2015年8月31日月曜日

大人用サリーとアン課題を解く

「サリーとアン課題」というのは自閉症・発達障害関連のテストとしては有名なもので、幼児・学童期の子どもの「心の理論」が形成されているか判断する・発達障害の傾向を知るツールの1つです。

「心の理論」が形成されていると、「サリー側」「アン側」の両方の立場を「想像」することができます。よって、「(サリーは、アンがビー玉を移動させたことを知らないはず。だから、サリーがまず探すのは)カゴ。」と答えることができます。
「心の理論」が形成されていないと、「自分の立場」以外でものごとを「想像」することが困難になります。よって、「(自分はアンが箱にビー玉を入れたのを見た。だからサリーが探すのも)箱。」と答えてしまう場合があります。

ただしこれは1つのツールでしかなく、これで自閉傾向が「診断」できるわけではありません。
このテストに正しく答えられても、自閉症スペクトラムの診断がつくことはあるということです。
おそらく、私が子どものころ、このテストをしたら、正しく答えていたのではないかと推測します。しかし、私は「広汎性発達障害(自閉症スペクトラム)」の診断を受けています。また、そういう子どもは、他にもいるようです。

この問題の大人用というものを見つけたのでやってみました。



大人用のテスト
恵さんの家におじさんが遊びに来ました。
恵さんはお母さんに手伝ってもらって、チーズケーキを作りました。
恵さんは食卓で待つおじさんに言いました。「おじさんのためにケーキを作っているの」。
おじさんは「ケーキは大好きだよ。チーズが入っているのはダメだけどね」と言いました。
ここで質問です。気まずいことを言ったのは誰ですか?
また、なぜ気まずいのでしょうか? 
気まずいことを言ったのは「おじさん」です。その理由は「恵さんやお母さんの気持ちを傷つけてしまうから」です。
ASDの人は、最初の質問で「おじさん」と答えられない。誰も気まずいことを言っていないと答える。つまり、「チーズは苦手」と恵さんに告げることが気まずいとは感じないのです。恵さんの気持ちに立つことができないからです。



こちらが、大人用(以下「チーズケーキ課題」とする。)です。
こんなの、答えられるだろう、と思っていました。
ところが、私はすぐにこれを読んで

「え??気まずいこと、誰も言ってないじゃん。」

と思いました。
おもいっきり外しました。

これはわたしにとっては結構ショックなことでした。なぜなら、今まで人に「お前は空気がよめない」と言われたこともありますし、病院での診断も、WAISも受けているのですが、ここまであからさまに、客観的に「あなた、空気が読めてませんよ」ということをつきつけられたのは、初めてだったからです。

いままで、正直な所どこかで「ま、割りと軽度だし〜」「そこそこ読めてるけど、どうしたらいいかわかんないんだよね〜」くらいに、軽く(?)考えていました。

ところが、この問題の解答に全然納得・共感ができなかったことで、それががつんと壊れて、びっくりしたのです。
「あ、わたし、出来ない子なんだ!」
と。
そして、定型発達の方の場合、この文を読んだ時点で「ヒヤッとするくらい気まずい状況である」ことを感じるということも教えていただき、「え〜〜〜〜っ?!」と思いました。驚きです。
私にしてみれば、まあ仕方がないんんじゃないかな、じゃあおじさんは別のもの食べたらいいんじゃない?くらいの感じです。もちろん恵はおじさんのためにケーキを作ったのでびっくりして悲しくなって頭が真っ白になってしまうかもしれないけれど、まあリサーチ不足でもあるし、それはどうしようもないことでしょう。

だいたい、気まずく思う主体は誰なのかがよくわからないので、何を聞かれているのかもよくわかりません。それに、この文章の登場人物で、気まずいと思っている人がいるんでしょうか?
読んで、「あーあ。残念。」と思う「読み手」が気まずく思う場合がある、というだけではないでしょうか。やっぱりよくわかりません。
これで、「恵さんの気持ちに立つことができない」と言われてしまうとなんだか心外です。恵さんはかなしいかもしれない、でも、しょうがないでしょう?と思います。だから、別に気まずくないのです。それに、気まずい、という言葉の意味もあんまりはっきりしませんね。「いたたまれない」ということでしょうか。「気分がマイナス」というぼんやりした感じで捉えても、一応解答にはたどりつけるので、そこはなんとなく捉えられていればいいということなのでしょう。

そもそも、「主体」とか「意味」とか考えなくても読んだだけで「なんとなく」「ヒヤッと」し、正しく答えられる、つまり、それが「雰囲気がわかる」「空気が読める」ということなのでしょう。確かにそう考えると、とにかく思考しないとダメな私は、「理解はできる・学習はできるから、今まで渡ってきたが、空気は根本的には読めていない・共感できていない」のかもしれません。

ちなみに、後に、国語の問題を解く要領で、「紙に書いて解いたら」解けました(このやり方が得意なのでしょう)。
共感はしていませんが、問題文と設問から、まあ敢えて答えるならば、こうなるだろうというのは理解をしました。


もちろん、チーズケーキ課題が解けるけれど自閉症スペクトラムの診断を受けている方も大勢いると思います。
 これが全てではないし、これが出来ないからといって悲観しては居ません。

ただ、ちょっと「あ、出来ない部分なんだな、別の能力で補っている部分なんだな」ということを、はっきり自覚した、興味深い出来事でした。

これを「なんとなくわかっちゃう」というのは定型発達の人のすごい能力だなあと思います。読んだだけで気まずい感じが伝わってくるなんて、テレパシーみたいですごいです。

2015年8月30日日曜日

『10年目の自閉っ子』などなど・そして当事者本

 

2つの書籍を読みました。
というのも、カウンセリング(まだまだご意見募集中)で私の発言に臨床心理士さんが「そんなことをニキ・リンコさんも言ってたね」と発言したから、参考にしようと思ったのです。

確かにそうで、彼女はどうやら「面倒な脳」を「面倒な脳だからこそできる面倒な思考」でねじふせなだめて生きてきた人のよう。

私もそうです。

彼女より私のほうが自閉度は低いと思いますが、なるほど似ています。

『「疲労感を感じにくい」ということはどういうことかっていうと、「過敏だから他の感覚と切り分けできない」ということでもあるのか。』

身体アセスメント 

そして、今回この本を読もうと思ったのはカウンセリングの宿題をやるため。
その中で宿題にかかわりそうだと思ったのはこの2点です。

感覚過敏対策をすることで脳みそに余裕を作る。そうすると、別の過鈍になっている感覚が見えてくる可能性(これ、実は以前にもフォロワーさんに指摘されていました。ありがとうございます!)。
そして、脳と体に余裕を作る、バランスをとる、身体アセスメント。
さんぽでもいいのかもしれません。また、ツボ押しやヨガなども。そして、身体アプローチの体操。



このへんのことも良さそうです。この本は持っているので、また体力のあるときにちらちら読んで、やっていこうと思います。

また、この本(10年目の自閉っ子〜)はニキ・リンコさんと藤家寛子さんが当事者として書いていますが(そこに編集者さんが入る対談形式)、その二人は生き方や性質が間逆な部分があります。
また、ニキさんが「私それできない。」と言うことに対して、編集の方が「それを避けるように工夫してきたんだから、それはそれでいいんじゃない」というような内容のことを言う場面があります。一方で、「できるように努力」してきた藤家さんを賞賛する。
それが「あなたがあなたに合った、やりたい努力をして、自閉っ子としてでも、健常者としてでも、福祉就労でも一般就労でもその他でも、好きなように生きて、自立できればそれでいいんだよ」というメッセージがあるようで、とても私はうれしく思いました。
そのまま、しんどいままに甘んじることなく、自分のやりたいようにアプローチし、自分の生き方で生きる。
みんな同じだけど、自閉っ子はやりにくい。
でも、その分、ヒントは見つけやすい(だって、自閉っ子の特徴を拾ってくれている本はあっても、定型発達の人の特徴が書いてある本はない)。
うれしい気持ちです。

2015年8月29日土曜日

わたしはエイリアン

Weblio より

時々出かけると、道を聞かれます。
また、海外の人と話す機会があったりします。

そうすると「ああ、らくだなあ」と思います。

彼らと話すときは、互いに言葉も文化も異なることをはっきり認識して話をしています。
ですので、まずは「敵意が無いですよ」ということ。そして、「絶対に伝えたいこと(道など)」をどうにかこうにかして、筆談でも、拙い言葉でもいいから、伝える。

その2つしか考えなくていいです。
また、雑談するときは、もはや何を言っているのかお互いわからないのにお互い適当に自分の母語で話していたりして、回りに「それ、通じてないよね?」とびっくりされたりします。
でも、「あなたと仲良くしたい」ということだけがわかっていて、一緒にいる。
それでいいので、らくです。

もちろん、細かい感情がないわけではないし、もっとわかりたいと思います。
伝えたいとも思う時もあります。

でも、それも含めて、きちんと相手を異文化(別人の意)として認識できる、というのがとても心地よいです。

わからなくてもいい関係、それでも受け入れる関係です。



2015年8月28日金曜日

友人ってどんな人?

カウンセリングで「友人がいるのはいいことですね」と言われました。

私には友人がいます。



でも、「対等に」交わっている、のか、よくわかりません。

友達、と言うのはあいまいで便利な言葉です。

知り合いだろうと、同級生だろうと、先輩だろうと、まあ大概「友達」です。
だからこそよくわからないし、これは発達障害の人に限らず「友達って何?」というのはよくある疑問なのです。

しかしとりあえず私は基本的に、「対等に交わる関係」「ないしは、単なる知り合い以上の、損得にかかわらないのに、続いている関係(「以上」であるから、知り合いも含む)。」と思っています。

私には友達がいます。

友達がいるから発達障害じゃないですか?

違います。

でも、発達障害があると、社会性・コミュニケーションに問題が出てくることが多いが故に、友達がいない、少ないといった悩みのある人はかなりの割合を占めるでしょう。

私も、高校卒業までは、「私には、どうも、みんなと同じような友達ができない。」と思っていました。

友達そのものがいなかったわけではありません。でも、「特に仲良し」とか「放課後や休日に誘い合って何処かへ行く」ような友達というのは、いませんでした。わたしはいつも誰かのおまけでした。いつもどこかさびしい。さびしいよ。一人は好きだけど、やっぱり、そういうのってこたえます。

そして、私はいつも幽霊でした。
「幽霊」という表現をしてくれたのは、如月さんです。ぴったりの表現だと思ったので使わせてただきます。

たくさんの人の中にいると、私はどんどんぼうっとしていきます。
どんどんそこから離れて別の世界にいってしまうのです。

なぜかというと、そこには居場所がないからです。しんどくて、つまんなくて、いられないのです。ああ私はいなくてもいいんだ。忘れられて空気になっちゃうんだ。そういう感じです。私はいわゆる「選ばれない子」でした。

だから、私は「ちょっとぼーっとしたところのある子」「悪い子じゃないけど、鈍い子」「めんどうな子」といった扱われ方をよくします。どちらかというと、いつも、「対等」というよりは「お世話されている」感覚です。それはそれで、ありがたいわけですが。そして、お世話してもらえるというのは、好意ですし、私はそれで十分だ、「友達」だと認識していますから、いいのですが。
また、ぼーっとしているのですが、それでいて言うことはきつかったり、テストで点数がとれたりするギャップに怖がられたりもします。「勉強はできるけど、一人暮らしさせたらすぐ死にそう」なんて言われました。餓死なのかな?とにかく生活能力が低く感じたのでしょう。その通りなので返す言葉もありません(一人暮らししていましたが、母が過剰に世話やき≒過干渉であるため、成り立っていたのでしょう)。

中学校の時、回りの人をモデルにして小説を書いていた子がいました。
その中に出てきた私は、まさに、「ぼーっとしているけど、たまに言う発言がえげつなく、キツイ子。」でした。
そんなふうに見えているとは思わなかったので、びっくりしました。

大学は楽しかったです。
変わっているのは、いいことだし、必要ないのにべたべたすることもないし、自分の好きなところにいてよかったですから。
べたべたしたい子は彼らで、私はわたしでいられました。

研究が好きな子と一緒に話しもできました。
今でも大学に戻りたいくらいです。ずっと大学の4年間が続けばいいのに、と今でも思います。

ただ、やっぱり「遊んでもらう」「お世話してもらう」ような友達や先輩といました。

そして、「特別に仲良し」はいませんでした。
予約した集まりにいくことはあっても、「ついでにどっか遊ぼう」みたいなことは、ありませんでした。

みんなが私よりたくさん、いつも遊んでいるらしい、遊び場をたくさん知っているのが普通らしい、と知ったのは就職して、そういう「遊び」のことを本当に何も知らないのを、指摘され、また、周りの人があまりにも多くの「遊び」の情報を知っていることにおどろいて、です。

私の友人関係というのはやっぱりどうもみんなとは違うみたいで、「友達がいない」わけではないけれど、「どちらかというといない」「ちょっとずつ、いつもさびしい」感じがしていたのは、こういうわけでした。

でも、親しくしてくれる人が、大学時代、そして今を通じて少しづつでき、今は、それでじゅうぶん幸せです。

違う形だって、私が幸せで、私がだれかを傷つけることなく生きることができれば、そういう関係のなかにいる私も、まあ許してあげようと思います。

だって私はもう中学生や高校生ではないのだから、決まった形で誰かと仲良くしなくたっていいのです。
もう私は自分で何もかもを決めることができるのです。

そう自分に言い聞かせて毎日を幸せにしています。

毎日はそんなにしあわせなことばっかりじゃないけれど、それでも毎日繰り返し繰り返し生きてくんだから、それで幸せになるほうがお得です。

あさのさんぽ

キウィの木のある家

さんぽしました。
あさのさんぽです。

母に「体力づくりのために毎朝さんぽでもしたら、堤防まで」
と言われて、堤防に行って戻ってきました。大体1時間くらい歩きました。

目的なくなにかするのは苦手ですが、さんぽは「さんぽ」として成り立っているので好きです。

もともと「頭と体のバランスがとれていない(頭は疲れても体はつかれていない→しんどい多動やぴょんぴょん、居ても立ってもいられないのになにもできない感覚)というのは自覚していて、必要性も感じていたので、やってみました。
「堤防まで」と「どこまで行けばいいのか」も指定してもらっていたので、それもやりやすかったです。これがなかったらできなかっただろうな。と思います。


毎回こうしてパノラマ撮ったらいい記録になるかな

とても疲れましたが、朝のまだきれいな空気と田畑のようすは心地が良かったです。
眩しくて前を見て歩けなかったので、暑くてうっとおしいけど、めがねをかけたほうがいいかな。次回はそうしてみようと思います。

歩いてみて、左右のバランスが悪く、右に傾くのを感じたので、右足が短いか、または左に骨盤がゆがんでいるのかもしれません。
そんなこともわかるんですね。

すごく疲れていつもより体が重たい、眠たいです。でも、そわそわが少ない気もします。
体力つくかなあ。

普通の人と同じところまでは行かないかもしれないけれど、うつで仕事ができなかった分は戻せるはずはので、そこまではじりじりいきたいものです。


そしてじっと水を眺める。
犬が居た頃は、犬と一緒にじっとながめていました。
犬も私もこれが好き。

2015年8月27日木曜日

手帳の申請でパニック

 

ということがありました。

・支援者さんの情報
・役所での情報
・インターネットの情報

が食い違っていたこと、それへの説明がないこと。
これからどうすればいいのか、が、「電話」だったこと。よくわからない状態での口頭説明(男性)だったこと。

そして、自分が疲労していて、「今申請しなきゃここで申請しなきゃ(全然そんなことはないのに)」と頭が硬くなっていたこと。それに気づいていなかったこと。

それによって「予想外に、申請ができなかった」衝撃がどかんとパニックになりました。

見た目は、固まって、不機嫌、涙目、焦りが見えるような状態になっていただろうと思います。

内実は、絵のような感じでした。
こうならないように自分を必死におさえて、限界の態度だったのです。

自分を知って、限界をこえて行動しないように。
また、どうしたら限界をわかるのか。
どうしたら体力がつくのか。
どうしたら動かずにおとなしくしていられるのか。

すごく難しいです。

とにかく、また別の日に落ち着いて、申請します。

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そういえば、「もうだめだ」といえば、私にとっては『ぼのぼの』なのですが、最近
ぼのぼのが特性持ち、シマリスくんが多動、アライグマくんが定型、に見えてきて、なんだか嫌です。そんなこと考えずに、なんにも考えずに見たいアニメだなぁ。

 

『ぼのぼの』、すごくすきです。よくわかんないところが好きです。でもかわいい。あと顔が一定なのが好きです。
「ディズニー・アニメ」みたいな、顔がぐにゃぐにゃ変わるのは、こわいです(ディズニーランドは楽しいし、グッズはかわいいけど、アニメはあまり見ないです。とくにピクサーが怖い。)。
動物にももちろん表情はあるのですが、動物的な表情や無表情が好きです。そういう方がかわいいと思います。


2015年8月26日水曜日

診察とカウンセリング3【ご意見募集】


イラストのとおりです。
診察に待ち時間が長く出てしまったのでその場でカウンセリングノートに描いたイラストです。
なんてアホなんだ…
今回はよかったけれど、びっくりした出来事でした。

でも、割りとよくある出来事の類かも?

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診察では、先日ものすごく体調が悪くて、記憶が飛んでしまったことを報告。
私は記憶が飛ぶことがあまり今までなかったのでびっくりして報告したのですが、反応は薄めでした。よくあることっぽい反応。しかし、とにかく薬を続けてみましょうということでした。反応からして脳神経系・命の危険のある系の疾患疑いはあまりないみたいで良かったです。

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カウンセリングでは、先日宿題で出ていた「今疑問に思っていること」から入りました。

→・特にないので、プロフィールシートを遊びで作りました
 ・ハローワークの書類には「広汎性発達障害」「アスペルガー」「高機能自閉症」から選ぶところがあって、とりあえず「アスペルガー」を担当の方に選んでもらった。いいか。

⇒・これはすごいね。コピーしてもいい?
 ・なんだかハロワ古いね。

ということ。
それから、また最近記憶が飛んでしまった事を話し、プロフィールシートを読んでもらいました。

⇒これだけ自分のことを書けるのはすごい。わからないままパニック起こしちゃう人も結構いる。

とのこと。私の場合、知りたい分析したい表したいという欲求が強く、見た目を綺麗にわかりやすい資料をつくることも好きなのが功を奏しているようです。自分だろうとなんだろうと思考の対象になればそれで私の欲求は満たされるのです。
ちなみに、カウンセラーさんに褒められてもあんまり嬉しくありませんでした。多分、「そういうふうに褒めるのが仕事」だと認識していることや、それどころじゃない(カウンセリングの内容把握と、発言することに手一杯)なのでしょう。もともと感情よりも情報のやりとりに長けていることもあります。

さて、ここからのやりとりが面白かったです。長いので折りたたみます。

2015年8月24日月曜日

でこぼこちゃんバナー

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にほんブログ村に、登録してみました。
そして、バナーを、以前描いたイラストで作ってみました。
こういうのに登録するのはあんまり得意じゃないことにやってみて、気が付きました。
ブロガーだからかな?でもそんなシンプルなブロガーが好きです。

よかったら、上の画像もリンクになっているので、押してくださいね。

でこぼこちゃんイラストいくつか



スタンプにしようと思い、作っていたものですが、途中で断念したので、公開します。
ほかにも、いろいろあります。


 いつか思いついたら使ったり、しようかなと思います。

なんだかよくわからないけど、体調ががくっと落ちてます。
何にもしないのもしんどいので、ちょっとずつちまちま生きてきます。

2015年8月23日日曜日

文字や記号


以前、目盛りに惹かれるという話をしましたが、
記号としての文字も好きです。
言葉にもとても興味があり、共感覚めいた部分を持ちあわせてはいるのですが、それとはまた違った意味で(?)かたちとして、うつくしさとして、きれいでするんとした、線と面に惹かれます。
とにかく近くにあると嬉しいし、読み上げてしまうし、うふふと笑ってしまいます。
コンピュータにひらがな表のようなものを貼ったり


ヒエログリフがなぞって書けるシート表も貼っています。書く機会は未だありません。でも、惹かれます。とてもかっこいいし、きれいだし、記号ってとてもいいものです。
変な日本語も集めてしまう。うちには変な日本語の書いてあるチラシなどがそこら中にあります。
フォントの本も、大して必要もないのにあります。ながめつすがめつ楽しみます。
これは、雑誌『+Designing』の付録です。
ふふふと笑ってしまうので、とても怪しいのですが、外でそうならないように気をつけつつ、楽しみます。


2015年8月22日土曜日

つめきりと触覚過敏




これ、お仲間いますか?
爪切りよりもつめきらない方がダメです。

特にキーボードと爪がぶつかるのがギャー!って叫びだしたくなります。

触覚過敏は、調子が悪いと急に触られると叫びだしてしまう感じです。
さわられるのがだめなのに、そのくせ、自分で人を触るのはOKだったりも…

予想できない+NGな場所(首付近など)+不安+体調
が感覚過敏に影響するので、自分で他人を触るのは大丈夫なのかもしれません。



2015年8月21日金曜日

プロフィールシート

プロフィール・シートを作りました。

これからセンターで作ると言われて、ちらっと見せてもらったのを思い出して、また、カウンセリングの宿題で「もし質問があったら書いてくること。なければ、宿題なし。」と言われていたので、「じゃあ、私ってこんな感じですか?って持って行こうかな。もう質問がないけど、ないって言うの、しんどいや。」ということで、ものを作るのもすきなので作ってみました。

サポートブックなどは既成のものがありますが、どうももっと知的に低い、生活習慣の確率が難しい人に照準を合わせてつくってあるようあので、利用するつもりはありませんでした。

ところが今後障害者雇用を視野に入れるにあたって、障害をオープンにして行くにあたって、A4サイズの表のようにして「特徴:対応:結果」という3項目で特性を書き出すことになりそうです。

確かにそれくらいなら、また、「仕事をするにあたって」ということなら、作りやすいです。

それは、支援者さんと一緒に作り、もっと「企業に認められやすい」という視点が入った簡易なものを作ることになると思います。

これは、なんとなくこういうのを作るのが楽しいのでつくっただけ。

何かのたたき台になればいいな、程度のものです。

ただ、これには、「画像」をつけました。
特に、イヤーマフ・耳栓系のものは、このように記載があると、「みてわかる」ので、よいかと思います。
定型の人も、視覚優位な人が多いと思います。だから、画像が必要です。画像があると安心します。

自閉系の軽度〜中等度成人の特徴って、こんな感じだと思うのですが、どうでしょうか?


スプレッドシート共有リンク:
https://docs.google.com/spreadsheets/d/1zZ0k2RXegSgXoDsBYr3Lhd2_4BEDL16hHXvw649anwE/edit?usp=sharing

一枚は、A5に印刷して、医療情報にくっつけました。
もう一枚、A4に印刷したので、センターや病院で見せて、良くして行こうと思います。
自分を知るのは面白いし、まとめるのも面白いです。



2015年8月20日木曜日

どこに立っているか

カウンセリングに行ってきました。
親とは別です(親の動向は不明)。

心理士さんは、白衣を着ています。
その、肩に、何かロゴがついていて、私はそればかり見ているみたいで、絵を書こうとして、それに気が付きました。
心理士さんの顔、「腕(ロゴ)」なんです。

ロゴは色々とバレそうなので書いていませんが…
顔をみていない!
次回、見てみようかなと思います。

さて、今回はいちおう3回目ですが、序盤ということで、オープンクエスチョンがやはりあります。

「困っていることはなに?」
「どんなこと?」
「何ができない?」

どうしてだか、困っているはずなのに、うまく答えられません。
カルテなどを全て開示して行ってくれているので、それにある言葉を指さししました。

診察室もこんな感じです。
かくしてカルテを書き込みしていたりすると気になってしまったり、不安なので、これはとても安心。

心理士さん側からも、PC画面で「見せながら話す」ことができます。
それで見せて頂いたのが以下の図です。


私は、自閉症スペクトラムに関する知識はありますが、「自分の立ち位置」について、色々な人に別々のことを言われて混乱しているようだが、どうか。

そう尋ねられました。

そして確かに、「あなたは発達障害だと診断」「発達障害と思う」「発達障害ではない
というように、色々なことを言われているために、ある時には「確かに私は発達障害だ!どちらにせよそう思うと楽だし、工夫しやすい!」と思い、またある時には、「私は普通なのに、努力が足りない。もっとやらないといけないのに。でももう無理。死んでしまう。」と思います。

どうでもいいことだとわかっていても、気持ち悪くて、どうでもいいことなのに拘泥してしまいます。

ということで「まずは知識を整理して、立ち位置をハッキリさせましょう」ということです。

上記の表の、星をつけた部分が私の立ち位置です。

まず、IQに関しては、WAISのFIQがわかっていますので、カンタンです。120前後あたりに横軸(FIQ122)。

難しかったのが「自閉度」です。

そもそも「自閉」ってなんだ?

というわけです。

これは、自閉症スペクトラムそのものの研究もあいまいだし、よくわからない。
とはいえ、今のところ「コミュニケーションで困る」というところが統一見解で診断されます(自閉症という事象が起こる核とはまた別の話)。
そこを中心に据えて考えてみよう、となりました。

私の担当の心理士さん曰く、ですが、

「まず、私は診断する立場にありません(医師ではないから)。でも、医師はあなたを発達障害と診断しています。僕もそう思います。」

「自閉度というのは、コミュニケーションで使われる身振りなどの非言語的な部分等を、どれだけ「自然に学習」できているか。自閉度が高くなると、それが「学習・研究」で補う部分になったり、そもそもそれもできなかったりします。そこに、知的の度合いが横軸で入ります。」

「高機能で自閉度が低い人というのは、そういう事を意識すらしない(白)。ちょっと苦手、と言う人が水色の部分。学習したり、わからない、という人が青。だと僕は思う。そして、あなたは、ドンピシャで、青い部分の真ん中あたりに位置すると思う。」

だそうです。
私は、水色あたりかな〜〜?と思っていて、ある程度コミュニケーションを理解しつつ学習出来ていると思っていたので、ちょっと意外ながらも、納得しました。

どのあたりでもいいのですが、自分の土台をはっきりさせていくために、「わたしはここ」とはっきりしたのは喜ばしいです。
まだまだはっきりしない障害なのですが、はっきりしないことがとても負担になっていましたので、これはとても良かったです。
仮止めだとしても、浮いているよりはるかにいいです。ほっとします。

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また、ACの気というのも、話しをしました。
これは、発達障害があるとよく経験することだそうです。
いちばん正統派(?)のACというのは、被虐待児と呼ばれる人々です。

最近では「やさしい虐待」なんて言葉もありますね。

私の場合、それに似た性質をもっていますが、ACの人というのは基本的に「人との関わり」を強く希求するとのこと。

そこが違うね、ということになりました。

発達障害の私と、定型発達(おそらく真っ白)の親とで、ズレが大きすぎて、互いに今のようなうまくいかない状態になってしまったのだろうということで、私の「ベース」ではありません。

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そしてついでに「発達障害で、いじめられていません。それでも、いいですか?」
とも聞きました。

「いいんですよ。いいことなんですよ。発達障害でもいじめられない人、いっぱい知ってます。」

正直なところ、一番ほっとしたかもしれません。

私は不幸にならなくたっていいんだ。

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今回はこんな感じでした。

また手帳用の診断書は、私のクリニックは結構慎重に作成するようで、私の状態によって、「過去のことを聞くのが健康に悪い」と判断した場合、なかなか診断書を書く情報を聞き出せないかもしれないとのこと。

「私には診断は出ないよ、ってことじゃないよ」「診断書が早くでなくても、大変なことになったりしないよ」と言っていただきました。

働いていないことも健康にはよくない影響がなくはないですが、フラッシュバックすると、半日潰れますし、薬も使います。自分にも周りにもひどく悪いです。

そういうことで、すすめていくとのことでした。

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今回の記録終わり




自分を大事にする力



温湿度計を、部屋に置きました。

暑さ寒さがわからないわけではないけれど、一人でいると「まだ大丈夫」「まだ、もったいない」が、先んじすぎてしまう場合があり、よく家人に「エアコンを入れなさい」と怒られます。

そこで、温度計を部屋に老いて、自分が快適な気温や湿度を把握することにしました。

上記の状態で、湿度はちょっと高いですが、温度はそこそこ快適です。

だいたい青いマークの部分(至適温度湿度)と同じエリアが、私にとって快適なようですから、助かります。

販売されている温湿度計はたいていこういったマークが合ったり、熱中症や食中毒危険度を細かく知らせてくれます。

セルフ・モニタリングにもかかわる、できる事とできないことのはざまの能力ですが、今のところ、「補える」ので、ここは補って、別の、もっとやりたいことにリソースが割けるように、使うことにしました。

自分を大事にする力が弱いので、無理やり自分を大事にできるようにします。
そういう点では、誰かとともに暮らすというのは、相手を大事にすることで、自分も大事にできるので、いいですね。

この温度計が私の目にはやさしいです。
もっとハッキリわかる温度計もありますが、そこばかり見てしまうのも嫌でしたし、それなら、棒状温度計が、カッコよくて、欲しかったので、これにしました。

【迷った種類3種】





数字で表して欲しい人には真ん中のようなものもあります。
私は数字でなく色の帯で見たかったので、デジタルを避けました。
一番右の佐藤計量器の寒暖計が、湿度計なしのものではおすすめです。サーモゾーンが付けられるので、自分で「ここから上はエアコン」「ここは扇風機」などと設定ができます。これと悩んで、湿度計ありのものにしました。エアコンをつけると、どうしても喉がいたくなるので。

2015年8月19日水曜日

生育歴:義務教育期間・中学校


ある程度生育歴をまとめて心理士に見せたものをもう少し詳しく、感覚的に記述してみようと思います。ですので、①たたき台(心理士に見せたものの一部)②本文(曖昧で私的・詩的な表現だらけ。できるだけ当時の頭のなかを書きたい。)という構成をしています。
生育歴を聞かれた際、書いて見せるにしても、あまり長いものは心理士にしろ医師にしろうんざりするので、生育歴を伝える場合は私のように長く書くのは得策ではありません。しかし、私には短くするということが出来なかったので、精一杯の状態で、医師ではなく心理士のカウンセリングで見せました。

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引き続き面倒臭いこども。
2年生のとき、学級会のテーマと担任の言動があっておらず、耐えられなくなりそのまま帰宅してしまう。担任が理解?してくれその後引きずることはなかったが、中学生は難しく、スクールカウンセラーや図書の先生のところにいつも遊びに行って、お世話になっていた。体育のダンスができず意地悪を言われてしばらく体育の授業に出られなかった。登校拒否ぎみになることがすこし。2度ほどスクールカウンセラーは自宅にまで来てくれた。「カウンセラーさんめっちゃ私のこと好きやん」と思っていたが、そうではない。わたしが問題児だったのだ。
透明水彩と鉛筆で絵を描いて、インターネットにスキャンしてのせていた。
自殺しようとしたが父親がどなったので「わたしはそんなことも許されないのか」と思った。芸術は得意。ただし気が乗った作品だけを異様に集中して仕上げた。

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たくさんの女の子が怖い。

中学校は、女の園です。

男の子もいるけれど、圧倒的に、先におとなになる、ませてくる、そして社会性が高いのが女の子。

とても怖かったです。

なかまはずれにされなくても、いじめがなくても、ただただ怖い。

意味がわからない生き物、という感じです。
いつ噛み付かれるかわからない生き物と同じ檻に入れられたら、怖いに決まっています。

できるだけそういうところに近づかないようにして。

そもそもそういうタイプの女の子だって、私みたいな子は願い下げなわけですけど。
できるだけさっぱりした子と一緒にいました。
小学校の頃と、だいたい同じような感じで、そういう子と遊んでもらうわけです。

幸いなことに、勉強ができたので、その点では苦労しませんでした。
また、運動は出来ませんでしたが、走るのだけは早かった(なぜだろう・でも、止まっているよりも、走っているほうがラクです。低緊張の影響かもしれません)です。リレーの選手になったりしました。
リレーの選手にはなったけれど、バトンの渡し方のルールや、空気を読んで(?)自分が走りだすタイミングをつかむことができなくて、うまくいきませんでした。とても恥ずかしかった。
どうして、みんなは教えられてもいないルールがわかるんだろう?
先生は「教えてあげればよかった」と言ってくれたけど、何で、教えてくれないでも、普通はできるんだろう?

集団行動はことごとく苦手だったので、中学校2〜3年生の頃は、半分登校拒否でした。
でも、親に怒鳴られ、引きずられて学校に通っていました。死にたかった。
時折親も降参して、自分で学校に「今日は行きません」と泣きながら電話させられました。ガンガン蹴られたりもしていました。家族全員が参っていたんだなあ。(それでも子どもを蹴ってはいけませんよ。今でも「命が危ない。親に殺される」と思った瞬間は忘れられない)

そんな状況だったので、SCのお世話になっていました。
私は、そのひとと遊んでいるような感覚でしたが、まあ、問題のある子ども、というわけ。今だったら病院を勧められているかもしれませんね。

死のうとするとまた怒鳴られて、ああ、自然死したいと思った。

このあたりで、蚊やかゆみにかなり過敏に反応することがわかりました。時には発熱し早退していました。今でも、理解が得にくく、精神的にも不安定になりやすく、面倒です。

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ただ、「いや」を初めて学んだのはこの時期でした。
「嫌」と言ってもいいんだよ、を知ったのは、同級生の男の子が、ふざけていたずらを良くする子だったことからです。

それでも、その子はとてもまじめな子だと、なぜかわかっていました。

そして、彼は「嫌なら嫌って言ったって、だれも嫌いになんてならないよ。大丈夫だよ」ということを、私に教えてくれました。

直接そう言われたわけじゃなないけれど、近いことを何度も言われて。

とてもあたたかいでした。

他の子達も優しかった。

比較的うまく受け止めてもらえていたと思います。もちろんうっとうしかったとは思いますが、私はかなり幸せです。楽しいこともいっぱいありました。
みんなでアルゴリズムたいそうをしたりしました。
点字で詩を翻訳するサークルに入っていました。一冊作って寄付しました。




やっぱり、友人や先生にはとても恵まれていました。
(ピタゴラゴール、こんなのあるんですね…欲しい…)

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高校は、進学校に行こうか悩んで、周囲もそれを期待していて。

けれども、「このままじゃ、ダメだ」と思いました。
絵を描くことが好きでした。
でも、それで食べようとは思わなかった。
すぐに独立したかった。
でも、勉強もしたかった。

まだわからないのに、「進学が当たり前」の環境に進んで、そこでポキっと折れてしまうことがあったら、いけない。

選択肢と、人生、色んなヒト、今まで避けてきた、社交的な人々のこと、もっと知らなくてはならない。

これからは、義務教育ではない。

どうやら、カンタンに死なせてもらえない。

と思って、レベルを下げて、かわりに色々なことが学べる高校に行きました。