2016年8月15日月曜日

アール・ブリュットの作家として活動すること

まだ頭のなかに絵や言葉やいろいろが渦巻いてしんどいです。
ウィンドウ開きすぎて応答停止状態。
それでもずーっとクリックし続けちゃう状態。
強制終了ボタンはどこ?

そんな状態で、でもだからこそ書きます。

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このたび、わたしは「アール・ブリュットの作家」として契約をしました。

そのことについて、思うことを描きます。

A アール・ブリュットとは


アール・ブリュットとは、芸術の専門教育を受けていない人々のつくる芸術のことで、「生の芸術」「アウトサイダー・アート(アール・ブリュットの英語読み)」などとも呼ばれます。
近年の日本では、主として障害のある人々のつくる芸術について、そう呼ばれますが、もともとは、芸術教育を受けない人のアート、という意味です。

したがって、障害がなくてもアール・ブリュットですし、また、障害があってもアール・ブリュットとはいえないこともあります。

B1 わたしの経歴

わたしは、小さい頃から絵を描くことが好きで、ずっと描き続けています。
専門教育は受けていませんが、高校は美術部で、その先生とは今も交流があります。
また、大学では写真部でした。そして、洋服や小物の販売もしました。

そういう経歴があるため、私の場合「アール・ブリュット」であるかどうか、ギリギリのところだったのです。

B2 私の絵

しかし、どうやら大切なのは「アール・ブリュット」が「生の芸術」である、ということのようです。
少なくとも、「わわわ」では、重視するのは「いわゆる既存の「構図」とか、そういったものを学んでいるかどうか。学んでいると、そういうものが出てしまう」というところでした。

そういったものは、私は学んでおらず、またぜんぜんわかりません。
また、「自分のスタイル」のようなものを確立することも、できません。
かきたいものをきれいに描くのではなく、「みえたもの、さわったもの(一般的な語彙で言う「感じたもの」」をそのまま「移したい(描くのではない)」からです。
いつもおなじ形でみえることはありません。

だから、アール・ブリュットとしても、ありかもしれません。

B3 助けがほしい

私はコミュニケーションが苦手です。
私は何かをするときに、ふっと固まって、簡単なことでも「できない・・・」と混乱します。特に、やったことのないことは、知識は充分にもっていて、できることもわかっているのに、なぜか、パニックになってしまいます。

したがって、自分の作品、特に「絵」をを売り出したり展示したりすることができません。今までやったことのあるものは、運や他者の大きな助け(というか、代行・・・)です。

そこで、助けがほしいのです。

B4 お金と、自由にかける環境がほしい

そして、お金がほしいです。
死んでから評価されることに興味はありません。
そういう悲劇の大芸術家になるのは別にいいです。

また、大きな絵やたくさんの絵は、描いた後邪魔です。
飾るにも限界があります。

そこで、売れて、保存してもらえるなら、それはたすかります。
そうすることで、心置きなく描けます。

Bまとめ だから、わたしは契約した

だから、私は自分を「わわわ」に、すなわち自動的に「アール・ブリュット」の位置に置くことにしました。
「わわわ」は、「障害者が芸術で収入を得る」ことを、けっこうストレートに宣伝しています。「社会貢献」とか「心の綺麗な絵」なんていう、ことではなくて、「いいものを売って、生活する」ことを、きちんと表明し、支援してくれるようでした。

だから、わたしは、この風に乗って、浮かんでみることにしました。

プカプカたこになろう。
きょうもプカプカ、無理せずプカプカ。

大丈夫!
「わわわ」の先生は、そう言ってくれました。



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