2015年11月29日日曜日

カウンセリング13B :人間関係の弱さ

先回の記事の続きです。

男性関係(人間関係)と言葉遊び

カウンセリングメモの一部として「男性関係で意図せず思わせぶりにしてしまう場合がある(何回か揉めた)」ことを提出しました。
また、現在はすでに鎮静しましたが、最近も少し揉めた点についても。

心理士さんより「これはあなたにとっては侵入に値する経験で、怖いだろう。危険もあるので、詳しく聞きましょう」ということになりました。
確かに、今まで大事にならなかったのはひとえに「運が良かったから」としか言いようがありません。

これまで「嫌だ」「怖い」と感じたアプローチ


高校生。メールでは普通に楽しめていたのだが、よくわからないうちに「付き合おう」「付き合ってくれるなら観覧車に乗ろう」みたいなよくわからないことを言われ始めた。意味がわからないし気持ちが悪かった。直接的に「付き合おう」と言われたことはなく

メール:「次の定期テストで僕が勝ったら付き合おう(私は学年トップ争いをしており、彼は普通か普通より下の成績である。勝てるわけがない。)」「いや、やっぱり冗談。もっとちゃんと言うよ…(勝手にしてくれ)」「あれ、なんか察した?(察しねーよ!察してなんかやんねーよ!)」「カップルだと無料で乗れる観覧車が有るんだけど、一緒にカップルのふりして乗ってくれない?待ってるから(重い女か!)」「(行かなかったら)観覧車、キレイだったよ(重い女だ…)」

などというメッセージを受信。
「自分から誘うような意気地はないが、私が乗って来る自信はある。察して告白してきてほしい」というオーラがばんばん出てきて気持ちが悪かった。私はただメールの文面で遊んでいただけだったのである。「人間関係」についてなんて考えてもいないし、相手の気持ちが、こういうメールを受信・およびこっちへのベクトルがにじみ出ているのを感じるまで、全く分からなかったし、考えようとも思わなかったと思う(考えているつもりではあった。自分でもつめたい人間だと思うが、冷たいだけじゃない)。


大学生。ある委員会の集まりでちょっとハブられ気味の男の子がいた。私は「さびしさ」「恥」に敏感である。いたたまれなくなってしまう。テレビなどでも、そういう場面は観られないのである。単に、そういう自分のいたたまれなさを補うためであって、これはやさしさではないのだろう。でも、そういうことは意識しないで、つい横に並んで歩いたり、話しかけられたことに必死に笑顔を見せて応じたり、周りにその人の話をつなげようとしたりしてしまう。やさしさまたは好意に見えるだろう。
いつからか彼は私に帰り道に無理やり自分の通学路を合わせて、ぴったりついてくるようになる。そして電車の15分間、ずっと「自分は人間関係にトラウマがある。否定されるのが怖い。」という旨の話をし続けてくる。私は彼を拒否することができなくなる。
そうして数ヶ月帰り道についてこられる。
結局避け続けていたがもう限界なので告白の誘いに応じる。とにかく衆人環境を確保するために学食以外の場所は拒否し、学食で告白させる。そして拒否した。
彼は学校を休むようになった。知ったことではない。彼は私にとって全く興味の持てない人間であったためだ。メールすらほとんどしなかった。
数ヶ月してまた連絡があり、手紙を渡される。気持ちが悪いし、期待されたら困るのでその場で破って捨てるところまでを本人に見せる。「受け取りました。でも、読みません。」と言う。

大学生。ともだちだったのに、なんだかベクトルが変わってきて、「気持ち悪い雰囲気」が出てくるようになった。連絡を断つ。

友達だったし、自分でも面白くその人で遊んでいたので、付き合ったが、やっぱりこっちに向かうベクトルが怖くて気持ちが悪くてダメ。完全に私の落ち度である。


大学生。ネット上での言葉のやり取り。私はその人の発する言葉で言葉遊びをしていた。
たとえば「ちゅっちゅ」という言葉をもらえば「ちゅっ」と返すことは、私にとってキスでも何でもないのである。ただのゲームである。言葉のあやとり。言葉のキラキラ。そういうものである。
でもどうも本当は言葉というのはそういうものではないらしい。よくわからないけれど。そうして「全身舐め回したい」「口中犯したい」などの物騒なメッセージが来るようになったのでとても怖くてシャットアウト。


社会人。合意のもとで付き合ったが、よく考えると経済的に自立していない寂しさをわたしで埋めていたのかもしれない。就活がうまくいかないときに、社会人をしていた私がしんどそうな状態。毎週家にいた。「主婦になろうよ〜」などが口癖。都合よく依存関係に持ち込まれたあげく、相手が経済的に自立したらすぐに捨てられたのかもしれない。最終的に「もうあなたの面倒は見きれない」と言われる。面倒を見てあげていると思っていたらしい。確かにわたしも「面倒を見てもらっている」と思っていたし、それが楽だった。私はどちらかというと「恋人」ではなく「面倒を見てくれる人」がほしいのかもしれない。いい関係ではあったし、悪いものではなかった。よき理解者であった。でも、共依存的側面は否めない。


現在。「3」の続きである。解決済み。
現在すぎるので詳細書かず。

お兄ちゃん欲・さびしさへの同化・言葉が含む「気持ちやりとり」の弱さ

上記のような事があった。他にも多少はあったが、まあそれは普通の範囲内だろうと思う。私の弱い部分がトラブルを招いたと思われる経験だけを抽出した。だが、正直なところほぼこれが全てである。トラブルしかない。そして私の気持ちがわからない。「好き」というのは難しい。

上記を考えるに、見出しに示した

①お兄ちゃん欲:面倒見の良い・頭のいい(自分と話が合う)人に面倒をみてもらいたい、甘えたい欲求。長女(家族関係)由来か。私の家族は少々機能不全だとやはり思う。
わたしの言葉遊びに付き合ってくれる人はあまりいない。聞いてくれても理解できる人はあまりいない。(今はわりとインターネットがあるので心地よい)
私の家族の絵です。こんなもの描きたくないので、殴り書き…

さびしさへの同化:自他区分の問題および常にある居心地の悪さ由来?「お兄ちゃん欲」も同根と思われる。
③言葉が含む「気持ちのやりとり」の弱さ:言葉や論理への強さにたいして「気持ち」がほとんど赤ちゃんという凸凹からくる問題。言語理解はできている(よく発達障害者でわからない、といわれる比喩表現も完全に分かる)が、そこに含まれる気持ちの理解に偏り。気持ちより面白さや興味の衝動が優先。「人と遊んでいる」というよりは「その人の知識や教養・言葉遣いおよび体と遊んでいる」という方が正確。

の3点が大きく問題だろうと自分では思考した。

この問題はまだカウンセリング及び観察(今後も注視が必要との心理士さん判断)を続けるため、今回はここまで。

2015年11月28日土曜日

カウンセリング13A

カウンセリングでした。

今回は、とても長いメモでしたが、主に「生活記録表」と「最新3つのブログ記事:新しいことは苦手だけどオキシトシン関連フラッシュバック関連」を見せました。その他簡単なメモで「お団子モデルの論文や書籍はあるのか」「男性関係で意図せず思わせぶりにしてしまう場合がある(何回か揉めた)」ことを提出しました。
それぞれに濃かったので、これからさらに深めていきますが、今回話したこと。

フラッシュバック(タイムスリップ現象)について

記事については、おとしどころがついていることもあってとくにコメントもなし。ところどころ「ええっ!」とか「確かに」と言いながら読んでいました。
また、タイムスリップに効く漢方の情報も見せました。私自身が自分の状態が漢方が必要なほどなのか評価できなかったためです。そうしたところ「おそらく杉山(杉山登志郎先生かな)先生のグループの提唱しているものだね」とのこと。

私はわりと情報が早くて、かつあまり偏っていないらしいです(牛乳が原因だとか育て方が原因だとかそういうものに騙されていないらしい)。よかった。

漢方に関しては、必要かどうかは主治医の先生に相談してみましょう、ということになりました。

投げかけられたのは、「では、あなた以外のタイムスリップ経験者は、どんな対処をしているのだろう?」ということ。
私は割りと落ち着くまではどうしようもないのですが、それ以外の対処はあまり知りません。もしあったら教えて下さい!

オキシトシンについて・お団子モデル

これは、心理士の先生が「そこまで詳しくないんだけど」と言いながらお話してくれました。

少なくとも、堂々と発達・自閉症の研究をしている、と名乗れるような人は「オキシトシンで自閉症が治る」「自閉症は必ずしも治す必要のある”疾患”」とは言わない。
専門家でも、自閉症はこういうものだ、というのは、説明がまだできない。できるのは「症状(特性)」の説明のみである。したがって、自閉症=コミュニケーション障害というわけではない(今後確定する可能性はなくはないが…)
ただ、自閉症でも、どうしても「社会にでる」上で障壁になってくる症状を緩和する薬の研究というのは有益である。

→【これは私のたとえ話です】花粉症の薬を飲んでもアレルギー体質のままではあるが、仕事はしやすくなるんなら飲めばいいし、飲みたくないなら飲まなきゃ良い。副作用があるのはどの薬も同じ。そのリスクベネフィット選択は常についてまわる。自閉症に関しては特殊能力とのトレードオフ関係になる可能性があるので、ちょっと選択がつらいだけ。

心理士の先生は「オキシトシンについてはよく知らないんだよね〜、調べておこうかな〜?」とのこと。点鼻することや、最近実験したこと、男性限定であったこと、女性は子宮の収縮が起こるホルモンなので実験していないことなど、少しお話しました。
最終的に「自閉症にオキシトシン」というのは「報道の問題ですね」「そうだね、僕もそう思う」というところに落ち着き。ブログの記事に書いた文章どおりの意見にまとまりました。

ただ、私としては結局「自閉症ってなんだろう?」「オキシトシンとの関連は、どういう仕組みになっているのだろう?」という部分をもう少しハッキリと納得して記述したく思います。そのため「お団子モデルの論文や書籍はあるのか」というメモを見せたのでした。
お団子モデルは論文にはなっていないようです。また、そこまで読むことを勧めたくはないとか。



こちらの書籍に記述があるとのことでした。
書籍はかなり専門的なもののようです。
しかし、だから勧めないというわけではなく、読むことはそんなに難しくないが、「現象学」ということで「この疾患・障害はこういうものだ」というようなことがたくさん書いてあるので、私が「自分のあり方」「自分の障害」について揺らいでしまい、混乱する可能性があるからとのこと。また、オキシトシン研究とはかなりベクトルが異なるため、あまり意味はないだろうとも。
読もうかどうか、迷っています。自分で見ないと納得しない性質・衝動と、混乱を避ける理性の戦いです。最近、考え事やつくりたいもののイメージで頭が圧迫ぎみなので、あまり溜め込まずに読むのも手だとは思いますが。購入しようとは思わないので、まあしばらく興味を寝かせておいて様子をみようかと思います。

ひとつ目の記事は以上にして、男性との関わりについては別立てにします。
生活記録表は、やはり私の感情の不安定さの原因の分析(タイムスリップ、過集中、過敏あたりが今のところ上がっている大きな原因)によいということで、続けてファイリングすることに。記録表は主治医の先生にも見せてくださいとのことで見せました。
漢方は、タイムスリップに効く組み合わせは主治医の先生に相談し、しかし薬局にないとのことで、「あれば試してもいいけど、取り寄せてまでは必要ないと思う。」ということでなし。代わりに、以前出ていた「抑肝散(ツムラ54)」を再開しました。私の不安定さにとても良く効きます。私の場合不安定さの原因がタイムスリップに限って多いわけではないので、それがいいのかも。


2015年11月26日木曜日

新しいことは苦手だけど

さて、以前書いていたのですが、新しい仕事までの間、生活をととのえるために職業訓練に通う場所の見学に行きました。

駐車場があいておらず、ほとんど使ったことのない地元バスで。
行くとしたら想定される便で行きました。

私は公共交通機関をうまく使いこなすのが苦手。
「わからない」「不確定」が多くて頭がパンクしてぼんやりしてしまいます。すごくダメです。就職活動というものが、できなかったのも、この理由がとても大きいです。
ある程度わかっているものや、本数の多くて安心しやすい都会の地下鉄の、視覚的に記憶している線なんかは比較的大丈夫です。車にしても、やっぱり経験があるところ以外はすごく抵抗が大きいです。
何回か慣らしたり、ものすごく早い時間に出たり(遅刻することがとても怖く、世界が崩壊するような気持ちになります)。そんなことが必要です。

今回無事にバスに乗れたことで、なんとか通えそうだと思いました。

作業内容は事務や倉庫業務の練習。おそらく私には簡単ですが、学べることは色々有ると思います。
作業の音が響いて痛かった(のちに、偏頭痛や吐き気が起きた)ので、耳栓やヘッドホンをしてもいいか聞けました。障害者職業センターの支援室だとわかっている安心感もありますが、聞けたのはよかったです。蛍光灯のまぶしさは、デスクライトは気持ち悪かったですが、通常の天井のものは大丈夫でした。
自覚していなくても、バスの刺激や酔いと、音や光の刺激、初めての場所、ということなので、自衛しながら通おうと思います。

少しづつ生活を整えて、余暇をもちながら長く働く(私は余暇に何かを作ったり描いたり書いたりしないとおそらくうまく自分をコントロールできない)ように、していければいいなと思います。

ものづくりも、ちまちま進めています
お絵かきや洋服作り。
常にそういうことは、していたい。

2015年11月25日水曜日

自閉症・コミュニケーション・オキシトシン

オキシトシンがコミュニケーションの困難を改善することが少し前話題になりました。

NHKの記事
「うちの子流」記事
使った人の感想

などなど。

「オキシトシン、使いたいですか」なんて命題も話題になったりしました。

これはこれで議論があっていいと思いますし、思う所があるのですが、なんだかもやもやしてこの話題についていけなかった私です。
それは、なぜかというと、「自閉症はコミュニケーション障害ではない」「自閉症の核はコミュニケーションではない」と感じているからです。

もちろん、まだ研究段階ですし、自閉症がコミュニケーション障害だとされることはあるかもしれません。
しかし、それなら私は自閉症ではなくなるかもしれません。
わたしはそこが自分の「自閉症」の核だとどうしても思えないのです。

自閉症には色々な症状があります。そのどれが当人に当てはまるかは、個人差があります。けれども、どこか核が同じようである。だから、同じ障害として扱われているのでしょう。もしかしたら、今後研究が進んで「症候群」といった認識になったり、幾つかの病気や障害に別れるのかもしれません。実際に、アメリカの最新DSMでは、「SCD(社会コミュニケーション障害)」という障害に、従来自閉症とされてきた人々の一部が診断が変わる可能性が出てきています。
自閉症が一体どういうものなのか、何なのかは研究段階ですから、確かなことは言えません。したがって、オキシトシンについても研究することはいいことで、すすめるべきだと思います。

また障害というのは人と社会との関係によって発生するもの(ex.自閉者者だけの社会では自閉症的な行動は「普通」となる)である以上、現在において「コミュニケーションの困難」が大きな障害になる以上、やはり「自閉症者のコミュニケーションの困難さ」というのは症状として、診断基準としてあるのでしょう。それは別によいとも思います。

ただ、「自閉症=コミュニケーション障害」ではなく、「自閉症の症状の一部としてコミュニケーションの困難さがある」、もっと言えば

「自閉症の二次的な症状として、結果として、コミュニケーションの困難さが現れる場合がある

のだと思います。

また、「コミュニケーション」とは何でしょう?
その定義がそもそもきちんとされていない。

オキシトシンの実験においては、「表情の読み取り」が計測に使われ、また、本人の感情の動きも観察されたようです。
また、実際に使った人は、安心して話しかけることができた、などという人もいるようです。
オキシトシンは効果があるようです。

けれども、必ずしも「その人の苦しみ」を取り除くわけではない。
コミュニケーションは、表情が読み取れれば、感情が出せれば、安心できれば、完全にOKなのか?
よくわかりません。
自閉症者によくある感覚の特異性や常同行動(こだわり)などは、コミュニケーションの上で困難さを生みます。が、おそらくこれはオキシトシンの関係ない部分でしょう。けれども、自閉症においてはとても大きいです。

・自閉症の定義
・コミュニケーションの定義

があいまいなまま。
「自閉症にオキシトシンが効くかもしれない、「自閉症の治療薬」になるかもしれない」
というのはなんだかヘンです。

「オキシトシンはコミュニケーションの困難さ改善薬になるかもしれない、そして、それは自閉症の症状の一部を和らげる場合があるかもしれない」

と、こういうことでしょう。
「自閉症の治療薬」という言葉にすごく違和感があります。

「自閉症が治ったら、なんだか自分が変わってしまうようで怖い」という気持ちが抵抗を生んでいる部分もありますが・・・
表現として、誤解のある言い回しが横行しているし、実際に誤解している人がたくさんいるような気がして、気持ちが悪いです。

※研究はどんどんしてほしいと思います!

回復の過程だと信じたい

ここ数日、思い出し怒り(フラッシュバック?)がひどくて、とてもつかれています。頭がシャカシャカ、からだがボワボワ。

最初の職場(学校)でのセクハラ・パワハラ・いじめ。
そんな記憶が不意にリアルに出てきてしまって、そのたびに苦しみます。

学校に怒鳴り込んで、全部メチャクチャにしたくなります。

わたしは嫌なこと、悔しかったこと、つらかったこと、理不尽だと思ったこと、なんていう記憶をあまり忘れられません。
今でもいっぱい思い出しては怒ってしまいます。その当時と同じように。
鮮明なままなのです。

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以前にも記述を少ししましたが、私が最初にいた職場は学校です。
当時は自分に特性があるということはわかっていても、それが障害、自閉症だとはわかっていません。(ただ、自分のことはわりとわかっていて、特性に対する対策というのは自然に身に着けていたふしがありますし、小さな頃から、発達障害等の知識ももっていました。これは幸運なことでしょう。)

その学校は、校長教頭がどぎついセクハラをし、しかし、それが当たり前になってしまってあきらめられており。わりとそういう「プライベートへの踏み込み」にとっても鈍感。善意の押し売りが得意。
学級経営に「キャラ」を使って、「いじられキャラ」を嫌がっている生徒がいるのをわかっていても「あいつはそういう奴だからな〜」で済ませ、しかも授業でそれを利用するように学級経営する教師。恐怖で支配して勉強させることで「人を選んで態度を決める」ことを学習させ、「学ぶよろこび」を捨てさせてしまう教師。それを自分の「力量」だと勘違いしているし、周りもそう思っている。
発達が偏っていそうな教員に対して、「障害」「障害」を悪口を言って。「やる気が無い」と匙を投げる。同期の私が尻拭い。口約束はできなくても、ふせんにメモを書いて、貼っておけばできる人でした。「障害」「自閉症」などどさんざん、本人の前でも悪態をつきながら、そんなこともできないし、工夫しない。もちろん教員は同僚の療育をする立場ではありませんが。通常業務すら回っていないような状態ですが。それでも。やっていいことと悪いことがあります。

彼らだって悪い人ではない。
色んな人がいる。
いいところも一杯あるし、私が悪いのだ。

ってそう思うようにしていました。

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その職場をやめて1ヶ月ほどは泣きわめくパニックがずっと続いて。それからは、職場のことは思い出せませんでした。思い出そうとしても「ぼんやりと良い職場だった」「なのに何で私はできなかったんだろう」ということしかわからなかった。

最近になって、こうやってものすごい怒り発作が起きるようになりました。
死ね!死ね!って、それだけは、思わないように。
今更どうしようもない、証拠もない、あの教員達の信者も(信者がいるのが既に気持ちが悪いマインドコントロールの成果だと思いますがね)いっぱいいます。
私がこんなふうに苦しむ意味は、ない。

そう思います。
でも、忘れられないのです。

保育園に通っていた頃の疑問。小学生のときにあった理不尽なこと。
全て覚えています。

きっと私は完全に忘れることはできない。
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でもわたしは、もう自分を許してあげよう、と思いました。

私は彼らが「嫌い」です。
彼らが間違っているかどうかは、しりません。

そういう関わりは、持たないように、そこは努力をする。

けれども、私が悪いと無理に思って、彼らを好きになる必要はないのです。

実際は、人権を踏みにじる「間違った」人間だと思っていますが。
けれども。

でも、まあそれも「心の動き」としては認める。
私の心を許してあげたい。

また、「思い出すようになった」ことは良いことである可能性もあります。
トラウマ的なものなのか、特性上の問題なのか・・・そおのあたりは、混ざっているところなので、良いこととも良いきれませんが。
「無意識に抑圧してしまう記憶」から「思い出せる記憶」になったのは、きちんと怒れるようになったのは良いことなのです。たとえその場では怒れなくても。

だからこれは回復の過程だと信じたいです。

ああ、それでも、本当に、つらい!
この辛さが引き金になったのか、ひどい悪夢で疲れきって目覚めた朝でした。



2015年11月21日土曜日

カウンセリング12

12回めのカウンセリングは、これまでの振り返りをしました。

カウンセリングは往々にして「来て、日常のことを話す場」になりがちなのだそうです。
それは、私の担当してもらっている心理士さんのとる立場とはそぐわない。
また、私もそういったことがとても苦手です。

そこで、10回をこえたところで一度振り返りをして、新たに方針をつけましょう、ということでした。
スライドを使って説明があり、一度に多くの情報でも視ることに強い私は、理解ができました。割りと互いに「見せて示す」タイプの会話であるため、やりやすいです。

心理士さんは「認知行動療法」

以前に、私が推測していたように、心理士さんは、カウンセリングの中でも「認知行動療法」を行う臨床家です。
「受容的態度」のようないわゆる「カウンセリング」っぽい行動は「手段」であって目的ではなく(これが目的だと私は困ってしまいますので、良かった)。その人の状態を良くするお手伝いをするよ、という立場をとります。これについては基本的にどの心理士さんでもそうかと思いますが、受容することが目的ではない、という点がちょっと強調して言えることでしょう。だからといってガンガン議論したり、叱られたりするわけではないですが。
認知行動療法というのは、「その人の病気や症状・障害は、その人と環境との相互作用である」という立場でカウンセリングを行うことが基本にあるそうです。
ですから、環境や人(本人を含む)を調整してゆくことで、生きやすくしましょう、という方法を取ります。

私は「当事者」

また、私の担当の心理士さんはどうやら研究者としても活動しているのかな?と思われます。
彼は現在は違いますが、発達障害も専門に研究していたことがあります。
しかし、それはあくまで「研究」です。
「それがどういうことなのか」「この障害はなんなのか」といったことを整理することには長けていますが、「じゃあ、どうしたらいいの?」といった部分に関しては、得意ではないそうです。
むしろ、今までのカウンセリングで、私のほうがそういった知識は多く、研究もしているとのこと。

そういうわけで、「定義の知識」「行動の知識」の凸凹がお互いにうまく噛み合ったような形になりました。

私の障害

これは一応既に診断書が出ていたものですが、振り返りということもあり、また、10回のやりとりで、改めてはっきりと告知がありました。

私は、
自閉スペクトラム症/ASD
(高機能広汎性発達障害/HF-PDD、自閉症等とほぼ同義)
です。

それまでは、迷っていた節もあるようです。
発達障害を念頭に置きながらも、主治医の先生と心理士さん、それぞれと話す中で、状態を見ていて下さったのでしょう。やはり「はっきりとした確定診断」にはそれなりに時間がかかるのでしょう。
すなわち今までは、私が「はっきりしていたほうが安定する」こともあって「とりあえず、発達障害としての治療を行う=ゆえに、診断名は発達障害」であったということです。
それが、今回、はっきり「あなたは発達障害で、その中でも自閉スペクトラム症です」と「治療のため」ではなく「純粋に私の状態として」診断が確定した、ということでしょう。
図としては、変わらず「典型的」な位置に。

現在までのまとめ

これまでのカウンセリングで話したことのまとめ及び、心理士さんの推測・展望を示してもらえました。

お団子モデルの話=枠組みがあると安定する
…枠組みを適宜利用する。
・断ることが苦手、衝撃を受けてしまう
…練習が必要
→それ以降進展なしなので、今後の課題。
・水や空気はきれいと感じる
…(心理士)対人関係が複雑で不確定ゆえにそう感じる?との推測
…(私)それもあるかもしれないが、他にも有る気がする。と回答。はっきりわかるものや循環するものにひかれるなあとは思います。人間関係にかぎらず世界全般が不確定で不安ゆえに起こりやすいのかもしれません。あとは好みの問題。きれいと感じる・惹かれる分には問題はありませんが、面白いテーマや核が有るかもしれないので、考えてもよさそうです。
・据わりの悪さ
…(心理士)哲学的ゾンビの世界から、他者の存在する世界への移行が急激で恐ろしかったため?と推測。また、自分の定位が弱い可能性があるとのこと。ゆえに他者とのやりとりに困難があるのかもしれないそうです。
・身体感覚・感覚統合の問題
…皮膚の下に収まった自分のおさまりが悪い
・知的能力
…知的には高い。すなわち大きなコップをどう使うか。(また、そもそもそのコップで勝負するのか?)
・感情を感じにくい?
…(心理士)以前そのように指摘したが、そうではなく、感情そのものは嵐のように感じており、しかしそのラベリングが困難なのではないか。対処のしようは有りそう。

現在の状態

・以前不安定の原因の1つだった「仕事」に、就職できた。
…努力ができた。ジョブコーチさんが優秀なようなので、頼りながらいきましょう、とのこと。
・病院では基本的には落ち着いている
…きっかけがあって混乱することはあるが、基本的には落ち着いており、また立ち直りも速い。枠組みがしっかり(仕事)してきたこともあるか。とのこと。
・問題の共有ができはじめた

これから目指すこと

・感情的に落ち着く
…ラベリングするために、感情に関する言葉を覚えていきましょう
・生活と医療のバランス

人により生活に医療が介入するバランスは様々ですが、上記の図のように示すことができます。左に行くほど医療的緊急度が高く、生活を充実…とかなりふりかまってられない状態=①です。入院治療などが必要な場合、とにかく生きろ!と言う状態になっていきます。「急性期」というそうです。一番右=③なら、医療がほとんど必要ない、定期的な通院などを必要としないような場合です。
私は今、週に一度病院に通っていますが、生活の負担を考えると、月に一度くらいまでにできて、状態が安定するといいね、というのが理想とのこと。図の②くらいの状態をめざします。常に、ある程度医療とはつながっていた方が良いということで、③は目指しません。
・当事者研究を続ける
…これは順調とのこと。自分のために続けます。

今回は以上で、途切れていた生活記録表を再開しました。感情を知るためかな?
また、次回、安定した状態で迎えたいものです。



2015年11月18日水曜日

座るためのグッズと日々

内転筋を鍛えるという器具を手に入れました。
近所のホームセンタで、800円ほど。




こんなのです。
腿に挟んで使います。

ダイエット器具なのですが、私が買った目的は「座りやすいから」です。
以前にも「座る」ことに関する記事はいくつか書いています(いちばんまとまっているのがこちら→プチ当事者会とSNS)。
いろいろ工夫はしているのですが、限界はあります。
でも、少しでも座りやすく、また体幹がしっかりするようにすることは悪いことではないはず。

私は、どうも足に何か挟んだり、足を組んだり、何か踏み台に足を置いたり絡めたり、といった動作をした方が安定して座っていられます。
ゆえに、姿勢が悪くなることもあるのですが…。

当事者間でも話題で、心理士さんにも勧められている「スタイル」については、年始以降くらいには検討しようと思っていますが、今は値段と自分の持っているグッズとの兼ね合いで保留。


しかし、今回のグッズは値段が手頃で、今までに「良い」と言われてきたものではフォローできなかった「足に何か負荷がほしい」という部分についてうまくいく可能性があったので、購入しました。試しにお店で使ったときに、とても気持ちよく、なんだか姿勢も伸びたように感じた(おそらく太もも→下腹に力がはいるため)ことも大きいです。足がきれいになるかもしれないという邪念もあります。

早速使ってみています。
長く挟んでいると結構キツイ!でもしっかり座れて、ズルズルと椅子からおしりが落ちていかずに、心地良いです。
常に使うサポートグッズではなさそうですが、使ってみようと思います。

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最近の作品たち。

アイデアの流星群を表現するのになんとなく夢中になって、
そうしてできた流星群です。

スクラッチを組み合わせて、絵本っぽいイラスト。
雲みたいなのは「ムーム」です。
スーパームーンの日に、私がタイプミスして、なんとなく生まれた子です。
みんなを照らしてくれます。
Twitterで仲良くさせてもらっている如月さんと、お話もつくりました。
彼女の切り絵ムームがかわいい!こちら→カレイドスコープ


庭の苔。自然の幾何学模様をふと発見し、なんだか鮮烈!はっとしました。
雨の日で、きらきらひかって、よりきれいだった。




2015年11月16日月曜日

カウンセリング10/11

カウンセリングが前回の記事から2回ありました。

10
10回目のカウンセリングではブログの記事を見せました。
「なるほど」としきりに感心され、「これだけ書けるのはすごい」「発達障害の支援をメインにやっていたことがあるのだが、そういうときにほしい情報がこんなにも、無料でネットに転がっているなんて、すごいことだ」「これ、本当に無料で公開しているの?」と言われました。書けるものはかけるし、私にとっては普通のことですが、どうやら役に立つみたいです。
そして、こうやって書ける人は「問題解決がしやすい」そう。
確かにそうだな、と思いつつも、私にとっては「頭の中のごく一部の言語化出来る範囲」である、こともあるので、「うーん」という感じです。

また、仕事に関しては、仕事をしている方がわたしは落ち着いているみたいです。少なくとも、そう見えるらしい。わたしとしても、そうだな、と思います。
おそらく「枠組み」があることが安心につながるのでは、とのことで、上記の「書き記す」ことも、その「枠組み」をつくることに繋がるため、書いていたほうが落ち着くのではないかとのこと。

10回めは、落ち着いているね、という確認のような感じでした。

ただ、「枠組み」については、「確実な枠組み」というものは存在しないのに、枠組みに依存してしまうのは危ういことであるため、「自分で作れる枠組み」であるところの「文章を書く」「ものを作る」ことはある程度続ける必要がありそうだと思います。
また、枠組みが有ることの安心が、枠組みによるストレスを上回って、優先してしまって、ストレスをためることにも繋がるため、ここは診察やジョブコーチ支援を利用して、モニターしてもらうように、お願いしようと思います。これについては、ジョブコーチさんにはお願い済みで、定期的にセンターに通うことになりそうです。

11
11回めは、パートナという枠組みの喪失で、「死にたい」と暴れるだけの回。
けれども、それはそれで、「死にたい」を出せる所がカウンセリングしかないので、役に立ったようで、その後、少し病院で頓服を出してもらって休憩したところ、少し落ち着きました。
死なない約束ができないと入院ですよ、をチラつかされてしまいました…。約束…。苦しいです。ふっといなくなってしまいたい欲求は常にベースに流れているので、それが暴れてメインの音楽にならないように、という努力が関の山。

「ブログを書きなさい」「絵をかきなさい」と、主治医。
枠組みを自分である程度作って、自分を保たねばなりません。
足りない分は常同行動や独り言、ないしは仕事など少し危うい枠組みで補って。
そうして診察などのサポートもいただいて。
できるだけ自分の足で。

今回の記録は以上

2015年11月12日木曜日

無題


https://www.1101.com/essay/2010-02-03.html … https://www.1101.com/essay/2010-03-17.html … http://www.1101.com/essay/2015-10-14.html … http://decinormal.com/2015/10/13/suicide_adult/ …


あと少し、あと少し、神様が与えてくださったこの体という乗り物を


今日だけで何回心の中で自分を傷つけることになるだろうか、
今日だけでそれと同じだけ世界の、ひとの、いきもののとおとさとうつくしさと、それを感じる自分を知るだろうか


もうダメだと思う、ベランダから見える畑にいる、鷺がピタリと動かず止まっている姿に、こんな美しいところを汚すことはとても出来ないと どんなに苦しくても わたしは弱っちいからそんなことできないと


ーーーーーーーーーーー

大事な理解者がひとり私のもとからさりました。
パートナとして将来の話もしていた。

案外平気だと思ったのだけれど、そんなわけもなく、うつは悪化しています

ーーーーーーーーーーー

けれども世界が美しすぎて、そうして、迷惑を被るイキモノや人々にすぐに同化してしまうわたしは、どんなに自分を傷つける具体的な想像をしても、
なんど刃物を突き立てる寸前までいっても
なんどベランダに座ってみても

苦しいことに苦しいことに、どうしようもなく幸せになりたい。

もう、ダメだよ。もういい。もう充分だ。
って思う

それなのに、この体はまだ充分じゃないようで、もっと育ててあげなきゃならないようで、、
普通でも良い、普通じゃなくても良い。
ただ、この体が満ちたりるまではどうやらわたしはどうしようもない。
ぐずぐず、ひりひりして、のたうち回るしかないようです。

ああ、まったくなんてこった!

生きてることなんて、単なるエラーだし、単なるほんの少しの宇宙の、消えたってどうにでもなるちっちゃな細胞の中のほんのすこしだし、なんならガン細胞なのにさ

2015年11月6日金曜日

職場実習・私の受けた支援

さて、2週間の職場実習(インターンのようなものです。障がい者職業センターを介して行っています)が終了しました。

私が受けた支援は以下の様なものでした。

①短時間勤務(9時〜15時)のパートタイム労働から始め、しばらくそのようにすること(2週間も同様で、ずっと9〜15時という短時間)
②ジョブコーチ支援による相談支援

この2つが主な支援だったと思います。
基本的には②のジョブコーチ支援であって、①は相談次第なのですが。

①の短時間勤務がかなりいい影響になっていると感じています。

***

①短時間勤務がよい理由

私は精神的なもの、肉体的ものどちらの疲労も自覚しづらく、また易疲労があります。
不安や刺激などを多く受け取ってしまうため、疲れやすいのに、それを自覚できない。
そして、「大丈夫」かどうかの「基準がわからない」ので、よくわからないまま「大丈夫です」と言ってしまいます。そして、「大丈夫じゃなく」ても、うまく説明ができない。

また、特性への配慮があるとはいえ、今の社会では発達障害のある私が苦手なこと「音」「電話」「ある程度の対人関係」などは、「全て遮断する」ことはほぼ不可能です。

また休憩時間においても「完全に気を抜く」ことはまあ私には無理です。(ある程度会話を楽しんだり、ひとりになったりはできています)

よって、結局のところ「自分の部屋で全ての刺激を遮断する時間」をどれだけ取れるか、そして、「その時間で十分に回復できるように常に生活を整える」ことができるか、というところになってくると思います。
そのため、「短時間勤務」がやはり結局のところ向いているのだろうと思います。
お給料としては、少なくなりますが、まずは、ここを目指したです。

②ジョブコーチ支援でしてもらったこと

次に、ジョブコーチ支援が入ったことについて。
この2週間は、週に2回、ジョブコーチの方が職場に訪問し、数時間仕事の様子を見て声掛けしていただいたり、職場の上司を交えた面談をしていただきました。また、それよりも前に、顔合わせや打ち合わせをしています。そして、契約などに関わる複雑なやりとりもお手伝いしてくれます(これはセンターとも調整が必要だからかもしれませんが)。

私の場合、「仕事の内容」としては、もしかしたらフォローがあまりいらなかったかもしれません。
ただし、「仕事における精神面」では必須であったし、これからも必要だと考えています。

例えば…
「仕事は自分の決められた時間でやればいいのです。それ以外の時間は、休んでいることは、サボることではないのですよ」
「渋滞などで戸惑ったりしませんでしたか?」
「(上司に対して)飲み会はみなさん大体参加なのでしょうか」
「お酌の決まりなどは・・・?」
「電話は怖くありませんか?」
「人間関係はどうですか?」
「来る時間は今くらいがちょうどいいですか?もう5分遅いほうがいいとかありますか?」

など、「ささいな(したがって言い難いし、職場も考えにくい)」でも、私にとっては「大きなネック」となりうることを、面談の場で、話題に出してくれました。
私は「どうですか」と聞かれてもすぐには何も具体的に思い浮かべたり、言葉にすることができにくいため、とても助かります。

こういうささいな「不安」「不確定」が脳を圧迫していくので、細かく細かく解決出来ると、かなり負荷が違います。

そしてもう1つ。
これは自分で相談した(ただし、面談を設けてもらえたからからですので、これも支援のおかげと言えるでしょう)ことですが、「顔と名前の一致」が不安、ということについて。
こんなものを頂きました!


職場側から、「写真付きの名刺(私の部署だけですがこれがあります)全員分あげるよ、席順にファイルしてデスクマットに置いたらいいんじゃないかな?」
と提案していただき。

私が家でラミネートしました。

小学校や特別支援学校では結構メジャーな支援、「写真付きお名前カード」の大人版、といったところでしょうか。
とっても嬉しくて、気に入っています。
かなり、名前を覚えることができました。

また、名刺なので、外に出ている同僚に連絡を取りたいときには、そこにある携帯番号に電話するのにも役立ちます。電話対応で職場の電話番号や住所を聞かれても、読み上げられます。おまけ的な部分ですが、これも結構、助かります。

写真付き名刺は特殊なものですが、「顔を覚えたいので写真を撮らせてほしい」と言ってみたり、あるいは特性を明かしたら、大人ならばOKしてもらえるかもしれません。そうしたら、自分で名前付き、役職など必要な情報付きに加工して使ってみるのも、手かもしれません。

また、事前に「視覚優位」などの話や「発達障害」「私の特性」については上司と、引き継ぎ対応の方にのみ話があり、そのためか、仕事の説明時には、かなりたくさんのスクリーンショットを撮って、ファイルしたものを作っていただいたりしました。他にも私の気がつかないところで、たくさんの配慮を頂いていると思います。
上司と役員、引き継ぎの方以外はカムアウトしていませんが、今のところは問題ありません。これからどうなるか、私の場合「第一印象は結構良い」ところがあるので、わかりませんが、みなさん良くしてくれました。苦手な電話をしていたら、近くの人が聞いていて、後でフォローしてくれたり…。とてもありがたいです。
***

いまのところ、私が受けた支援は以上のようなものです。
今後、また打ち合わせ等を経て、雇用に至るかが決まってゆきます。

おのおのの経験や二次障害の状態、性格・特性によって、支援はオーダーメイドになると思いますが、1人ひとり、合った支援を得て行けると良いと思います。

2015年11月1日日曜日

カウンセリング9B  Twitterより2つ

さて前回の続きです。

外見と中身の乖離2−Twitterより


前前回の記事につけていたログメモです。

これを見て心理士さんが2つのことを指摘してくれました。

・Twitterでつぶやくことがあなたには相性が良いのだろう
・WAISや学歴と困り感との差があり、「できるんだよ、でもさあ」感が強く、うまくそれを周りとチューニングできなくてしんどいのではないか(つぶやきの内容より)

ということです。

Twitterとの相性の良さ−私のフラッシュアイデア

まず前者ですが、まさにそうだと思います。
Twitterは私にとってアイデアを微妙に受けつつも自分の思考をそのままバンバン記録して忘れないように外部化するのに一番「フラッシュアイデアを早くたくさん記録できる」手っ取り早くすぐれたツールになっています。
そこからブログになるまで考えが増えたり深まったりすることも多いです。

私の頭の中は足の踏み場もないほど散らかっており、思いつきや入ってきた情報(例のごとくラベリングが苦手でかさばる)が散乱しています。
川の流れ、流星群、樹形図、オーケストラ…そんな感じに、ときに独立に、ときに影響し合いながらそこらに飛び交っています。

しかし、それは「流れ星」「フラッシュ」であり、すぐに消えてしまって「あっ」と思ってもしっぽをつかむのは大変です。

口は1つしかないし、声はすぐに消えてしまいます。また聴覚はあまり優位でなく、言葉の表現をしないといけない分、処理が遅く、またラベリングすることで劣化します。

メモは絵を描くことができ、自由度が高いです。速度以外の面で非常にすぐれています。

そして、「量を記憶する」ことに一番優れているのがTwitterです。

ゆえに私は主にTwitterとメモ帳・そして時々音声や別のメモ等のツールを使って、フラッシュを記憶します。忘れてしまうのは少し怖いような、だめなことのような気がします。「理解したい」「表したい」「記録して手元に置き、参照できるようにしたい」欲求が強いです。本を「買いたい」(借りるのではなく)と思うのもこのためかもしれません。


フラッシュアイデアについて考えていたら出てきたイメージ。
流星群を全て捉えて記憶しよう、そして処理して吐き出して正しい名前をつけて箱に入れたい、という欲求。

結果と困り感の乖離

さて二つ目ですが、私はFIQや学歴を見る限り「大丈夫」な人です。
むしろ「優秀じゃん、なに甘えてるん」という感想を抱かれてもなにも驚きません。

けれども、「できてしまうけれど、でも・・・というところなのです。」
これは、前回の記事における「しんどさを感じにくく、事実や目的優先になりがちで、無理にやって、できてしまう」部分がからんでいます。

前回は上記についての「原因システム推測」をしました。

今回は、それが「どんな感じか」表現してみようと思います。

それは以前記事にした「キャパシティのコップ」で説明できます。


前の記事では主に感覚を受容する能力に関して、コップを使いました。
これはその他の能力に関しても使えます。

*****

Aさんは小さいけれど丈夫でスペアもあり、よく販売されているコップをもっています。水は水道水で、調整がセンサー式でらくらくです。
Bさんは大きいけれど割れやすくて、扱いにくく、あまり販売されていないコップを持っています。水は津波になって押し寄せてきたり、日照りでまったく来なかったり不安定です。

互いに相手のコップや水の出方は見えません。
見えるのは結果だけです。

コップに入る水が「能力・結果」です。

AさんはBさんがくんできた水をみて「Bさんすごい!よくできるんだな」と思います。
Bさんも「あれ?私ってちょっと水たくさん汲めるのかな」と思います。

でも、ずっと使っていると、Bさんはへとへとになるし、コップも水漏れしてきます。日照りだってあります。

そうすると、Aさんは「Bさんはあんなによくできるのに、なんでやらないんだ!さぼっている」と思います。Bさんも「自分はだめなやつだ」と思います。

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あるときBさんは「あなたはコップが多数派さんと違うのね。水もちがうのね。」と言われます。(診断)また、コップにはるテープ(薬)や、雨乞いの儀式、大きいコップを運ぶグッズなどの情報・グッズそのものを得られます。

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けれどAさんには「環境が違うという情報(発達障害の存在)」は理解できても「(実際にコップを取り替えて)しんどさを体験する」ことはできません。

そしてやっぱり
「コップが違う人は天才だ!」
「やりようによってはすごいことができる」
「でも見た目は普通だけどなあ」

なんていう見方も多いです。

*****

と、こんな感じでしょうか?
さて、こんなBさんです。

「つらいんだね」「かわいそう」「でもすごいね」などなど…
→「うん、そうなんだよ、でも〜」

こんなふうになっちゃうの、なんとなくわかりますか?

私はこんなイメージを「見た目と困り感の乖離」として説明しました。
実際にはその場でなので落書きと指差しぐらいでしたが。
次にはこの記事を持って行こうと思います。

慌てていたのでブログの痕跡が明らかだったらしく「この文章どこかに公開しているの?」とばれました。かまいませんが、なんとなく恥ずかしい!笑

診察は変わらず。いつものお薬がでました。
コーヒーを持って入ったことで「カフェイン中毒なんです」という話になり、「発達さんはコーヒー好きな人多いね、脳の働きが変わるみたいだね」「はい、覚醒します」なんてやりとりをしました。ちょっとおもしろかったので、次回はグミずっと噛んでいるのが好きなことでも言ってみようかな、おぼえていたら。と思います。