2015年9月27日日曜日
過敏と鈍麻、過敏で鈍麻
最近いそがしく、過敏が悪化しています。
すぐに頭が痛くなる。パソコンの画面がまぶしい。
いつもは大丈夫な、紙のこすれる音や、イスと地面が擦れる音がつらい。
そして、それに気がつかない鈍麻と、気がついてもやめられない、刺激を求めてしまう部分。
あまりにそんな日々だったため、電気を全て消し、毛布をかぶり、無音にし、強制的に刺激を遮断して数時間休みました。
すると、一時的に「耳が痛く」「目が痛く」「全身のこわばりを感じる」ようになりました。
それまで「うるさい」「脳に刺さる」「頭がいたい」とは感じても、「耳が」「目が」原因だとはっきり理解できるような感じではなく、音を軽減するグッズを使って「楽になる」ことで「おそらく音が原因だろう」と推測したり、苦手な音にひどく反応することで、「おそらく色々な音を感じ過ぎているのだろう」と思っていました。
また、それによる体の緊張というのも、あまり具体的に感じることはできず、ただ「なんとなくつらい」とばく然と思っていました。
そして、ヒステリー球などの心身症に発展することも。
それを、刺激を遮断することで感じることができるのだとわかりました。
やはり意識していない部分でいろんな感覚が情報に溺れているのだなぁと思いました。私の感覚鈍麻や、セルフ・モニタリングの弱さの一端を担っているようです。
最低一週間に一度くらいは、こうやって感覚をすべて休める時を作りたいと思います。できるかなぁ。動きまわってしまう私には課題です。
こういうことを発見するにつけ、自分のを感じます。
現在お仕事を外でできるように動いていることもあり、「ああ、私は凸凹があるのだな」「でも、それが周囲にも自分にもとてもわかりづらいのだな」ということを知ってゆく過程にあります。
とても普通に見える。けれど、使っている労力は大きく、また、時に当たり前のことが全くできないことがある。
とてもわかりにくいです。自分すらうまくわかっていないのですから。
けれども、やはりお仕事をするにあたって、私には少しサポートが必要だ、と今、感じています。
自然の中の音は、開けた場所で聞くからなのか、耳がすずしくひらいてゆくような感覚。
平気なものが多い気はします。
時々、耳を休めるために、あえて「音が響かない(反響しない)」外へ散歩にでることもあります。
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