2015年10月31日土曜日

カウンセリング9A 自信があるように見えるのは

カウンセリングでした。

本当にメモリに余裕がなくて、この記事に「頭ぎゅーん」「不器用」とメモ(殴り書き)したものをとりあえず印刷して持っていくのが精一杯でした。

注目して話をしたのは2つです。

1つは新しい仕事はどうか、ということ。もう1つはTwitterについて。

新しい仕事について−外見と中身の乖離(高機能のしんどさ)

これは、「どうか」と聞かれてもよくわからなかったので、「よくわからない。職場で仕事をしているときに自分が目にする映像が流れるだけで、ただその事実がそんざいするだけで、どうということはわからない。」と、仕事の動きをしながら答えました。

「それは落ち込んでいる、自信を失っている、っていことじゃないかな」とのこと。
ピンと来ませんでした。
「感情を感じにくいんだね」と言われました。
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今思うこととしては、「感情を感じてはいるけれど、認識=意識の舞台に乗せ、言葉でラベリング=みなに分かるように一般的表現をすること、が難しい」のだろう、ということです。


イメージ図です。

脳が入力情報を処理し、適宜出力命令を出すおおもとです。
その中に、分類部隊やラベリング部隊がおります。
分類された情報達はそれぞれ

「短期記憶フォルダ?長期記憶フォルダ?」
「そのまま保存?圧縮する?」
「関連付けする?」
「どんな名前をつける?」

というような処理の部隊に回されます。

そのような処理をするわけですが、脳はこういったことを一時メモリを使って入ってくる情報を瞬時に処理しているので、全ての情報を平等に大事に処理しているわけではありません。

たとえば「毎日見ている風景」は、脳が「いつものだからクリックしなくていいっす。変わってるとこだけ見つけといて〜」となるわけです。ま、だからわりかし見落とすわけです。
こういうところに余計にメモリを掛けてしまう結果「いつもと違うと怒る」ということがあるかもしれません。また、ここにメモリをかけないようにするために「いつもと違うと怒る」可能性もあります。私は後者だと思っています(別回路を圧迫するのでパンクしやすくなる)。

そこで、おそらく通常はここの「圧縮」や「優先順つけ」が、社会生活を送るのに有利になるようにはたらくのでしょう。ある程度訓練はできれど、脳の機能ですから、それは無意識ですし、訓練で必ず思い通りになるなんてことはないと思います。
人間は群れで、感情のやり取りを通じて「群れとして」認め合う生き物ですから、「感情」や「同じ生き物情報」が優先的に処理されます。
それで残った「余分なメモリ」の余力を、別の部分に回します。
結果、「画像の記憶」なんかはたいてい圧縮されるのですね。
学校生活で言えば「友達の名前と顔」は全部そのまま飲み込み、長期記憶・すぐ出せるフォルダに、「勉強」が圧縮して「テストの時だけでいいっす」フォルダに(で、思い出せない)入れられるような感じです。

ところが、非定型発達の私は、おそらくこの仕組ではないのですね。
また、無意識に大きく影響するであろう「興味・関心」においても非定型。
ゆえに、「優先順位付け」や「圧縮」が多数派とずれてきます。
私は人間ですが、群れで生きる生き物ではないようです。また、「意味」「事実」「分析」といった事柄につよく惹かれ、安心する(※これは「記憶」の方法が関連している)傾向があるようです。

※この画像の記事参照のこと。

そのために、生きる上で大切な「感情や体調の理解」部分がとても苦手なのだろう。
事実やはっきりした映像の方がなぜだか優先度が高く、また「はっきりしていてわかりやすい」のです。そして圧縮率が(おそらく)低い。
その分、「人の顔と名前の一致」や「感情のラベリング」に使うメモリが圧迫されます。

また「ラベリング能力」そのものが全体にとても低い。
そのために「画像は画像のママ」認識するしかなかったり、「姿のない」感情、「基準のない」体調、といったものは非常に認識しづらく、意識の舞台にすら乗せられない。

そういう感じが、私の頭のなかで 起こっている ような気がします。

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上記を発見したのは「感情を感じにくい」ということからのフラッシュ思考です。
そして、そこからさらに発見したことが、タイトル

自信があるように見える
ベテランに見える
度胸がある(ように見える)

です。
なぜなら「なにかしないと」と思ったら、その完成図ははっきりわかるものです(完璧にすればするほど完成図に近いため、完璧主義の要因でもあったり)。けれども、それにともなう感情や体調はよくわからない。
ゆえに「とにかくやる」という事実=完成図を現実にするためにはたらきます。がむしゃらにはたらきます。


その結果が「働いているもりさんは鬼気迫る感じが怖い」「厳しい」「一年目には見えない安定感」「度胸がある」エトセトラ、エトセトラ…

という評価になります。

けれども実は「ラベリングされない、意識に上らない自信の無さや自己否定、しんどさ」はたまっていきます。
そして、閾値を超えた順に、体の一部やパニックとなってあらわれる。

うーん。どうしたものかなあ。
という感じです。

とはいえこれを書ききったことですこし落ち着きました。

長くなったので、二つ目の「Twitterについて」は別記事にします。

2015年10月28日水曜日

ねこかな?


ねこだ!間違いないぞ!と思ってお庭を探しまわったのですが、いませんでした。
でも影だけある…ゆうれい…?ねこの…?こわくない…昼間だしねこだし…でもよくわからない現象だな〜と思って見回したら…


木でした。
「木のてっぺんに乗って座っているなんてなんてかっこいいねこなんだ!」と思っていたら「木のてっぺんの形が座っているねこのシルエット」でした。

とってもわくわくしました。
しかも、これは特定の時間にしかキレイなねこの形に、ならないのですね。
それに気がついて、すごくどきどきしました。

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さて、今日はお休みでした。

今週から採用をみこした職場体験をしています。

色々と思うことはあれどなかなか文章に起こせず…

でも、じりじりと進む。

きっと今までと違って民間企業への就職・事務系ということで、できると思っていたことが思わぬ苦手として新たに出てきたり、すると思います。
現にしています。

大体みんなの状態を把握して仕事をしたり、早口(これ、びっくりしたのですが、やはり教員・学校関係者というのはあるていどちょっとだめな人でも、「ゆっくりはっきり大きな声で、相手が黙っているときに話す」ものなのですね・・・やっぱりすごいんだな。しかも、外線は、業者の場合、学校側はたいていお客なのです。あんまり難しくないんです・・・)の電話を瞬時にどこからか見て、見ながら取り、取りながら名乗り、名乗りながら相手の名乗りを聞き取ってメモし、用件を聞き、取次などする。これらが同時に一瞬でできる人ばかりなのです。
うわーん。大丈夫かな〜。

しばらくはジョブコーチの方も入ってくれるし、障がい者雇用でもあるので、相談しつつ、どのように働くか、つくっていこうと思います。

金銭的に限界なので、とにかくこの職場には食らいつかないと、本当に厳しい〜!
正直、これがあるがゆえに、あんまり「自分に合う働き方」を悠長に選んでいられない。のです…。これ以上、親に関わること、頼ることも、私の特性・育ち双方の問題上とてもむずかしく、正直「できません」…。


ログメモ

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【プチ特性発揮メモ】

運動しようとプールに行ったのですが、更衣室の中に「化粧室」と書いた場所が2つありました。
私は「化粧室」だから、どちらかトイレで、どちらか化粧をする場所なんだな、と思って、その場で隠しながら着替えました。
すると、後からきたおばさま達、化粧室に入っていくではありませんか。

出てきたおばさま、変身完了。

「着替えルーム」って書いて〜〜〜〜〜〜!!

今日もアホちゃんやらかしました。

いいんだ、誰も迷惑かけてないから、いいんだ。
更衣室の中にさらに着替えルームがあるなんて…たしかに「プール利用の人」はそのほうがありがたいです。でも、わからないよ〜〜〜〜。

「常識がない・世間知らず(プールに行ったことは合ってもそういうところが見えていないのでしょうね)」「字義通り捉え(化粧室がトイレ、とか、知識さえアレばOKなんですよ。基本的にあまりこういうこと、やらかしません。またはやらかしても気がついていません。)」のコンボでした。

でも、初めての人はわからなくて不安なんじゃないかなぁ、やっぱり。
きちんと表記した方が、みんなにやさしいんじゃないかなぁ。
とも思いました。

ただプールの床は、感触がとても苦手な石のタイルでしたが、人が多く通るところはマットが敷いてあり、嬉しかったです。



2015年10月17日土曜日

家族とは/医療費助成/記録

私には家族がわからない。
家族だから、に続くあらゆる文章が理解できない。

家計を一にする他人なのである。


私に、情をもとめないで。
私をこじあけないで。
ほおっておいて。

家族の支えがなければ生活できないのに、そう思う自分が情けないけれど

とにかく一緒に暮らすことそのものが過干渉で、感覚過多・情報過多で。
ものすごく疲れる。

ともにくらすことそのものが私には暴力に近い。

そしてそれゆえに起こるパニックやイライラや泣き叫びによって家族も疲弊する。
そうすると本当の虐待が顔を出す。
数々の暴言と暴力を私は忘れることができない。

別の個体なのに家族だとなぜいろいろなことが一体化してしまう慣習なのだろう。
意味がわからない。

私は、少なくとも「普通の」意味では誰かの家族になることができない。
それが私の「普通」なのである。
私は自分が変であることを自覚しているが、全然納得はいかないのである。

定型の人々の過剰な干渉やコミュニケーションは、私にはとても不思議で、宇宙人で、えてして暴力だ。

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私の住む地域では障がい者手帳によって医療費助成が受けられることがわかった。
精神以外でもなにかと不調の多いからだをもつわたしには非常に助かる制度だ。
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ペインスケールを作った。
自分の調子を伝える、また自覚する手段になるように。
一般の人が普通にペインスケールを購入できるようにしてほしい。
このようなスライド式のペインスケールが欲しいのである。
http://www.esakimedical.co.jp/product/other/painskeil.html
http://www.grg.co.jp/%E5%8C%BB%E7%99%82%E9%96%A2%E4%BF%82%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%86%E3%83%A0/%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%AB/
http://makipain.web.fc2.com/sub10.html
スライド式が魅力的で、また痛み以外の、あいまいな物事を可視化して認識/伝達するのにも使いやすい以上の3種類のようなものがよいと思う。ただし、3000円は高すぎるので、プラスチックで構わない。気軽に手帳に挟めるもの・文房具感覚で持ち運べるものがよい。


【追記】「ふつうじゃないかたち」でなら家族になれると思います。よ。(パートナとは共に暮らすことができる)

2015年10月16日金曜日

カウンセリング8

カウンセリングでした。

引き続き「据わりの悪さ」に関して。
色覚異常の記事をみせました。

私は名前しか知りませんでしたがこの感覚が「ドナ・ウィリアムズさん」(『自閉症だった私へ』の著者)に似ているように、心理士の先生は感じたそうです。
海外の自閉症者の著書をあまり読んでいないので、これを機に読もうと、図書館に行きましたが、なかったのでほかのものを借りました。
ここのところ自閉症関係の本をほとんど読んでいなかった(あるある〜、と共感するが、結局それ以上のものが見いだせないため)ので、ちょっと興味が湧いて、とりあえずたくさん借りました。


TED「世界はあらゆる頭脳を必要としている」の動物学者テンプル・グランディンさんの本でさえ1冊も読んでいない私です。書痴のくせに、です。

そして、眠すぎること、身体中がチクチクと痛痒く、服を着るのもやっとのことを伝えると、疲労だと言われました。
休む方法を考え、「壁に挟まる」ことになりました。

そして、これ以上タスクを増やさないこと。できれば減らすこと。

とっても難しい。

けれどもこれいじょう抱えきれません。

職業センターでも限界突破して泣き出しそうになりながら打ち合わせをする日々です。
きっとそうは全く見えないみたいなのですが。

それでも記録することをやめられない。ので、

支離滅裂なのですがのせています。
疲労しているのですがそれにうまく気が付けない。

刺激を遮断すれば、少し自覚できるが、すぐに刺激を求めてしまう。
相反する欲求。

頭が痛い。

そうこうするうちに手帳も届きました。
一仕事終えてひとつ「曖昧なまま頭にとどめておくしかなかったこと」が完全に外部化され、また障害者雇用のほうもこれで正式にOKとなり、すこしほっとしました。
障がい者になった、ということはとくになにも思いませんでした。なにも変わっていません。
これから遅れて気持ちがついてくるかもしれませんが、今はここまで。

笑えることには、心理士さんから、体幹の問題にて「スタイル」を進められました。
わたしの据わりが悪い、という感覚には精神的なめんにプラスして身体感覚のエラーもあるだろうとのこと。






2015年10月7日水曜日

カウンセリング7 据わりが悪い

カウンセリングでした。

据わりが悪い、居心地が悪い、という昔からある感覚はいったい何なのか。
少しずつほぐしていきました。

先生は、「なんとなくわかってきた」そうですが、
私は、「全然わかりません」。

ので、何を記録していいのかもよくわかりません。

とにかく、からだがあることが不便でしかたがない。
完全な空気、きれいな存在になりたい。
脳と体との乖離。
http://morikanoko.blogspot.jp/2015/07/blog-post_29.html
以前書いたこの記事をふと思い出します。

私は言語に問題はないので、わかりやすく話せているのかもしれません。

けれど、本当に表現したいことはそれよりももっと違う言葉でしか表せない、おいてきぼりの部分がある。そして、言語能力とその他の能力の差が大きすぎる。
精神的な幼さ。いつも癇癪が爆発しそうで、とにかくそわそわ。

今日は特にひどくてずっと何かを食べているか(口の中に刺激があるとしゃっきりする感じがします)、痛いほどに手をぐにゃぐにゃと曲げて刺激しているか、無意味に動きまわっていないと、意識が保てない。

それはじぶんにしかわからない。
じぶんでさえもわからない。

不思議です。

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診察は、仕事関係のことと、最近体のちからが抜けやすいこと、自己刺激的に食べ続けてしまうことを話して終了。処置しようがないので、処方はかわらずです。

私にとっては複数のことを処理している状態にあるので、先生はひたすら「少しづつね」「大丈夫」という言葉をかけてくださいました。


2015年10月2日金曜日

カウンセリング6  − ASD者の記憶・認知特性とB項目

カウンセリングに行ってきました。
前回混乱していたことを受けて、今回は特に準備がありません。
少し間が空きましたが、その間に考えたことや聞きたくなったことをメモして見せました。混乱した気分の他に、主に質問としては

「新DSMで、私の診断名はどうなるのか」

ということでした。

診断名にとらわれることに意味はないとわかっていても、「紙に書くことが出来る診断」というのは私のなかで「証拠」のような位置づけになっているようで、ばかばかしいのがわかっているのに不安定になります。

新DSM関連のページいくつか

http://synodos.jp/society/4414
http://www.e-satoh.com/DSM-V.html
http://ir.lib.sugiyama-u.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/828/1/%E5%AE%AE%E5%B7%9D%E5%85%85%E5%8F%B8.pdf

これまで、「広汎性発達障害」(自閉症スペクトラム)の診断は、「コミュニケーションの障害」または「常同性」のどちらかがある、ことで診断がなされてきました。(ただし、これまでの診断基準というのは非常にあいまいで「イメージ」に基づいた診断をしてしまっているなどの問題も指摘されています)ところが、今回からは「コミュニケーションの障害」および「常同性」の両方 による診断がされることになりました。

そして、私の診断書には「常同性」にチェックがありませんでした。

そうして私はまた「あれ・・・?今まで自分が自閉症スペクトラムだと思ってしてきた工夫は何だったの・・・?」「ただのずるだったのかな、ちゃんと普通に頑張る必要があるのかもしれない、やろうと思えば出来るのかもしれない」の思考に飲み込まれて行きました。
いつもは、「障害があろうとなかろうと、楽になるように補ってすごせばいい」なんて書いている私ですが、それはいちばん、自分にいいきかせなくてはいけないことなのです。とっても苦手です。

ただ、Twitterでこの不安感を訴えたところ、どうやら「常同性」の下位項目が変わっているようでした。
そして、新DSMのくわしい解説ページを教えていただき、自己判断で「どうやら私は診断名は変わらないようだ」と思いました。

念のため(というより、自分で思ったことを信用出来ない私は)、それでもカウンセリングで確認してみたというわけです。

新しいDSMの日本語版を見せてもらいました。
「常同性」の項目について、「すべての下位項目に関する、共通した、根底にあるものは何か」ということを、説明してもらいました。

それは、どうやら「記憶や認識が頭の中でどう存在するか」という点であるという考え方があるそうです。

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いわゆる定型発達の人というのは、記憶や認識が順番に「積み上がっていきます」。その影響の受け方が一定です。

ところが、自閉症スペクトラムの人は、それがバラバラな傾向があるのだそうです。そのため、タイムスリップが起こったりする。そして、「ずっと一定に続いている、積み上がっている」ものがないゆえに、とても足場が不安定です(平気な人もいます)。(これ、あおさんの、「記憶は水に浮かぶ島のよう」という喩えと、ぴったり一致しますね。)

ゆえに、「エコラリア」や「常同行動」をすることで、「変わらないもの」をつくりだす。そうして安定をする、というひとつの方法。そして、ほんのわずかの「変化しないはずのもの」に頼って生きているがゆえに、それがかわることに非常に敏感である。(感覚過敏は微妙にずれますが)それがこのB項目の「常同性」ということなのだそうです。

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これは諸説あるうちの1つだと思いますし、カウンセラーさん自身も「僕もよくわかってはいない」と言いつつ、苦労しながら説明してくださったことです。
そして、それをさらに私のフィルターを通して書いたものですので、完璧なものではありません。

しかし、たしかにこういうふしはあるなぁと思いました。

そして、やはり私はこういう診断の部分に、苦しいにも関わらず、ばかばかしいとわかっているのにこだわってしまう(もしかして、これもB項目のひとつでは、と思います)。
そういう部分が大きいので、これからは、問題解決型ではなく、少しどういう方向か決めずに、「私はどういう位置づけなのか?」という足場を安定させるためのカウンセリングになるそうです。

なんだか不毛な気もしますが、私に必要なことだとも思います。
じりじりとしか進みませんが、また次回、どんなお話になるか、楽しみです。