「わわわアール・ブリュット」にて、スイスに行く作品が決定しました。
http://www.wawawart.com/mori/
こちらで、現在公開されている「日本の美意識」です。
その他の作品は、アップされていません。
私がいままで送ったなかで、一番良かったのがこれということです。審査にてとても褒めてもらえたみたいで嬉しく、そして驚きました。
また、その他のものはあまり良くないということでした。
そういうフィードバックを受けて面白かったです。
一番何も考えないで描いたのが、一番良かったからです。
そして、私にとって絵を描くことは、ストレス解消と同時に、療育的側面が担えるかもしれないなあと思いました。
わたしは待つのが苦手です。
すぐに完成したいし、終わりが欲しいです。
だから、絵をかくのも速いです。
昔から「あわてないでよく見ましょう」と言われていました。
けれど、今回スイス行きになった作品は、結構「我慢して待ちました」!
別の絵を書いているときに、魅力的な模様を発見して、それを描きたくてはじめた作品です。
それ以外に、私にとって意味はありません。
描いているうちに模様が見えてきて、作った部分もありますが、これといって具体的なものをひょうげんしようとしていません。
そのくせ、この作品はペンで描いており、乾くまでかなり待たないと、描いた模様が崩れます。
とっても待つのは苦痛でしたが、他の絵をはさみながら、じりじり完成させました。
一方、他の作品は絵の具です。
乾くのは速いし、乾くまで待たずにバーっとかきだしています。
とにかく頭のゴチャゴチャを出すために、待てないのをそのままにして描いています。
その、粘っていない部分、どこか隙間ができてしまった部分のようなものが、出たのかなあと思いました。
とはいえ、作品がダメというわけではないということなので、たくさんかきつづけながら、どれかが引っかかればいいかなーくらいの気持ちで自由にかきながらいこうかとおもいます。
また、模様のようなものも伸ばしつつ、ぱっとわかる具体的なものも、かわいいものなんかも、かけるようになりたいです。
そういうために、教室にも行ってみようと思います。
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私にとって、待てないのは、人生においても、絵においても、こういう、文についても同じです。
そのくせ、考えていることや入ってくることに対しての、だせることはとても少ない。
そういう凸凹があります。
けれど、それだと、いつも人生に退屈して、すぐに人生に終わりをつけたくなってしまう。
わたしの、ゆっくりペースに、自分の脳が合わせられません。
それでいいことも有るかもしれないけれど、やっぱり、やりたいことを全部やるためには、もっと「待つ」必要があるなと思います。
2016年10月16日日曜日
2016年9月4日日曜日
良くはなかったらしい。
通院日でした。
前の週は、通院はしましたがCWさんとのお話のみでした。
そちらは、色々手続きがすんでからまとめて書くつもりです。
今回は、和歌山行きの後のどっと疲れてしんどいことがメイン。それから、職場に怒鳴る人が出現して、パニックや思い出し怒りが止まらないこと(つらすぎてこれ以上書けません)。
また、全てのことが過渡期で、今はしんどいだろうということでした。
そして、私の「スイッチが切れない」ことは、やはり良くないね、ということに。
休めないのです。
休んでも、やることが終わっていないとほとんど意味が無いように、頭がぼんぼん爆発しそうなので、やり続けて終わらせてしまうしかない。
それではいけないね、気分転換になることをしましょう、ということになりました。
ただ、正直なところ、「いやいや、できたらやってますやん」という感じで。
過集中と虚脱のパターンから抜け出せません。
先生によると、結果的に非常に良かったものの、和歌山に衝動的に行ってしまうということそのものも、気分の波という点では、まあ良くはないとのことで・・・。
ただ、なんだかもうこれ以上は私にはどうしようもありません。ぐったり・・・
とりあえず9月を乗り切り、生き延びます。
うーん。弱ったなあ。
前の週は、通院はしましたがCWさんとのお話のみでした。
そちらは、色々手続きがすんでからまとめて書くつもりです。
今回は、和歌山行きの後のどっと疲れてしんどいことがメイン。それから、職場に怒鳴る人が出現して、パニックや思い出し怒りが止まらないこと(つらすぎてこれ以上書けません)。
また、全てのことが過渡期で、今はしんどいだろうということでした。
そして、私の「スイッチが切れない」ことは、やはり良くないね、ということに。
休めないのです。
休んでも、やることが終わっていないとほとんど意味が無いように、頭がぼんぼん爆発しそうなので、やり続けて終わらせてしまうしかない。
それではいけないね、気分転換になることをしましょう、ということになりました。
ただ、正直なところ、「いやいや、できたらやってますやん」という感じで。
過集中と虚脱のパターンから抜け出せません。
先生によると、結果的に非常に良かったものの、和歌山に衝動的に行ってしまうということそのものも、気分の波という点では、まあ良くはないとのことで・・・。
ただ、なんだかもうこれ以上は私にはどうしようもありません。ぐったり・・・
とりあえず9月を乗り切り、生き延びます。
うーん。弱ったなあ。
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| あたらしい絵 「いちばんの友達、愛する犬」 |
2016年8月25日木曜日
2016年8月15日月曜日
アール・ブリュットの作家として活動すること
まだ頭のなかに絵や言葉やいろいろが渦巻いてしんどいです。
ウィンドウ開きすぎて応答停止状態。
それでもずーっとクリックし続けちゃう状態。
強制終了ボタンはどこ?
そんな状態で、でもだからこそ書きます。
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このたび、わたしは「アール・ブリュットの作家」として契約をしました。
そのことについて、思うことを描きます。
A アール・ブリュットとは
アール・ブリュットとは、芸術の専門教育を受けていない人々のつくる芸術のことで、「生の芸術」「アウトサイダー・アート(アール・ブリュットの英語読み)」などとも呼ばれます。
近年の日本では、主として障害のある人々のつくる芸術について、そう呼ばれますが、もともとは、芸術教育を受けない人のアート、という意味です。
したがって、障害がなくてもアール・ブリュットですし、また、障害があってもアール・ブリュットとはいえないこともあります。
B1 わたしの経歴
わたしは、小さい頃から絵を描くことが好きで、ずっと描き続けています。
専門教育は受けていませんが、高校は美術部で、その先生とは今も交流があります。
また、大学では写真部でした。そして、洋服や小物の販売もしました。
そういう経歴があるため、私の場合「アール・ブリュット」であるかどうか、ギリギリのところだったのです。
B2 私の絵
しかし、どうやら大切なのは「アール・ブリュット」が「生の芸術」である、ということのようです。
少なくとも、「わわわ」では、重視するのは「いわゆる既存の「構図」とか、そういったものを学んでいるかどうか。学んでいると、そういうものが出てしまう」というところでした。
そういったものは、私は学んでおらず、またぜんぜんわかりません。
また、「自分のスタイル」のようなものを確立することも、できません。
かきたいものをきれいに描くのではなく、「みえたもの、さわったもの(一般的な語彙で言う「感じたもの」」をそのまま「移したい(描くのではない)」からです。
いつもおなじ形でみえることはありません。
だから、アール・ブリュットとしても、ありかもしれません。
B3 助けがほしい
私はコミュニケーションが苦手です。
私は何かをするときに、ふっと固まって、簡単なことでも「できない・・・」と混乱します。特に、やったことのないことは、知識は充分にもっていて、できることもわかっているのに、なぜか、パニックになってしまいます。
したがって、自分の作品、特に「絵」をを売り出したり展示したりすることができません。今までやったことのあるものは、運や他者の大きな助け(というか、代行・・・)です。
そこで、助けがほしいのです。
B4 お金と、自由にかける環境がほしい
そして、お金がほしいです。
死んでから評価されることに興味はありません。
そういう悲劇の大芸術家になるのは別にいいです。
また、大きな絵やたくさんの絵は、描いた後邪魔です。
飾るにも限界があります。
そこで、売れて、保存してもらえるなら、それはたすかります。
そうすることで、心置きなく描けます。
Bまとめ だから、わたしは契約した
だから、私は自分を「わわわ」に、すなわち自動的に「アール・ブリュット」の位置に置くことにしました。
「わわわ」は、「障害者が芸術で収入を得る」ことを、けっこうストレートに宣伝しています。「社会貢献」とか「心の綺麗な絵」なんていう、ことではなくて、「いいものを売って、生活する」ことを、きちんと表明し、支援してくれるようでした。
だから、わたしは、この風に乗って、浮かんでみることにしました。
プカプカたこになろう。
きょうもプカプカ、無理せずプカプカ。
大丈夫!
「わわわ」の先生は、そう言ってくれました。
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