2015年7月6日月曜日

空気を読めないとイライラするのはなぜ?

こんな記事があります。

アスペルガーから見た奇妙な定型発達症候群
どうやらもとは書籍のようですが、私は読んでいません。
こんな記事も出ています。

私の支援者さんとも話が出たのですが「定型発達でも、発達凸凹でも、それが悪いわけではない。ちょっと違う文化だからお互い勉強しないとだめだよね〜」と話します。

そういう時に切に思うのは、「定形さんについての解説書がほしい」ということ。

やっぱりみなさん思うんだろうなぁと、こういう記事を見るにつけ考えます。

そして今回考えたのが表題の件です。
これは定形さんの特性として広く知られていますが、正直な所「だとしても、はっきり表現していないのはあなたなのだから、相手に伝わっていないとわかったら、伝えれば済む話ではないのか?不思議だなあ。」と思っています。

そこで、どうしてそんなに「空気がよめないこと」や「常識がわからないこと」が定形さんの神経を逆なでするのか、自分にわかるように考えてみました。

彼らにとって、「空気が読める」ことが当然の性質です。
つまり、空気中に「常識」が漂っていたり、書いてあったり、常にBGMのように頭に入ってきます。
そうなると、そうした物事はたとえ表現しなくても「さっき何度も言ったでしょ」「さっき何度も聞いたでしょ」という事柄になります。

なるほど、何度も言ったことをもう一度説明するのはうんざりします。

そういう体質の人もいるのだなあと思って、お互いに異文化交流できればいいなと思います。

そして凸凹さんにも定形さんにもたくさんの個性がありますから、その人自身が自分と合うか、好きかどうかでうまく付き合っていければなあと思います。
そして嫌いでも、あわなくても、上手くやれるコミュニケーション能力を身につけたいものです。


「空気を読む」「感情を読む」メカニズムははっきりとはわかっていないようですが、ミラーニューロンが関わる、といった研究も最近はされているようです。
またADHDを脳の血流で診断するといった方法も研究されているようで、期待がもてます。

私は、なんとなく「空気を読む」事ができる人間については、

「社会全体がひとつのアメーバ状のイキモノで、そこに点在する人間というパーツ。アメーバを通して伝達があるので、空気が読める、という状態になる人間が多い。そうでない人間は、少しパーツの種類が違う、独立した機関。」

というような解釈をしています。たくさんの人間がこうもスムーズに動いている世の中はとても興味深く、不思議です。
よく自閉症者は自他区分ができていないということも言われますが、こう考えると、「空気が読めて当たり前」の定形さんは、自他区分が全くできていないけれど、単にそれで問題がないだけなのかもしれないなあと思います。自他区分の問題があるのは、凸凹さんだけでは無いのではないかとよく感じます。

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