2016年6月26日日曜日

歯ブラシはいつ消耗するの?



もったいないので、ものは長く使いたい。
けれど、清潔でなければならない。

どのくらい汚くなったら、どのくらい摩耗したら、どのくらい消耗したら、取り替えればよいのだろう?

そういうことが、わかりにくいものがいくつかあります。
その筆頭が、「歯ブラシ」です。

歯ブラシは定期的にかえる必要がありますが、どのくらいで変えれば良いのかがわかりにくく、また人によって異なります。
かといって、ブラシの開いた状態でずっと使っているのはいけません。
そういうものがいくつかあります。
全てにアラームをかけていたら、忙しいですし、それに脳の一部が気を取られてしまいます。

そこで、ふと気がついたやり方です。
「歯磨き粉がなくなったら、歯ブラシを替える」
当たり前のことなのかもしれませんが、私には大発見の画期的な方法なのです!

感覚で判断できる人よりも、すこしコストが掛かるかもしれませんが、私には適しているのではないかな、と思います。
スポンジ類・ブラシ類などに応用のきくやり方です。

捨てどきがあいまいなものに困っているならば、上記のような方法があります。


2016年6月24日金曜日

梅雨はだるだる





なんだか最近やたらと起きていられない日々が続くなあと思ったら、「雨の日」が眠いことがわかりました。
梅雨の晴れ間にタスクをこなす日々です。

ナルコレプシー?うつ?
いいえ・・・雨です。

びっくりするくらい起きていられなくて、本当に困ります。


未来は明るい

私は最近よくクラウドファンディングのウェブサイトをチェックしています。
ひとつ、注文しました。
もうひとつ、気になっているものがありますが、今は様子をみています。

また、WIRED.jpというウェブサイトもチェックしています。

これらは、新しい技術やうつくしいものを紹介してくれます。
またクラウドファンディングでは、購入することもできます。購入代金が直接、運営資金になる仕組みなのです。

発達障害があると、日常生活に不便があります。
ものごとを忘れやすかったり、いつも不安が多かったり、世界の感じ方が極端だったり異質であったり。

これまでは、それはどうすることもできなかったり、自分でなんとか工夫する必要がありました。
けれど、現代・そして未来は、たくさんの工夫や技術があります。
それは発達障害者向けであるものもあれば、そうでないものもあります(発達障害者向けの工夫が一般にもやさしいことは、よくある話なのです)。お薬の研究や脳の研究も進んでいます。
今はしんどいことも、未来は、期待しちゃってもいいんじゃないかな?

と、ちょっと明るい気持ちのときは、思っています。


【今注目しているものもの】

・ウェアラブルデバイス各種(iWATCHMEME
…特に「MEME」に期待しています。腕時計はうっとおしくてつけるのが嫌だということもあります。できればコンタクトレンズ型になってほしいところです。
…体調管理・色を利用した感情の読み取りおよび視覚過敏への対処(阪大・東大の研究応用)ウェアラブルとアドレス帳のひも付けによる相貌失認への対処・読字補助・つるの部分で聴覚過敏対処・必要に応じてアラームやタスクの表示 などができそうではないかなあ。
…リアル「電脳コイル」的な世界。

・ワイヤレスノイズキャンセリングイヤホン「QuietOn
・エクササイズキット「HOVR」…体幹の弱さ補助およびADHDの集中補助にならないかな?

2016年6月23日木曜日

刮目せよ



ほんをよんでいると、
ことばをかんじていると
その土地をかんじていると

不意に模様が目にうかぶ
マーブリングするみたいに、
眼の表面にぺたりと貼り付けられたように感じる

えもいわれぬそれをいそいでこんどは
ぺたりと何かに
うつしてとっておきたくなるんだけれど
いまのところそれはうまくいかないのである

それでもせかいの一端をしっぽを一瞬でもぴたりとふれることができるのは激しい興奮をつれてくる
とてもよろこばしくてはしゃいでしまう

刮目せよ


2016年6月19日日曜日

眠りが浅い?寝付きが悪い?

私は寝付きが悪いです。
眠ろうとしてから眠るまでに1時間以上はいつもかかっているでしょう。

いわゆる「睡眠障害」なのだろうと思います。
けれども、主観的には睡眠障害に困っているということはありません。

「睡眠」の「障害」だと感じていないのです。
もしかしたらそういう部分も有るのかもしれませんが・・・




私の寝る前の小一時間を再現して早送りした動画です。
「安定する姿勢」「心地良い姿勢」を探して四苦八苦します。

いつもそうなのです。

「眠れない」のではなく「安定した姿勢がないのが不快で」「眠れない」のです。
とても眠いのです。
姿勢はどうやっても安定しにくいので寝付きの悪さだけではなく眠りも浅くなります。ごそごそ動き回るので、同室で寝る人がいる場合(旅行など)たいへん迷惑だと思いますし、私自身気を遣ってへとへとになります。

また、「眠るまでの少しの時間が待てない」のです。
頭の中を空っぽにすることができません。
じっとしていることもできません。
少しの「ひま」がたいへん苦痛です。

ゆえに「寝落ち」状態が一番心地よく眠れます。
リビング等で寝ることになるので、体には悪いし、睡眠の質も悪いですが、それでも、そのほうが心地が良いのです。

効率が悪い体です。

ーーーーーーーーーーーーーーー

数日前上記のことについて、フォロワさんに「昨年作ったチェーンブランケット」の存在を思い出させてもらいました(冬はタオルケットは使いませんから、通常の布団)。
それから数日うじうじした後、やっと先日出してきて、「夏布団+チェーンブランケット(タオルケットだけで寝るのが嫌い)」にベッドを変えました。

少し良くなりました。
やはり体の問題はとても大切だなあと思います。

発達障害に関する支援の多くが「コミュニケーション」中心のように(特に成人)感じますが、身体の問題を解決しないと、それは難しいだろうなあと思います。
また、コミュニケーション能力の問題に困っているのは、「周囲の人々・支援者」であって、本人は体の問題ないしは認知の問題に困っている(故にコミュニケーション困難も出てくる)といった場合もあるのではないかと思います。




2016年6月14日火曜日

文房具、ノート、ペン、手帳

道具が好きです。
文房具も好きです。

憧れのもの、使いやすいもの、色々試しています。
そのなかで、「手帳/ノートの使い方」について書きます。



以前は手帳ヘビーユーザ


予定の把握・記録のために手帳やノートを使っています。
以前は
・市販の手帳
・ほぼ日手帳
・作家もの

などを渡り歩いてきました。
一番長く使ったのは、「ほぼ日手帳」です。
大学生のときに、重宝しました。
毎日時間割が異なり、放課後の過ごし方も異なる。
アルバイトの時間もある。
趣味と研究がつながることもよくある。
博物館のチケットも貼っておくことが出来る。

そういう生活にはうってつけでした。細いジェットストリーム(ボールペン)が書きやすいのも、良かった。
今でも、その手帳は表紙に好きな紙を貼って残しています。

けれども、今は、一応週に5日、外に出て、決まった時間働いています。
そうすると、毎日のやることはほぼ決まってきます。帰宅後は疲れて出かけられません。
守秘義務があることや、内勤であることもあり、「会社のことは会社のなかで完結」します。そとに持ち出す必要もなく、また持ちだしてはいけませんので、会社のメモやカレンダーに書き込んでいます。そのほうが、私の特性上、精神的にもよいです。

すると、手帳に書く予定が少なくなります。
そして、手帳に書き込みが毎日できない、埋まらない、ということが、私はすごく嫌です。無理に埋めたくなり、苦しくなります。

書き込む「予定」がたくさんある場合は、また手帳を使うかもしれません。



「無地ノート+タイムライン付箋」



さて、そこで現在は「無地ノート+タイムライン付箋」の使用に落ち着いています。
上の写真のような感じです。

ノートも、A4コピー用紙・モレスキン・クロッキー帳と渡り歩きました。どれもとても好きです。今でもそれらも使用します。
メインで使っているのが上写真のものです。価格と紙質、色などのバランスが私に合っています。


この「MIDORI MDノート 無罫」を使っています。
これなら、「埋めなきゃ」という切迫感がありません。
また、罫もないため、目がチラチラせず、好きに空間を使えます(罫のあるタイプや方眼タイプもあります)。
スキャンして画像にするときも、比較的きれいです。モレスキンより低価格で、セールでなくても買えるので、気負わずガシガシ使えます。紙とペンのこすれる音も嫌な音がしにくい気がします。落書き帳、アイデアノートとしての用途がメインです。アイデアノートって、それ用に作ってしまうと、なぜか何も出てこなくなるので、落書き帳や、ただのコピー用紙が好きなのです。

それから、「タイムライン付箋」。こちらはもう廃盤になってしまったので、今後同じものを見つけたいと思っていますが、無印良品のものです。できればこういう何も飾りのない、色のきれいなものがいいのですが、同じような付箋がキャラクターものしか見つかりません。
時々、予定が1日に複数入ったときに使用します。付箋なので単体でも、貼り付けても使えます。ノートではないところに貼っておくことも多いです。


一週間以上先の予定はデータ管理


さて、ふせんとノートの組み合わせだと、あまりに先の予定の管理や時間間隔は把握しにくいです。
けれども、あまり意識しすぎて頭の中をそのことが圧迫するのも好ましくないです。
そこで、「一週間以上先の予定は、スマホのカレンダー管理」しています。
そして、必要に応じてアラームがなるようにしておきます。
これで、「忘れても大丈夫」と自分に言い聞かせます
予定のための準備についても、別で予定に入れたり、リマインダーアプリを使います。

ーーーーーーーーーーーーーーー

このように、手帳・・・というか、ノートを使っています。
カレンダーのある手帳も好きです。

また、ペンは「ステッドラーピグメントライナー」を中心に、LAMYのサファリEF、鉛筆、ジェットストリーム、ゴリゴリ書ける安いボールペンを気分に合わせて使います。ピグメントライナーが一番よく使います。

文房具について、道具についての話がとても好きです。
目盛りのあるものが好きなのと、感覚は同じです。

【その他関連する感覚の記事】

2016年6月11日土曜日

「興味の限局」、内と外

「興味の限局」とは(外)


発達障害、特に自閉症スペクトラムの人にあると言われており、DSM−5における診断基準の1つとしてもあげられているものです。
生活全般に対してバランスよく興味関心をもつことがなく、興味のあることだけに熱中する傾向を指します。興味のあることに熱中する、ということは誰にでもありますが、生存行動・社会生活・コミュニケーションにも大なり小なり支障が出るような「病的/障害的なもの」である場合に、「興味の限局」として、医療や福祉の分野で扱われます。

自閉症の重い人では「ミニカーを並べ続ける」「水を眺め続ける」などの行動がよく例としてあげられ、程度の軽い人でも「いわゆる”おたく”」のような行動や、「こだわり」と言われることもあります。

自分に「興味の限局」があると、自覚できない(内)


私は先日のカウンセリングの流れで「自分に興味の限局があると見立てられている」ことを知りました。
自閉症スペクトラムの診断を受けているので、理解していたはずなのですが、意外に思いました。そして、少し考え「いわゆる定型発達の社会からみると、”興味の限局がある”と見立てられること」は理解できました。けれども、やはり自分ではそう思えません。

むしろ、「わたしは世界のあらゆることに興味がある」と思っています。
興味の幅が非常に広い人間だと思っているのです。

私の興味(内)


私は、世界のこと、文化のことを、知りたいといつも思っています。
自分の発達について、他者の発達について、社会について、人間といういきもののついて、動物について、ことばというものについて、ものをつくること、すべては、「世界とは何か?」「どうして世界はこのような有りようなのだろうか?」といった問題に還元されることを感じています。その手がかり・足がかりが、先に上げた「自分の発達について〜」等の小テーマなのです。自分の足がひっかかりやすいテーマが、たまたまそれらであるために、それを通じて、世界のありようを見極め、仕組みを解明しようとしているのです。

心理士さん曰く(外−内のつなぎ)


心理士さん曰く、「研究者は自殺率が高い研究者は、まさにあなたの言うようなことに興味を持っているが、それは興味が限局しているんだよ」「大学院生が病むのも、1つのことばかり考えているから。」とのこと。

また、興味が限局していると、うつになりやすい傾向もあるそうです。気晴らしができにくいからですね。
したがって、自閉圏の人というのは、うつのリスクが高いことになります。意識的にリスクマネジメントをする必要があります。(発達障害に限らず)障害児療育で「余暇の指導」をすることも、このあたりの意図があるのかもしれません。
だから、心理士さんは「色んな楽しいことをやってください。あなたは、興味の限局がみられるから」という意図の話をされました。そこで、この記事のことを発想したのです。

ただし、私が「興味の限局」を無理に直すと、その分「本当の私の興味(上記)」の達成に支障が出て、それはそれでうつリスクになります。したがって、「興味のあることを思い切りやるための環境を整える必要がある(前回記事参照)」ということになるのです。


さいごに


そういうわけで、「外側から見たら」私には興味の限局があります。しかし、それは「内側から見たら」正反対なのです。
むしろ、私に言わせれば「みんな、興味の幅が狭くないか?楽しいの?」とさえ思います。むしろ、気になることがありすぎて、生活するための行動が邪魔くさいほどに、興味があるのです。
一般社会とのズレがあるだけで、「限局している」わけではないのではないかと思います。
そして、それが私の世界(感覚)のすべてであり、きれいに完結している世界である以上、興味の限局を理解することはできても、ほんとうの意味で、外側からの自覚をすることはできないのかもしれません。

「内側から見た自閉症」というウェブサイトがありますが、そういう「内側の世界」をもっと追求してまとめたいです。それは、世界のありようの一端だからです。


カウンセリング−いろいろ飽きちゃった私

カウンセリングでした。
今回は、投薬確認がすんでから、進路についてと、うつの治療について。
問い合わせをしている団体の連絡がうまく行っていないので、病院サイドで動いていくようです。
投薬については、前回の記事で紹介した「携帯にポケット設置」を見せました。これは診察でも見せて、先生方が「sinjimoru」を欲しがっていました。Amazonで買えます、と言いました。

【進路について】
やりたいことをしたいのに、少ない体力を「定型社会に合わせる」ことに使わざるを得ない現状があります。
うつの治療のためには、「興味の幅を広げる」「やりたいことをやる」ことが大切なのですが、「興味の限局」のある私がこれを同時にやると、「興味の幅を広げて、生活する」だけで、手一杯になってしまいます。
けれども、私の中では「興味が限局している」自覚がなく、むしろ「興味は広い」と感じます。そして、その興味に関することができないのは、余計に疲れます。

心理士さん曰く「あなたの場合は、興味の限局があって、それにしたがって行動することが、健全であり、健康に必要。そのために、思う存分興味のあることを出来る環境を整える必要がある。PSWさんと協働してやっていくけれど、あなたも、自分の興味をはっきりさせてね」

【認知行動療法】
何回かやっているのですが、そのたびに別のことが持ち上がって続いていません。
今回はそのため、改めて説明を受けました。
ゆえに、「知ってる〜」と言う感じで、割りと飽きてきてしまい、思考も話も、それ気味。心理士さんにうまく舵取りしてもらいつつやりました。

そして、それまでの認知行動療法で感じていた「感情語を扱うことについての私のモヤモヤ」を、このまとめで説明しました。
高機能ASD児童の抽象概念の把握の速さと感情の言語化の苦手から、大人の療育までTLまとめ

社会でやっていくためのツール・選択肢として認知行動療法をしているし、効果もあるのはわかっているのですが、それでも「そればっかりで、自分の言語で表現できない、わかってもらえない」ことがしんどいということを伝えました。

すると心理士さん「懐かしいな〜」。
どういうことかと思っていると、「大学院生の頃、偉い先生に噛み付いてメチャクチャ怒られたんだよね〜。療育って『あなたはまちがってますよ、こういうふうにしなさい』ばっかりなのって、間違ってる!、って噛み付いたの」
とのこと。

まったくヘンで良い先生にカウンセリングを受けさせてもらえていて、幸せです。
まあとりあえず、知ってて損はないから、ちょこっとやってみましょう、ということに。
そして、うまく行かなかったらべつのやり方に切り替えるので、心配はいらないとのこと。

今回はこの2点についてがメイン。
色々飽きちゃっている私は、机に空いているコード通しの穴をずっと触っていて、壊してしまいました(もともと外れる仕様だったので簡単に直った)。
そこから「狭いのは好き」という話を少しして、「ベッドももっと小さくてイイ。それがいい。包まれて圧迫されたい」ということを話し、京大の「人類の進化ベッド」が欲しいことを話しました(本当に欲しいので、無印良品あたりで商品化してほしい)。これはいいねえ!とちょっと盛り上がりました。
のちのちカウンセリングを何度か再生しているうちに「興味の限局」について考えが浮かんだので、別の記事にしようと思います。


「ストレスばかり摂取しているのは、アルコールばかり摂取しているようなもの。脳が壊れてしまう。なのに、脳がストレスを求めるようになってしまう。バランスよく行動を摂取しましょう」のイラスト。カウンセリング中にこういう話を聞いたので、自分なりに理解するためにその場で描きました。


2016年6月10日金曜日

やめたい癖

私をねこ、母をうさぎに置き換えて、例を書きました。




このとき、私は「今日どうしてもカレーが良い」と思っているわけではありません。
母の微妙な返事に困って、はっきりして欲しくて、質問攻めにしています。

どうでもいい質問なのに、特に家ではこうなります。
おそらく、甘えて「思い通りにならなかった(=答えてくれない)」ことに、軽いパニックになり、「相手の立状況を考えないわがまま」になっています。なんなら「あとでね」でも良いのです。とにかく、自分の疑問に対するその場の答えが出れば、良いのです。微妙な反応によって、つぎの行動への切り替えにエラーが生じています。

自分でも「どうでもいい」とわかっているのに止めることが困難です。
体の自由が効いていなくて、意図しないわがまま行動として出ている、という感じです。

今まで、この行動がどういうことなのかわからなかったので、意識の舞台にのぼって居ませんでしたが、今日、急に「あ、これは軽いパニックになっているな」と「パニック」という言葉を与えられ、舞台にのぼることができました。
前から、やめたいと思っているのに、意識に上れなかったのです。

うーん、やめたいです。


2016年6月5日日曜日

服薬管理・通院記録

病院でした。

ここ最近はとても調子が悪くて、聴覚過敏もそれと分かるくらいに出ていました(普段は易疲労の原因として意識されないまま発動しているっぽい)。

シャープペンシルと紙の擦れる音がきつくて、使えない(普段は特定のシャープペンシルのみ使えないのだけれど)。
ダンボールを開けるのがつらい。

4月からの年度始まり、黄砂、気候の変動の激しさ、ゆっくりとしか進まない進路に関する事務、プライベートの人間関係の問題。
そういうものに徐々にむしばまれていたのでしょう。

病院で安心したのか。

数種類持っている耳せんの、気に入りのものが鞄に入っていなくて、キーっとなって、かんしゃく(パニック)になってしまいました。久々の大きなかんしゃく、それも人前。
鞄の中身を床に投げつけては仕舞い、また投げつけ。
体の皮膚と、体の中身をつないでいるひもがぶちぶちちぎれて、中身と体がどんどん合わなくなって、コントロールできないような感じでした。頭も体もモジャモジャしました。その不全感がよりパニックを誘発します。

おとなになってまでこんなことになってしまうのはとても嫌なものです。
自分でもどうしてだかわからない。自分で自分のことを「あ、狂ってるな、私」と、冷静になって思い返す。


少し落ち着いた(?)ところで看護師さんが「大丈夫?」とひとこと、声をかけてくださったのが聞こえて、そわそわしながらも座って待って、カウンセリングを受けました。


カウンセリングで呼吸を整えて頓服指示を出してもらって、落ち着いて、
そうして、少し話をして、上記によって調子を崩しているのと、服薬がうまくできていないことを指摘してもらって、対策を考えました。
私の場合、他人に声掛けしてもらうことは避けたほうが良いので、自分で。

リマインダー(アラーム)と、薬に日付を入れることはしているので、それ以外で。

問題は、「思い出した時やアラーム時に手に薬がないと、あとでやろうとするうちに忘れ、思い出したときにはまた薬を持っていない」ところのようだと判明しました。

「いつも持っているものと一緒にしておく方法」を考えた結果、「スマホにつける」のはどうかということになりました。
手帳型ケースが嫌いで使えないので、スマホに貼れるポケット(以前定期をいれていたもの)を再び使うことにしました。こういうものが実用化されて欲しいと思います。なんなら携帯から薬がニュッ、と出てきて欲しい。
届いたらこの記事に写真を上げます。
→届きました!
まだ3日ほどですが、結構いい感じに服薬できました。
むしろ、定期的に病院で服薬について徹底的に突っ込まれることに効果があるかもしれません。

 
(実際には薬はきちんと見えないようにしまうことができます)
少し不格好だとは思いますが、やってみます。

そして、この通院の後吐き気が酷くて1日じゅう+次の日半日以上寝込んでおり、その後なんだか頭と体のモジャモジャがすっきりしたような気がするので、よく眠れていなかったことも不調の原因かもしれません。


↑使うのはこれの横バージョン。



↑これは良さそうだが、日付を書いているのに服薬できない私の現状には不適。でもデザインが素敵なのでいいな。


「障害者になる」ということ



「障害者になる」ということではなく「障害者」というわくの中にある選択肢に、手が届きやすくなるための、箱、ないしは足がかりをもらった、と、そう捉えられると良いと思います。
基本的に私はそう捉えています。言葉として混沌を単純化し、独立させることは良くも悪くもあるけれど、必要ならば使った方がよいでしょう。もとは混沌なのだと忘れないようにしながら。

私は障害者と呼ばれることもあるけれど、私の全ては障害者ではない。
そのシールは、私が、障害者という箱の中にあるものを利用するためのチケットでしかない(※)。

けれど、他者には「自分が障害者である」ことをいえません。
特に、親には言えません。
それは私をすこし苦しめ悩ませます。

けれど、必ずしも公表する必要はないので、よいのかもしれません。

自分の属性や持ち物を、公開する必要は、ありません。それを選ぶのは自分です。

属性に関係なく選択が可能で、それを批判したりリンチしたりせず、他者に干渉しない世の中になってほしいと思います。

ただし、枠組みというのは社会のためにも個人のためにもある程度必要で、枠組みとの付き合いは苦手なものの、私にもとても必要なものです。有る方が安心でラクなことはあります。
そういうことを良くも悪くも認識しつつうまく利用しなくてはなあ。


(※)かといって「得をしたい」とか、そういう理由で障害者になることはできません。その人の属性や能力によるものですし、また手帳の所持とそれとは別の問題ではあるけれど、もし手帳をとろうと思うなら、厳しい審査があります。甘くはないのです。