて怒られ、理不尽だと思ったことをよく覚えている。他の子は「暴力はいけないので**さんが悪い」」と全員が主張。吊るし上げだった。その意味わからなさにたえられない。今も引きずっている。

納得しないと行動が全くできないよね、と小学校の同級生でわたしのフォローをよくしてくれた子に言われる。「いつも泣いてたことしかわからん」は、ほとんどの同級生が思っていたことだろうと思う。この間、同級生の一人にそう言われて、やっぱり、と思った。

書道の時間、納得いく作品ができなくて、昼休み・放課後までかかって熱中してしまう。今の今まで「よき思い出」だったが、学校側から見たらこれは困るよなと今、やっと思う。

電話が急に鳴るのが怖くて、留守番の時はリビングの電話を監視していた。

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ざわざわした教室と多すぎる給食、嫌な食器。机と文房具の混ざった匂い。
混沌。

はじめて心身症を発症したのは小学校5年生で、円形脱毛症ができました。とても怖かった。

いっぽうで、やさしい心の同級生に恵まれて、とても良いこども時代を過ごさせて貰ったと思います。パニックになった時に筆談で会話してくれたりしましたし、よくお世話して、遊んでもらいました。
妹の友達と近所を冒険して草で色水を作ったり、近所の大学生のお兄さんとスライムづくりをしたりしました。
放課後に同級生と遊ぶことはあまりなく、こうして小さい子やお兄さんに遊んでもらっていました(小さい子についても「あそんでもらっていた」気がする。)。
生来の負けず嫌いや好奇心、文字への執着によって、ひとというものを学んでも居ました。
同級生でよく遊んでくれた子は、基本的にまじめで、きちんと勉強をする子。でも、その勉強をとても楽しむ子でした。だから、私も勉強が苦ではなかったし、よく一緒に宿題をしていました。
そうしてよい習慣付けがあったかわりに、親は勉強しろ、と全く言いませんでした。むしろ、「なぜ勉強ばかりするのか、遊べ」というタイプ。さぼることもあまり気に病まない人間です。
私はサボることは悪だと思っているふしがあり(これは改善しなくてはならない)、休むことに対してとても恐ろしく感じます。ある意味バランスがとれているのかもしれません。親はわたしのまじめさをばかにしていて、それはそれでとても嫌なのですが、これで、親もとても真面目だったら、私はとてもつらかったのかもしれません。

心理の本や哲学の本も読みました。
また、親が教育関係者の子どももおり、そういう子からはまんがで読む伝記や発達の本を貸してもらいました。

モノや情報によるやるとりというのはとてもやりやすいです。

『光とともに・・・』を読んだのも小学生のとき。とても、光くんに共感しました。知的障害や自閉の度合いは違いますが、圧倒的にシンパシーを感じたのは、光くんの側の子どもたちで、「ああ、私はこっちの人間だ」と感じました。

そして、それから、「そうか、予定をはっきりさせると安心するな」と、自分でスケジュール表を作るようになったり、絵を書いて安心したり、自分で自分を支援する方法を探り始めました。
ほんのすこしづつですが、比較的早い時期にこういう気付きあったことはとても良かったです。



2015年8月14日金曜日

生育歴:誕生〜保育園

ある程度生育歴をまとめて心理士に見せたものをもう少し詳しく、感覚的に記述してみようと思います。ですので、①たたき台(心理士に見せたものの一部)②本文(曖昧で私的・詩的な表現だらけ。できるだけ当時の頭のなかを書きたい。)という構成をしています。

生育歴を聞かれた際、書いて見せるにしても、あまり長いものは心理士にしろ医師にしろうんざりするので、生育歴を伝える場合は私のように長く書くのは得策ではありません。しかし、私には短くするということが出来なかったので、精一杯の状態で、医師ではなく心理士のカウンセリングで見せました。


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誕生:未熟児で一ヶ月早く生まれ、保育器。ゆえに発達の遅れを心配されていたが検診はスルー(寝返りだけできなかっただけっぽい)。1歳、好きなおもちゃは本。

保育園:泣きすぎ。あと人と喋れない。文字が読めるのは早く保育園の本は読破したらしい。moltenという文字が気になる。ことばの成り立ちが気になって大人をうんざりさせるまで質問攻め。大人は答えてくれないから、ああ、だめだこりゃ。と思う。就学時健診の色覚異常検査で、「どうやら別の個体には別の感覚と思考があるらしい」と意識して空恐ろしくなる。今でも怖い。みんなが自動で動いているのか、意識をもっているのかわからなくなる。漠然たる不安。

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おひるねをすると上でくるくるせんぷうきが回っていてきれい。ぼぅーっと見る。
終わるとグリーグの「朝」。山々が明るくなってとりのさえずり。まどろむ自分。とろけていて、ここちよい。



ねすごすとこのまどろみを体験できないので嫌なんだけど、おやつは家で食べられる事になって、好きな時間に、制限なく、残してもいい。になる。おやつで良く出たビスケットは好きじゃない。ココナツの独特の匂いがして、ざらざらしてぺかぺかだから。園で手作りしていたゼリー(うす青い、りんご味)が、大好き。おいしい。もむん、と口に入れたら、つるつる。はむ、と噛めば、キラキラ。ああ、いいたべもの。

ごっこ遊びが、おひめさまごっこならした記憶がある。私は「3番目のおひめさま」らしく、ずっと座っていればOKだった。

あとは泥団子をつくったり探検したり色水を作ったりした。トンネルのなかにいいどろがあるんだ。そこにずっといる。安心。

教室の中では固まっていたか、moltenをずっと見てた。クルクルはお昼寝の時に見るものなのだ。moltenはいつでもわさわさいるからいつも見れる。なんだろうなぁ気になる。melonとも少し違う。めどん?あしに?確かにエメラルドグリーンだけど(保育園の先生のズボンのロゴ)、ピンクもある。なに?
先生やお友達に話しかけるのが苦手、お願いや要求「わがまま」が言えない、でも一人でどうやって行くのかわからない(一人では行ったこと無いからね)。一人で行動出来る範囲が広まると、失敗しながら試行錯誤しながらできることがその範囲内で増える。そして気になったことは極める。これはすべてにおいてそう。

本の部屋で座って全部読んだ。
だから近所の本屋さんの絵本コーナーは読んだことあるものばかりになってつまらない。買わなくても本は読めるから、どうせならおもちゃを買ってくれ、とごねる。
家にあったボロボロの、遠い親戚と思われるおじさんからのお下がり「三匹のおばけ」と「人類の進化の本(タイトル不明)」「まんが ことわざ」を家ではずっと読む。アウストラロピテクスという名前が気に入った。ずっとアウストラロピテクス、アウストラロピテクスと言う。口が心地よい。

なぜかわたしにずっと「バーカ」って言ってくる女の子がいて、その子がいる部屋の近くは怖い。いみわからない。多分私がトロイからなんだろうなあと漠然とはわかっているが、どうしていいかわからない。

牛乳はぬめっとしてにおいがあって、おちゃともジュースとも違って重たくて気持ちが悪い。飲めない。しかも、コレールのおわんに入れて飲まなければならない。コレールはまだマシだが、プラだともっとひどい。傷の中に他ののみものの匂いや味が残っている。それがプラの匂いと混ざる。吐き気しかない。
半分だけにしてもらってなんとか飲んでいた。ある時先生が半分にするのわすれて、仕方なく全部飲んだ(パック)。やっぱり美味しくはないし、一気に水分が胃に入ってタプタプ。一度にたくさん食べたり飲んだり出来ない消化器。しかしとりあえずこれで牛乳は「一気に」を覚えて攻略。


クルマに乗るとぐわんぐわんしていっつも気になるの「なんでそらはそらっていうの」「うみじゃだめだったの」「なんでうみはうみなの」「そらじゃだめなの」

延々毎回聞いてうんざりさせることにかけて一流。

そのうち「ああ、大人に聞いたってダメだ」と理解するけれど、やっぱり気になったら放おって置けないから、メモ的に聞いちゃう。栞にするの。


ぼんやり漠然とした不安とその中のキラキラ・興味に生きている。