2015年9月28日月曜日

ちゃんりおメーカーと顔の判別

ちゃんりおメーカー」をご存知でしょうか。
手軽にサンリオ(キティちゃんなど)キャラクターのようなキャラクターを自分に似せて作ることが出来るWebサイトで、最近よくやっている人を見かけます。
アイコンなどにしているようです。

さてこのちゃんりおメーカーは、はじめから福笑いや着せ替え人形のように顔を作ることも出来ますが、写真を取り込んで、顔をつくることも可能です。

そこで、色々な表情の私写真を取り込んでやってみた結果が以下の様なものです。





半分ぐらい「あなたは男の子ですか?」と聞かれました。つらい。

それにしてもなんてバラエティ豊かなキャラクターが作られたことでしょう。

もう一度書きますが、「これは全て私の写真を取り込んだもの」です。

それを思うにつけ、人の顔というのは、表情1つでいかようにも印象が変わる。そして、光の当たり方などでも、顔色など、別人のようになってしまう、ということを改めて思います。


【ヌード 閲覧注意】表情と姿勢だけで“結果にコミット”しちゃうシカゴ在住のフォトグラファーの作品

こんな写真もちょっと話題ですね。
全身に関しても同じく、同じ人でも環境や姿勢によってまったく別人のようになってしまうのです。

それを、人間(定型発達者)は、「どんな環境でも、どんな表情でも、ある程度同じ人を区別し、表情が変わっても誰か分かる・顔と名前をほぼ一致させて素早く覚えることが出来る」のですから、なんという能力だろう、と思います。もちろんこれが苦手な定型さんもいますが。

一方、発達障害のある人は、相貌失認があったり、そうでなくとも「人の顔を覚えるのが苦手」だったりします。

私も相貌失認とまではいきませんが、人の顔と名前を覚えるのが非常に苦手で、いつも苦労しています。誤魔化し誤魔化し、誤魔化しきれずにお互いに気まずい思いをしてしまったり、相手をがっかりさせてしまったり、悲しいです。

人の顔を覚えるには、

人の顔を他のものを区別し、特別に注視し、そこから「ひとつの人間として」表情などが変わってもある程度わかるように認識をまとめ上げる

必要があります。
これは、私にとって、発達障害のある人にとって、とてもむずかしいことだろうと思います。

まず、人に対する興味の薄さ。
人の顔をそんなに興味をもって見ることが出来ず、色々な面白いことに興味が散ってしまいます。
さらに、人の顔はよく変わる。
先ほども書いたことですが…。表情、シワが常にグニャグニャと動いています。
これは私にとって恐怖でもあり、表情が豊かすぎるディズニーキャラクターなどは、怖いと思ってしまいます。かわいくもあるのだけれど、囲まれたら怖い。比較的表情がない、動物などをより好みます。(※私の場合)
このよく変わる人間の表情を「1つの総体」としてまとめ上げる、また「別の人間」と区別することは難しいのです。

そんなところで、これが簡単にできるシステムが備わっている定型発達の人というのは、とてもすごいなあと思います。


人の顔が覚えられないのは、悪気があるわけではありません。
職場などでは、名札や席表があると、少し安心します。
気を悪くしてしまうかもしれませんが、すこしだけ、「こういう人もいるのだ」と思ってくだされば嬉しいです。
覚えられないのは、本当に、悪意があるわけではなく、どうしても、わからないからなのです…。

どこかで『人間もねこみたいに模様やしっぽで区別出来たらいいのに』というつぶやきを見たのですが、まさに。至言です。


2015年9月27日日曜日

過敏と鈍麻、過敏で鈍麻


最近いそがしく、過敏が悪化しています。

すぐに頭が痛くなる。パソコンの画面がまぶしい。
いつもは大丈夫な、紙のこすれる音や、イスと地面が擦れる音がつらい。

そして、それに気がつかない鈍麻と、気がついてもやめられない、刺激を求めてしまう部分。

あまりにそんな日々だったため、電気を全て消し、毛布をかぶり、無音にし、強制的に刺激を遮断して数時間休みました。

すると、一時的に「耳が痛く」「目が痛く」「全身のこわばりを感じる」ようになりました。

それまで「うるさい」「脳に刺さる」「頭がいたい」とは感じても、「耳が」「目が」原因だとはっきり理解できるような感じではなく、音を軽減するグッズを使って「楽になる」ことで「おそらく音が原因だろう」と推測したり、苦手な音にひどく反応することで、「おそらく色々な音を感じ過ぎているのだろう」と思っていました。
また、それによる体の緊張というのも、あまり具体的に感じることはできず、ただ「なんとなくつらい」とばく然と思っていました。
そして、ヒステリー球などの心身症に発展することも。

それを、刺激を遮断することで感じることができるのだとわかりました。

やはり意識していない部分でいろんな感覚が情報に溺れているのだなぁと思いました。私の感覚鈍麻や、セルフ・モニタリングの弱さの一端を担っているようです。

最低一週間に一度くらいは、こうやって感覚をすべて休める時を作りたいと思います。できるかなぁ。動きまわってしまう私には課題です。

こういうことを発見するにつけ、自分のを感じます。
現在お仕事を外でできるように動いていることもあり、「ああ、私は凸凹があるのだな」「でも、それが周囲にも自分にもとてもわかりづらいのだな」ということを知ってゆく過程にあります。
とても普通に見える。けれど、使っている労力は大きく、また、時に当たり前のことが全くできないことがある。
とてもわかりにくいです。自分すらうまくわかっていないのですから。

けれども、やはりお仕事をするにあたって、私には少しサポートが必要だ、と今、感じています。





自然の中の音は、開けた場所で聞くからなのか、耳がすずしくひらいてゆくような感覚。
平気なものが多い気はします。
時々、耳を休めるために、あえて「音が響かない(反響しない)」外へ散歩にでることもあります。




2015年9月25日金曜日

みんなで



みんなでみんなでしあわせになろうね。


ASD者はコミュニケーションに「問題がある」?

そうかもしれません。

わたしは、インターネットの、ASDのひとたちにたくさんお話を聞いてもらって

コミュニケーションして、

助けられてます。

ちょっとふつうの道をまっすぐ進むのができないんだね
定型さんにははっきりきれいに、道路が見えて、車でスイスイっといける道が、
なんだかジャングルみたいに見える。

でもみんなで踏み台つかったり、手をひっぱったり、
寄り道して休憩して
やまのぼりしてるんだね〜

やまのぼりが趣味の人は、うらやましいなと思う人もいるみたいね。

時々、いや、結構、車乗りたいなぁと思うけど、
結構楽しいとも思う。

いろんな道が見えちゃって
色んなおとが聞こえてきて

なかなかまっすぐ進めないけどね。

楽しいといえば楽しい。

ちょっと、車社会だから、苦労はするけどなあ

定型さんも非定型さんもみんなで幸せになろうね〜。


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珍しくゆるっとした記事なのでした。





2015年9月23日水曜日

改めて、気分表。



https://drive.google.com/folderview?id=0B-K5Z5ThY31RfjlTdVhJdnRfamdQSldHcE1hQzhvUll6eFpJN21VVVZqdmtMQmN0MzFiSnM&usp=sharing

以前から気分表は使っていますが、それをGoogleDriveで共有したのでリンクを貼ります。

二種類あります。

①気分の波がわかりやすいもの(原案:如月行さん)
②行動と気分との関係がわかりやすいもの

それぞれご自分の需要に合わせて選んでください。
また、これをもとに自分流にアレンジしてもいいと思います(②がPDFで申し訳ありませんが)。

気分障害の波や体調の波を把握したい場合(気分と体調の2つのグラフを書くといかもしれません)・セルフモニタリングの練習・ストレスが出る行動の把握などに使えるかな、と思います。

私はセルフモニタリングがとても悪い(痛みや不快感に対する強度の感覚鈍麻)なので、②を、心理士さんの指導で現在使用しています。正直、うまくモニタリングできているとはいえない気もしますが…。それでもやる意味はあるんだろうなぁと思います。
医師や心理士への疎通もやりやすくなるでしょう。

私の場合、通院時はこれに加えて、B5ノートに聞きたいことや伝えたいことを書いて見せています。

そこから、ブログに起こしている内容もたくさんあります。

お医者さんとの関係が良くなると、治療もスムーズになります。
お互いがわかりやすい方法で、できるだけ(完璧にはなりません)診察時間内に正しく情報が伝わるように、工夫が必要です。



2015年9月22日火曜日

断る責任、休む努力。

私はいま、そとでのお仕事は出来ませんので、家でできるお仕事を請け負っています。

インターネットを介して依頼を受けます。
何度か続けて依頼を受けることもあるのですが、そうすると、「やらなきゃ」が溜まっていき、調子が崩れてきます。

ある程度の努力で、少しづつ、出来るようになることは必要かもしれません。

けれども、「できません」を表明すること、お休みをもらうことも、責任であり、休むことは、長く働くための努力なのです。

「休む」ことを表明できない、言いなり、というのは、ある種責任を相手に委ねている行為でもあり、お互い「ラク」でもあります(その場では)。
「断る」「休む」ことは、お互いその場では「つらい」です。とてもエネルギーを使うのでダウンしてしまったりもします。
でも、それは長く生きてはたらくための責任である、ともいえます。

どちらが悪いという話ではありません。

断るってとても苦手です。(別記事参照)

私にとって「頼むこと」「断ること」およびその言葉自体というのは、「相手の領域に侵入すること」だと感じます。そして、それを断る・断られることは、大きな壁や岩にぶつかって、世界がバラバラになってぐらんぐらんに揺れるような衝撃として感じます。とても怖いです。わけわからなくなって、キャーッとなってしまいます。

緊張するときもそうですが、こういう時も(この時も緊張するわけですが)、自分のたましいが右上のほうに抜けてしまって、体が斜めになって、地面が柔らかくうにゃうにゃとうねって、体の表面がしびれて感覚がなくなって、自分がきゅーっと小さく縮んでなくなってしまう、耳がきーんとするような感覚を感じます。

別記事の該当部分です。

また、『僕の彼女は発達障害2』で、あおさんが「頼んだり断ったり、休むことが苦手」というエピソードが出てきますが、まさに、反応など含めて私と同じだなあと思います。会社を休めない、というエピソードも、私にそっくりで痛々しく印象にのこっています。私は体調が悪くても出勤し職場で倒れてすぐに帰宅させられていたり、また最後にはどうしても体が動かなくなってしまい、パニックを起こしてパートナーに欠席連絡をしてもらって、やっと休めました(そして発達障害が発覚)。発達障害ではなくとも、落ち込みやすい人や、うつの人なども、こういうタイプが多いでしょう。


私は「断る」事に対し、上記のように感じてとても疲弊してしまうし、そもそもうまく断れていないことがたくさんあると思います。
結果、そういうしんどさを避けて、人と関われなかったりも、します。

今回うまくいったのは、「気分表」の荒れや悪夢を自覚できたこと。そして、文字媒体での(視覚的な)やりとりであったことが大きいです。

少しづつ、自分のできる方法で、うまくいった、「断っても、休んでも、大丈夫なんだ」という体験を、いまからでも、積み重ねて、練習したいと思います。

いまついてもらっている支援者さんいわく、「休める」「ヘルプを出せる」ということは、「非常に大切」で、「雇う側は、そういうことができる人の方が安心して、雇える」のだそうです。
特に、これが出来るのが当たり前とみなされやすい一般雇用では問われることが少なくても、障害者雇用においては、大切なことのようです。

これが発達障害者は苦手な傾向があるので、「えっ!」とも思いますが・・・
どうしても断れないなら、ジョブコーチをつけたり、支援者さんとやり方を相談する、ところまでは、できるようになると、自分も周りも楽だと思います。
「できない」ことではなく、「できない」を「できない」と表明すること。
これができれば、能力に凸凹の大きい発達障害の人も、もっともっと「凸」の部分を発揮しやすくなるかもしれませんね。

2015年9月21日月曜日

「見えない障害バッジ」が届いた!



見えない障害バッジ」が届きました!
楽しみにしていたので嬉しいです。

電車なんかでは、しんどいときはヘルプマークを出すけれど。
私の場合、いまの生活では、あまり外に出ないこともあり、常には、必要ないこともあります。
けれども自分のお守りとして。
自分が何者か、忘れないために。
(私は自分がなにものか、といった立場や、ものごとの定義が不安定になると調子をがたんと崩してしまいます)

 

ふたつ、当事者用を購入させていただきました。

ひとつは、こんなふうに、作っておいた凸凹パーツとともに、かばんに。
イヤーカフやペンダントとも迷いましたが、肌に触れるものを減らしたい。ということがありました。(イヤーカフは平気ではありますが、長時間はNG)

もうひとつは、まだ開封しないでいます。
凸凹パーツを作って一緒にとっておこうかな、と思っています。

きっと、外にお仕事に出るようになったら、名札を使うでしょう。
そのとき、もしつけられる環境なら、一緒に、つけようかと思っています。

その日がくることを願うお守りとして、引き出しに。
壊し屋・なくし屋でもあるので、そんなときのお守りとしても。


とうめいなうつくしいバッジ。
ハートがついているものを見かけたら「なにか抱えているのかな?」とふっと思うだけでいいのです。何もしなくていいのです。
ハートがついていないものは、啓発用。「私はあなたを助ける準備があります」ということ。常にたすけるひつようはないのです。そういうこころもちで、いるよ、というささやかな表明。

また、ヘルプマークの、ハートと「+」のマークのセット(「ハート・プラスマーク」)は、見えにくい内部障害などを抱えたしるし。これも、配慮や助けが必要になることがある人がつけています。こちらは当事者だけが身につけます。


ヘルプマークや、こういうバッジが、広まりますように。
ほんのすこしだけ、じわじわ広まって、あたりまえの多様性が、あたりまえになりますように。




2015年9月18日金曜日

とりあたまちゃん

我が家ではパジャマは洗面所ではなくタンスにあり、そこからパジャマを脱衣所まで持って行って、お風呂に入ります。


おまえのせいだよ!

凸凹ちゃんはウッカリとりあたまちゃんでもあります。
おっちょこちょいです。
だいたい毎回これをやります。
(AD/HDの診断はありません。ただのとりあたまちゃんです)
しかも毎回「暗い!何で!」って言います。

もう一度。


おまえのせいだよ!


毎回めっちゃビックリします。

よくありませんか?
電気つけようとして消しちゃうの。

私は脱衣所以外でもとてもよくあります。


2015年9月17日木曜日

支援者さん、ありがとう。

面接練習を終えました。

無事、話をすることができました。
短期決戦に強いのです。
さて、本番までしばらく間があくので、背追い込み過ぎないようにするのが課題です。

支援者さんがとても頼りになります。
発達障害の方を主にみているようで、「色々な方がいる」ことも、「典型的な症状」もある程度ご存知で、さらに「支援が少なすぎて、当事者が困っている」こともわかってみえます。その上で、「私がついてるから大丈夫!」と言ってくださいます。

私はパッと見、コミュニケーションも取れるし、支援が必要だとわかりにくいです。

でも、それでも、必要なのだということを理解してくださり、支援してくださいます。すごくありがたいです。そして、すごく歯切れよく「障害者」「発達障害」という言葉を使う方で、なんだかうれしく思います。

「できてるから、大丈夫」
「障害者雇用では、できないことを言える、出来ない時に「すみません」といえることが強み。それを自分で言える人は、会社側が安心する。うまく話せなくても、内容がグッチャグチャでも、決まって行く人はいっぱいいる。」(これは発達さんがとっても苦手なことではありますが、面接で詰まった時に。)
「一般の面接と違って、いじわるをしてやろうとか、落としてやろうなんて人は、まずいない。素朴に、わからないから聞いていると思ってね。安心してね。」
「私の担当する人は、本番で同行(面接に)できなくても、全員、会社さん側には、先に「支援者がつくから安心してください」ということを伝えます。面接には一緒に行けないものもあるけど、安心して。頑張れれば、大丈夫。あとは、ご縁だから。」
「センターさんにも連絡しれます。全部は一緒にいれないかもしれないけれど、センターさんも、あなたを心配してみえるよ。」
「発達障害の方は、色んな人が居て、喋れないけどものすごくデキる人も、ものすごく喋れるような人もいます。すごく喋れる、上手い人、他にもいるよ。それは強みです。でも、会話が出来るかどうか、というそれだけで判断しないように、ということは会社さんに伝えています。大丈夫よ。」
「出来ない部分を補えば、普通、普通以上に能力の可能性がある人たちなんですよ、と伝えています。」

こんなようなことをたくさん言ってくださいます。なかには、通常書籍に書かれているようなことも有りますが、「自分の支援者さんが直接そう言ってくれる」のは、大きく違います。

また、この後、センターの担当者さんからも電話があり、プチ面接練習みたいなこともしてくれました。びっくりしました。いま、センターさんも忙しいだろうに(センターさんは面接会の運営側のお手伝いがあるみたいです)。そして、私は最近センターとは連絡を取っていないので、ハローワークと連携してくれているさまも、実際にわかり、すごく安心しました。そして、第一希望にはハローワークの支援者さん、第二希望にはセンターの方がついてくれることになりました。第三希望は私の場合しゃべることができるため、優先度が下がり、一人でがんばることになります。でも、支援者さんがこんなに支援してくださってるから、私は大丈夫なんです。

とにかく、とにかく、

ふたりの支援者さん。

ありがとう。

そして、お医者さん、心理士さんも。
みんなみんなありがとうございます。

もりはがんばるよ。
いっぱいいっぱいにならないように。
がんばらないように、でもがんばるように。

がんばろう。

2015年9月16日水曜日

「どうしてそんなふうに言うの」

「どうしてそんなふうに言うの?」と母はわたしをなじる。

私からしたら、彼女のいけないところを指摘し、なぜいけないのか、そして、どうしたらいいのかを話しただけなのに。
彼女はどうしてだか私の嫌なことをして、べたべたと寄ってくる。だから、より丁寧に、説明しないとわからないだろう、と思って丁寧に丁寧に、してほしくないことや、それがなぜいけないのかを解説する。

しかし、「どうしてそんなこと言うの?」「本当に、あなたは嫌味ったらしい」と、これである。

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さて、これは「指摘の方法」に私(発達障害)と母(定型発達の典型的おばちゃん)とで認識に大きな差があるからだろうな、とふと気がついた。

定型発達さんは、感情過敏だという記事を書いた。

母もそうなのである。
そして、感情的でない言葉に対して、負の感情を無駄に想起し、不安になるらしい。

そうすると、私のやっている「懇切丁寧な説明」は、まったくもって「負の感情を想起しまくる」らしい。

私は感情を交えた説明は、「意味が無い」し「伝わらない」し「伝わり方にゆらぎがあり、正確ではない、つまりよくない説明の仕方だ」と思っている。いまでもそうである。

実際、説明自体は伝わっているのだと思う。

しかし、それ以上に感情をどこからか生み出して受け取ってしまう感情過敏な定型発達さんである母は、「なんて冷たい言い方!私に対するいやがらせなのかしら。どうしてそんな言い方するの?」というところで思考が私の主張に対し「嫌がらせ」とラベリングし、そこで「受取拒否」してしまうのだと思われる。

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では、どんな説明ならいいのだろうか?
というと、「感情を含める」ことである。

つまり、

「〜〜〜〜〜は、私にとってつらい/悲しい。*****だと、うれしい。」

という言い方である。

これは私にはくすぐったくてたまらないのだが、仕方がない。

定型さんどうしだと、もっとうまく察しあって(まあ本人たちもそれについては面倒だと感じているようだが、それでもやらざるを得ないのが特性らしい)やっているみたいだが、このくらいが限界である。

親子コミュニケーションの、「アイメッセージ(わたしはこう思う・こうされるとうれしい、、と伝え、否定したり命令しない方法)」に近い方法だ。


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こんな本もある。
評判がいいようなので、一度読んでみたいと思っている。
子ども用だが、そのぶん読みやすそうだし、大人でも使えそうだ。
私の場合、精神的にかなりおさない(凹んだ)面があるので、より向いているかもしれない。

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あとは、物理的に距離を置いて、うまく接してゆくしかないだろう。

相手からの配慮は期待できないし、期待するとよりダメージを受けるのはなんといっても自分。

自分をコントロールすることと、人間関係を学ぶことは似ている。
人のためではないのです。


2015年9月14日月曜日

カウンセリング5 +α 記録


前回のカウンセリングと通院は大失敗。
わぁわぁとたくさんの「やらなきゃ」「焦り」に押しつぶされて、しかも計画がうまくできない特性や、見通しがないことへの不安特性、複数のことを一度にやるとパンクする特性などが絡んで、ひどいありさまでした。
ゆっくりいきましょうって先生は言ってくれる、そう思うけど、なかなかいつもうまくいくわけじゃないなぁ。
カウンセリングも、問題解決をするはずが、そういうことのいろいろをノートに書いたものを指さして、頭がいっぱいで、わーっとなっちゃうだけで終了。

次はシルバーウィークと、面接練習があるので、月末。

新しいお薬は合わなかったから、いままでのとんぷくの残りをチラチラ確認しながら、ゆるゆると。…いけるかなぁ?

パニックが最近ひどいから、先生はお薬変えようとしたみたいだけど、副作用しかでなかったよ〜。

あぁやっとここまで書けるようになりました。


明日は面接練習。
面接や緊張する場面、ちょっとした面談でも、小さい頃から離人しちゃうので、そうならないといいなぁ。離人しても喋れてるみたいだけど、地面がぐにゃってなくなっていろんなものがちいさくおおおきくきゅうっとぐるぐるして、魂が右上に抜けてしまう、あの感覚はとっても嫌だ。


面接練習がんばったら、見えない障害バッチが届くはず。がんばろう、でも、がんばりすぎないように。


プラ版とレジンで、バッチに合わせて凸凹バッチを作ったよ。
合うといいなぁ。

2015年9月11日金曜日

言葉だけじゃない


私は言葉が流暢に出るのですが、伝えることが苦手です。
知識や説明は立て板に水、と出来ますが、肝心のところで言葉がうまく使えないのです。

「もりこれです」のセリフといろんな方法でわかってもらえるのはとても嬉しい。
これが表現として認められることが嬉しいです。

もちろんかなり親しい仲で、PDDを直接カミングアウトしている人にしかしません。
ほぼ、パートナに限られるやり方ですが。
ラインのスタンプで「これです」をやることもあります。歌ったり、何かを暗唱したりすることもあります。わかりにくいようですが、意味を救ってくれる言葉はないような気がすることもあります。こういう方法でしか伝えられない事柄があります。

もし一度、「わからんな」と言われても、「そうか」で終わったり、さらに説明を加えたり、色々です。
そこは、言葉でのコミュニケーションと変わりません。
何回もやればうんざりされるのも同じです。

適度に、互いに分かり合う、多様な伝え方を認め合うことができるといいですね。

とても好きなのでまたリンクします。

生育歴:大学以降

ある程度生育歴をまとめて心理士に見せたものをもう少し詳しく、感覚的に記述してみようと思います。ですので、①たたき台(心理士に見せたものの一部)②本文(曖昧で私的・詩的な表現だらけ。できるだけ当時の頭のなかを書きたい。)という構成をしています。

生育歴を聞かれた際、書いて見せるにしても、あまり長いものは心理士にしろ医師にしろうんざりするので、生育歴を伝える場合は私のように長く書くのは得策ではありません。しかし、私には短くするということが出来なかったので、精一杯の状態で、医師ではなく心理士のカウンセリングで見せました。

⇒大学以降は、まだフラッシュバックもあり、まとめるのが難しいので①のみ+現在

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大学:一人暮らしの開放感。やっと逃げられた、と思った。

一年間は大学という場所に人見知りをしており、「明るい楽しい大学生!!」ねこかぶりちゃんをしていた。ほとんど覚えていない。しかし、2年からは、自分の意見をきちんということが正しく、また真面目なことがいじめの対象にならない、集団も選べるし、集団にならないことも選べる、研究がとても面白いというこの環境に大いに楽しむ。ただし、どうもみんなはしていたらしい「ちょっと帰りにごはん」「ちょっと飲みに」みたいなことはほとんど覚えがない。計画があって、予約を誰かがして、というタイプの飲み会はあったのだが。ゆえに、今でも大学近辺の飲み屋等は全くわからない。それが異常だと知ったのは就職して「どこで遊んでた?」と聞かれた時、全く答えられなくて、指摘を受けたから。授業は小学校の同級生が同じ学部にいたから、学部で一人ぼっちにならなかった。のちにはアルバイトで一緒になったお友達と専攻がおなじになったので、とても幸運だった。

アルバイト:2つかけもちで、続いた。複数のタスクのないことで、とても向いていた。また教える仕事もしていたが、「生徒に教える」という一つのこと、なので大丈夫であった。むしろ優秀であった。1対1の関係(個別指導)なら構築しやすいのである。

また一つはシーズンバイトだったため、そのシーズンが常に決まっていた。そのため、シーズン外は研究、シーズンはそれだけに( 過)集中することができた。

ただし仕事とプライベートの区別がありすぎて仕事の人格と休憩時間の人格の落差がすごくて怖がる人もいた。そして、仕事から友達付き合いを始める、ということがうまくできない。向こうからうまく誘ってくれた友人は「いつまでたってもずっと一緒に仕事をしているのに慣れてくれないから、わたしのこと嫌いなのかと思った」と言っていた。そういうわけではなかった。むしろ、みんなはなぜそんなに仲がいいのか、知らないうちにあの人とあの人はどこどこに行った、などということをふと耳にするとびっくりして、「どうやってみんな仲良くなってるんだ」と思っていた。部活も同様。過去の学校にても同様。「たまたま一緒になったから一緒にいてくれる人」はいるが、そこから「特別仲のいい人」にならない。今でもそのテクニックは謎が多い。

また部活動で「なにも用事がなくてもいていい場所」というものを知る。人生で初めてである。居心地が良かった。


就職:就職活動をしようとするが選択肢が多すぎるのと段階がありすぎてもうわけわからなかった。それから、「仕事」には終わりがない、いつまで、が決まっていない。世間では「社会に出たら地獄だから学生のうちに楽しめ」との噂だ。大学4年になった時点で、恐怖に怯えていた。「死ぬ日が今決まっているなら、計画ができるのに。卒業式が終わったら死ねたらいいのに。」と思っていた。また仕事は4年や3年単位のものではない。ずっと緊張してがんばりつづけるわけにはいかない。いままでのやり方は通用しない絶望を感じた。学校のカウンセラーにかかってみたが、頭の中の言葉と身体で表現出来るものが乖離しすぎて泣き続けることしかできない。一回でやめた。

勉強は好きだったし教えるのも好きだった。それに、「先生」は、いっぱい見たことがあって、視覚的にイメージが存在した。その他の仕事は、「スーツで電話している男性」の図くらいしかイメージがなかった。

採用試験に受かり先生になった。

わたしは面接は苦手ではない。ただし面接や大人数の前で話すとき、怒鳴り声が聞こえてきたときなどはたいてい離人症状になっていて、斜め上に意識はあり、勝手に体が原稿を読み上げているような感覚で浮遊している。したがって「予想外の質問」にはめっぽう弱い。ある程度の「イメージとしてのメンセツ映像(頭の中に動画や写真がある)」と試験の面接に誤差が少なければ、そんなに印象は悪くならない。

先生はいろんな人がいる。あたりまえだ。

いろんな価値観がある。それを全員が声に出す。新人にはよかれと教える。いい職場だ。

全部まもらなきゃ、やらなきゃ・・・

(参考記事:こちら。こういう状態です。)

気がついて「俺の話は、話半分でいい」と言ってくれる先生もいて、話半分に聞く練習もしたが。

また休憩をうまくとれなくて倒れて保健室でやすむこともあり、休憩時間を入れる練習をした。お茶を飲むときに同期の先生(とても年上です)がさそってわたしもやすむように仕向けてくれてた。

先生の怒鳴り声。これを怖がるのは生徒と一緒なんだって。わたしは生徒レベルなんだ。

夜中の2時までは教材研究をするのが若い人は当然なのか。でも朝起きれなかったらどうしよう。

起きれないのはこわいので、朝はものすごく早く出勤した。泣きながら出勤した。どんどん朝は調子が悪くなって、ときどき吐くようになった。


できてあたりまえ、やらないのは努力が足りない。


教えられていない出席簿の使い方ができなかったら「こんなの常識だみんなできるよな?」と他の人を巻き込んで吊るし上げられてすごくばかにされた。

仕事がうまくできない新任の先生が「ショーガイだよありゃ。」と笑い者にされている。

きっとわたしもそうだ。

「空気読んでくれる?」と女の先生に叱られた。どうすればいいかわからないけどあやまった。

顔に気持ちが出ないことを指摘された。他の人は顔まで動かすことができるらしい。わたしも表情を場に合わせて作らなくては。

国語(国語の教員だった)なんか、という英数の先生の態度。

国語なんか、という生徒の態度。

そうじゃない人もいっぱいいた。

だからみんないい人って思って頑張った。

通勤のときに「いま力を抜けば楽になれる」となんども思った。毎日がギリギリの通勤で、車から降りて「ああ、また生きてる。」今思えばもう病気だった。

三ヶ月毎に倒れた。

学校に行けなくなった。

「いい子のわたしはもう 死んだ。」と繰り返し言っていた。

親が連絡をしてきた。

「おおきいこえのひとこわいおおきいこえのひとこわい死ぬしななきゃいけないこわいしにたくない」

親と連絡も会うことも、パニックになってしまうのでできなかった。別に人に間に入ってもらった。

診断がついた。
発達障害の可能性を指摘された。WAISを受けた。

しかし、最初は「発達障害だと思います」といわれただけだったため、「思う」だけだし、紙に書いてくれないとよくわかんない・・・証拠がほしい・・・と思っていた。しつこく聞いたら医師に「あなたは発達障害ですよ!診断してるじゃないですか!何度も聞いてたら診察時間終わっちゃうから!」と怒られた。
もうだめだった。

病院を変え、そこでも診断が出た。

しばらくしてバイト:向いていると思われるバイトをした。しかし職場に怒鳴る人がいて、二回号泣して問題になってしまって通えなくなった。みんなが気にせずできることが気になってしまう。どうして。

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現在:自分の凹みを認識し始め、「どうやら私はなにか支援がないと、いきるのが難しいかもしれない。」と思っている。
すこしずつ、すこしずつの受容の過程の只中にいるのかもしれない。

2015年9月10日木曜日

生育歴:高校

ある程度生育歴をまとめて心理士に見せたものをもう少し詳しく、感覚的に記述してみようと思います。ですので、①たたき台(心理士に見せたものの一部)②本文(曖昧で私的・詩的な表現だらけ。できるだけ当時の頭のなかを書きたい。)という構成をしています。

生育歴を聞かれた際、書いて見せるにしても、あまり長いものは心理士にしろ医師にしろうんざりするので、生育歴を伝える場合は私のように長く書くのは得策ではありません。しかし、私には短くするということが出来なかったので、精一杯の状態で、医師ではなく心理士のカウンセリングで見せました。

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高校:問題もないが友達もない。しかしわたしはノートを必ずとるので宿題を写すのに重宝されていた。
いないわけではないが、最初に運良く仲間に入れてもらえた子一緒にいることはいたが、それ以上の発展:友達の友達と仲良くなるだとか、帰り道に遊ぶ、休日に遊ぶということは全くない。これは昔からそうで、うすぼんやり「なんだかおかしいな、友達がいないわけではないんだけど、なんだか変だな、微妙にわたしは疎外感を感じるような気がするな」と思っていたが、常に本を読んだり絵を描いたりしていて、ひとりになるのに忙しく、あんまり困っていなかったので放置。
勉強は楽しかった。納得できない部分があれば納得するまで先生に質問し続けた。授業中に。他の生徒のことは頭になかった。また、授業の仕方が納得いかない先生が一人おり、耐えられずにうわーっと泣き出して担任に訴え出る。何回までならやすんもいい、と言われる。その後は休むことはなかったが、その授業だけはあからさまに内職(別の勉強)をして過ごした。
高校は「自分で選び、他者にお金を出してもらって行っている。」という意識が強く、病気以外で休むことはなかった。「親に借金をしている」意識がとても強い。いまでもだ。

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高校は、中学校の時、甘えていた子達とは違うところに行きました。
彼らはいわゆる「進学校」に行きましたが、わたしは「単位制普通科」という、昼間に毎日行くのですが、「単位が取れればどの授業をとってもいいよ」という枠が、少し〜半分くらいまである、割りといろんな子がいる、近所の学校にしました。自転車で、転びながら通ってました。転んでも「遅刻が怖い」ので、そのまま教室に行って、ぎょっとされて保健室に連れて行かれたりしていました。

ここを選んだのは勉強だけやっていて、どこかでぽきっとおれてだめになってしまう気がしたからです。
勉強だけできれば、たいていそういう学校は、「他のこと(具体的に何かはわかっていないけれど、「勉強以外」というものが学校にも存在する、ということは、わかるのです)はまあ、そこそこ許されます。そして、「皆がもう「普通に大学に行く」ことを選択」します。
それは、嫌だな。
私は、もう少し考えたい。
絵かきも考えてもいましたし、他にもいろいろ考えたかった。
まだ限定したくなかった。
ちょっと、それじゃあわたしはだめになっちゃうような気がした。

その学校は取ろうと思えば、保育の授業やお茶の授業、英会話や作文なんかも取れて、就職も、進学もできました。

いまでもお茶の授業は、惜しいな。

わたしは結局そこで、「やっぱり、学ぶこと・研究すること・思索することが、欠かせない」と思い、しかも、国立大学に進学することにしたので、そういった選択の授業はとれませんでしたが、それでも、「自分の未来」を考えることが少しできました。

やっぱり勉強ばっかりしていたし、回りからは「なに、あの子」と思われていたけれど、それでもやっぱりやさしい子たちに、先生に囲まれて、過ごしました。本当に人に恵まれているのです。

ここで出会った美術のせんせいは今でも交流があります。

そして、進学校より進みがゆっくりで基礎に重きをおく授業は私にあっていたようで、とても楽しく授業を受けました。ちょっと、迷惑だったかもしれないけれど、たくさんたくさん先生に質問して、わからないことは絶対納得するまで、どうしても解決しないと気がすまなかったです。昔からそうです。宿題も、泣き叫びながらやることもありました。成績が良かったから認められていたものの、やっぱり問題のある生徒だったと思います。教育相談の先生のところにも良く行ってうわーっと泣いてパニックしていました。
それでも、がんばれてよかったなと思います。
「できないものはしかたない」
そういう部分もあるけれど、やっぱり、がんばるところは頑張れるといいな。
がんばりどころを見極めるちからが大事なのかもしれません。

私のやりかたを受け入れて、教えてくれた先生たち、「しょうがねえなあいつは」だったと思うけど、それをいじめたりしなかったクラスメイトたち、本当にありがとう。そして今でもなかよくしてくれてありがとう。

私は大学に進学しました。

2015年9月9日水曜日

心の風邪ではない

「うつは、心の風邪です」

というセリフを一時期よく聞きました。

本来は、「だから、風邪と同じように誰もがなるもので、不可抗力です。休みましょう」という意味で使われたものでしょう。

でも、本当は、うつはこころの風邪ではありません。

こころの問題ではありません。

つまり、「気の持ちよう」ではありません。
「みんな一緒」ではありません。


私は元学校関係者です。

「新型うつっていう言葉、大嫌い」
「うつはもっとひどいもんだわ。あいつはニセモノだろ。かまって欲しいだけ。すぐ出てくる」
「説得して辞めるの辞めさせてこいって」

私の職場で聞いた、忘れられない、言葉です。

うつは脳のエラー(病気)です。
休まなくてはなりません。

これを聞いたときわたしは、誰にも言っていなかったけれどすでにうつの診断を受けて、薬を飲みながら仕事をしていました。

本人(当事者)が居なければ配慮しなくてもいい、本音を言ってもいい。
のかもしれません。
それぞれに思いはあるかもしれません。

でも、それを学校にいる間に発散するのは、変です。
学校にいる間に言わないと、しんどいなら、働き方に問題があります。
うつの問題ではありません。

そして、ニセモノ(?)なのだとしても、その子が苦しいなら、それは、診断なんかつかなくても、それは受け止められるべきです。

別に、それはこんなことを言う先生じゃなくてもいいけど(むしろ願い下げです)、とにかく受け止められるべきです。

さらに、「新型うつ」ですが、「嫌なこと」=「学校」になっているのなら、それはうつだろうとなんだろうと、教育者が気に入ろうと気に食わなかろうと、そこは問題です。そして、それは子どものせいではありません。当たり前ですよね。どうして、そんな恐ろしいことが言えるのでしょう。「学校だけ、しんどい」状態で、それが判明したなら、そこで食い止めるべきです。そのまま「甘え」とみて、もっとひどい状態になるのを喜んで見ているような教員は、いらない。

また、「教育に医療が介入しすぎてやりにくい」というのも時折聞かれる言葉です。

医療は教育の前提です。
それがねじれた教育には、どこかから介入があるのは当然です。
反省すべきはねじれた教育です。

むしろ、教育が医療を侵食しないでください。
健康でない人は学ぶことができません、しにくいです。

教育に医療を入れるなというなら、医療の判断にケチをつけているあなたがたの行いは、なんなのでしょう。今すぐただしてください。

協働すべきだとは思いますが、私が見てきたものがあまりにもひどくて、いまでも怒りが、定期的にこみ上げます。
怒りたくなんかないのに。

もちろんいい人もいました。
ここで、繋ぎ止めないと、だめだ、と、いう場合もあります。
学校が最後のとりでだという生徒もいます。

でも、それは「例外」だということです。

お願いです。

こんなことしないで。

2015年9月8日火曜日

タスク、予定、未来、過去、忘れられないこと、思い込みと不安



私にとって、未来のタスクはわかていることもわからないことも含めてこんな感じです。
「念の為にやっておくとよい」といった言葉も、義務なのか、どこまでやるべきなのか、恐怖をともなう。やらないと死ぬ、外に出られない、遅刻すればもうおしまい、休まないと。
わからないことがとても怖い。
ふせんをつかったり外部化するようにしても、それが何かの拍子にふっと全部ウィンドウが開いて、頭がパンク。
こういう絵の状態で、歩けますか。
やることを1つ選ぶことが、できるますか。
選んでも、手はもう空いてないんです。
そこにたくさんの刺激やひらめき。
しかもこれらを自覚することもできず、みんなこうだと、思い込んでいます。

これらを改善しようともがいています。
このような思考は直らない部分ばかりではありませんが、すぐになおるわけでもないです。そして、完全にみんなと同じようになることはないかもしれません。
およそ23年間、診断がつくまで抱えてきたものですので、同じくらい、それとも倍、かかるか、わかりません。
でも、模索しています。

ちょっと今はいっぱいいっぱいなもりです。
絵を描いて「あ、ちょっと背負い込んでるな」と分かりました。
でも、今はどうしようもなくて、がんばりどきです。
吐き出しました。

色をつけたらちょっと怖くなってしまったのでたたんでおきます。
見たい人だけ見てください。
私もこの絵嫌いです。

発見と成長


長細くなっちゃいました。
読みにくい場合、クリックすると拡大表示されると思います。

この日にヘッドホンで行きの車の中(まだ逃げの音楽を聞く余裕があった!)で、聞いた音楽の前奏・伴奏から漏れ見えたひかりがきれいで、絵にしました。


青いようなミドリのような、黄緑が、チカチカまたたきました。
その1つの拡大図を想像したとも、全体を描いたともいえるような絵です。

この日はとても疲れて、しかも帰宅後、ちょっと悲しい気持ちになってしまい、
落ち着いてもなかなか眠れなくて、
夜、絵筆をとりました。

頭を占めていた大きな絵が少しこれで軽量化して、楽になりました。
大きなウィンドウに出ている情報を、タグを付けて、USBに入れて、引き出しにしまっちゃうような感じです。外部化すると楽になる。
でも、その音も景色もキレイで清冽で、好きなのです。


 斉藤和義 進め なまけもの

これです。前奏の瞬間に目の前でなにかがチカチカしてビックリしました。
(閃輝暗点じゃない、と思いたい!笑)


そしてかなしいきもちをちょっと引きずって、曇り空の週明けを迎えたら、やさしいおとどけものが。
うれしくてしばらく踊りました。

友民さん、ありがとう。
彼女はイラストレーターで、とてもきれいな色のつぶを紙にあらわします。
やさしいタッチのいきものやまめこ(キャラクター)のイラストもかわいいです。
名前からブログにリンクになっていますので、どうぞ。

今週も、頑張ろうと思えるいいこと。
しんどいことのなかにもいっぱいあります。
回りの力をいっぱい借りているけれど、だからこそ見つけられるようにありたい。





2015年9月7日月曜日

叶わないパニック


小さい頃から…
「絶対これ!これじゃなきゃダメ!これを手に入れる!あれをやる!」という衝動をおさえられなくて、パニックしたあげく、いろんなお店を親に回らせ、高い買い物をしてしまうことがよくあります。とってもコントロールが難しいです。その時は、「それが絶対的正解」になってしまっていて、「ダメならこの世の終わりだ!」とばかりに思いつめているのです。

マイルドにしなければならない性質/特性(どちらのなのかよくわかりません)の1つです。

しかし、この性質のお陰で「一度きめたらやり通す」「実行力がある」「ねばりづよい」とも言え、実際、学業や創作ではこれに大いに助けられてきました。よいところも持ち合わせているのです。

予想外のことや、かなわないこと。「しょうがないねぇ」って流して、代替でがまんする。こんな簡単なことが、私にはすごく難しい。

「本当にそれ、必要?」「そんなに大事なこと?」

かっとならずに、自分に質問できるようになりたい。
どうしたらいいのだろう?

私がこういった状態になっている場合は、感情的に「しょうがないでしょ!」「これでいいじゃん」などと言われると、余計に悪化します。
冷静に「ちょっと時間をおいて考えよう?」などと、静かに、クールダウンを持ちかけてもらえると、効果的です。
もし、こういう子がいたら、感情的にならないでください。冷静に対応してください。

まだまだコントロールの方法が見つかっていない部分が一杯あります。
見つけるのが楽しみだな。と思いたい!(笑)

もりの体調管理タイマー

なぜブロックされるのかわからない人のためのtwitterマニュアル」で超有名になった、decinormalさんのブログで、「過集中対策」および「健康管理」のための時間管理法として「ポモドーロ・テクニック(タイマーアプリを使って過集中対策すること。詳細はリンク先)」が勧められており、デスクトップ用のタイマーアプリで良いものがないなあと思っていた私は、これはいいアプリだと思い、やってみることにしました。

ところが。

なぜか勧められているアプリがうまくダウンロードできません。
鳩の鳴き声を設定出来ないのです。
タイマーをひねる音がとても良いのに、残念でした。

他のアプリを入れてみたりしたのですが、もう私の頭のなかは鳩時計でいっぱいです。
悔しいよー。鳩時計がいいよー。



どうしても嫌だ!と視野が狭くなっている私は(これに後から気づいた…)プレイリストに、「無音の音楽」(ジョン・ケージの「4分33秒」)を複数いれ、鳩時計を最後に仕込みました。

ん…?

これは結構いいかも。

いくらでも連続再生できるし、PCでも携帯(iPhone)でも使えます。

使い慣れています。

バックグラウンド再生ができます。

4分半ごとに、曲が変わったよーと横にぴょんっと表示が出ます。

ただ、別のBGMをかけていると、ダメですが、PCならYouTubeとの併用は可能。

終わりの音は色々選び放題ですし、なんなら自分の声に抵抗のない人は、ボイスメモで「お茶を飲もう」「そろそろ寝よう」とか入れて使ってもいいのです。

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また、今回私はジョン・ケージの「4分33秒」をダウンロードしてプレイリストを作りましたが、のちに教えていただいた「Audacity」という無料編集ソフトで、任意の秒数の無音ファイルを作ることができるので、利用するとよさそうです。それが面倒なら、4分33秒をダウンロードすると早いです。ただし、無音の4分33秒に150円払うことになります。…斬新。

タイマーが合わない方は、こんな方法もあります。

工夫するのって楽しい!

冷蔵庫をみやすく


冷蔵庫によくある食料品をラミネートして磁石をつけてはりました。
最近は、母と私が二人で冷蔵庫を管理していること、ふたりとも、「あれ?あったっけ?」と余分にものを買ってきたり、メニューの一部を忘れて「あれ?今日少ないから、何か足そう」と別にメニューを足してから「さしみ買ってた!!生もの・・・しまった」となったりしがちなので、二人で管理しやすく、見てわかりやすいようにしました。

左が「あるもの」右が「ないもの」です。
冷蔵庫の写真をとるか、「ないもの」または「あるもの」のカードを持っていけば、買い物時に迷うこともないです。

あと、単純に私がこういうものを作るのが好きなので、なんとなく作ってみました。楽しかったです。


全種類。使ううちに精査・追加すればよいのです。


失敗作。大きすぎました。

私は、部屋の構造化などは、「保育園」または「小学校」の掲示などを参考によくします。そういうデザイン・やりやすくするという工夫が好きです。無駄にやったりします。保育園児の時は、保育園でもらえる「おたより」を真似て作ったりしました。知育ものが好きです。

続くかわかりませんが…使うのかもわかりませんが…とりあえず母には「これいいね」と好評でした。

わたしは「作る」「見せ方を工夫する」「見てわかる」が得意です。
たいていの人はそうですし、母もそうです。

でも、母はそういうものやメモを書いたり作ったりすることを「面倒だ」と感じ、結果、ガンガン怒鳴って主張します。

ですから、私から、面白いことを取り入れて、徐々に浸透させると、たま〜にうまくいきます。

いきなり変えることも、人を変えることもせず、自分でやります。
そうすると、自分が変わる場合も、回りが変わる場合もあります。

配慮してもらうことは時には必要だけれど、上のようなやり方が、私はやりやすいです。





2015年9月6日日曜日

暴走特急は死ぬまで走る


暴走してしまう自分には心当たりがあったけど、暴走後でも、はっきりと、これを自覚するようになったのは、カウンセリングと行動記録のおかげかもしれません。


行動・気分表はこんな感じでつけています。
簡潔に書くのがとても苦手。
ぜーんぶはみ出しちゃって、一週間つけきれるのか?!と心配。

上の絵は、この紙の横のイラストをさらに別の紙に起こして、取り込んでデジタルで描いていることが最近多いです。
やっぱり正確に書きたい欲求が強すぎて、気分表にはおさまらないよ〜。
気分表のはずが、お絵かきばっかりしています。


2015年9月5日土曜日

みみ。



先日、家族が大声で話してて。
2階にいても1階の音がガンガンしました。

機嫌のいい、甲高い声も、
機嫌の悪い、怒鳴り声も、

どっちもとてもつらくて、布団に潜って、
体の力が入らないのに、体中がそわそわして、コントロールできなくて。

やっとヘッドホンをして、頓服薬を飲んで、
それでもちょっと引きずって

そういう事があって、ちょっとイヤーマフを本気で考えた次第です。

しばらく様子見で、今後も続くようならもう一度購入を考えようと思います。

(もともと、家族が一緒に1つの家にいると、そわそわしてしんどいんだよなぁ。家族が居ないと生きていけないし、嫌いでもないのに。それでも一人が落ち着く、甘えた自分が嫌になる。)

2015年9月4日金曜日

軽めの皮膚過敏さんも、使えるかも?

私は皮膚過敏はありませんが、濃いメイクはしません。
ベタベタ、皮膚が覆われる、そわそわ、するのが嫌だからです。
最近使っているのが上のものです。
これ、皮膚が少し過敏、気になる、という程度なら、結構いいかも?と思います。

マジョリカマジョルカ ヌードメイクジェル
Dr.Hauschka リップケアスティック

こちらの2つです。

①マジョリカマジョルカ ヌードメイクジェル
いわゆる「BBクリーム/CCクリーム」の類です。ですが、つけると「クリーム」ではなく「ジェル」のようにひんやり皮膚につきます。
つけている感じが薄いのと、「ひんやりつく」感じなので、「べったり」が苦手だけどファンデーションを付けたい・つける必要に迫られている場合にはいいと思います。
カバー力はそこまでありませんが、私はこれで十分です。
しかも、お安い系のメーカーですので、とても財布にやさしいです。嬉しい。ドラッグストアで買えます。ちょっと人気があるみたいでこのラインは品薄ですが…

②Dr.Hauschkaリップケアスティック
リップクリームです。
私は普通のリップクリームが全く続かず、ベタベタがすぐに気になってごしごしとってしまう、なめとってしまうのですが、これは結構薄付きで、しかも甘い匂いも脂っぽい匂いも少ないです。ハーブっぽい、すっとした香りです。ですので、すっとするのが極度に苦手な人はダメかも。でも、かなりリップクリームの中では、使用感・効果ともにお勧めです。
少し高価なのですが、そんなになくなるものではないので、リップクリーム・ジプシーをしていたころより断然お得かもしれません。

※これは私の使用感でしかありません。必ず自分の責任で試してくださいね。


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最近書いた「私の50音」。絵もいいけど、やっぱり描いて発表するほどの発送や創作のちからがない私は、こういうふうに文字を書く、文字にその時どきでいろを見る。なでさすって食べる。向こうの自閉した私がそれを手伝ってくれる。

2015年9月3日木曜日

笑っちゃう、典型的なミス!


普段はここまでひどくはないのですが、やっぱり今はいっぱいいっぱいみたいです。
それにしても、ここまで典型的な迷い方はあまりしない(慣用句の知識があります)ので、支援者さんともどもわらっちゃいました。「よしもと新喜劇」の「お邪魔します」「じゃまするなら帰って〜」「なんでやねん!」と同じレベルのミス。お笑いですね。

いつでも笑えるわけじゃないけど、特性ならではのことを、「困った!」だけじゃなく、「面白い」と思える私でいたいし、ちょっとのミスなら、ミスしないより、笑ってカバー行動ができるほうがいいなと思います。

何度も繰り返しますが、フリーズしていた時は、真剣でした!本当に、真剣に考えてしまったのです!それがまた笑えます。

カウンセリング4 ー優先順位をどうつける? 

前回の記事…診察とカウンセリング3 の課題を、今回は報告し、次につなげました。

報告内容:体調と計画、優先順位をどうつける?

いただいた情報一覧


一覧にするにあたって一部表現を変更・省略しています。
みなさん、苦労しながら、工夫されていました。
定型発達の方からのご意見は1件だけでした。やはり、比較的発達凸凹のある人は、「優先順位」「計画」「体調(セルフ・モニタリング)」に関して困難を感じ、悩んだり工夫したりしているように思いました。皆さん「苦手」で、むしろ方法を知りたい、探しているように見受けられました。これが自然にできるって、凄いことだと思います。

体調(セルフ・モニタリング) 

気分表を使う
→以前参考にさせて頂いて、使っていましたが、只今挫折中。今回のカウンセリングから再会します!やっぱり、これいいみたい。
・感覚過敏を緩和することで脳に余裕をつくり、疲労感を感じる余裕にまわす(必ずしも疲労感に空いた脳が割かれるとは限らないが)
・「体調を感じる」のではなく、「自分の体を外から機械としてみて、手動でメンテナンスるように。
ex.)作業し始めて◯分経った。体ほぐしとお茶を飲もう。
・体を動かす
・行動を順番づけて習慣化。細かいメモ。脅迫的になり過ぎないように、時間は測ったりしない。音楽一曲分でこの行動終わり、休憩、といったように、ゆるやかに。
・人との関わりを減らす。
・自分の体調が表情に現れるゆえに、「いま、顔の筋肉が動いてないけど怒ってません」など、まわりの人への気遣いもしておく。
→これをしておくと、自分だけでは補えない苦手をサポートしてもらいやすく、またお互いに気持ちよく過ごせますね。

計画・優先順位

・約束等をする場合、前もって「体調によってはキャンセルになるかも」と伝え、キャンセルのハードルを下げる
・計画を立てるときは、「最悪これだけはやる」ことを決める。それ以外は流動的になることを許し、その部分で「見通しがない不安」を緩和する。
ex.)もし明日体調悪かったら、キャンセルして寝よう。そのために携帯は枕元に。
ex.)急な残業で不安だ。でもどんなに遅くても20時には終わるだろう。寝るのはいつもの時間に。
→見通しを緩やかにして変化に対応するとともに、「変えない部分」での安心。両方からの攻めです。
・計画するときは、前日までになんとなく時間を決めて、覚悟する。その時点での自分の体調を鑑みて、翌日のことを決める。
→前回の記事で食事をしていたお友達本人から「大丈夫だよ」メッセージとともに頂きました。今回唯一の定型さんです。ありがとうございます…!

これから、どうするか


出来そうなもの、すでにやっているものを、ここから簡略化して取り出します。

1 約束のハードルをあらかじめ下げる・断れるようになる

・・・「頼む」ことの練習からはじめる。私は、「断る⇔断られる」「頼む⇔頼まれる」というやりとりが、想像してパニックになってしまうほど苦手だと判明したので、これから練習していきます。

1.5 1を行うために必要な「体調見極めアラーム」を探す

見極めアラームは次の図の、囲んだ部分です。


・・・現在わかっていること:体は固まるのにそわそわしていてしんどくなる
おそらくそれ以外にもあるので、前触れを探して、それが出たら休む・予定を断れるように練習する。

2 気分表を改めてつける

・・・「行動に伴う気分」、すなわち「何をすると気分が良く、何をすると気分(体調)が悪いのか」また、「体調が大きく崩れる前触れの症状」を見極めるため、今までの時間ー体調の対応のものではなく、時間ー行動ー体調の対応がわかるものを使ってみる。

いただきました


課題「断る⇔断られる」「頼む⇔頼まれる」


さて、3で募集したご意見に関する記事は以上です。
体調モニタリングのほうは、上記のように、「まずやってみる」ことになりましたが、新たな課題として、私は、自分が「する側」も、「される側」も、とにかく「断る⇔断られる」「頼む⇔頼まれる」という行動がとても苦手だということがわかりました。言葉と状況を想像しただけで、パニックになって混乱・涙が出てきてうわーっとなってしまったので判明しました。今までは、こういうことが「うまくできていなかった」んじゃないかと言われ、確かにそうかもしれないし、できていたとしても、とてもしんどい状態でやっていたのだろうと思います。

私にとって「頼むこと」「断ること」およびその言葉自体というのは、「相手の領域に侵入すること」だと感じます。そして、それを断る・断られることは、大きな壁や岩にぶつかって、世界がバラバラになってぐらんぐらんに揺れるような衝撃として感じます。とても怖いです。わけわからなくなって、キャーッとなってしまいます。

緊張するときもそうですが、こういう時も(この時も緊張するわけですが)、自分のたましいが右上のほうに抜けてしまって、体が斜めになって、地面が柔らかくうにゃうにゃとうねって、体の表面がしびれて感覚がなくなって、自分がきゅーっと小さく縮んでなくなってしまう、耳がきーんとするような感覚を感じます。

さて、このため、まずは今回主題としてつかったエピソードで私に必要だった「断る」ことに絞り、「断る方法」から、「実践ではなく方法論をまず考える」ことが次の課題になりました。例としていただいた方法が

●メール
●口頭
●(親しい間柄なら)カードを見せるなどのサインを決めておく

というものでした。
ここから、具体的な断り方・または、これ以外の断り方を考えていきます。そして、「友人との食事の時に体調が悪くなった」場合、どうやって断れたか?を検討していきます。

もし、こちらもご意見・考えありましたら、頂きたいと思います。よろしくお願いします。




2015年9月1日火曜日

Lineスタンプ「dekoboko cat」リリース!

人にことばを伝えるのは難しいです。

言葉がうまく出てこなくなった時、話し言葉じゃ伝わらない時、よく使うのが、「お手紙」「メモ」。

今は、たいていそういうものには、iPhone(スマフォ)を使っています。

Lineは、はじめは「しらないもの」「個人情報」に抵抗があったけれど、やっぱり「文字で伝えられる」「好きな絵を選ぶだけで伝えられる」利便性と魅力はおおきいです。

とてもよく利用しています。

おとな・高機能の発達障害者だと、絵カードを頻繁に利用することはあまりないような気がします。
そして、絵カードを検索すると、身辺自立に難がある人のためのものが大半です。


「しんどいよ」「うるさいよ」「まぶしいよ」
「表情に出てないけど、うれしいよ」
「見た目にわからないかもしれないけど、忙しいんだ今」


そんな言葉は、私にとってなかなか発信が難しいです。

でも、そういうカードはないし、カードを使うほどでもない。カードはかさばる。

そんな需要を満たすもの・・・

自分で作ろう!

ということで、作りました。

Line creators stamp "dekoboko cat"(でこぼこねこ)
ちょっと凸凹でおっちょこちょいなねこのスタンプです。
http://line.me/S/sticker/1182364

※あえて画質を落としています


リリースされた時はとっても興奮しました。
おめでとうもいただき、ありがとうございました!

とはいえLINEですので、凸凹な人も、そうじゃない人も、一人にでも、少しでも、気軽に、お、ちょっと使えるな、と思ってもらえれば、幸いに思います。

もり

デジタル耳栓を改良

デジタル耳栓を最近よく使います。
外出が増えてきて、また、暑さでヘッドホンが使えないためです。

ところが、デジタルみみせんって、固定が難しい。
ただつけてるだけでは、ぶらーんと垂れ下がってしまうわけです。
本来の用途が、「飛行機の中」での使用のため、座っていることが前提なのでしょう。動きまわると、コードが引っ張られて首が締まる。引っ張られた時のノイズがとても痛いです。
今までは、ソフトケースに入れて、そこからひもを通してぶら下げていたのですが、それも、ひらひらとひもが増えて、またコードが絡まったり、首が締まる。
最近ではカバンを上めに持ち、そこから直にデジタル耳栓をつけることもありました。

でも、身につけられないのは不便なので、衝動的に改良をこころみました。



このように・・・
後ろにピン(家にあったヘアピン)を、金属が付けられるとのこと、いつもは布に使っているボンド(家にあった)でとめ、本体を服にはさめるようにしてみました。
洗濯バサミでも代用できそうです。移動ポケット用に手芸屋さんで売っているものや、服に穴を開けるのに抵抗がないならば、安全ピンをつけても。

結構しっかりくっついたのでいいかもしれませんが、本当は、エポキシ系のもので接着するといいようです。
おそらくガンガン使うにはそうでないといけないので、取れてしまったらまた接着し直すつもりです。





そして、今まで使っていた、このシート(下)の一部を切り取って、

貼り付けました。


どうでしょうか?
けっこうキレイに作れたような気がします。

私の場合、ヒトの声がダメなので、これでは低音域しかカバーできませんが、それでも無意識にたまるストレスや、大きく音が響く構造の建物などでのつらさは軽減されます。


 

つけてもいい感じです。
結構しっかりくっつきました。
羽織もので隠しちゃえば、見えないし、引っ張られてコードの雑音が痛いこともありません。上の方につければちょっと何かわからないけど機械…音声さん?補聴器?という感じで、イヤホンぽくないのでむしろ理解してもらいやすかもしれないなぁ。つけ心地もこの感じが好きでした。
下の方につければ単なるイヤホンです。これは無難に使える方法です。ベルトのある服などでは、そこに引っ掛けることもできそうです。

また、服の「裏」に隠れるようにつけることも出来そうです。そうすると、ピンが少し見えるだけ。つぶさないようにすれば、目立ちません。それこそ、音声さんのよう。


透明なピンを使えば尚目立たないですね。
私にはこれでも十分なくらいです。
取りつけ・外しもらくらく。

ケースに説明書きカードをつける方法だと、これではすぐにカードを取り出せないので、パッと本体の説明書きを見せて説明できるようにもしました。

余裕がある・ハンドメイドが好きな人・もちものが増えたりがさがさしても平気な人は「移動ポケット」を作るのもいいかもしれません。

しばらく、これで残暑と音のざわざわを乗り切って見ようと思います。