2015年9月16日水曜日

「どうしてそんなふうに言うの」

「どうしてそんなふうに言うの?」と母はわたしをなじる。

私からしたら、彼女のいけないところを指摘し、なぜいけないのか、そして、どうしたらいいのかを話しただけなのに。
彼女はどうしてだか私の嫌なことをして、べたべたと寄ってくる。だから、より丁寧に、説明しないとわからないだろう、と思って丁寧に丁寧に、してほしくないことや、それがなぜいけないのかを解説する。

しかし、「どうしてそんなこと言うの?」「本当に、あなたは嫌味ったらしい」と、これである。

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さて、これは「指摘の方法」に私(発達障害)と母(定型発達の典型的おばちゃん)とで認識に大きな差があるからだろうな、とふと気がついた。

定型発達さんは、感情過敏だという記事を書いた。

母もそうなのである。
そして、感情的でない言葉に対して、負の感情を無駄に想起し、不安になるらしい。

そうすると、私のやっている「懇切丁寧な説明」は、まったくもって「負の感情を想起しまくる」らしい。

私は感情を交えた説明は、「意味が無い」し「伝わらない」し「伝わり方にゆらぎがあり、正確ではない、つまりよくない説明の仕方だ」と思っている。いまでもそうである。

実際、説明自体は伝わっているのだと思う。

しかし、それ以上に感情をどこからか生み出して受け取ってしまう感情過敏な定型発達さんである母は、「なんて冷たい言い方!私に対するいやがらせなのかしら。どうしてそんな言い方するの?」というところで思考が私の主張に対し「嫌がらせ」とラベリングし、そこで「受取拒否」してしまうのだと思われる。

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では、どんな説明ならいいのだろうか?
というと、「感情を含める」ことである。

つまり、

「〜〜〜〜〜は、私にとってつらい/悲しい。*****だと、うれしい。」

という言い方である。

これは私にはくすぐったくてたまらないのだが、仕方がない。

定型さんどうしだと、もっとうまく察しあって(まあ本人たちもそれについては面倒だと感じているようだが、それでもやらざるを得ないのが特性らしい)やっているみたいだが、このくらいが限界である。

親子コミュニケーションの、「アイメッセージ(わたしはこう思う・こうされるとうれしい、、と伝え、否定したり命令しない方法)」に近い方法だ。


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こんな本もある。
評判がいいようなので、一度読んでみたいと思っている。
子ども用だが、そのぶん読みやすそうだし、大人でも使えそうだ。
私の場合、精神的にかなりおさない(凹んだ)面があるので、より向いているかもしれない。

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あとは、物理的に距離を置いて、うまく接してゆくしかないだろう。

相手からの配慮は期待できないし、期待するとよりダメージを受けるのはなんといっても自分。

自分をコントロールすることと、人間関係を学ぶことは似ている。
人のためではないのです。


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