先日、twitterで発達障害当事者のあおさん、如月行さんとこんな会話をしました
発達障害をもつ人は、体幹の筋肉を鍛えるのが苦手な傾向があるようです。
私も、彼らもそれが当てはまります。
椅子に座るとじっと落ち着いていられない。
座れても、ものすごく姿勢が悪い。
こういった筋肉や姿勢の問題を解決するために、今までも取り組んできました。
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こんなふうに考え続けている内容なので、思わずまた考え始めてしまいました。
最近とみに「バンボ」の大人用が欲しい、という気持ちが大きくなっていたので、より思索にハマり、面白かったし、とても得るものがありました。
最近では発達障害も有名になり、全国の都市部で当事者会が行われているようです。
私はそういう当事者会に行ったことはありません。
なんだか何のために、何をしに行くのかよくわからないし、知らない人に合うのも怖いし、そうまでして得るものがあるのか、全然理解できないからです。
テーマをもってやっている当事者会というのも少なくはないと思いますが、やはりそれぞれで性格(障害は関係なく)も違えば困り事も違う、向かう方向も違うなら、あたりをつけるに主な当事者会の目的である2つ
「同じ障害の人と仲良くなりたい」
→「何で同じ障害だと仲良くなれるの?意味分かんない」
→「ほぼ全員が程度の差はあれ社会性に困難を抱えているのに、ちょっと行く当事者会で仲良くなれると思えないし、なりたいと思わない」
「困っていることを解決したい」
→「これはわかる。福祉も医療も限界はあるから。」
→「でも、その会で本当に解決できるの?」
→「話をするのが苦手だから、多分私にはその会で何かをいきなり話したり相談することはできない」
は、こんな感じに思えてしまうわけです。
それで、役に立つのか疑わしいし、ちょっと当事者会というものを遠巻きにしていたのですが、今回上のまとめのような会話をして、「こんな当事者会なら、すごくいいな。この会話って、ちょっと、プチ当事者会なんじゃないかな?」と思いました。
そうか、こういうことをもしかして、当事者会では目的としているのだろうか?と思いました。
ただ、今回こんなに会話が展開された理由は
・文字だから
・たまたまテーマが3人で噛み合って情報を出し合えたから
・全くしらない人ではなかったから(?)
だと思います。特に、「文字だから」の要素が非常に大きい。
ただ、それでも会って話し合うことも有効だと思います。
より「現物を見せる」のがやりやすいということもあります。
写真やURLのやりとり、文字でのやりとりはやはりわかりやすく、とても合っていると思いますが。
実際的な困りごとの解決には、文字だけで、思いついたことを思いついた時にポンポン言える、URLや写真も気軽にやりとりできる、という環境がいい。すなわち、SNSというのはとても有効だなあと感じたのでした。
怖いところもあるSNSですが、インターネットを介さなければとてもやりとりできない人と知り合ったりやりとりができ、またやりとりの方法も、私には合っていて、今回のこと以外にも、「かむかむナイン」について教えてもらえたり、作品を見てもらえたり等します。
うまく利用して、生活していきたいものです。
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