このことは、病院でも話題に上がっています。
これは医療者としてはかなり見逃せない行動であるようで、くわしく話を聞かれました。
「たまたまウツだから、死ぬっていう方向になっただけ」
わたし個人としては、先の記事の状態以上の詳しい話をしろと言われても、困るなあと言う感じで、わりとしぶしぶ言葉を拾っては紡ぎました。
そこで、より詳しく・近い言葉を並べたのが以下です。
・死にたいわけじゃない
・時間稼ぎにつぶやいたりわーっとしゃべったりする
・うわーっと暴れたいような衝動。
・わきたつ興奮!
・たまたま前に人が立ってたりしたら、どんって押しちゃう気がする。
と、こんなふうです。
臨床心理の先生は、最後の「他者への攻撃」の衝動に注目しました。「これがどうして出てくるのかわからないなあ」などと言いながら。また、「別の人に話しかけられてるわけじゃないんだよね」とも確認されました。
だから、わたしはもう少し言葉を重ねました。
・別に他の人がいるとかじゃない。一番近い感覚が妖怪みたいな感じ
・うーん、死にたいのはたまたまそれがワカリヤスイ。なんか、やってみたい?ような。
・もじゃもじゃして気持ち悪いからばーんってしたい。
と、こんなふうに説明してゆくと、なんだか合点がいったようで。
「ああ、なるほど。うつの死にたい、というより、自己刺激行動の一種なのね。そりゃあ自傷もでますわ〜」
と言いました。
ほう、なるほど。
よくわからんような、たしかにしっくりくるような気がします。
わたしの自己刺激(っぽいもの)
そういうわけで、自己刺激について、頭の中からずらずらと出てきたものたちです。
身体感覚の希薄さ(よく「発達障害者の粗大運動や微細運動の不器用さ」でいわれるもの)や、低緊張のたぐい(低緊張についてはこちらのページにくわしいです)から、こういう行動が出ているようです。
たしかに、こういうものも、なんとなく体が拡散して安定しなくて、じっとできる安定的な姿勢が保てなくて気持ちが悪くて、体の中がもじゃもじゃしてうわーっとして、静と動の差が激しくて、起こってくるような感じがしますし、先の自殺衝動や自傷も、似たような感覚があります。
そこに、たまたまうつ病になってしまって、「死にたい」が身近なものになって。
そうして、そういう衝動としての発露が加わったのかもしれません。
うつと、発達障害の累乗で起こったような現象とみるといいかもしれません。
主治医には、「頓服を、適度に使うように」言われました。うわーっとなったら、暴れないで、ランニングをするなど、試しては、とも。
できるときは良いですが、できないときは、輪ゴムや身近な手遊びグッズで間をもたせつつ、ナントカ人間の形状を保って生きられればいいかなあ。自分や周りが傷つかないように生きられたら、合格です。幸せなんて思えたら、はなまるです。
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